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手負いの空鯨 五

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 ふむと唸った真夜は、立ち上がると洞窟の奥へと向かう。しばらくして戻ってきた手には、細い破竹を節から一寸ほどの所で切断して乾かしておいた器と、持ち手付きの小さな竹籠があった。

「これに乗って烏が運べばいいだろ? 薬はこれに入れておけ」

 背中に乗れば風にあおられて落ちる危険がある。爪で掴まれれば夜姫の体が傷つくかもしれない。それを避けるために、わざわざ用意してくれたようだ。
 なんだかんだと言いながら、気のいい男である。

 夜姫は真夜に言われた通り、竹の器を千夜丸の前に差し出して、軟膏を入れてもらう。それから着物を脱がされ、代わりに雨に濡れないように油紙で全身を包まれた。
 そこに一匹の螢螺が進み出てきて、籠によじ登っていく。

「ほたな?」
「そいつも連れていってやれ。元々空鯨の体に引っ付いて暮らす物の怪だからな。帰りたいんだろう」
「わかた」

 顔に疑問を貼り付けて見上げた夜姫に真夜が答えれば、すぐに納得して頷く。夜姫は螢螺と共に籠に乗り込んだ。

「では雛様、準備はよろしいですか?」
「おおー!」

 夜姫が乗った籠の持ち手を爪で掴むと、次郎は雨の降る空へと向かって飛んでいった。
 翼が上下に動くたびに、ぐんぐんと空に昇っていく。洞窟の前で見上げている真夜がすぐに小さくなり、山の頂上も越えて更に昇っていく。

「雛様、怖くはありませんか?」
「だいじょーぶ。すごーい」
「あまり暴れないでくださいね。危のうございますから」

 怖がらないどころかはしゃぎ出した夜姫に、次郎は安堵するよりも別の心配が込み上げてくる。
 雨の中は飛びやすいとは言えないが、この長雨を止められるかもしれないのであれば、この程度の苦労など些細なものだと、力強く羽を動かす。
 次郎が普段飛ぶのは、もっと下だ。空鯨たちが泳ぐ空域まで昇ることは滅多にない。
 夏も間近だというのに冬のように寒く、息苦しくなってきた。

「雛様、お寒くありませんか? 大丈夫ですか?」
「大丈夫。さかな、おっきー」
「さすがは夜叉様の雛様。お小さくとも大物でございます」

 人形の夜姫には寒いと感じる器官がないだけなのだが、そんなことは知らない次郎は、素直に感心していた。
 そうこうしている内に、空鯨の群に近づいてきた。

「おおー。おっきい……」

 人間と蟻ほども違う大きな大きな空鯨を目の前にして、流石の夜姫も圧倒される。
 下から見ると影になって灰色に見えたが、近くで見ると新雪のように真っ白だった。更には白い肌を這う螢螺たちが青白く輝き、神々しいほどに神秘的な姿をしている。

「なんという……。物の怪の域を超えとるやんけ」

 次郎に至ってはあまりに自分とは異なる次元の存在に畏敬を抱き、意識が飛びそうになっていた。それでも夜姫を守らなければならないという一念で、何とか翼を動かす。
 怪我をしている空鯨を目指して、次郎は飛んでいく。

「あそこや」

 ようやく見つけた先には、他の空鯨よりも少しだけ小さな空鯨が泳いでいた。胸の辺りから血が滴っている。
 どうやら矢は自然に抜けたか、仲間たちが抜いてくれたらしい。

「いたいたい」
「なんてことをするんや」

 夜姫が哀しげな声を出し、次郎も声を戦慄かせながら傷口に近付こうとしたときだった。
 周囲にいた空鯨の一頭が次郎の存在に気付き、いきり立ち出した。尾鰭を叩きつけ、突風が巻き起こる。

「待ちいや! 俺らはその空鯨の怪我を治しに来たんや。敵じゃない」

 次郎は騒ぐが、空鯨たちの間で怒りが伝播していく。
 彼らにとっては人間も烏天狗も、地上に暮らす小さき者はどれも同じに見えるのだろう。人間たちが様々な生き物を、『虫』や『鳥』と一括りにするように。

「くっ!」
「おおー?!」

 体勢を崩さぬように、次郎は必死に翼を動かす。夜姫が乗る籠を落さないよう。爪もぎゅっと握りしめた。

「さかなー、めっ!」

 夜姫が叱るが、空鯨には通じない。――と思ったら、空鯨たちの攻撃が止んだ。
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