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24.別れ ※暴力的描写有

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 終わりは突然だった。

 初めての出兵、人をこの手で殺め、もはや受け入れてはもらえぬと覚悟していたが、シャルはゼノを受け入れた。そして互いの想いも確かめ合った。

 いずれ別れの日が来るとしても、思い出は二人の心に温かな火を灯し続けるだろうと、信じていた。凍えるような冷えた世界において、それは希望という名の支えになるはずだった。
 春は過ぎ、夏が来て、そして再び、実りの秋が近付こうとしていた。

「まさか、そんな虫が付いていたとはね」

 端正な顔を歪めて、苦々しく彼は言った。金色に輝く豊かな髪が、日の光を浴びて海原のようにきらめく。
 天使のような少年に、シャルは思わず見惚れるが、その視線に不快を感じたのだろう。彼の表情はさらに渋くなる。

 両脇に控える白装束の従者は片膝を付き、忠義の礼を示している。
 一人は背も高く鋭い眼光をまぶたに隠し、今一人は痩せぎす体。狂気の宿る細い目に、ゼノを映す。
 森には呪を施していたが、痩せぎすの従者により破られたようだ。

 中央に立つ少年の姿に、ゼノの顔からは一気に血の気が引く。彼の怒りを静めなければと思うのに、咽は乾き、頭の中は真っ白で、言葉は一つも出てこない。
 どうすれば良い? どう切り抜ければ良い?
 困惑は目眩となってゼノを襲った。

「ゼノ?」

 呼吸もままならないゼノの様子に、不安げに眉根を寄せたシャルが手を伸ばし彼の袖に触れる。その瞬間だった。
 顔を上げたゼノが動き出すより早く、シャルは後ろに吹き飛び地面に倒れた。

 それは一瞬の出来事。
 長身の従者の足が、容赦なく少女の腹部に衝撃を与えていた。男はすでに主の傍らに戻り、片膝を付いている。

「醜い虫けらが、ゼノに触らないでくれる? それに、お前の汚い口で、ゼノの名前を汚さないでよ」

 天使のような少年が言うなり、シャルは咽に手をやり苦しみ始める。

「お許しください、兄上!」

 ゼノは叫んだ。このままでは、シャルは死んでしまう。
 ちらりと、天使はゼノを見る。その表情は、優しく微笑んでいた。

「大丈夫だよ、ゼノ。僕はお前に怒ったりしていないから」

 星が舞うように愛くるしい笑顔を向けて、セスは軽いステップでゼノの前に移動する。
 無垢な瞳で覗き込む兄が、ゼノには恐ろしかった。

「兄上、あの平民に罪はありません。どうかお許しください」

 強張る頬に笑みを貼り付かせ、許しを乞う。
 その言葉に、柔らかな瞳がわずかに尖る。

「ゼノ、民を思うことは良いことかもしれないけど、躾は必要だよ?」

 ぱちんとセスが指を鳴らせば、白装束の男はシャルの傍らへと移動した。
 迷っている暇などない。ゼノは剣を抜き、振り向きざまに斬りかかる。金属音が響き、ゼノの腕が止まる。

「ちょっと、ゼノを傷付けたら極刑だからね」

 目を怒らせ叱責するセスに、白装束の男の目がわずかに反応した。その一瞬を逃さず、ゼノは風の刃を男に降らせる。

「ゼノ様、少々おいたが過ぎましょう?」

 痩せた男の声が、耳元でささやく。
 驚きに目を見張り、視線を動かした時には終わっていた。ゼノは透明な箱に囚われ、シャルに近付くことができない。
 剣を振り下ろし、風の刃をぶつけるが、結界が解けることはなかった。

「シャルッ!」

 叫びながらも、ゼノは風の刃を結界にぶつけ続ける。
 呼吸を止められてから、どれだけ経ったか。シャルは酸素を求めて喘ぎ、目も大きく開かれている。
 傍らに立つ長身の男の右手に石力が集まり、彼女の命は今まさに奪われんとしていた。炎が渦巻き、彼女に襲い掛かる。

「止めろ――!」

 目を見開き、叫ぶ。ゼノの世界は、白く染まった。
 木々の枝が吹き飛び、湖は激しく波打つ。一陣の風が去った時、そこは静寂に包まれた。

 気付けば血に濡れたシャルが、ゼノの瞳の中で横たわっている。四肢は千切れ、体中に緋の線が奔る。見開いていた目は力を失い、まぶたの幕を下ろしていた。

「ゼノ?」

 声に振り向けば、立ちすくんだ兄が呆然と見つめている。その美しい顔を幾筋かの赤い線が彩り、服も破れて白い肌が露出していた。
 彼を守ろうとした白装束の男達は、全身を赤く染めて今にも崩れ落ちそうだ。

 ゼノは視線を戻す。
 目に映るのは、血の海に沈む愛しい少女。腕や足は、風に飛ばされていた。
 誰が彼女に傷を負わせたのか、それに気付いた時、彼は天に向かって絶叫した。虚ろな目からは涙があふれ、ひどい耳鳴りが彼の思考を奪う。
 揺れるように歩き、そして膝を付いた。無意識に手が伸び、少女の頬に触れる。

「ゼノ、だい、じょうぶ?」

 驚きに目を見開く。生きていた。
 わずかに上がったまぶたから、翡翠の瞳は愛しい者の姿を探すようにさまよう。

「シャル、すぐに……」

 言いかけた彼は、しかしすぐに現実へと戻った。ゼノの名を呼びながら、近付いてくる者がいる。
 視線は横へと動き、セスを映す。
 これ以上、近付かれてはならない。彼女が生きていると知れば、セスは確実に止めを刺すだろう。早くこの場を立ち去らせなければ。

 無意識に、手は胸へと向かう。
 シャルは自身の傷を癒すことはできない。だがゼノの膨大な石力を用いれば、万が一にも命を取り留めることができるかもしれない。そんなわずかな望みに、彼はすがった。
 セスたちに気付かれないよう、己の聖石をシャルの服の下に潜り込ませる。そして立ち上がると、振り返ることなく歩き出した。

 白装束の男達が、セスとゼノの間に入る。それぞれ剣と杖を構え、臨戦態勢をとった。
 膝を付き深々と頭を垂れ、ゼノは臣下の礼を取る。敵意の無いことを示したその時、ゼノは自分の異変に気付いた。彼の右腕は消え、右足は骨が見えていた。

「申し訳ありません、力を暴発させてしまいました。殿下に傷を負わせた罪、如何なる罰もお受けいたします」

 感情を消し、ゼノは申し出る。抵抗する気などない。その必要もない。命を差し出せというならば、差し出そう。
 もはや彼に、生き続ける意思など無かった。

 じいっと、セスはゼノを見つめている。その視線が少しばかりシャルに向かったが、すぐに興味を失った。誰が見ても、彼女の死は確実だ。
 制止する白装束を睨みつけると、セスはゼノの前に膝を折る。手を伸ばし、ふわりとゼノの頬に手を触れた。

「ひどい怪我だ。よほどあの虫に怒りが溜まっていたんだね。大丈夫だよ? 誰にもお前を罰させたりなんてしないから」

 哀れみを含んだ目は優しく微笑み、ゼノを抱きしめた。それからゼノの傷を癒すよう、白装束の男に命じる。

「申し訳ありません、殿下。そのように損傷されては、回復のしようがございません」

 頭を垂れた男に、セスの機嫌は悪化する。

「構いません、兄上。それより早く城へ戻りましょう。このような所にいては、兄上が穢れてしまいます」

 光のない目をうつむけたまま、ゼノは言う。

「お許しいただけるなら、私の力でお送りいたしましょう」

 早くこの場を去りたかった。シャルの命が失われる前に。
 白装束の男達は顔をしかめたが、セスはにこりと笑ってその申し出を受けた。

「ゼノの力で飛ぶなんて、久しぶりだね。でも怪我しているのに、大丈夫かい?」

 眉をひそめるセスに、ゼノは微笑む。

「問題ありません。すでに兄上が止血してくださいましたから」

 手足からの出血は止まっていた。従者の治癒力が使えないと聞いた直後、セスは自らの力を用い、ゼノに止血を施していたのだ。

「わかった。じゃあ、帰ろう」
「はい」

 笑顔を浮かべたセスに、ゼノも笑みを返す。
 風を呼んだゼノは、セスと従者達を風の壁に包み、空へと浮かぶ。そして森から遠ざかっていった。
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