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北国編

156.ともかく、真っ赤な

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 時間は少し遡る。雪乃たちはブレメに入ると、冒険者ギルドに立ち寄った。
 受付に向かい、情報を貰っているときに、ギルド内の空気が変わったのだった。
 奥の部屋から現れた青年に、冒険者たちの視線が集まっている。

「お久しぶりです、ノムルさん」

 ノムルの近くまで来た青年は、にこりとほほ笑んで、声をかけた。
 ざわりと、周囲の空気が震えた。緊張がひりひりと葉を揺らす。
 現れた青年は、二メートルくらいありそうな長身で、動くたびに朱色のマントがたなびいた。真紅の鎧から溢れた肉体までも、硬く盛り上がる筋肉という鎧で覆われている。だがゴツいという印象は受けない。いわゆる細マッチョというやつだろうか。
 腰ほどまで伸びる赤髪は、歌舞伎の獅子を思わせる。切れ長の目には緋色の瞳が埋まり、整った鼻筋の下には柔和な唇が笑みを描いているのに、隙がない。
 品性を感じる顔立ちに、野性味も加わった青年には、男からはその鍛え上げられた肉体に、女からはその端整な顔立ちに、羨望の眼差しを注がれている。
 一部の男たちからは、逆の視線も混じっているようだが。
 ともかく、真っ赤な青年だった。

「久しぶりだねえ。竜殺しのムダイ」

 ノムルの口からこぼれた二つ名に、雪乃は慌ててぴー助を抱きしめた。
 その様子をみたムダイは、困ったように笑う。とたんに、女性陣から黄色い悲鳴が上がった。
 数歩よろけたり、その場に座り込んでしまった女性までいる。
 昭和のアイドル神話を現実で目の当たりにして、雪乃は思わずノムルたちを忘れて凝視してしまった。

「心配しなくても、人のものに手を出したりしませんよ」
「その言葉、忘れるなよ? ユキノちゃんとぴー助は、俺のものだから」
「それは忘れようがありませんね。ノムル・クラウのものに手を出すなんて、命が幾つあっても足りませんから」

 口許に笑みを浮かべたまま鋭い眼光を向けるノムルに、ムダイは頬を掻く。
 存在だけで威圧感が半端無い青年だが、どうやら敵意を向けているわけではないようだ。どちらかというと、ノムルが一方的に不快感を射出している。

「ところで、そちらのお嬢さんとお話がしたいのですが、少しお借りできますか?」 

 ムダイの目が、雪乃へと落ちる。
 身を強張らせた雪乃を、ムダイの視線から遮るように、ノムルは背に押しやった。

「ふざけんな。俺の娘に手を出そうなんて、百年早いんだよ」

 ぴくりと、ムダイの眉が跳ねる。

「ノムルさんの娘さん? ご冗談を。それと誤解しないでください。僕に幼女趣味はありませんから」

 にっこりとほほ笑むムダイに、女達から黄色い悲鳴が上がった。
 いや、訂正しよう。男も混じっていた。
 逆に高ランクと思しき冒険者たちは、警戒を強めている。
 竜種を一人で討伐するような、Sランクの中でも更に規格外の冒険者だ。彼がその気になれば、止められる者はいないだろう。
 まだ温和な空気をまとっているが、相対している正体不明の魔法使いの態度は、いつ彼の怒りに触れてもおかしくない。
 ならば原因となりそうな魔法使いを咎め、謝罪させれば良いはずなのだが、こっちはこっちで、何だかえげつないオーラを纏っている。
 場数を踏んでいる者ほど、これは触れてはいけないと、頭の中で警鐘が鳴り響いていた。
 微笑を浮かべるムダイと、完全に喧嘩腰のノムル。
 二人の間には火花が飛び交い、一触即発かと思える緊張した空気が漂っている。

 雪乃はうーんっと考える。
 この状況に首を突っ込んでいくことは、さすがに控えたほうが良いと思った。けれど、どうやら相手の目的は、雪乃のようである。
 そして、このままだとノムルが暴走しかねない。

「ギルド破壊四件目……」

 半目になって遠くを見つめた雪乃から、呟きと共に白い何かが出てきた。
 ふるりと震えた雪乃は、現実に戻る。
 ここは空気を読まないと言われようとも、暴走を止めなければと、意欲を燃やす。

「ノムルさん、こちらの方は、どなたでしょうか?」

 思い切って声を出した。
 蚊の鳴くような、小さな声だったが。

「んー? ユキノちゃんは気にしなくていいよー? ただの戦闘狂の馬鹿だから」

 にっこり笑って答えるノムル。
 居合わせた冒険者やギルドの職員達は、心の中で盛大につっ込んだ。

「「「うをいっ!!」」」

 目と口が動いているものもいるが、何とか声は出なかった。

「ひどいですね。まるで人を狂人か何かのように。ただの趣味ですよ」
「つまり、合ってるってことだろ? 魔物だとうと人間だろうと、強いやつがいると聞いたら喜んで飛んで行く」
「ですから、趣味ですって」

 それが戦闘狂というものではないのだろうかと、雪乃は笑顔のムダイにつっ込みを入れたかった。
 それはともかく、雪乃は引っかかったことを確認するため、ノムルのローブを引っ張った。

「何? ユキノちゃん」
「……」

 魔王様はただの親ばかに戻った。
 変わり身の早さに、思わず目が点になった雪乃だが、ふるりと幹を振って意識を戻す。
 ノムルのローブを引いて、耳を貸してもらう。

「もしかして、駅弁さんですか?」
「そーそー。でも心配しなくても大丈夫だよ? コイツ、俺より弱いから」
「「「なにいっ?!」」」
 
 一斉に上がった叫び声に、雪乃はびくりと跳ねて、辺りを見回す。
 声を出さないよう、必死に耐えていた冒険者たちは、

「「「あ。」」」

 と、我に返って両手で口を覆った。
 まるで「自分は声を上げてませんよー」とアピールするかのように、そっぽを向いて、何事もなかったように振舞っている冒険者までいる。

「そうですね、今のところ全敗です。でも次は勝ちますから」
「言ってろ」

 ムダイが笑顔で肯定したため、冒険者たちから目玉が飛び出しそうになっている。
 けれどノムルは、冷ややかに返すだけだ。

「あのう」

 と、雪乃は右枝を上げた。

「少しお話をしてきては駄目ですか?」
「え?」

 予想外だったのだろう。
 ノムルから再び宿っていた魔王が剥がれ落ち、高い声がこぼれた。

「ちょっと、ユキノちゃん? 説明したでしょう? こんな危ないやつと二人きりなんて、駄目だって。なにされるかわからないよ?」

 思いっきりうろたえている。わたわたと手を動かし、泣き出しそうな顔で、雪乃を説得に掛かり始めた。

「ぴー」
「ほら、ぴー助だって、止めとけって言ってるだろう?」

 涙目になって雪乃にしがみ付いているぴー助まで持ち出して、必死に止める。

「いや、あの、ノムルさん? 僕って、そこまで信用ないですか? 完全に変質者の立場みたいなんですけど?」
「みたいも何も、変質者だろう?」
「え?」

 ムダイはがく然として項垂れた。
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