上 下
324 / 402
魔王復活編

359.蹴られたムダイは

しおりを挟む
「え?」

 雪乃から間の抜けた声が飛び出す。視線は弧を描いて飛んでいく赤い戦闘狂を追い、

「えええーーっ?!」

 驚愕に悲鳴の混じった絶叫が迸った。雪乃だけでなく、その場にいた人々の多くが叫んだ。叫ばなかった人は冷静だったわけではない。目を剥いて言葉を失っていただけだ。
 蹴られたムダイは綺麗に放射線を描いて、山頂から落ちていく。

「ちょっ?! この高さは、いくらムダイさんでも天に召されてしまいます。ぴー助、助けてください!」

 雪乃は困惑しながら騒ぐ。

「がうう?」

 不満そうに眉間にしわを寄せながら、ぴー助は羽を動かして山から飛び降りた。

「どうして私の周りの子たちは、ムダイさんに冷たいのでしょう?」

 今心配するところはそこではないはずのだが、色々と混乱していた雪乃は、ムダイを邪険にするマンドラゴラたちの姿を思い浮かべていた。
 人々は山の端に駆けていき、ムダイの様子を見下ろしている。

「大丈夫みたいだ」

 耳に馴染んだ声に、雪乃は顔を上げた。

「縄の付いたナイフを山肌に投げつけて、落下を防いだ。すでに登り始めている」

 カイはムダイが落下すると同時に山の端まで行って、様子を見てきたようだ。
 ほっとしてへたり込んだ雪乃の頭を、ぽんぽんと優しく叩いて労わる。そうして落ち着いたのも束の間、

「が、がううーっ?!」

 今度はぴー助の戸惑いを含んだ悲鳴が聞こえてきた。続いて、

「ぴー助君、良い蹴りでした! さあ、僕と遊びましょう!」

 戦闘狂の歓喜の声が、山肌を駆け上ってくる。
 雪乃とカイは絶句した。心配したことを、後悔するほどに。

「あの人はいったい、何者なのでしょう?」
「さあな。ノムル殿の異常さに隠れていたが、ムダイ殿も」

 それ以上の言葉を、カイは飲み込んだ。口にしてしまえば戻ってこないものもある。脱力していた雪乃とカイだが、無事だったのだから問題はないと考えを切り替える。

 雪乃は周囲を見回す。
 戦闘狂の奇行を初めて見た者たちは、未だ放心しているか、ムダイに視線が釘付けになって山の下を覗き込んでいる。
 そう、予期せずして誰も勇者の聖剣に注目していないという状況が生まれていたのだ。この好奇を逃すわけにはいかない。

 雪乃は音もなく、そろりそろりと聖剣に近付いた。そして、手を掛けて引っこ抜く。するりと、あっけなく抜けた。
 それはもう、まったく力を入れることも、ふんにゅーっと気合を入れることもなく、豆腐から爪楊枝を抜くようにするっと抜けた。

 雪乃は聖剣を見つめる。
 カイも聖剣を見つめる。
 雪乃は聖剣をポシェットにしまった。空間魔法のかかったポシェットは、難なく聖剣を吸い込む。
 ゆっくりと注意深く周囲を見回してみるが、気付いている者はいない。
 ひらひらと降ってきたカードを回収すると、雪乃は何事もなかったようにその場から離れた。

「ふうー。やり遂げました」

 山頂の端まで来ると枝で額を拭い、緊張を解く。
 無言で付いてきていたカイはいつものポーカーフェイスだったが、次第にふるふると震えだし、両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。

「雪乃、今のは何だ?」

 現実に気付いてしまったようだ。

「しぃーっです」

 雪乃は慌てて人差し小枝を口元付近に当てると、きょろきょろと辺りの様子を窺う。誰も気付いていないことを確認して、ほっと胸を撫で下ろした。
 困惑しつつも雪乃の奇行を受け入れたカイは、ぽんぽんと雪乃の頭を叩くと、

「分かった。下山しよう」

 と雪乃を抱き上げて、人々の視線が集まる方角とは逆から下山を開始した。
 ムダイとぴー助が人々の視線を引き付けている間に、カイは岩肌の狭い突起から突起へと器用に飛び移り、時に手も使い、難なく山を下りていく。人間には半日がかりのロッククライミングも、狼獣人には一時間ほどの運動だったようだ。

「がううーっ!」
「はっはっはー! ぴー助君、もっと反撃しても大丈夫ですよー?」
「がううっ?!」

 ムダイとぴー助は、未だに鬼ごっこ継続中である。空を飛んで逃げるぴー助を、地上を走るムダイが追い回している。

「あれはどうしましょう?」

 雪乃やカイが、ムダイを止められるとは思えない。けれど放っておくわけにもいくまい。

「マンドラ」
「「「わああぁぁぁーっ!」」」

 声を掛けようとすると、呼び終わる前に拒絶の声が響いた。無敵かと思われたマンドラゴラでも、あれは無理なようだ。
 幻影を見せればマンドラゴラに向かってきかねない。戦闘力のない彼らには対処できないだろう。
 ふむうっと、雪乃は考える。

「ぴー助! 私はここで待っていますから、気にせず全力で振り切ってください。一時間もすれば落ち着くでしょう」
「がううーっ!」

 雪乃の声を受けたぴー助は、翼で風を切り一気に速度を上げると、あっと言う間に去っていった。
 さすがのムダイも、本気になったぴー助の飛行速度には追いつけない。

「ぴー助君! 逃げるなんて卑怯ですよ? お兄さんともっと遊びましょう!」

 赤い戦闘狂が叫んでいるが、あれを遊びと言い切れる彼はやはり何かが狂っていると、雪乃はぼんやり考えた。
 ぴー助の姿が見えなくなってしばらくして、戦闘狂はムダイに戻った。

「いやあ、ちょっとむきになっちゃったみたいだね」

 ちょっとどころではないと雪乃もカイも思うのだが、深くはつっこまない。とりあえず、山を壊されなくて良かったと、雪乃は内心でほっとしていた。
 
「ムダイさん、もう少し自重してください。大勢の人たちが巻き込まれかねなかったのですよ?」

 山頂にいた者はもちろん、登山中や下山中の人たちが無事だったのは、奇跡に近いかもしれない。
 ムダイは罰が悪そうに頬を掻く。

「そうは言っても無意識だからね。以前は父さん相手にしか出なかったし、他に迷惑を掛けることもなかったから、矯正する必要もなかったんだよね。ノムルさんと行動している時に頻繁に出ていたから、出やすくなったのかな?」

 ノムルとムダイは混ぜるな危険だとは思っていた雪乃だったが、一度混ぜると中和は難しかったようだ。
 しっかり二時間ほど経ってから、ぴー助がおそるおそる帰ってきた。

「が、がううー?」

 警戒するように、上空を旋回している。

「ぴー助、もう大丈夫ですよ」

 雪乃が声を掛けると、ようやく安心したように降りてきた。

「ごめんよ、ちょっと興奮しちゃって」

 爽やかな笑顔で謝るムダイだが、ぴー助は身を竦ませて雪乃の後ろに隠れた。まったく隠れていないが。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ! 

タヌキ汁
ファンタジー
 国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。  これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。

この度、双子の妹が私になりすまして旦那様と初夜を済ませてしまったので、 私は妹として生きる事になりました

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
*レンタル配信されました。 レンタルだけの番外編ssもあるので、お読み頂けたら嬉しいです。 【伯爵令嬢のアンネリーゼは侯爵令息のオスカーと結婚をした。籍を入れたその夜、初夜を迎える筈だったが急激な睡魔に襲われて意識を手放してしまった。そして、朝目を覚ますと双子の妹であるアンナマリーが自分になり代わり旦那のオスカーと初夜を済ませてしまっていた。しかも両親は「見た目は同じなんだし、済ませてしまったなら仕方ないわ。アンネリーゼ、貴女は今日からアンナマリーとして過ごしなさい」と告げた。 そして妹として過ごす事になったアンネリーゼは妹の代わりに学院に通う事となり……更にそこで最悪な事態に見舞われて……?】

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~

空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」 氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。 「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」 ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。 成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。

病弱少年が怪我した小鳥を偶然テイムして、冒険者ギルドの採取系クエストをやらせていたら、知らないうちにLV99になってました。

もう書かないって言ったよね?
ファンタジー
 ベッドで寝たきりだった少年が、ある日、家の外で怪我している青い小鳥『ピーちゃん』を助けたことから二人の大冒険の日々が始まった。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

転生したらチートすぎて逆に怖い

至宝里清
ファンタジー
前世は苦労性のお姉ちゃん 愛されることを望んでいた… 神様のミスで刺されて転生! 運命の番と出会って…? 貰った能力は努力次第でスーパーチート! 番と幸せになるために無双します! 溺愛する家族もだいすき! 恋愛です! 無事1章完結しました!

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。