上 下
230 / 402
ルモン大帝国編2

265.残り三人に

しおりを挟む
 女性二人が挨拶を交わしたところで、アークヤー公爵夫人の目が周囲に移る。

「そちらは?」

 視線を向けられたムダイは、にこりと爽やかな笑みを浮かべた。

「お初にお目にかかります、アークヤー公爵夫人。Sランク冒険者のムダイと申します。お会いできて光栄です」

 右手を左胸に当て、ムダイは慣れた様子で紳士の礼を見せた。冒険者でも数えるほどしかいないSランクの彼は、王族や貴族から指名依頼を受けることもある。
 その関係で慣れていたのかもしれない。

「お噂は聞き及んでいますわ。殿方はもちろん、令嬢方もあなたの噂で持ちきりですもの。それにパトがお世話になっているとか」
「こちらこそ、パト君には色々と教えてもらって助かっています」

 にこにこと、穏やかな会話が進んでいく。
 眉目秀麗なイケメンムダイが相手だと、公爵夫人といえども顔が緩むようだ。
 ひとしきりムダイを堪能した公爵夫人の視線が、ちらりと残り三人に向かった。

 雪乃はもうすぐ自分の番かと、幹を伸ばして姿勢を正す。隣のカイは気にする様子もなく、いつもどおりだ。
 後ろの魔法使いは厭きたようで、大きな欠伸をしている。公爵夫人の顔が、ぴしりと固まった。
 細い糸目が、わずかに開いて鋭く三人を観察する。

 洗いざらしのローブを着た魔法使いらしき男が二人。そしてにゃんこローブを着た小さな子供。
 護衛に雇われた冒険者だろうと見て取った夫人は、ついっと視線をローズマリナとムダイに戻そうとして、玄関扉の向こうで止まった。
 屋内に足を踏み入れることなく、開いた扉の外で待っていたフレックが、公爵夫人の視線に気付いて深く頭を下げる。

「害虫がいるようですわね。入らないように扉を閉めなさい」

 公爵夫人の言葉に、雪乃は驚いて彼女の顔を見、それからフレックに振り向いた。
 頭を垂れたままのフレックの口元が、苦しげに歪んだように見えたが、すぐに扉が閉まり見えなくなった。

「さあどうぞ奥へ」

 公爵夫人に案内されて、一行は玄関ホールから奥の廊下へと進む。
 外は夕暮れに赤く染まり始めていたが、邸の中は明るく、伸びかけていた雪乃の根も戻っていた。
 少し進んだところで、すいっと執事が雪乃とカイ、ノムルの前に立ちはだかった。

「護衛の方々は、こちらへどうぞ」

 その発言に、ローズマリナとムダイが足を止めて固まる。
 言われた雪乃たち三人は、まったく気にしていないのだが、ぎこちなく後ろを振り返ったローズマリナとムダイの顔は、青ざめている。

「えー? どうせならこいつも連れていってよー。俺はユキノちゃんと二人きりがいいー」
「セクハラですか? ご遠慮させていただきます」

 機嫌を損ねはしなかったようだと、ローズマリナとムダイは、ほっと胸を撫で下ろす。
 しかし公爵夫人と執事のほうが、機嫌を損ねたようだ。口の端がひくりと動いた。
 扇がぴしゃりと閉じた音に、ムダイが素早く反応する。下手な言動を起こされないよう、先手を取るため動いた。

「そういえば、紹介していませんでしたね」

 にこやかな笑みを浮かべて、公爵夫人の正面に立つ。
 美しい青年の爽やかスマイルに、思わず頬を染めて目尻を緩めた公爵夫人。ムダイはすぐさま口を開く。

「至高にして孤高の魔法使いと名高いノムル・クラウさんと、彼の娘の雪乃ちゃん。それに彼女の友人であるカイ君です」
「雪乃です」
「カイだ」

 ムダイに紹介されたので、雪乃もぺこりとお辞儀をする。カイも一応、名乗った。
 おっさん魔法使いは、

「ムダイ、よく分かってるじゃないか。そう、俺が雪乃ちゃんのおとーさんの、ノムル・クラウだ」

 と、きりりと表情を引き締めてご満悦だ。
 思わず視線を斜め下へと向けた、ムダイとローズマリナ。一方で、公爵夫人とアークヤー家の使用人たちは、瞠目してノムルを凝視している。

「の、ノムル・クラウ様とは、あの? 魔法ギルドの総帥であられる、至高の魔法使い様でしょうか?」

 ぱくぱくと開け閉めしていた公爵夫人の口から、ようやく言葉が出てきたようだ。ノムルの様子を窺いながらも、目は確かめるようにムダイへと向かっている。

「ええ、そのノムル・クラウさんです」

 剥がれ落ちそうな爽やかスマイルを、なんとか引っ付けたままムダイが答えれば、アークヤー公爵夫人は、慌てて膝を折って最上級の礼を披露した。

「も、申し訳ございません、ノムル・クラウ様。気付かずご無礼をいたしましたこと、どうぞお許しください」

 ドレスの裾を摘まむ手が、ぷるぷると震えていた。使用人たちも、慌てて膝を付いて深くお辞儀をしている。
 まるでお忍び中の皇帝に出くわしてしまったかのような騒ぎだ。
 驚いた雪乃は、きゅっとカイの手を握り締めて縋り寄る。それから周囲をきょどきょどと見回した。

「くっ。おい狼! いい加減に代われ! 俺のユキノちゃんだぞ?!」

 周囲の感情も空気も、まったく興味のないノムル・クラウは、嫉妬にローブを噛みしめていた。
 威厳も何もあったものではない。
 雪乃とカイは、残念なものを見るようにノムルに呆れ眼を向け、ムダイとローズマリナは、額を押さえて俯いた。
 どれほど高名が広まっていようとも、ノムル・クラウは親ばかノムルなのである。

 怯えるように震えていたアークヤー公爵夫人や使用人たちも、ぽかーんと口を開けて、目の前の光景を見つめていた。

「あー、深く考えないほうがいいですよ? あの人に、威厳なんてものは無いですから。娘の雪乃ちゃんにさえ危害を加えなければ、機嫌を損ねることは滅多にありません」

 ムダイの説明に、困惑しながらも頷く公爵夫人であった。


 応接室に通されてから、改めて公爵夫人はノムルに対して挨拶をした。

「我が家にお招きできて光栄ですわ。偉大なる魔法使い、ノムル・クラウ様。当主が留守にしておりますこと、お詫び申し上げます。すぐに戻るように伝えおきましたので、しばらくは私がお相手いたしますこと、ご容赦くださいませ」

 丁寧に辞儀をし、彼の魔法使いの出方を見る。
 しかし、

「ユキノちゃーん、おとーさんのお膝においでよー」

 親ばか魔王様は、公爵夫人の挨拶など気にも留めず、カイの膝の上に座っている雪乃に両手を差し出していた。
 どんな場面でも、感情を表に出さないように鍛えられていたはずの公爵夫人も、ノムル・クラウの前では白旗を上げるしかない。眉と口角が、ひくひくと動いている。
 公爵家の使用人たちも、表情筋を総動員させて、しかめそうになる表情を押さえ込んでいた。
しおりを挟む
感想 933

あなたにおすすめの小説

神の種《レイズアレイク》 〜 剣聖と5人の超人 〜

南祥太郎
ファンタジー
生まれながらに2つの特性を備え、幼少の頃に出会った「神さま」から2つの能力を授かり、努力に努力を重ねて、剣と魔法の超絶技能『修羅剣技』を習得し、『剣聖』の称号を得た、ちょっと女好きな青年マッツ・オーウェン。 ランディア王国の守備隊長である彼は、片田舎のラシカ地区で起きた『モンスター発生』という小さな事件に取り組んでいた。 やがてその事件をきっかけに、彼を密かに慕う高位魔術師リディア・ベルネット、彼を公に慕う大弓使いアデリナ・ズーハーなどの仲間達と共に数多の国を旅する事になる。 ランディア国王直々の任務を遂行するため、個人、家族、集団、時には国家レベルの問題を解決し、更に心身共に強く成長していく。 何故か老化が止まった美女や美少年、東方の凄腕暗殺者達、未知のモンスター、伝説の魔神、そして全ての次元を超越する『超人』達と出会い、助け合い、戦い、笑い、そして、鼻の下を伸ばしながら ――― ※「小説家になろう」で掲載したものを全話加筆、修正、時々《おまけ》話を追加していきます。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

【完結】家族にサヨナラ。皆様ゴキゲンヨウ。

くま
恋愛
「すまない、アデライトを愛してしまった」 「ソフィア、私の事許してくれるわよね?」 いきなり婚約破棄をする婚約者と、それが当たり前だと言い張る姉。そしてその事を家族は姉達を責めない。 「病弱なアデライトに譲ってあげなさい」と…… 私は昔から家族からは二番目扱いをされていた。いや、二番目どころでもなかった。私だって、兄や姉、妹達のように愛されたかった……だけど、いつも優先されるのは他のキョウダイばかり……我慢ばかりの毎日。 「マカロン家の長男であり次期当主のジェイコブをきちんと、敬い立てなさい」 「はい、お父様、お母様」 「長女のアデライトは体が弱いのですよ。ソフィア、貴女がきちんと長女の代わりに動くのですよ」 「……はい」 「妹のアメリーはまだ幼い。お前は我慢しなさい。下の子を面倒見るのは当然なのだから」 「はい、わかりました」 パーティー、私の誕生日、どれも私だけのなんてなかった。親はいつも私以外のキョウダイばかり、 兄も姉や妹ばかり構ってばかり。姉は病弱だからと言い私に八つ当たりするばかり。妹は我儘放題。 誰も私の言葉を聞いてくれない。 誰も私を見てくれない。 そして婚約者だったオスカー様もその一人だ。病弱な姉を守ってあげたいと婚約破棄してすぐに姉と婚約をした。家族は姉を祝福していた。私に一言も…慰めもせず。 ある日、熱にうなされ誰もお見舞いにきてくれなかった時、前世を思い出す。前世の私は家族と仲良くもしており、色々と明るい性格の持ち主さん。 「……なんか、馬鹿みたいだわ!」 もう、我慢もやめよう!家族の前で良い子になるのはもうやめる! ふるゆわ設定です。 ※家族という呪縛から解き放たれ自分自身を見つめ、好きな事を見つけだすソフィアを応援して下さい! ※ざまあ話とか読むのは好きだけど書くとなると難しいので…読者様が望むような結末に納得いかないかもしれません。🙇‍♀️でも頑張るます。それでもよければ、どうぞ! 追加文 番外編も現在進行中です。こちらはまた別な主人公です。

【一話完結】断罪が予定されている卒業パーティーに欠席したら、みんな死んでしまいました

ツカノ
ファンタジー
とある国の王太子が、卒業パーティーの日に最愛のスワロー・アーチェリー男爵令嬢を虐げた婚約者のロビン・クック公爵令嬢を断罪し婚約破棄をしようとしたが、何故か公爵令嬢は現れない。これでは断罪どころか婚約破棄ができないと王太子が焦り始めた時、招かれざる客が現れる。そして、招かれざる客の登場により、彼らの運命は転がる石のように急転直下し、恐怖が始まったのだった。さて彼らの運命は、如何。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【7話完結】婚約破棄?妹の方が優秀?あぁそうですか・・・。じゃあ、もう教えなくていいですよね?

西東友一
恋愛
昔、昔。氷河期の頃、人々が魔法を使えた時のお話。魔法教師をしていた私はファンゼル王子と婚約していたのだけれど、妹の方が優秀だからそちらと結婚したいということ。妹もそう思っているみたいだし、もう教えなくてもいいよね? 7話完結のショートストーリー。 1日1話。1週間で完結する予定です。

私のお父様とパパ様

ファンタジー
非常に過保護で愛情深い二人の父親から愛される娘メアリー。 婚約者の皇太子と毎月あるお茶会で顔を合わせるも、彼の隣には幼馴染の女性がいて。 大好きなお父様とパパ様がいれば、皇太子との婚約は白紙になっても何も問題はない。 ※箱入り娘な主人公と娘溺愛過保護な父親コンビのとある日のお話。 追記(2021/10/7) お茶会の後を追加します。 更に追記(2022/3/9) 連載として再開します。

うたた寝している間に運命が変わりました。

gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。