上 下
375 / 402
真相編

410.『GAME OVER』

しおりを挟む


『GAME OVER』

 赤い視界に、白抜きのゴシック体だけが浮かぶ。
 ゴーグルを外すと見覚えのある景色が現れた。以前は毎日見ていたはずの、自分の部屋。
 雪乃は視線を落として自分の手を見た。柔らかな肉を皮膚で覆った、人間の手だ。髪は、黒い。着ている服は、緑色のパジャマ。

「嘘、ですよね?」

 慌てて雪乃はゴーグルを被り直し、再度『無題』の世界に入ろうとした。けれど、あの世界には行けなかった。
 『無題』はサービスを終了していて、ログインさえできない。運営に問い合わせようにも、連絡先はどこにも見当たらなかった。

「そんな……」

 雪乃は目の前が真っ白になった。頭の中がぐらぐらと揺れて、世界もぐるぐると回っているようだ。

「ふっ」

 と、声が漏れる。知らぬうちに、双眸から涙があふれていた。
 雪乃を娘と呼んでくれたノムルは、NPCでしかなかったのか。ぴー助も、カイも、マンドラゴラたちも、実際には存在しなかったのか。
 全ては『無題』が見せてくれた夢。現実と錯覚するほどの、リアルな幻想。

 涙はとめどなく流れ落ちる。
 夢を見てしまったから、幸せな世界を垣間見てしまったから、目を逸らしていた痛みに気付いてしまった。

「おとーさん」

 雪乃は顔を両手で覆うと、声を殺して泣き続けた。

 時の流れは雪乃があの世界に行った日――中学校の入学式のまま止まっていた。母親と『普通の』親子を演じなければならなくて、制服を着ようと何度も手を伸ばしたのに触れることもできず、倒れてしまった日。
 気が付いたときには、家の中には誰もいなかった。母はどうしたのだろうと考えると、体が震えだし、現実から逃げるように『無題』の世界に逃げ込んだ。
 そして、ノムルたちに出会った。

 涙も枯れたころ、玄関の戸が開き母の声が聞こえた。雪乃はびくりと体を震わせると、すぐに息を殺して気配を消す。
 母親はそのまま夫婦の部屋に入っていった。彼女は雪乃が家にいることに気付かず、入学式に参加していたようだ。
 さぼったと気付かれなかったことに安心した直後、自分はいなくても本当に構わないのではないかと、雪乃の世界は真っ暗になった。
 あの世界に帰りたいと、雪乃はゴーグルに手を伸ばす。

「そうだ、ムダイさんなら……」

 あの世界にいた、雪乃と同じプレイヤー。彼ならばこの世界に存在しているかもしれない。
 雪乃は急ぎ、ゴーグルを被ってVR世界へとダイブした。けれどそこで思考が止まる。

「どうやって探せばいいの?」

 『無題』の関連サイトを探し、『ムダイ』という名前のプレイヤーを知らないか尋ねたが、その日は彼を見つけることはできなかった。
 虚無感に襲われながらも、雪乃は日常に戻る。

 翌日、登校した雪乃は担任から入学式を無断で休んだ理由を聞かれたが、風邪をひいてしまったと当たり障りのない答えでやり過ごした。
 現実感を持てない日常の中をふわふわと過ごしている内に、いつの間にか半月ほどが経過していた。

「昨日の見た?」
「見た! エン君、格好良過ぎ!」

 いつの間にか休憩時間になり女子生徒たちの声が耳に届いて、雪乃ははたと振り向く。

「エン君……」

 ムダイのもう一つの名前だ。

(そうだ、ムダイさんはアイドルなのでした)

 帰ったらエン君で検索してみようと、雪乃は光明を得た気がした。アイドルに会えるかどうかは分からないが、どこにいるか分からない一般人を探すよりも、ずっと会える可能性は高いだろう。
 少し元気を取り戻した雪乃は、授業が終わると急いで四角い校舎を出る。
 校門の辺りで女子生徒たちが騒いでいる姿が目に入った。

「ちょっと、あの人格好よくない?」
「誰? モデル? 外国人だよね? 観光?」
「こっち見てるよ? 声掛けてみる?」

 だがそんな話、雪乃は興味がない。気にせず校門を出て家路を急ごうとしたのだが、

「ユキノちゃん!」

 と、声を掛けられた。考えるよりも先に、身体が反応する。
 まさかと思うより早く首が回り、その姿を映した途端に安心して崩れかけた雪乃を、彼の手が支える。

「なん、で?」

 疑問に満ちた雪乃の視線を受けて優しげな茶色の瞳が細まり、彼は困ったように笑う。

「大丈夫? 具合が悪そうだけど」
「だ、大丈夫です」

 慌てて彼から離れて立つ。周囲から注目を浴びていたが、雪乃の頭の中はそれどころではなかった。
 なぜ彼がここにいるのか、どうやってここにきたのか、あの世界は本当にあったのか――。
 様々な疑問が渦巻いて思考が定まらず、問いかけることさえできない。ただ一つ、雪乃は確かめるために口を動かし声を出す。

「ナルツさん、ですよね? なぜここに?」

 彼はふわりとほほ笑んだ。

「ユキノちゃんを探しにきたんだよ。ムダイさんもいる。一緒に来てくれるかな?」

 雪乃に迷いなどなかった。すぐに頷くと、彼と共に歩きだした。後ろで生徒たちが騒いでいるが耳には届かない。
 ナルツは学校から少し離れた場所にある喫茶店に、雪乃を案内した。扉の前で雪乃は急にどきどきし始める。

 この扉をくぐれば、再びあの世界とつながる方法が手に入るかもしれないのだ。そして、雪乃は喫茶店に入るのは初めてだった。
 大人への一歩を踏み出すようで、雪乃は期待と緊張で体が強張る。
 そんな雪乃の緊張など気にせず、ナルツはガラス戸を押した。からりと鈴の音がして、雪乃は促がされるまま中に入りナルツと共に一人の男が座る席に向かう。

「お待たせしました」
「ああ。ということは、その子が雪乃ちゃん?」

 雪乃はきょとんと瞬き、コーヒーを飲んでいた男をしげしげと上から下まで観察する。
 白いシャツに藍色のジーンズを履き、茶色のベストというシンプルな服装の上には、帽子とサングラスでは隠せない整った顔が乗っかっている。そしてこの国では一般的な黒い髪は、首の後ろでちょこんと拳ほどの長さだけが括られていた。

「赤くありません」

 思わず雪乃は呟いた。
 ひくりと、男の口元が歪む。

「君たちさ、僕を色で判断していたの?」

 どうやらナルツも同じ感想を口にしたようだ。雪乃とナルツはそっと彩りを手に入れた男から顔をそらす。
 口の端がひくひくと震えていたムダイだが、二人が席に座るとメニューを勧めた。

「どれでも自由に選びなよ。食べ物好きでしょう?」

 食べることのできない樹人になっても、雪乃の食への感心は貪欲だったことをムダイは知っている。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ! 

タヌキ汁
ファンタジー
 国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。  これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。

この度、双子の妹が私になりすまして旦那様と初夜を済ませてしまったので、 私は妹として生きる事になりました

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
*レンタル配信されました。 レンタルだけの番外編ssもあるので、お読み頂けたら嬉しいです。 【伯爵令嬢のアンネリーゼは侯爵令息のオスカーと結婚をした。籍を入れたその夜、初夜を迎える筈だったが急激な睡魔に襲われて意識を手放してしまった。そして、朝目を覚ますと双子の妹であるアンナマリーが自分になり代わり旦那のオスカーと初夜を済ませてしまっていた。しかも両親は「見た目は同じなんだし、済ませてしまったなら仕方ないわ。アンネリーゼ、貴女は今日からアンナマリーとして過ごしなさい」と告げた。 そして妹として過ごす事になったアンネリーゼは妹の代わりに学院に通う事となり……更にそこで最悪な事態に見舞われて……?】

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~

空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」 氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。 「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」 ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。 成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

転生したらチートすぎて逆に怖い

至宝里清
ファンタジー
前世は苦労性のお姉ちゃん 愛されることを望んでいた… 神様のミスで刺されて転生! 運命の番と出会って…? 貰った能力は努力次第でスーパーチート! 番と幸せになるために無双します! 溺愛する家族もだいすき! 恋愛です! 無事1章完結しました!

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。