上 下
16 / 156

16.お兄さんと言ったほうが

しおりを挟む
「申し訳ありません。お兄さんと言ったほうがよろしかったのですね。失礼いたしました」

 ファイティングポーズを崩した樹人の幼木は、丁寧にお辞儀して謝罪した。
 そこではないと思うのだが、一々突っ込んでいると話が進まないどころかどこか変な方向に行きそうだと、ノムルは複雑な感情を飲み込む。

 一方の狩人たちも困惑していた。
 彼らはこの辺りの土地を収める領主に雇われている、傭兵団だ。騎士ほどの地位や規律はないが、それでも自分たちが領地を守っていると、それなりの誇りをもって働いている。
 決して野盗などではないし、むしろ野盗どもを排除する側である。
 それなのに、なぜか盛大に勘違いされている。

「残念ですが、私は無一文です。こちらの方は」

 と、振り返ってノムルを見たユキノは、言葉を止めた。
 じいっとノムルの顔を見つめ、少し上を見て帽子を観察し、そして視線を下ろして服を見る。ちょいっとローブの裾を小枝で摘んで持ち上げて凝視した後、再び傭兵たちに向き直った。

「たぶんですけれど、お金持ちではないと思いますよ?」

 小幹を傾げながら、真面目な声で言ってのけた。

「ぶはっ」

 たまらずノムルは吹き出し、傭兵たちも頬をひくりと引き攣らせた。
 腹を押さえてしゃがみ込んで爆笑するおっさんと、自分で撒いた種に気付いていないのか、不思議そうにおっさんを眺めている小さな子供。

 傭兵団の困惑は、ますますひどくなっていく。
 彼らが領主から命じられたのは、緑色のローブを着て森に逃げ込んだという奴隷を、確実に捕まえること。

 森を探索中に草色のローブを身にまとう二人組を発見し、逃げ道をふさぐように囲い込んだのだが、逃げ出した奴隷にしては様子がおかしい。

 もしやたまたま緑色のローブを着ていただけの旅人かとも考えるが、しかしこんな偶然があるだろうかとも首を捻る。
 奴隷が旅人を装っている可能性は否定できず、身元の確認だけはしなければと、団長たる男は一歩踏み出した。

「そちらの御許を確認したい」
「知らないほうがいいと思うけど? 覚悟はあるわけ?」

 なんとか笑いを止めたノムルは、ゆっくりと立ち上がりながら蔑みを含んだ声で問う。
 みすぼらしい男の傲慢な態度に、傭兵たちは気色ばむ。

「団長、こっちの厚意を受け取るつもりはないみたいですし、遠慮することはないですよ」
「うむ、そうだな」

 団員の言葉に頷いた団長は、ノムルを睨み付ける。

「大人しく投降しろ。そうすれば我々が痛みつけることはしない」
「我々が、ね。つまりお前たち以外の人間に痛みつけられるってわけだ」
「あくまで抵抗するということか。良いだろう」

 言葉尻を捕えたノムルに苦々しく顔をしかめると、傭兵たちは動き出す。さすがに空気が変わったことに気付いたらしきユキノが、怯えながら一歩下がる。

「私は木、私は木。秋になると美味しい木の実を結ぶ、広葉じ」
「無理だから。もう見られているから」

 木に擬態しようとするユキノに突っ込んだノムルを、小さな樹人は振り仰いでじいっと見つめる。

「なんと無慈悲な」
「俺は悪くないだろ?」

 そんな他愛もないやり取りをしている間に、傭兵たちは迫ってきた。手に持つ剣や槍を振りかざし、ノムルとユキノに肉薄している。

「おおう」

 ノムルから視線を戻したユキノが発した音は棒読みで、感情が読み取れない。
 小さな樹人にとっては絶体絶命だろうに落ち着いているものだと、ノムルは少しばかりユキノへの評価を上方修正する。

「悪く思うなよ。殺しさえしなければ、怪我を負わせても構わないと言われているんだ」

 すでに傭兵が握る槍の間合いに入っている。腕が伸び切った時には、ノムルとユキノは貫かれているだろう。
 急所は外して狙っているようだが痛そうだなと、ノムルは光る槍の穂先を見ながら杖を軽く弾く。

 視界が純白に染まり、轟音が耳をつんざく。よくよく耳を澄ませて聞き比べてみれば、無数の悲鳴が混じっていることに気付くだろう。

「おお、雷さんですか? 驚きました。目と耳があったら大変ですよ? 鼓膜が破れてしまいそうですね」

 なんだか冷静に分析している声も混じっていたが。本樹人は驚いたと言っているが、とても驚いた声音には聞こえない。
しおりを挟む

処理中です...