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ヒイヅル編

321.貴族だったのか?

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「お前、貴族だったのか?」

 ノムルが若干驚いたような声を出した。雪乃はぽかんとカイを見つめている。

「貴族とは少し違う。人間のように明確な線引きは無い」

 とは言われても、この歓迎は充分に特別階級に対する扱いだろう。
 戸惑う雪乃の隣に並んだカイは、狼獣人たちに怪訝な表情を向けた。

「いったいどうした? いつもはこんな仰々しいことはしないだろう?」

 どうやらカイ自身も戸惑っているようだ。
 濃い紫色の仮衣を着た狼獣人がちらりとカイを見上げたが、すぐに雪乃へと動かした。何かを感じ取ったようで、ノムルは雪乃を庇うように一歩出る。

「そちらが、我が君のお客人で相違ございませんでしょうか?」

 ざわりと、港の空気が揺れた。
 気付けば港にいた獣人たちが、カイと出迎えの狼獣人たちのやり取りを遠巻きに見ていた。

「そうだ」

 カイが頷けば、狼獣人は輿の戸を開け脇に控える。

「どうぞお乗りくださいませ」

 その視線が向かうのはカイではなく、雪乃だった。

「ん?」

 ぽてりと、雪乃は不思議そうに幹を傾げる。
 躊躇う雪乃の気持ちなど何のその、雪乃を抱き上げたノムルは駕籠に向かい乗り込もうとしたのだが、控えている狼獣人たちに止められた。

「お乗りいただくのはそちらの御子(みこ)のみ。駕籠が必要ならば、辻駕籠を雇おう」
「は?」

 ノムルから険悪な雰囲気がにじみ出てきた。
 雪乃はカイへと振り向き、状況を確認する。さっぱり意味が分からなくて、どう対応することが正解なのか、分からなかった。

「彼らは俺の同胞たちだ。心配はしなくて良い。ここから領土までは距離があるから、雪乃が歩いていくのは辛いだろう。乗せてもらうといい」

 カイの言葉に頷いた雪乃は、ノムルを見上げる。

「大丈夫みたいです。一人乗りみたいですから、お気持ちに甘えさせていただこうと思います」
「おとーさんが抱っこしてあげるよ? というより、馬車とかないのかよ?」

 不満を口にしたノムルに対して、狼獣人たちは瞠目すると同時に呆れたような声を出す。

「馬車など荷を運ぶものではないか」
「人間は足が弱く、馬車に乗らねば移動できぬそうだ」
「難儀だなあ」

 嫌味を言っている雰囲気はなく、本心から驚き、気の毒がられたようだ。
 雪乃は自分の根元を見ると、意味もなく動かしてみる。人間よりも短く、歩くのも遅い。
 ノムルのほうは、口角やら額やらがひくひくと痙攣していた。

「こいつだって馬車に乗って移動してたぞ?」

 びしりと指差されたカイは、わずかにノムルの指先に視線を落とす。
 ノムルの動きに釣られるように、雪乃もカイへと振り向いた。

「大陸で走ると目立つからな。かと言って歩いていたのでは時間が掛かる」

 身体強化を施したノムルにも付いてこられる脚力を持つカイだ。あの猛スピードで走り続ければ、確かに目立つだろう。
 獣人という素性を隠さなければならないカイたちにとっては、死活問題になる。
 納得して頷いた雪乃は、ノムルの腕から下りようとしたのだが、しっかり固定されていて動かない。

「ノムル殿はどうする? やはり辻駕籠を雇うか?」

 首を動かして、カイは港の一角を示す。
 竹組で作った四つ手駕籠が何台も並び、傍らには半被に又引き姿の男達が座り込んで、こちらの様子を窺っていた。

「馬鹿にすんな。狼ごときに俺が劣るわけないだろう?」

 ぴくりと狼獣人たちの耳が震える。迎えに来てくれていた十人の獣人はもちろん、港にいた獣人たちも、一斉にノムルに険のこもった視線を向けた。
 耳の良い獣人たちは、ノムルの言葉を聞き逃さなかったようだ。

「そうか。では雪乃を乗せたら発つとしよう」

 ただ一人、さらりと流すカイに、狼獣人たちは訝しげに眉をひそめる。

「彼の言葉は流せ。気にしていたら先に進めなくなる」

 ゴリン国で出会ってから行動を共にし続けたカイは、慣れるだけでは済まず、達観してしまったようだ。
 なぜか申し訳ない気持ちに襲われながら、雪乃は輿に乗り込む。中は板でも畳でも座布団でもなく、ふかふかの土が敷き詰められていた。
 しっかりと根を張るには浅いが、それでも充分な土の量だ。しかもよく肥えた土で森の腐葉土と変わらない気持ちよさである。
 葉を緩める雪乃を乗せた輿と共に、狼獣人たちは港を後にした。

 輿の中には捕まるための縄が吊るされていた。雪乃は念のため握っていたのだが、狼獣人たちの担ぐ輿は、思ったほど揺れなかった。
 揺れない訳ではないのだが、馬車よりも快適で、凪の海に浮かぶボートのように眠気を誘う。
 輿の横に付いた物見から、雪乃は外の景色を覗いた。
 人間の暮らす大陸と違って街道でさえ狭く、馬車一台がようよう通れるかどうかといったところだろうか。

「雪乃ちゃん、おとーさんの抱っこが良かったら、すぐに言うんだよ?」

 景色を見ていた雪乃の視界に、見慣れたおっさん魔法使いの顔がどーんと広がる。

「大丈夫です。とても乗り心地が良いですから」

 そう言って、雪乃は景色を見ようと幹を逸らしたのだが、ノムルが物見を塞いでしまって、わずかな隙間から窺うことしかできない。
 雪乃はしゅんっと少しだけ萎れた。

「っ?! ユキノちゃん、すぐにおとーさんが」
「しなくて良いです! お願いだから騒ぎを起こさないでください。景色を見たかっただけですから」

 慌てて雪乃は声を上げる。

「ノムルさんこそ大丈夫ですか? ずっと走っていますけど」

 無尽蔵な魔力を持つとはいえ、ノムルは人間である。狼獣人の脚力に合わせるとなると、全力疾走することになる。
 その状態で何時間も走り続けるなど、いくら彼でも辛いだろう。

「大丈夫だよ、ユキノちゃん。おとーさんはユキノちゃんのために、頑張るからね」
「ありがとうございます?」

 なぜか潤んだ瞳を向けられて、雪乃は感謝を述べながら反応に困る。

「心配しなくていい。ノムル殿は最初から走っていない」

 ノムルとは反対側から、カイの声が聞こえてきた。ぽてりと不思議そうに幹を傾げると、カイは補足する。

「板のようなものに乗って、進んでいる」

 抑揚も力もない呆れを含んだ声だった。
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