上 下
318 / 402
魔王復活編

353.風よ!

しおりを挟む
「風よ!」

 右の小枝を湖に向かって、前に押し出すようにかざす。
 ぴー助が、じいっと雪乃を見下ろしている。
 ぱしゃりと、魚が跳ねて湖の中へと消えていった。その水音が、はっきりと聴覚に届いた。
 雪乃は少しずつ紅葉していく。
 前に出していた枝をすうっと引き戻すと、わざとらしく枝で額を拭う。

「今日も良い天気ですね。少々暑いくらいでしょうか?」

 空を見上げた雪乃に釣られるように、ぴー助も空を見上げた。竜種のぴー助には、雪乃が何をやらかしたのか、よく分からなかったようだ。

「精霊の力を借りて魔法を使うと教わりましたが、どうやら精霊が身体に入ってきても、使える魔法は増えないようですね」

 一人納得している雪乃だが、魔法を使うときは魔力を近くにいる精霊が魔法に変換するのであって、普通は精霊を体内に取り込んだりはしない。
 だが彼女の勘違いを正せる者は、ここには存在しなかった。

 さわりと、風が吹き抜ける。
 小さな樹人の葉を揺らし、湖面に波紋を描いていく。風が去り、静かになった湖面と同じように、雪乃の心にも静寂が訪れていた。
 そっと、ぴー助の鼻先に身を寄せて、抱きしめる。泣けないはずの樹人の視界が、歪んだ気がした。

「私はこれから、どうすれば良いのでしょうか? 薬草を集めるという目標は、達成してしまいました。次は何をすれば良いのでしょうか? また一人ぽっちになってしまいました」

 地球にいたときの雪乃は、孤独だった。家族に疎まれ、学校でも巧くいかなかった。雪乃の性格や感性は、周囲から浮いていたようで、いつも遠巻きにされていた。
 『無題』を通してやってきたこの世界で、雪乃はノムルやカイ、ムダイといったたくさんの人々と出会い、心を通わせてきた。
 しかし成木になるために長く根を張っていた間に、彼らはいなくなってしまった。
 顔を押し付ける雪乃に、ぴー助も鼻先を摺り寄せる。その時だった。

「わー」
「わー」
「わー?」

 樹人に戻った雪乃から、次々とマンドラゴラたちが出現しては、なぐさめるように雪乃に根を寄せた。

「そうですね。一人なんかじゃありませんね。私にはまだ、あなたたちがいてくれます」
「わー!」
「わー!」
「わー!」

 そうだそうだとばかりに、声を上げて跳ねるマンドラゴラたち。そこへ、不機嫌な声が割り込む。

「がううーっ!」
「ぴー助もいますね。ありがとう」
「がううー」

 ぴー助とマンドラゴラたちに囲まれた雪乃の葉に、輝きが戻る。彼らに微笑みかける雪乃の頭上で、一匹のマンドラゴラが何かに気付いたように根を伸ばす。

「わー!」

 他のマンドラゴラたちも、次々と湖とは反対側の、森へと根を向けていく。ぴー助も何かに気付いたようで、雪乃から顔を離し、木々の向こうを見つめた。
 マンドラゴラたちの様子から、危険なものではないと認識した雪乃だが、それでも何が起こったのかと、目を凝らす。
 しばらくして、茂みの中から人影が現れた。黒いローブを着た、黒髪の少年。頭には狼の耳が生えている。

「ん?」

 雪乃はぽてりと幹を傾げた。
 いるはずのない相手だ。もうとっくに寿命が尽きたか、生きていても年老いているのだろうと思っていたはずの相手。

「もしや、お孫さんでしょうか?」

 息子という説は、すっ飛ばしていた。

「雪乃、か?」

 ためらいがちに、彼は雪乃の名を呼ぶ。大きく開いた目は、驚愕に染まっていた。
 雪乃もまた、きょとんと瞬いて彼を見つめる。
 その声は、見知った声だった。

「カイ、さん?」

 名前を呼ぶと、彼の顔がくしゃりと歪んだ。地を蹴った直後には、雪乃の目の前まで移動していた。手を伸ばし、雪乃を抱きしめる。

「良かった。無事だったんだな」

 突然の行動に、雪乃は対応できずに固まった。視界はカイのお腹で覆われている。
 もう会えないと思っていた人の出現に、雪乃はひしとカイの狩衣にしがみ付く。こぼれないはずの涙がぽろぽろと、こぼれ落ちた。そう、こぼれ落ちていた。
 気付いてしまった雪乃は、一瞬にして感情が吹き飛んだ。
 いったいどういう変化が起きたのかと、自分の体を確かめようとしたとき、聞きなれた声が聴覚に飛び込んできた。

「わー」

 樹人の子供の目の辺りには、マンドラゴラの葉が混じっていた。どうやら水を調達してきて、涙を再現してくれたらしい。
 雪乃は何とも言いがたい感情に、ふるふると震えた。
 シリアスな場面が台無しだ。
 雪乃の異変に気付いて体を離したカイもまた、どう対応すれば良いのか考え付かないようだ。少し困ったような、ちょっと歪んだ笑みを浮かべる。

「うちのマンドラゴラが、すみません」
「いや、気にするな」

 とりあえず謝罪した雪乃を、カイは気の毒そうに見つめた。しばらく気まずい雰囲気が流れたが、カイは表情を引き締める。

「雪乃」
「なんでしょう?」
「いったい何があったんだ?」

 眉をひそめて困ったように、カイは問うた。

「それが……」

 と、雪乃はエルフ領で薬草を全てそろえた後に自分が光り出し、気付けば大樹に成長していたことを語り出した。
 カードのことは話さなかった。

「つまり、気付くと花の中にいて、羽の生えた人間の姿になっていたと?」

 こくりと、雪乃は頷く。

「そしてぴー助が成獣になっていたので、長い歳月が経ってしまったと思い、一人で枝を落として挿し木をし、樹人の姿に戻ったと?」

 やっぱりこくりと雪乃は頷いた。
 事情を確認したカイは沈思していたが、しばらくして脱力したように肩の力を抜いた。

「信じられない部分もあるが、なんと言うか、大変だったな」

 カイの視線はぴー助へと向かっている。
 雪乃の身に起こった出来事もだが、子竜だったはずのぴー助が一気に成長したことも、竜種の知識がある彼には理解し辛い現象だった。
 ぽふぽふと頭を叩かれて、雪乃は嬉しそうに葉を揺らす。
 失ったのかもしれないと思っていた幸せが、きちんと残っていたことを実感していた。

 雪乃側の事情を理解したカイは、今度は雪乃が眠っている間に起こった出来事を教えてくれた。
 エルフ領に雪乃を残して狼獣人の里に戻ったカイは、普段と変わらぬ生活をしていた。ノムルが暴走しないかと気にしていたそうだが、落ち込んではいても騒動を起こすことはなかったという。

 けれど数日後、ノムルが突然エルフ領の方角を見つめていたかと思うと、忽然と姿を消した。
 異変を感じたカイの進言により、カイを含む狼獣人たちが急ぎエルフ領に向かったが、森は障壁に覆われていて入ることができなくなっていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

【短編】冤罪が判明した令嬢は

砂礫レキ
ファンタジー
王太子エルシドの婚約者として有名な公爵令嬢ジュスティーヌ。彼女はある日王太子の姉シルヴィアに冤罪で陥れられた。彼女と二人きりのお茶会、その密室空間の中でシルヴィアは突然フォークで自らを傷つけたのだ。そしてそれをジュスティーヌにやられたと大騒ぎした。ろくな調査もされず自白を強要されたジュスティーヌは実家に幽閉されることになった。彼女を公爵家の恥晒しと憎む父によって地下牢に監禁され暴行を受ける日々。しかしそれは二年後終わりを告げる、第一王女シルヴィアが嘘だと自白したのだ。けれど彼女はジュスティーヌがそれを知る頃には亡くなっていた。王家は醜聞を上書きする為再度ジュスティーヌを王太子の婚約者へ強引に戻す。 そして一年後、王太子とジュスティーヌの結婚式が盛大に行われた。

婚約破棄の後始末 ~息子よ、貴様何をしてくれってんだ! 

タヌキ汁
ファンタジー
 国一番の権勢を誇る公爵家の令嬢と政略結婚が決められていた王子。だが政略結婚を嫌がり、自分の好き相手と結婚する為に取り巻き達と共に、公爵令嬢に冤罪をかけ婚約破棄をしてしまう、それが国を揺るがすことになるとも思わずに。  これは馬鹿なことをやらかした息子を持つ父親達の嘆きの物語である。

この度、双子の妹が私になりすまして旦那様と初夜を済ませてしまったので、 私は妹として生きる事になりました

秘密 (秘翠ミツキ)
恋愛
*レンタル配信されました。 レンタルだけの番外編ssもあるので、お読み頂けたら嬉しいです。 【伯爵令嬢のアンネリーゼは侯爵令息のオスカーと結婚をした。籍を入れたその夜、初夜を迎える筈だったが急激な睡魔に襲われて意識を手放してしまった。そして、朝目を覚ますと双子の妹であるアンナマリーが自分になり代わり旦那のオスカーと初夜を済ませてしまっていた。しかも両親は「見た目は同じなんだし、済ませてしまったなら仕方ないわ。アンネリーゼ、貴女は今日からアンナマリーとして過ごしなさい」と告げた。 そして妹として過ごす事になったアンネリーゼは妹の代わりに学院に通う事となり……更にそこで最悪な事態に見舞われて……?】

3歳で捨てられた件

玲羅
恋愛
前世の記憶を持つ者が1000人に1人は居る時代。 それゆえに変わった子供扱いをされ、疎まれて捨てられた少女、キャプシーヌ。拾ったのは宰相を務めるフェルナー侯爵。 キャプシーヌの運命が再度変わったのは貴族学院入学後だった。

実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~

空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」 氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。 「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」 ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。 成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

転生したらチートすぎて逆に怖い

至宝里清
ファンタジー
前世は苦労性のお姉ちゃん 愛されることを望んでいた… 神様のミスで刺されて転生! 運命の番と出会って…? 貰った能力は努力次第でスーパーチート! 番と幸せになるために無双します! 溺愛する家族もだいすき! 恋愛です! 無事1章完結しました!

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。