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ヒイヅル編

305.俺の姿が

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「んじゃあ、この町の連中に、俺の姿が人魚に見えるようにしろ。可能な範囲でいい」
「わー」
「わー」
「わー!」

 喜び勇んで飛び出したマンドラゴラたちは、ノムルを中心に外向きに円陣を組む。そして、

「「「わわわわ~」」」

 と、歌声を披露した。
 その直後、高波が町を襲う。
 町中に悲鳴が響き渡った。けれど数十秒も経つと、人々はゆっくりと目を開けて、注意深く辺りを見回した。
 倒れたり蹲ったりしている体を起こし、手で触れて生きていることを確認する。怪我も無いことを確かめると、周囲へと視線を動かし、誰も流されていないことに、ようやく気付いた。

「どういうこと?」
「濡れてもいない?」

 困惑する人間たちは、騒動の発端である妖艶な美女と、高級店、そして店の主と思われる老人を探し始める。

「今回は、この子をさらった人間だけで許してあげるわ。でも次は無いから」

 声は海の方から聞こえる。
 人々は慌てて海のほうを見た。
 海には大勢の人魚達が集まり、人間たちを睨みつけている。そして最前列で宙に浮いているのは、先ほどまで陸に居た妖艶な美女。
 人間と同じ二本足は、いつの間にか魚の尾へと変わっていた。

 人魚の怒りを買ったのだと、誰もがすぐに理解したと同時に、人魚の恐ろしさを身を持って知ったのだった。
 実際は、魔王ノムル・クラウの所業だったわけだが。



 ノムルがマンドラゴラたちと人魚救出に動いていた頃、ホテルの一室に閉じ込められた雪乃とカイは、人魚発見の報を最後にマンドラゴラ通信まで途絶えてしまったことで状況が分からず、やきもきしていた。

「だ、大丈夫でしょうか?」
「ノムル殿のことだ。たぶん……あの店の店員が、彼を怒らさないことを祈ろう」
「そうですね」
「わー?」

 違う意味でノムルのことを心配していた。
 そんな会話を交わした数分後、爆発音が耳に届く。
 二人は顔を手で覆い、ふるふると震えた。

「えーっと、聞きたくないのですが、今の爆発音の発生源は……」
「狼の耳をこれほど呪いたくなったことはないな。違うと言ってやりたいが、あの店の地下からだ」
「わー!」

 どうやら祈りは届かなかったらしい。さらには、

「雪乃、落ち着いて聞いてくれ」
「だ、大丈夫です」
「海のほうから、妙な音がする」
「わー?」

 見たくない、見たら心にダメージが加わる。そう思うのに、雪乃とカイは窓へと向かった。
 二人が窓辺に行くより先に、居残り組のマンドラゴラたちが窓にへばりついていたが。

「いったい、何があったのでしょう? 無理矢理にでも付いて行くべきでした」
「とりあえず、ここは無事だろう。あまり自分を責めるな」

 見上げるほどに高い高波を前に、雪乃はもはや驚くことさえ放棄して、平坦な声で反省を述べた。
 慰めるようにカイが頭をなでてくれたが、反応する気力も残っていない。
 ざっぱーんっと高波が町に打ち付けられる様子に、がくりと肩を落として項垂れるしかなかった。

「うう……。死傷者が出たらどうしましょう?」
「安心しろ。どうやらその心配は無いようだ」
「わー」

 カイとマンドラゴラに言われて顔を上げると、眼下には高波がぶつかる前と変わらぬ町並みが広がっていた。
 人々は驚いているようだが、波にさらわれることなく、道のあちこちに残っていた。
 だがしかし、雪乃とカイの精神的ダメージは、そこで終わることはない。

「雪乃、本当に、ノムル殿は何者なんだ?」

 カイが発したその問いに、雪乃は答えられない。
 ふるふると震えながら、そうっと視線を逸らす。目は無いはずなのに、涙がきらめく。
 海には大勢の人魚達がいて、その先頭にはなぜか、人魚姿の女ノムルがいた。

「私にも分かりません。まったくもって理解不能です」

 雪乃の小枝が窓に触れたまま、ずり落ちていく。キーっと不快な高音が鳴ったが、カイは眉根を寄せるだけで何も言わなかった。
 窓辺で四つん這いになる小さな樹人を、責められるはずがない。
 自称おとーさんがおかーさんになった挙句、人魚になってしまったのだ。数々の超常現象を見てきた雪乃といえども、瞬時に受け入れることは難しいだろう。

 そんな訳の分からない状況に、現実逃避するしか道は残されていないであろう雪乃とカイの下に、元凶が帰ってきた。

「ただいまーユキノちゃん。人魚を解放してきたよー?」

 部屋の戸が開き、明るい声が投げかけられる。
 雪乃とカイは、びくりと肩を震わせてから、視界を閉じる。
 見たくない、しかし振り向いて迎えなければならないと、心の中で凄まじい葛藤が激戦を繰り広げていた。
 それでもなんとかゆっくりと、振り向く。

「お、おかえりなさ、い?」

 声を掛けた雪乃は、固まった。
 ノムルおかーさんに関しては、もう気にするのも面倒くさくなっていたので、どうでも良いのだが、なぜかおかーさんには、般若が降臨していた。
 美人が怒ると怖いというが、確かにそのとおりだと、雪乃とカイは目の前に立つ、目の笑っていない笑顔の貴婦人を見て納得する。

「どーしてユキノちゃんが落ち込んでいるのかなー?」

 その原因が、問うてきた。
 雪乃もカイも顔をしかめ、同じことを思う。

「「ノムルさん(殿)の暴走のせいです」」

 心の中から飛び出して、思いっきり口に出ていたが。

「どーいうこと? ちゃんと人魚は助けて海に戻したよ? 人間も傷付けてないよ? ユキノちゃんの嫌がることはしてないよ?」

 困惑して首を捻る貴婦人ノムル・クラウ。
 彼(彼女?)に、一般人の概念は通用しないのだと、もはや何十回目かも分からないが、改めて思い知った雪乃だった。

「まあいいや。それよりさー」

((それより?!))

 雪乃とカイは驚愕に目を丸くする。
 先程起こした暴走について説明する気の無いノムルに、雪乃もカイも呆然とするしかない。

「人魚たちがシーマー国まで送ってくれるってー。船を待つのも面倒だし、行こーよー」

 へらりと笑う貴婦人ノムルの足を、雪乃はじいっと見てしまう。きちんと二本の足が生えている。
 視線に気付いたノムルも、自分の足を見下ろす。

「ユキノちゃんも見てくれたんだー? おとーさん、人魚に見えてたー?」

 地殻変動のようにゆっくりと、雪乃は首肯した。

「似合ってたー?」

 雪乃はそうっと視線を逸らす。

「ええー? 似合ってなかったの? マンドラゴラどもめ! ぬかったな?!」
「わー?」
「わー?」
「わーっ!」

 ノムルのドレスから出てきて、雪乃に戻ろうとしていたマンドラゴラたちが、不満そうに根を傾げたり、とび跳ねて抗議したりしている。

「マンドラゴラたちも共犯ですか……。なぜ通信が途絶えたのかと思っていたら、そんなことをして遊んでいたのですね」
「わー?」
「わー」
「わー」

 再び四つん這いになった雪乃に登頂するマンドラゴラたち。彼らもいつもどおり、自由すぎた。
 雪乃はもう、抵抗することも常識を伝えることも諦めて、ノムルに流されることにした。

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