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35.栞の意識が戻ったのは
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栞の意識が戻ったのは、翌日の昼前だった。目覚めた栞は朦朧としながら辺りを見回す。
「お気づきになられましたか?」
枕元にはお米がいた。
共に暮らしているとはいえ娘の寝所である。吾平も入ることは控え信頼できるお米に頼ったようだ。
「私は?」
「山で倒れていたのですよ。若様が血相を変えて連れ帰ってきましてね。さ、薬は飲めますか?」
頷いた栞の口元に片口が宛がわれ、薬湯が口の中に流れてくる。甘く柔らかな蜜のようだと思った液体は、徐々に苦味を帯びていった。
意識がはっきりしてくると、栞の中を罪悪感が満たしていく。
「お米さん、ごめんなさい」
涙が頬を伝う。
「栞様が悪いわけではありませんよ。まだ熱がありますから、余計なことは考えずにゆっくりお休みなさい」
頷くことしかできない栞は、気付けばまた眠りに落ちていた。
浅く目覚めたり眠ったりを繰り返し、熱が下がったのは三日後だった。
「さ、無理にでも食べて元気を付けなさい。若様が心配していて見ていられませんからね」
鶉の卵と刻んだ野蒜が入った粥を栞はゆっくりと食べる。隠れ里では帝都以上に卵は貴重であろうに、熱を出した栞のために採ってきてくれたようだ。
申し訳なさで遠慮したが、まずは元気になることが先だとお米に押し切られてしまった。
「お津代ちゃんもね、本気で栞様のことを悪く思っているわけではないのですよ。栞様が葛城様のお嬢様だと知り、かっとなってしまったのでしょうね。右之助ちゃんと亥之助ちゃんのことだけでなく、この十五年ほどに積もったものが溢れたのでしょう。今は反省しています」
お粥を食べ終えた栞に、お米は淡々と語る。
栞はゆるゆると首を横に振った。
「父のせいで皆さんに苦労をお掛けしてしまいました。当然の報いだと思います」
今までずっと、勇真は新政府を立ち上げるために貢献した自慢の父だと思っていた。亨真は勇真をあまりよく思っていないようだったが、それでも父を信じていた。
けれど倒幕運動に参加していたということは決して褒められた行動ばかりではないのだと、栞は認めざるを得なかった。
黒犬衆だけではない。幕府の下で働いていた人々の多くが地位や職を奪われ、中には命まで奪われている。たとえ直接手を下してはいなかったとしても、奪ったのは勇真たちだ。
「親の罪を子が背負う必要はないと思うのですよ。それに栞様は雫様の娘様。私たちの主でもあるのですから、胸を張ってこの里に居ればいいのです」
まだ病み上がりなのだから横になっているよう栞に勧めると、お米は雫のことを話し始めた。
「お姉様の霖様と違い、雫様はお転婆でした。幼いころは清一郎様と庭の松に登っては叱られていましたね」
お転婆が過ぎると父母に叱られても直らず、ついには黒犬衆の後を追い駆けようとし始めた。清一郎がこんこんと諭してどうにか阻止したが、油断をすれば付いていきそうだったという。
「私は男衆が影鬼と戦う所を見たことはありません。けれど夫と息子の話を聞いて、油断ならない相手だと知っております」
動きが鈍く準備さえきちんとしていれば簡単に倒せるように見える影鬼だが、時には体を槍のように伸ばして攻撃し、または大風呂敷のように広がって覆いかぶさってくることもあるそうだ。
「足元にある影に潜り一瞬にして場所を移動することもあったそうで、夫はお仲間を庇って左の手首から先を失いました」
息を飲む栞に、ですからとお米は微笑む。
「栞様が討伐に同行なさらなくてよろしいのですよ。里で男たちの無事を祈ってくださればそれで充分なのです。私もいつもそうしております」
栞が黒犬衆に同行しないことをお津代が責めたと知っていたのだろう。
「お米さん、ありがとうございます」
一つ肩の荷を下ろした栞は、熱にうなされていた時に比べると安らかな表情で眠りに就いた。けれどまだ憂いは晴れていないようだと、お米は内心で嘆息した。
更に三日経ち、ようやく栞は床払いができた。すぐに吾平の手伝いをしようとしたのだが、お米にも吾平にも止められてしまう。
「もう大丈夫ですよ」
じっとしていると考えなくても良いことが頭の中を占領していく。
元気に笑ってみせる栞だが、頬はこけていて目の下に薄い隈がある。お米と吾平は困ったように眉を下げて目を見合わせた。
放っておいても何かしそうだと、お米は栞に繕い物を頼むことにした。これならばじっと座っていられるし、一緒にすれば体調が悪化してもすぐに気付ける。
「お気づきになられましたか?」
枕元にはお米がいた。
共に暮らしているとはいえ娘の寝所である。吾平も入ることは控え信頼できるお米に頼ったようだ。
「私は?」
「山で倒れていたのですよ。若様が血相を変えて連れ帰ってきましてね。さ、薬は飲めますか?」
頷いた栞の口元に片口が宛がわれ、薬湯が口の中に流れてくる。甘く柔らかな蜜のようだと思った液体は、徐々に苦味を帯びていった。
意識がはっきりしてくると、栞の中を罪悪感が満たしていく。
「お米さん、ごめんなさい」
涙が頬を伝う。
「栞様が悪いわけではありませんよ。まだ熱がありますから、余計なことは考えずにゆっくりお休みなさい」
頷くことしかできない栞は、気付けばまた眠りに落ちていた。
浅く目覚めたり眠ったりを繰り返し、熱が下がったのは三日後だった。
「さ、無理にでも食べて元気を付けなさい。若様が心配していて見ていられませんからね」
鶉の卵と刻んだ野蒜が入った粥を栞はゆっくりと食べる。隠れ里では帝都以上に卵は貴重であろうに、熱を出した栞のために採ってきてくれたようだ。
申し訳なさで遠慮したが、まずは元気になることが先だとお米に押し切られてしまった。
「お津代ちゃんもね、本気で栞様のことを悪く思っているわけではないのですよ。栞様が葛城様のお嬢様だと知り、かっとなってしまったのでしょうね。右之助ちゃんと亥之助ちゃんのことだけでなく、この十五年ほどに積もったものが溢れたのでしょう。今は反省しています」
お粥を食べ終えた栞に、お米は淡々と語る。
栞はゆるゆると首を横に振った。
「父のせいで皆さんに苦労をお掛けしてしまいました。当然の報いだと思います」
今までずっと、勇真は新政府を立ち上げるために貢献した自慢の父だと思っていた。亨真は勇真をあまりよく思っていないようだったが、それでも父を信じていた。
けれど倒幕運動に参加していたということは決して褒められた行動ばかりではないのだと、栞は認めざるを得なかった。
黒犬衆だけではない。幕府の下で働いていた人々の多くが地位や職を奪われ、中には命まで奪われている。たとえ直接手を下してはいなかったとしても、奪ったのは勇真たちだ。
「親の罪を子が背負う必要はないと思うのですよ。それに栞様は雫様の娘様。私たちの主でもあるのですから、胸を張ってこの里に居ればいいのです」
まだ病み上がりなのだから横になっているよう栞に勧めると、お米は雫のことを話し始めた。
「お姉様の霖様と違い、雫様はお転婆でした。幼いころは清一郎様と庭の松に登っては叱られていましたね」
お転婆が過ぎると父母に叱られても直らず、ついには黒犬衆の後を追い駆けようとし始めた。清一郎がこんこんと諭してどうにか阻止したが、油断をすれば付いていきそうだったという。
「私は男衆が影鬼と戦う所を見たことはありません。けれど夫と息子の話を聞いて、油断ならない相手だと知っております」
動きが鈍く準備さえきちんとしていれば簡単に倒せるように見える影鬼だが、時には体を槍のように伸ばして攻撃し、または大風呂敷のように広がって覆いかぶさってくることもあるそうだ。
「足元にある影に潜り一瞬にして場所を移動することもあったそうで、夫はお仲間を庇って左の手首から先を失いました」
息を飲む栞に、ですからとお米は微笑む。
「栞様が討伐に同行なさらなくてよろしいのですよ。里で男たちの無事を祈ってくださればそれで充分なのです。私もいつもそうしております」
栞が黒犬衆に同行しないことをお津代が責めたと知っていたのだろう。
「お米さん、ありがとうございます」
一つ肩の荷を下ろした栞は、熱にうなされていた時に比べると安らかな表情で眠りに就いた。けれどまだ憂いは晴れていないようだと、お米は内心で嘆息した。
更に三日経ち、ようやく栞は床払いができた。すぐに吾平の手伝いをしようとしたのだが、お米にも吾平にも止められてしまう。
「もう大丈夫ですよ」
じっとしていると考えなくても良いことが頭の中を占領していく。
元気に笑ってみせる栞だが、頬はこけていて目の下に薄い隈がある。お米と吾平は困ったように眉を下げて目を見合わせた。
放っておいても何かしそうだと、お米は栞に繕い物を頼むことにした。これならばじっと座っていられるし、一緒にすれば体調が悪化してもすぐに気付ける。
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