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ルモン大帝国編2

277.他に理由なんて

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「なぜ、ノムル・クラウ殿に近付く?」

 探るような眼差しでムダイの瞳を覗きこむアルフレッドは、真剣そのものだ。
 しかし理由を知っている雪乃には、その光景が滑稽に見えてしまう。緩みそうになる表情を抑えるため、そうっと幹を回して顔を逸らした。
 フードで誰にも見えないし、見えても人間に樹人の表情は分からないのだが。

「それは決まっていますよ。パーティを組んで一緒に行動すれば、いつでも戦えるじゃないですか」

 隠すこともなく、にっこりと爽やかな笑みで答える戦闘狂。さすがはノムルにまで変人呼ばわりされる、生粋のストーカーである。

「それだけか?」

 誤魔化されないとばかりに、アルフレッドは問いを重ねた。

「他に理由なんて必要ないでしょう? Sランク冒険者たちも竜種も、思ったほど強くないですし。楽しめるのはノムルさんだけですよ。彼は最高ですね」

 笑いを我慢できず、雪乃はソファの肘掛を握り締め、ふるふると震えだす。
 ナルツとローズマリナは、ムダイに呆れた眼差しを送る。
 ムダイに関して話は聞いていても、彼をよく知らない皇太子夫妻は、一瞬だけ視線を交わしたが、懐疑を解くことはしなかった。

「発言をお許しいただいても」
「許す」

 許可を得てから、ナルツは口を開く。

「ムダイさんは、嘘は言っていないと思います。彼は本当に、強い相手と戦うことを好みますから」

 どこか疲れた様子のナルツは、同じギルドに所属する冒険者として、ムダイに連れ回された過去を持つのかもしれない。

「それで、僕がノムルさんと接触したり、ナルツの故国に行くことで、何かあるんですか?」

 脇道にそれまくりながらも、なんとか元の道へ戻ってきたようだ。
 アルフレッドは口を一文字に結ぶ。少しして、ゆっくりと口を開いた。

「件の男爵令嬢の話によると、近々魔王が復活するらしい」

 雪乃はそろりと顔を逸らす。ムダイの視線が後頭部に突き刺さるが、必死に耐える。
 アルフレッドの言葉は続く。

「魔王は騎士ナルツの故国から現れるらしい」

 ぐりんっと幹を戻して、雪乃はまじまじとアルフレッドを凝視した。それからこの世界の地図を頭の中に思い浮かべる。
 この世界に放り出された雪乃が最初にいた場所は、大陸の東側だ。そしてナルツとローズマリナの故国ゴリン国は、大陸の西側に位置する。
 その男爵令嬢の言葉が真実だとすると、雪乃は魔王候補から外れる。もしくは他にも魔王候補がいて、雪乃はこの運命から逃れられるかもしれない。

「素晴らしい。僥倖です」

 思わずこぼれ出た言葉に、一斉に注目が集まった。
 皇太子夫妻は驚きに目を見張り、雪乃の正体が魔物であると知るローズマリナとナルツは、戸惑いを含んだ顔を青ざめている。
 愛らしい小さな樹人も、結局は魔物。魔王の復活を喜んでいると勘違いしたのだろう。
 失態に気付いた雪乃は、きょどきょどと部屋中を見回し、それから、

「幻聴です」

 言い切った。
 途端に切れる緊張の糸。そして胡乱な眼差しが突き刺さる。

「雪乃ちゃんって、ここぞというところで抜けてるよね」

 事情を知っているムダイは、思わず額を押さえた。

「ナンノコトデショウ?」

 あくまでも、雪乃はすっとぼけることをやめなかった。

「あー、つまり、魔王についての情報が欲しいということでよろしいでしょうか?」

 これ以上、雪乃が墓穴を掘る前にと考えたのか、ムダイは空気をぶった切った。
 雪乃の事が気になりつつも、アルフレッド達はムダイへと視線を戻す。

「その通りだ。千年に一度出現し、世界に災厄を招くという魔王は、伝承どおりならば、我々が生きている時代に甦っても不思議ではない。被害を最小限に抑えるため、できうる限りの手を打ちたい」
「なるほど」

 ムダイはちらりと雪乃に視線を向けたが、顎に手を当てて考え始める。

「その男爵令嬢に会って、話を聞くことは可能でしょうか?」

 事情を知る本人から聞き出すことが、最も手っ取り早い。この世界の人間には理解できない言葉も、ムダイと雪乃ならば、ある程度は理解できるだろう。
 けれどアルフレッドは渋い顔だ。

「まともな会話ができるとは思えない。最初に会ったときから奇妙な令嬢だと思ったが、今では完全に気が狂っている。拷問に掛けたわけでもないのに」

 雪乃はムダイを見た。ムダイも眉をひそめて雪乃を見る。
 二人はある日突然、それまでの生活を奪われ、まったく知らない世界に飛ばされていた。普通ならばそれだけで、錯乱しても不思議ではない。
 そんな状況で、生活は保障されていたとしても幽閉の身となれば、発狂するのも無理はないだろう。

 生まれ落ちた世界だったとしても、自由を奪われれば精神に異常を来たす者はいるのだから。
 憐れむ気持ちが、二人の胸に滲み出てくる。

「構いません。少し話をさせていただけませんか? できたら僕と雪乃ちゃんとその令嬢の、三人だけで」
「見張りは付けさせてもらう」

 怪訝な顔をしたアルフレッドに、ムダイはゆるりと首を左右に振る。

「これは取り引きです。こちらの条件を飲んでいただけるのであれば、その令嬢から最大限に情報を引き出してみせましょう」

 にっこりと、次期皇帝を前に、皇帝の如く微笑むムダイ。アルフレッドが息を飲み、咽が波打った。

「しかし、なぜその子供まで?」

 なんとか主導権を取り戻そうと足掻くアルフレッドに、ムダイは穏やかな笑みを崩さない。

「彼女の才能は、ノムル・クラウも認めています。特に催眠術に関しては、ノムル・クラウでさえ舌を巻くほどです」

 正確には、雪乃から生じるマンドラゴラの催眠術だが、わざわざ種明かしをする必要は無い。
 アルフレッドとフランソワは、驚いた眼で雪乃を凝視する。
 ノムル・クラウを御せる少女との報告は受けていても、それほどの使い手とは想像できなかったのだろう。なにせ見た目は、一メートルちょっとの小さな子供なのだから。
 植物はすくすく伸びるというのに、樹人の雪乃は中々成長しないのだった。

「分かった。手配しよう。少し待ってほしい」
「なるべく早くお願いします。なにせノムル・クラウは気分屋ですから、いつネーデルを出て行くと言い出すか分かりません」

 脅しのようだが、脅しではない。ノムルがどう行動するかなど、誰にも予想が付かない。
 かつて数日逗留すると思っていたノムルが、着いたその日の内どころか、三時間ほどで台風のように去っていったことを知っているナルツは、思わず壁を見つめて頷いていた。
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