双月の恋

しろ卯

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33.清十郎は山本の家に着くと

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 清十郎は山本の家に着くと声を掛ける。
 いつもなら真っ先に出てきて聞いてもいないことも話してくれるお津代は姿を現さない。代わりに亭主の左馬之進が対応してくれた。

「来ておられませんね。お津代、どこに行かれたか知らないか?」
「さあ? 八重ちゃんの所じゃないですか?」
「いや、小柳の家は先に寄ったのだが」
「ではお米さんの所では?」

 お津代の声には張りがない。気に掛かった清十郎は左馬之進に問うような視線を向ける。
 彼は隠れ里に落ち延びたときにはすでに山犬衆を引退していたが、若者たちに影犬討伐の伊呂波を叩き込んでくれた。清十郎にとっては師匠のような存在でもある。
 左馬之進も理由が分からないようで、不思議そうに小首を傾げる。

「急な雨だったからな。冷えて風邪を引いたのかもしれない。大事にしてやってくれ」
「お気遣い痛み入ります」

 清十郎は他の家も回ってみたが、どの家にも栞の姿はなかった。もしや擦れ違いになったのだろうかと屋敷に戻ってみたが、まだ帰っていないという。

「いったいどこに行ったのだ?」

 雨脚はどんどん強くなってきている。外にいれば濡れそぼっているだろう。春も過ぎて暖かくなってきたとはいえ、日が照っていなければまだ寒い。

「もしや山を下りてしまったのでしょうか? 申し訳ありません。私が余計なことを話してしまったばかりに」
「気にするな。吾平のせいではない」

 とはいえこの隠れ里で暮らし続けるのは、事情を知ってしまった栞にとって複雑な思いもあるだろう。

「念のためだ。途中まで下りてみよう」

 すぐに合羽と笠を纏うと、清十郎は愛馬を駆って山を下った。
 けれど、女の足で行けると思う範囲に栞の姿は見つからない。少し多めに下ってみたが、見当違いだったかと来た道を戻る。
 雨雲の陰に隠れてしまっているが、そろそろ日が暮れる時間だ。夜になってしまえば獣や影鬼が出て来かねない。

「どこに行ったのだ?」

 早く探し出さなければと焦る気持ちが舌を打ち鳴らさせる。
 里に戻り屋敷の前に着くと吾平が飛び出してきた。後ろには八重に肩を抱かれたお津代と、それぞれの夫が立っていた。

「清十郎様、大変でございます。とりあえず中へ」

 吾平に馬を任せた清十郎は急ぎ足で屋敷の中へ入る。

「何か分かったのか?」

 合羽に付いた水滴を払うより先に、栞の安否を問う声が口を突いて出ていた。

「申し訳ございません」

 頭を下げた左馬之進に続いて、崩れ落ちるようにお津代が土間に膝を突いて額ずいた。状況が分からない清十郎は問うように平助と八重を見る。

「それが、清十郎様がお帰りになってから子供たちに聞いてみたところ、平蔵が栞様とお津代さんが一緒にいたと言いまして」

 清十郎は山本夫妻の家を訪ねると言って出ていったため、知らせずとも問題はないだろうと追いかけることはなかった。
 けれどしばらくして血相を変えた清十郎が馬を駆って里から出ていったため、只事ではないと判断してお津代の家へ向かったという。
 八重と平助に尋ねられても素知らぬふりをしていたお津代だったが、左馬之進に諭されて全てを白状した。

「お津代が栞様を山へ誘い置き去りにしてきたそうです。申し訳ございません」
「でもそんなに遠くではないし、一人で戻って来られると思ったのです」
「言い訳をするな!」

 夫にたしなめられて、お津代はわっと袖で顔を覆う。

「なぜそのようなことを? いや、今は栞殿を連れ戻るのが先だ。平助、一緒に来てくれるか?」
「御意」
「左馬之進は八重を家へ。身重の体だ。冷やしてはならぬ」
「承知仕りました」

 泣き叫ぶお津代を宥めすかして場所を聞き出すと、清十郎は平助を連れて屋敷を出る。

「清十郎様、お供します」
「頼む」

 騒動を聞いて駆けつけてくれた伊織たちも連れて、清十郎は山に入っていった。

 その頃栞は、一人雨に濡れて震えていた。
 崖から落ちた際に足を捻っていたようで、立つことは出来ても支えなしでは歩くことができない。しかも里に戻るためには一間1.8mほどどはいえ崖を登らなければならない。
 怪我をした足では自力で戻ることができず、精神的にも傷つき気力が奪われていた彼女は動くことができなくなっていた。

「お父様、どうしてお母様を助けてくださらなかったのですか? どうして黒犬衆の方々を裏切ったのですか?」

 答えが返ってくることはないと分かっていても、どうしても問うてしまう。

「なぜ、お母様を妻に迎えたのですか? 私もいらない子だったのですか?」

 雨は容赦なく栞の体を打ち付け体温を奪っていく。心の内からと体の外から冷やされて、氷に閉じ込められてしまったかのようだ。栞は意識を手放した。
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