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ヒイヅル編

295.機関車は南へと

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 翼を閉じてなんとか乗り込んだぴー助だが、執事もどきからは渋い顔をされた。ネーデルに来る時は、そんな表情はされなかったのだが。
 少し気になった雪乃だが、竜種が苦手な人なのだろうと勝手に解釈し、それ以上は考えなかった。
 世の中には、犬や猫を可愛いと感じる人もいれば、苦手と感じる人もいるのだ。

 機関車は南へと下っていく。
 窓から見える景色が、人工物の多い都会から緑豊かな景色へと変わる頃には、空は赤く染まり始めていた。
 今回は途中で下りずに、植木鉢で一夜を越す。そして明日の朝には、港町ポーカンに着く予定だ。

 常設されている二台の寝台は、それぞれノムルとぴー助が使う。カイはソファで丸くなって眠った。
 予備の寝台を出すことも、ぴー助をソファで寝かすことも、ノムルが許可しなかったからだ。
 朝になってそのことを知った雪乃は、ノムルに冷たい眼差しを送った。だがすぐにカイに窘められる。

「この車輌の切符を購入したのは、ノムル殿だ。俺は同乗させてもらっただけだから、ソファを使わせてもらえただけで充分ありがたい」

 不満気に口葉を尖らせる雪乃だったが、カイ自身が納得している以上、何も言えなかった。



 車窓からは、朝陽にきらきらと輝く海が見えてくる。まだ日が昇り出したばかりの早朝だというのに、海には小さな船が幾つも浮かんでいた。
 機関車が急停車し、雪乃たちはポーカンに降り立ったのだった。

 椅子に座った状態ではよく眠れなかったのだろう。同じ機関車に乗っていたと思われる人たちが、眠そうに目を瞬かせたり、背伸びをしたりしている。
 夜間に走行するにもかかわらず、寝台が付いているのは一等車輌だけだ。貴族や豪商が使うという二等車輌ですら、二人掛けの布張り椅子が向かい合わせに並んでいるだけだった。
 
 しかし強張った体に疲労の色が見えても、人々の表情は揃って明るい。
 小さな子供たちや、つば広の帽子を被った女性たちが、甲高い声で賑々しく話している。
 その出で立ちや醸し出される雰囲気から、彼や彼女たちの目的は、仕事や里帰りといったものではなく旅行だと推察できる。

 雪乃たちは、はしゃぐ旅行者たちを尻目に駅舎を抜ける。
 駅から出れば、すぐ目の前に白い砂浜があり、その向こうには澄んだ海が広がっている。
 まだ早い時間ということもあり、砂浜に出ている人は少ない。

「デコポンホテルです。お迎えに上がりました。どうぞこちらへ」
「キヨミ民宿をご予約の方は、こちらにおいでください」
「キンカン旅館はこちらです。まだ空きもありますよー」

 砂浜にはいないが、駅のまん前には執事もどきのホテルマンから、その辺のおじさんに見える人まで、お迎えの人がたくさんいた。

「コウギョクホテルはこちらよー」
「それは林檎です!」

 若いおねーさんの引き込みに、ついつい雪乃は反応してしまった。
 我に返ったときには、『?』マークを頭に乗せた人々が、雪乃を不思議そうに見ていた。
 恥ずかしげに紅葉しながら、雪乃はすごすごとその場から逃げ出す。

「ユキノちゃん、リンゴって何?」
「御気になさらず」

 ノムルの問いかけを適当に流して、雪乃は失態を忘れようとした。
 ちなみにデコポンもキヨミもキンカンも、柑橘類だ。

 デコポンはヘタの部分が凸(でこ)っているのが特徴だ。身は萎んだような皺があり種も多いが、酸味が少なく甘くて美味しい。
 一方のキヨミは、果肉が柔らかい上に果汁が多くジューシーだ。程よい酸味と高い糖度が自慢だ。房ごとに分けるより、切り分けたほうが食べやすい。
 最後にキンカンだが、プチトマトのように小さく、皮ごと食べる。砂糖漬けや蜜煮にして食べることも多い。
 ついでに紅玉は小ぶりで酸味が強いリンゴだが、アップルパイなど菓子作りには欠かせない品種である。

 雪乃たちはホテルなどのお迎えはスルーして、港へと向かう。
 海の水は透明で、底の方までしっかりと見える。青や黄色の魚が泳ぐ姿に、雪乃は海に入りたくてうずうずしていた。
 しかし雪乃は樹人である。潜ることが難しいだけでなく、植物にとって塩分は枯れる原因になる。
 ちらちらと何度も海のほうを見ながら、カイについて歩いていく。

「遊んでいてもいいぞ? 船が決まったらすぐ戻る」

 雪乃の様子に気付いたカイが、足を止めて振り返る。

「狼の割には気が利くな。ユキノちゃん、おとーさんと遊ぼうか?」
「わー!」
「ぴー!」

 ノムルおとーさんのお誘いに返事をしたのは、雪乃ではなくマンドラゴラとぴー助だった。

「俺はお前らのおとーさんじゃない!」
「わー?」
「ぴー?」
「当たり前だろう? お前らはユキノちゃんの子供なんだから、俺の孫だ。俺のことはおじいちゃんと呼べ!」
「わー!」
「ぴー!」

 雪乃とカイは盛り上がるおじーちゃんと孫たちを、色をなくした視界の片隅に置いておく。

「とりあえず行ってくる」
「ありがとうございます」

 港へ向かうカイの後ろ姿を見送ってから、雪乃は海へと近付いていく。白い砂浜に根を取られながらも、波打ち際を目指す雪乃だったが、ずいぶん手前で根を止めた。

「どうしたの?」
「この辺りが私の限界のようです」

 海水に浸かる前に、湿った砂浜で挫折した。表面は乾いているが、少し砂をよければ海水が浸透している。
 じっとしているだけで、根が勝手に砂浜から海水を吸い上げようとしていた。

 仕方なく、雪乃は海に背を向け離れていく。きょろきょろと辺りを見回すが、岩場や防波堤のようなものはない。どこまでも白い砂浜が続いていた。
 人工物が少ないことは良いことだが、海を覗きたい雪乃には、ちょっと残念な結果となった。

「どうせお船に乗れば見られますから良いです」

 一人呟いて納得すると、カイと合流しようと歩きだした。

「ユキノちゃん、海に入りたいの?」
「泳いでいるお魚さんが見たかったのです」

 元気なく正直に答えてしまった雪乃。そんな雪乃の姿を、親ばか魔王が放っておくはずなどない。

「じゃあ、こんな感じでどう?」
「え?」

 振り返って海を目にした雪乃は、呆気に取られて固まった。
 ノムルの奇行には慣れているはずの雪乃だが、それでも驚かざるを得ない。
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