双月の恋

しろ卯

文字の大きさ
上 下
35 / 40

35.栞の意識が戻ったのは

しおりを挟む
 栞の意識が戻ったのは、翌日の昼前だった。目覚めた栞は朦朧としながら辺りを見回す。

「お気づきになられましたか?」

 枕元にはお米がいた。
 共に暮らしているとはいえ娘の寝所である。吾平も入ることは控え信頼できるお米に頼ったようだ。

「私は?」
「山で倒れていたのですよ。若様が血相を変えて連れ帰ってきましてね。さ、薬は飲めますか?」

 頷いた栞の口元に片口が宛がわれ、薬湯が口の中に流れてくる。甘く柔らかな蜜のようだと思った液体は、徐々に苦味を帯びていった。
 意識がはっきりしてくると、栞の中を罪悪感が満たしていく。

「お米さん、ごめんなさい」

 涙が頬を伝う。

「栞様が悪いわけではありませんよ。まだ熱がありますから、余計なことは考えずにゆっくりお休みなさい」

 頷くことしかできない栞は、気付けばまた眠りに落ちていた。
 浅く目覚めたり眠ったりを繰り返し、熱が下がったのは三日後だった。

「さ、無理にでも食べて元気を付けなさい。若様が心配していて見ていられませんからね」

 うずらの卵と刻んだ野蒜のびるが入った粥を栞はゆっくりと食べる。隠れ里では帝都以上に卵は貴重であろうに、熱を出した栞のために採ってきてくれたようだ。
 申し訳なさで遠慮したが、まずは元気になることが先だとお米に押し切られてしまった。

「お津代ちゃんもね、本気で栞様のことを悪く思っているわけではないのですよ。栞様が葛城様のお嬢様だと知り、かっとなってしまったのでしょうね。右之助ちゃんと亥之助ちゃんのことだけでなく、この十五年ほどに積もったものが溢れたのでしょう。今は反省しています」

 お粥を食べ終えた栞に、お米は淡々と語る。
 栞はゆるゆると首を横に振った。

「父のせいで皆さんに苦労をお掛けしてしまいました。当然の報いだと思います」

 今までずっと、勇真は新政府を立ち上げるために貢献した自慢の父だと思っていた。亨真は勇真をあまりよく思っていないようだったが、それでも父を信じていた。
 けれど倒幕運動に参加していたということは決して褒められた行動ばかりではないのだと、栞は認めざるを得なかった。

 黒犬衆だけではない。幕府の下で働いていた人々の多くが地位や職を奪われ、中には命まで奪われている。たとえ直接手を下してはいなかったとしても、奪ったのは勇真たちだ。

「親の罪を子が背負う必要はないと思うのですよ。それに栞様は雫様の娘様。私たちの主でもあるのですから、胸を張ってこの里に居ればいいのです」

 まだ病み上がりなのだから横になっているよう栞に勧めると、お米は雫のことを話し始めた。

「お姉様の霖様と違い、雫様はお転婆でした。幼いころは清一郎様と庭の松に登っては叱られていましたね」

 お転婆が過ぎると父母に叱られても直らず、ついには黒犬衆の後を追い駆けようとし始めた。清一郎がこんこんと諭してどうにか阻止したが、油断をすれば付いていきそうだったという。

「私は男衆が影鬼と戦う所を見たことはありません。けれど夫と息子の話を聞いて、油断ならない相手だと知っております」

 動きが鈍く準備さえきちんとしていれば簡単に倒せるように見える影鬼だが、時には体を槍のように伸ばして攻撃し、または大風呂敷のように広がって覆いかぶさってくることもあるそうだ。

「足元にある影に潜り一瞬にして場所を移動することもあったそうで、夫はお仲間を庇って左の手首から先を失いました」

 息を飲む栞に、ですからとお米は微笑む。

「栞様が討伐に同行なさらなくてよろしいのですよ。里で男たちの無事を祈ってくださればそれで充分なのです。私もいつもそうしております」

 栞が黒犬衆に同行しないことをお津代が責めたと知っていたのだろう。

「お米さん、ありがとうございます」

 一つ肩の荷を下ろした栞は、熱にうなされていた時に比べると安らかな表情で眠りに就いた。けれどまだ憂いは晴れていないようだと、お米は内心で嘆息した。

 更に三日経ち、ようやく栞は床払いができた。すぐに吾平の手伝いをしようとしたのだが、お米にも吾平にも止められてしまう。

「もう大丈夫ですよ」

 じっとしていると考えなくても良いことが頭の中を占領していく。
 元気に笑ってみせる栞だが、頬はこけていて目の下に薄い隈がある。お米と吾平は困ったように眉を下げて目を見合わせた。
 放っておいても何かしそうだと、お米は栞に繕い物を頼むことにした。これならばじっと座っていられるし、一緒にすれば体調が悪化してもすぐに気付ける。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

鈍感娘は若君の気持ちに気付かない

しろ卯
恋愛
とある大名家に生まれた千夜丸君。 千里眼の持ち主と噂される千夜丸君は、遠くの事までよく知っていた。 ある日、千夜丸君はとある娘に会いたいと訴える。若様が求める娘はいったいどのような娘かと、殿様や家臣たちは色めき立つのだが。

流れ星に願い事をしたら、埴輪になりました

しろ卯
恋愛
数十年ぶりに訪れた流星群。想いを寄せるあの方に愛されたいと願った私は、翌朝目覚めると、なぜか埴輪になっていた。

婚約者が浮気したので、相手の令嬢にピー……な呪いをかけてみた。

しろ卯
恋愛
婚約者は庶民育ちの男爵令嬢に夢中になって、苦言を呈しても聞き入れてくれない。 相手の男爵令嬢はどうやら故意に高位貴族の令息たちに取り入っているみたい。 ならば遠慮はいりませんね?   ◇  軽くざまぁするはずが思わぬ方向に進んでしまった令嬢のお話。   ※他サイトにも同題で掲載しています。

聖女を召喚したら、現れた美少女に食べられちゃった話

しろ卯
恋愛
魔王を討伐するために、聖女召喚の儀式が行われた。 現れたのは美しい娘。第二王子である私は一瞬にして心を奪われた。 異世界から召喚したら、普通はこうだよな? というだけのお話。さくっとな。 他サイトにも投稿。

婚約者が相手をしてくれないのでハーレムを作ってみた

しろ卯
恋愛
公爵家の嫡男である僕には、幼い頃に決められた婚約者がいる。だけど彼女はつれないから、僕は――。

ただ、あなただけを愛している

しろ卯
恋愛
初めて会ったその日から、私の気持ちは変わらない。 愛している。ただそれだけ――。   ◇   愛し合っているのに認められない、令嬢と王子の物語。

テンプラな婚約破棄

しろ卯
恋愛
母が亡くなって孤児院に引き取られていた私の下に、父と名乗る貴族様がやってきました。 貴族になってしまったら、大好きな幼馴染と結婚できなくなってしまうではないですか! これは一大事です。 そんな私と彼の下に、婚約者と上手くいっていない王子様が現れて……。 よくある王子様が婚約破棄を告げるテンプラなお話。 ※あまり深く考えてはいけません。

婚約破棄に巻き込まれた騎士はヒロインにドン引きする

しろ卯
恋愛
その日、城の廊下を警護していた騎士ナルツは、泣いている令嬢に声を掛ける。馬車まで護衛すると申し出たナルツに、令嬢は怒りを吐き出し始めた。 その話を聞いたナルツは、騎士仲間から聞いた話を思い出して――。 ルモン大帝国で起こった、第一皇子とその取り巻きたちがやらかした騒ぎと、その顛末。 隠れ攻略キャラが一途でまとも(?)な神経だったら……という話。   なろうさんにも公開しています。

処理中です...