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手負いの空鯨 一

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 外はしとしとと雨が降り続いていた。空を見上げれば、一面を雲に似た鯨の群が覆い尽くす。空鯨そらくじらと呼ばれる彼らは、背から水を噴き出し雨を降らせる。
 一匹ならば然して気にするほどではないのだが、夏の初めに群をなし、南から北へと移動するのだ。群が通り過ぎるまでの間は、長く雨が続く。

「ほたな、こっちー」

 洞窟の中は、いつもより明るい。
 本来なら空鯨に寄生して生きる螢螺ほたるになたちは、上空にいる空鯨の群から妖力を吸収して、明かりを増していた。
 その光を利用して、普段ならば暗くてよく見えない隙間や穴の奥を、夜姫は覗いて歩いている。

「魚ー、おめめない」

 暗い洞窟にも小さな魚が住んでいるが、暗闇で不要な目は退化しているものも多い。

「こもり、みっけ」

 いつもよりも明るい洞窟で、目を庇うためか比翼に顔を埋める角蝙蝠たちが、眠たそうな顔を出して夜姫を見た。夜型の彼らにとっては、今はお休みの時間だ。
 けれど夜姫が見つけたのは、天井にぶら下がる角蝙蝠たちではない。地面に近い洞の中で丸まっていた、一匹の角蝙蝠だった。

「どしたの?」

 夜姫が問うが、角蝙蝠はちらりと薄目を開けて一瞥しただけで、それ以上は動かない。
 首を傾げた夜姫は、近くにいた螢螺を壁から剥し、角蝙蝠の近くを照らす。
 背中の貝を持たれて湿った壁から引きはがされた螢螺は、困ったように身をよじる。しかし逃げられないと観念すると、くるくると螺旋状をした貝の中に引っ込んで蓋をした。

 灯りを近くにかざされた角蝙蝠も、迷惑そうに顔をしかめて比翼の中に顔を埋める。その黒々とした比翼には、穴が開いていた。

「こもり、けが?」

 角蝙蝠は答えない。
 夜姫は穴の開いた比翼に手を伸ばすと、

「いたいたい、飛んでけー」

 と、けがが遠くに飛んでいくように、手を大きく振り仰ぐ。

「いたいたい、治った?」

 角蝙蝠は答えない。比翼の穴も開いたままだ。

「しんにゃ呼ぶ?」

 夜姫の言葉を聞いた途端、なぜか衝撃を受けたように、ぽよよんっと千夜丸が揺れる。ぽよぽよと拒否するように体を捻り揺らすと、角蝙蝠に近付き傷を示す。
 それから夜姫の手を持ち上げると、その上ににゅるりと透明な軟膏を出した。

「ちよ? これ、塗る?」

 ぽよぽよと頷く千夜丸に従って、夜姫はその謎の軟膏を角蝙蝠の傷付いた比翼に塗ってやった。訝しげに目を向けていた角蝙蝠だが、特に逆らうことはない。
 塗り終わってしばらくすると、穴が徐々にふさがり始めたではないか。

「おおー」

 夜姫の歓声を聞き、角蝙蝠も気づいたのだろう。おもむろに起き上り、比翼を確かめ始める。怪我が治っていることを確認すると、嬉しそうに一鳴きして羽ばたくと、天井へと戻った。

「ちよ、凄ーい」

 ぽよよんっと千夜丸は胸を張るように、潰れ饅頭から灸饅頭のように体を高くする。

「こんなところで何やってんだ?」

 顔を出した真夜が、盛り上がっているちびっ子たちを見て小首を傾げた。彼の顔はほんのりと紅潮していて、体からは湯気が昇っている。温泉に浸かっていたのだろう。
 真夜は長雨の間、無理に外に出ようとはせず、温泉三昧の日々を楽しんでいた。

「しんにゃ、ちよ凄い。いたいたい治した」
「言っている意味が分からん」

 そもそも人形の夜姫に痛覚は無いだろうがと疑問を抱いた真夜だったが、何があったか伝えようと身振り手振りも交えて説明する夜姫の手を見て、驚いたように掴んだ。
 じいっと見つめられて、夜姫も自分の手をじいっと見つめる。
 真夜の視線は千代丸に移る。
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