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13.白百合

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「殿下、御用の程は?」

 百合園に現れたゼノは、かしこまって問う。

「嫌だなあ、兄上って呼んでって、いつも言っているでしょう」

 エメラルドの瞳を細め、セスはゼノに近付く。ウェーブの掛かった金色の髪が風になびき、きらきらと光っていた。すらりと伸びた手足に、レースのついたシャツと淡い色のズボンを身に纏う姿は、男装した娘のようにさえ見える。
 彼を始めて目にした貴族や使用人達は、そろって天使のようだと口にした。

「申し訳ありません、兄上。ご用件は?」

 軽く頭を垂れた後、ゼノは問い直す。

「うん、一緒に百合を見ようと思って。綺麗だろう?」

 言って、セスは庭園を見渡した。笑顔で同意を求めるセスに、ゼノは頷く。

「そうですね」
「それだけかい?」

 近付いてきたセスは、腰を曲げてゼノの顔を下から覗き込む。

「今年も見事に咲きましたね。兄上には、百合が良く似合われる」
「うん」

 にこりと笑うセスを、ゼノは内心では理解できないでいる。花が似合うなどと言われて、何が嬉しいのだろうか。

「僕は百合の花が一番好きなんだ。美しい真珠のように艶やかな花弁、香水のように深い香り。一年中咲けば良いのに」
「そうですね」

 うっとりと百合の花に顔を近付けるセスに、ゼノは相槌を打つ。

「はい」

 差し出された一本の百合に、ゼノは戸惑う。

「ゼノにあげるよ」

 いらない。

「ありがとうございます、兄上」

 微笑を浮かべて、差し出された百合を受け取った。こんな花など、どうしろと言うのか。
 ゼノの困惑になど気付きもせず、セスは笑っている。セスの目には、ゼノは喜んでいるとしか見えないのだ。
 常に相手の心を感じ取り、望む言動を返す。いつの間にか身に付き、ゼノの意思に関わらず行われていた。

 セスから解放されたゼノは、手に持った花の始末を思案していた。
 さっさと捨ててしまいたいが、そこらに捨てたことをセスに知られては、彼の機嫌を損ねてしまう。かといって、部屋に飾る気にはなれなかった。

 広い庭を歩いていたゼノの耳に、女達の声が届いた。休憩中の女中達が、薔薇を囲い何か言い合っているようだ。

「綺麗ね。 染み一つないわ 」
「王宮の庭だもの」
「一本で良いわ、頂けないかしら」
「無理よ、首が飛ぶわよ?」

 どこまで本気なのか、女達はくすくすと笑い合う。
 花が欲しいのであれば、これを与えようかと、ゼノは手に提げた百合を見た。薔薇も百合も同じ花だ、大差はあるまい。
 そう考え、足を向けかけたゼノだったが、ふと考え直す。
 三人の女達は、揃って薔薇を愛でている。ゼノには何の価値もない花だが、女にとっては違うのかもしれない。

 ゼノは自分の左腕に視線を落とす。
 そう、この石の腕飾りも、ゼノには質の悪い石にしか見えなかった。しかしシャルは見とれていた。
 もしこの百合を持って行ったなら、シャルは喜ぶだろうか。
 邪魔でしかなかった百合が、突然輝いて見えた。
 無造作に握っていた百合を、痛まないように優しく持ち直すと、ゼノは自室へと戻る。

「痛まぬように、活けておいてくれ」

 居合わせた女中に頼むと、ゼノは家庭教師の待つ勉強部屋に向かった。無意識に顔の筋が弛み、笑みが浮かぶ。
 午前の学習が終わると、ゼノは急ぎ部屋に戻る。花瓶に活けられた百合は朝と変わりない。ゼノはほっと胸を撫で下ろした。
 花が枯れてしまわぬ内に森へと急ぎたかったが、昼食の用意もまだだ。
 食事を抜いても構わないのだが、使用人達に怪しまれることを恐れ、椅子に腰掛けて大人しく待つ。

 花が枯れはしないか、花弁が落ちてしまわないかと何度も目をやり、変わりのないことを確認しては安堵する。
 百合を受け取ったシャルは、笑みを見せてくれるだろうか。想像するだけで口元が綻んだ。

 待ちわびた食事が運ばれると、掻き込みたい気持ちを抑えてゆっくりと食べる。味などわからない。とにかく、早く食べ終えてしまいたかった。
 食事の後は執事の淹れたお茶を飲む。平常を装い、一口ずつゆっくりと飲むが、何度も咽に詰まりかけた。
 ようやく自由な時間となると、ゼノは百合を携えて窓から出る。花を傷付けないように、花の周囲に風の壁を作った。
 そしていつも以上の速度で、森へと急いだ。

「綺麗」

 想像通りに、シャルは笑みを浮かべた。百合に顔を近付け、香りを吸い込む。

「とても甘い香りね」

 シャルは少し驚いた顔をしたが、直ぐに笑顔に戻った。

「森にも百合は咲くのだけど、こんなに真っ白で綺麗な百合は初めて見たわ」

 うっとりと百合を見つめるシャルから、視線を逸らすこともできず、ゼノは微笑を浮かべて見とれていた。
 たかが百合の花一本で、これ程の笑顔を見ることができると知っていたならば、もっと早く持って来るのだったと少し後悔をする。
 けれどもっと多くの百合や薔薇を持って来たなら、どれ程に喜ぶだろうかと想像すると、胸が熱くなった。
 だがそれは簡単なことではないだろうとも、同時に思う。

 城にあるものは花一つ、草一本にいたるまで管理されている。城から誰にも気付かれずに何かを持ち出すことは、容易ではない。
 シャルは両手で百合を持ち、様々な角度から眺めたり、香りを確かめて堪能していた。

「ありがとう、ゼノ」

 微笑みを向けるシャルに、ゼノも微笑む。
 彼女が笑うと、世界が光り輝いた。彼女が笑みを向けると、幸福に全身が満たされた。
 礼を述べるのは、私のほうだ。
 そっと左手を伸ばし、シャルの頬に触れる。シャルの笑顔が、掌に溢れた。
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