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夜叉と契約 六

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「さあ、行くぞ」

 鷲掴みにされて、夜姫と千夜丸は真夜の懐に入れられる。夜姫は布の体に伝わってくる激しい揺れに意識が遠ざかっていき、気が付いた時には朝が来ていた。
 眠っている間に耳鳴りのような笑い声と悲鳴が響いていた気がしたが、怪鳥でも鳴いていたのだろうと、あまり気にしなかった。

「これで俺は晴れて自由の身となるはずだったのに」

 ぽつりと、真夜はこぼす。
 契約を履行するまでの間、夜姫の御魂が昇天してしまわないように人形に封じたのだが、千夜丸との契約がある以上、本人の了承なく取り出して昇天してもらうことはできない。

 余談だが、とある地域で戦が起こったが、勝利したはずの側がその夜の内に全滅したという、奇妙な噂が流れた。
 なんでも乱妨取りで浚われていた者たちが語るには、血まみれの黒い夜叉が笑いながら敵兵を殲滅し、救ってくれたのだとか。
 その地に住む人間たちは、黒い夜叉に深く感謝し、守り神として祀るようになったそうだ。とっぴんぱらりのぷう。


「旦那さん、お間抜けやったんやなあ」
「饅頭さん、策士やったんやなあ」
「煩せえ!」

 真夜は恥辱に耳を赤く染めて吠える。一方の千夜丸は胸を張るようにぽよんっと跳ね、夜姫に撫でられていた。

 話も終わって少ししたところで、刻限が来たようだ。這子人形の腹掛けに刻まれた五芒星が光を放ち、童の姿となっていた夜姫を吸い込んでいく。
 夜姫はきょとんと驚きながら自分の手を見つめ、体を見下ろし、人形に戻ったことを悟った。

「小さくなったなあ」
「人間の姿も小さかったけどなあ」

 近付いてきた阿吽は、這子人形に戻った夜姫をじいっと見つめていたかと思うと、閃いたとばかりに顔を上げる。

「そや。姫さんには特別に、お守りあげましょか。安産祈願がええかなあ?」
「そやね。姫さんは友達やから加護あげましょな。病気平癒がええかなあ?」
「お前ら、そいつもう死んでるからな? 人形だからな?」

 酔っ払いから突っ込みが入った。
 たとえ生きていても、数え四つの幼子に安産祈願のお守りなど渡さないだろう。そして病気でもない相手に病気平癒とはこれ如何に。

「旦那さんは我が儘やなあ。せやったら女の子やし、恋愛成就がええかなあ?」
「舅さんには困るなあ。せやったらわてからは、子宝祈願にしとこか?」

 真夜は突っ込むのを止めて、細めた胡乱な目で二匹を見た。多少はましになったが、忠告したところでまともな選択はしないのだと、諦めたのだろう。

 夜はどんどん更けていく。
 まずは夜姫が莚の上で眠りに就き、添い寝するように千夜丸も彼女の傍らで動きを止めた。
 すでに人間としての命を終え、人形となった夜姫に睡眠は必要ないのだが、かつての習慣からか眠ろうとする。

「かわええなあ」
「仲良しやなあ」

 阿吽も夜姫と千夜丸を挟んで丸くなる。
 その内に眠くなったのか酔い潰れたのか、真夜も大の字になって眠りだした。

 日が昇り夜姫が目を覚ました時には、阿吽もヒ之木も姿を消していた。何とか立ち上がってよちよちと覚束ない足取りで真夜の下まで歩くと、夜姫は彼の顔をてしてしと叩く。
 神社の境内で、褌一丁の姿で大の字に寝ているのは、さすがに問題があろう。

「しんにゃ、起きて」
「んあ? もう少し寝かせろよ」

 寝ぼけた真夜に鬱陶しそうに払われて、夜姫はとてんとこけた。手足をじたばたと動かして起き上ろうともがいていると、千夜丸が真夜の顔に飛び乗った。
 それからぴうーっと水を吐きだした。

「うわっ?! なんだ?!」

 顔に水を掛けられれば、さすがに目も覚めたようだ。
 夜姫は下りてきた千夜丸に起こしてもらい、撫でてやる。嬉しそうにぽよんっと揺れる千夜丸を、真夜は不快そうに見ていたが、辺りの景色を見て違和感に気付く。

「まさか俺が酒に飲まれるとは」

 どうやら神社の境内で酒を飲み、そのまま眠ってしまったことを思い出したようだ。
 かつての真夜ならば、どんなに酒を飲んでも酔い潰れたことはない。肉体が替わったことで体質に変化が起きていることは知っていたが、予想以上だったようで力なく肩を落とした。

 ぼんやりとする頭を振って起き上った真夜は、脱ぎ捨てていた水干をまとう。それから地面で遊んでいる夜姫と千夜丸を拾い上げると、東袋に放り込んだ。
 昨日買った荷を風呂敷にまとめて担ぎ、半分ほど残っている酒樽と東袋も持って、真夜は洞窟へと帰っていった。



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※乱妨取り…簡単に書くと、戦に勝った人たちが負けた人たちを襲ったり浚ったりすることです。
戦国時代などは敗戦した側の人間は浚われて、奴隷として売買されることもありました。
とはいえ金額を決められたり、まっとうな人たちは家族たちが買い戻していたので、奴隷売買というよりも金銭目当ての人質みたいな意味が大きかったようですが。
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