上 下
66 / 83
二章

66.返さなくて良い

しおりを挟む
「もう、出てもよろしいですか?」

 声を掛けてから、ハンスは姿を現した。

「お前の仕業か?」
「まさか」

 ハンスは苦笑する。

「俺に呪具は作れませんよ」
「呪具? そうか、あいつが来たのか」

 誰が来たのか、ゼノにはすぐにわかった。
 長い間左遷されていたが、とうとう呼び戻されることに決まったと、噂で聞いた。
 神官としての知識も実力も、すでに実の父である神官長を超えている。今まで呼び戻されなかったのは、セス王子が反対していたからだ。
 だが流石に放ってはおけなくなったらしい。
 このまま冷遇を続ければ、他国がシドを欲して動き出しかねない。有史に名を残す神官にも劣らぬ優秀な神官を、みすみす手放すほど国王は愚王ではなかった。

「ずいぶんと無茶をされていたようですね」
「何のことだ?」

 ゼノの問いには答えず、ハンスはシャルの前に膝を折った。

「小鳥ちゃん、殿下に聖石を返さなくて良いですからね。返すとまた、どんな扱いをするか分からない。しっかり預かっておいてください」
「ああ、そんなことか」

 ハンスの台詞を聞き、ゼノも何のことか思い当たったようだ。

「そんなことって。死んでいたかもしれないんですよ?」

 平然と言ったゼノを、ハンスは睨む。

『わかりました。しっかり守ります』
「お願いしますね」
「別に守る必要はない。好きに使えば良い」

 呆れた顔で見上げるハンスの横で、柘榴は小さく揺れた。それを見てゼノは微笑むと、膝を付いてシャルの枝を手の平に乗せた。

「今度こそ、必ず守ると約束する。何があろうとも」
『私も。ずっとそばにいるって、約束するわ』

 柘榴は揺れた。
 ゼノとハンスには、シャルが笑っている姿が見えた。


     ※


 後ろ髪を引かれる思いでゼノが館へ戻った後、ハンスはシャルを連れて、ハンスの暮らす小屋に戻った。

「ちゃんと見るのは初めてか。汚ないが、許してくれよ」

 シャルがセントーンに来てから、毎日連れ帰っていた小屋だが、改めて断った。
 元は仮の物置小屋だった。ちゃんとした物置小屋は別にあったが、道具を運ぶ手間を惜しんだ使用人が誂えたものらしい。
 ハンス一人が暮らすには充分な広さだが、壁板は薄く、隙間も多い。夏になれば虫が入り、雨が降れば雨漏りした。 
 柘榴にシャルの意思が宿っていると理解していても、どうしても木という意識が抜けなかったから気にせず迎え入れていたが、彼女と意思の疎通ができるようになれば、話は別だ。

「ところで小鳥ちゃん、飯は食えるのかい?」
『少しなら食べれます。でも食べなくても大丈夫です』
「そりゃあ良かった」

 シャルを椅子に座らせると、ハンスは小屋の隅に置いてあった木箱を開けた。

「とりあえず、今日はこれで我慢してくれ」

 取り出した馬鈴薯を見せて、ハンスは笑う。

「ここに来てから、ほとんど作ってないからな。明日は何か買って来よう」
『気にしないでください』

 恐縮するシャルに、ハンスは頭を撫でるように樹頂を撫でて笑う。

「そうじゃない、俺が作りたいんだ。元は料理人だからな」

 国一の菓子職人になると意気込んでいた日々。手が届きかけたところで、指の自由を失った。
 後悔はなかった。夢も約束も、一応は果たしていたから。だが失った淋しさと虚しさは、ハンスの心に巣食った。
 再び自由を手に入れた十の指は、菓子を作りたいと渇望している。できることならば、今すぐ町に買い出しに行き、朝まで菓子を作っていたかった。

 皮ごと蒸かした馬鈴薯の皮を剥き、ゆっくりと熱をとる。冷めると潰し、しっかりと練った。
 指に伝わる感触、自由に形作れる悦び。料理することがもたらす幸福を、ハンスは噛み締めていた。

「さあ、どうぞ」
『うわあ』

 シャルは背を伸ばして、馬鈴薯だった物を見た。空の酒樽を逆さにした机に、皿が一つ。皿の上には白い小鳥が乗っている。

「さあ、食べてみてくれ」

 ハンスは勧めるが、シャルは手を出さない。

「心配しなくても、肉や魚は入ってないよ」

 重ねて勧めるが、やはりシャルは見ているだけだ。

『あの』
「うん?」
『とても可愛くて、食べれません』

 ハンスは目を見張り、それから盛大に笑った。

「気に入ってくれたのは嬉しいが、食べてこその料理だよ」

 言いはしたが、少しやり過ぎたと内心では思った。
 久し振りで嬉しくて、ついつい細工に力が入った。器の上にいる鳥はあまりに精巧で、少し離れて見れば、本物の鳥と見間違えるだろう。
 シャルの枝が、ゆっくりと一羽の小鳥を捕まえた。
 二つの枝に優しくとまらせると、色々な角度から眺めていた。しばらくして枝葉の中に、小鳥は身を隠す。

『美味しい。甘くてもちもちしていて。馬鈴薯だと思っていたけど、違ったのですね』

 興奮しているのか、文字の浮かんだ葉は昼間より大きかった。

「馬鈴薯だよ。普通の、ね」
『こんなに美味しい馬鈴薯、食べたことがないです』
「うん、ちょっとコツがあってね。俺も初めて食べた時は驚いた。絶対に別の材料を使ってるってね」

 ハンスは笑う。
 まだ銀狼として荒んだ生活を送っていた頃、ハンスに食事を与えてくれた料理人がいた。彼との出会いがなければ、ハンスは料理を創る悦びなど知ることはなく、今も裏の世界の住人だっただろう。
 噂では彼は今、王都から離れた村で小さな居酒屋を営んでいると聞いた。誰よりも料理を愛していた人で、ハンスの目標だった。

「そうだ。明日は殿下とライ大将も誘って、小鳥ちゃんの歓迎会を開こうか」
『ライ大将?』
「殿下と一緒に、小鳥ちゃんを連れ帰ってくれた方だよ。彼も小鳥ちゃんのことを知っているから、安心して良い」

 言いはしたが、王子と大将をここへ招く訳には行かず、さりとて四人で居るところを人に見られる訳にもいかない。
 殿下に抜け出すように促し、小白を貸し切ろうかと、ハンスは算段を付けていた。

 翌朝、シャルに会いに来たゼノに伝えると、職務が終えたらライに案内させようと快諾した。
 ハンスは昼前に、シャルを連れて小白へと向かった。彼がいなくなったところで、困る者はいない。果樹園の世話をする雑用係りのことなど誰も気にも止めないのだ。
 だからハンスが密かに将軍寮の敷地から姿を消しても、気付く者はいなかった。

「少し我慢しておくれよ」
『はい』

 しかし流石に柘榴の木を持って町を歩くことは目立つので、シャルには包みに隠れてもらうことにした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

愛を知ってしまった君は

梅雨の人
恋愛
愛妻家で有名な夫ノアが、夫婦の寝室で妻の親友カミラと交わっているのを目の当たりにした妻ルビー。 実家に戻ったルビーはノアに離縁を迫る。 離縁をどうにか回避したいノアは、ある誓約書にサインすることに。 妻を誰よりも愛している夫ノアと愛を教えてほしいという妻ルビー。 二人の行きつく先はーーーー。

帰らなければ良かった

jun
恋愛
ファルコン騎士団のシシリー・フォードが帰宅すると、婚約者で同じファルコン騎士団の副隊長のブライアン・ハワードが、ベッドで寝ていた…女と裸で。 傷付いたシシリーと傷付けたブライアン… 何故ブライアンは溺愛していたシシリーを裏切ったのか。 *性被害、レイプなどの言葉が出てきます。 気になる方はお避け下さい。 ・8/1 長編に変更しました。 ・8/16 本編完結しました。

私の恋が消えた春

豆狸
恋愛
「愛しているのは、今も昔も君だけだ……」 ──え? 風が運んできた夫の声が耳朶を打ち、私は凍りつきました。 彼の前にいるのは私ではありません。 なろう様でも公開中です。

運命の番?棄てたのは貴方です

ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。 番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。 ※自己設定満載ですので気を付けてください。 ※性描写はないですが、一線を越える個所もあります ※多少の残酷表現あります。 以上2点からセルフレイティング

浮気くらいで騒ぐなとおっしゃるなら、そのとおり従ってあげましょう。

Hibah
恋愛
私の夫エルキュールは、王位継承権がある王子ではないものの、その勇敢さと知性で知られた高貴な男性でした。貴族社会では珍しいことに、私たちは婚約の段階で互いに恋に落ち、幸せな結婚生活へと進みました。しかし、ある日を境に、夫は私以外の女性を部屋に連れ込むようになります。そして「男なら誰でもやっている」と、浮気を肯定し、開き直ってしまいます。私は夫のその態度に心から苦しみました。夫を愛していないわけではなく、愛し続けているからこそ、辛いのです。しかし、夫は変わってしまいました。もうどうしようもないので、私も変わることにします。

処理中です...