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87.ノムルは強く心に誓う

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 とりあえず、この気付け薬は自分には飲ませないように、きつく注意を促しておこうと、ノムルは強く心に誓う。

「ほら、落ち着け」

 花びを小さく千切り、馬の口に入れてやる。すぐに効果は表れ、鎮静化した。先に飲ませた一頭は舟をこぎ始めているが、二頭目は大丈夫そうだ。

「恐ろしい薬効だな」

 馬を撫でようと枝を伸ばしているユキノが食べられないように目を光らせながら、ノムルは御者台の様子を窺う。
 御者台から落ちたときに怪我をしたコツラの手当てを済ませたガラサが、ノムルの行動を注意深く観察していた。

「怪我の状態はどうだ?」

 声を掛けると、ガラサが目をすぼめてノムルの口元を凝視した。一拍の間をおいて、

「大した怪我ではない。足と腕を打ち付けているが、骨には異常がなさそうだ」

 と、大きくはっきりと口を開けて答える。
 言葉通り、ガラサの手を借りて御者台に座ったコツラは、意識もはっきりしているようだ。

「おとーさん、もしかして皆さん、目と耳が使えなくなっているのではないでしょうか?」

 エイザンやコツラの会話、そしてガラサの行動に違和感を覚えていたノムルは、膝を打つ。

「ああ、それでか」

 落雷の閃光と轟音で、人間たちは視覚と聴覚を奪われていたようだ。

「耳の炎症でしたらシモバシラノシタですが、鼓膜はどうなのでしょう? 目はブルブルベリーですかね?」
「いや、人間の方は放っておけ。そのうち治るだろ」

 新たに薬草を生やそうとするユキノを、さっさと止めておく。
 じとりと不満げに見つめられるが、ここは譲れない。人間たちに薬草を与えれば、どうしてもその薬効に注目が集まる。
 他言するなと言っても、ふとした時に漏らしてしまうことはある。わざわざ危険を冒すことはないだろう。

「それより、飛竜の様子は分かるか?」
「飛竜さんでしたら、どこかへ飛んでいきましたよ?」

 問えばあっさりと答えが返ってきた。
 ノムルはユキノを見つめる。見つめ返していたユキノは数秒して、

「ん?」

 と小幹を傾げた。

「詳しく説明しろ」
「はい。おとーさんが雷を落とした直後に、『え? 今のって魔法だよね? 今の時代にそんな魔力持ちがいるの? うわ、卵産む前で良かった。ハヤトが面倒だから海を越えてきたけど、我慢して戻ろっかー。はあ、めんどー』って、言ってました」

 ノムルは両手で顔を覆って崩れ落ち、膝を突いた。

「飛竜……? 竜種ってそんな愉快な種族だったのか? ハヤトって誰だよ?」
「ニュアンスとしては、お知り合いのお名前のようでした」
「飛竜のお知り合い……。それは人間なのか? それともやっぱり竜種? え? 竜種に名前があるの?」

 ぶつぶつ呟いていたノムルは、はっと気づいてユキノを見る。とってもすぐそばに、名前持ちの魔物がいた。
 晴れ渡った空を見上げながら、ノムルはまだ見ぬ世界を想像する。

 そんな騒ぎもあったが、意識を取り戻したコツラは早くこの場を離れようと、全員を乗せると急ぎ馬車を走らせ始めた。

 しばらくして視覚も聴覚も取り戻した人間たちに、ノムルが飛竜が逃げたことを説明したのだが、ガラサとエイザンの顔には疑いの色が濃かった。
 ノムルの魔法を飛竜の攻撃だと勘違いしていた人間たちには、あの凄まじい落雷が人間の仕業だなどと、信じられなかったようだ。
 蕩けるような顔を左手で支えているサドナは除くが。

「嗚呼、あの衝撃が、ノムル様の魔法だったなんて。伝聞など当てになりませんね。百聞どころか万聞も一見には届きません。流石は至高の王です」

 色々と突っ込みたいところはあったが、突っ込めば更に喜ばせるだけだろう。ノムルはぐっと気持ちを飲み込んで耐える。
 結局もう一撃、雷を発生させて納得させたところ、疑っていた三人の顔から表情が抜け落ち、それから誰も口を利かなくなってしまった。
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