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12.おまじない

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「何だ、それは?」

 尋ねたゼノに、店主は口上を述べる。

「一つの石を二つに割って、加工した石のことさ。対となる石を互いに身に着けておくと、離れ離れになっても、また再会できるって代物さ」
「呪具か」

 ゼノの漏らした言葉に、店主は苦笑する。
 呪具は高位の神官が作る特別な道具だ。庶民には縁の無い物で、こんな祭りに出回る代物ではない。

「いや、そこまで大層な物ではないけど、おまじないみたいなものだね。恋人や兵役に就く家族なんかに贈る人が多いよ」
「ほう」

 ゼノは面白そうに対玉石を手に取って眺めた。シャルを振り返り、どうする? と目線で問う。
 はにかんだシャルに頷いて、店主に向き直る。

「貰おう」
「毎度」

 代金を支払い、ゼノは小さいほうの腕飾りをシャルの腕に着けてやり、残った一方を自分の腕に着けた。

「ありがとう」
「効果は疑問だが、まあ、良かろう」

 満面の笑みのシャルに対し、素っ気ない態度でゼノは再び歩き出した。
 シャルは嬉しそうに、何度も腕飾りを見ている。

「効くと良いのだが」

 小さな声は祭りの喧騒で、シャルの耳にも届きはしなかった。
 空は紅く染まり始めていた。


     ※


 王には一人の正妻と、数人の側室がいた。王は側室の一人を特に寵愛した。大国の姫であり、美しく若い娘。

 王は社交の場にも側室を伴い出掛けた。正妻は城に置き去りにされた。
 王族貴族達は側室の美しさに目を奪われ、称賛した。誰も彼女が側室であることを指摘しなかった。正妻は忘れられていった。

 正妻と側室が妊娠した。
 先に産み落としたのは側室のほうだった。男の赤子だった。王は喜び、側室を誉め称え、産まれた我が子を抱き上げた。
 正妻が子を産んだのは、翌日のこと。男の赤子だった。けれど王は来なかった。正妻は一人、子を抱きしめて泣いた。

 王は側室が産んだ子を嫡男と定めた。
 逆上した正妻は、側室と彼女の産んだ子を襲わせた。側室は我が子を守り傷を負ったが、一命は取り留めた。子に怪我はなかった。

 怒りに捕らわれた王は、正妻を極刑に処した。
 正妻は死ぬ間際まで無実を訴えた。正妻の子は側室の嘆願により救われた。将来、彼女が産んだ子に忠誠を誓うことを条件に。


     ※


 朝は苦手だ。目が覚めるとひどく気分が重い。黒く底の無い、泥沼に沈み落ちるようだ。雨の降る日はなお酷い。いっそこの体を切り裂いて、この世から消えてしまおうかとさえ思う。
 重い体を動かして、ゼノは起き上がる。まだ夜は明けていない。
 夜明けまで寝台の上に横になっていても構わないのだが、闇に飲み込まれそうで、じっと横たわっている気にはなれなかった。

 静かに寝台から起き出ると、寝間着を脱ぎ、部屋着に着替えた。寝台の横に立て掛けていた剣を取ると、窓を開けて外へと出る。
 本来ならば窓から出入りできるような高さではないが、彼には関係ない。窓枠に足を掛けると、ふわりと浮き上がった。
 空を飛べるこの力は気に入っている。飛んでいる時だけが、何もかも忘れられる、唯一平穏な時間だった。そう、しばらく前までは。

 ゼノは自分の左腕を月明かりにかざし、腕に着いた飾りを見た。質の悪い、宝石とは呼べぬ石。だが彼にとっては、どんな宝石にも勝る大切なものだった。

「シャル」

 その名を口にするだけで、気持ちが落ち着いた。以前は知らなかった温かみが涌き出て、胸を満たす。きっとこれが幸福というものなのだろうと、ゼノは思った。
 地面に足が触れかけると、剣を鞘から抜く。

 彼はもう何年も、土に足を着けたことはなかった。石力を増幅させ、更には制御するためには、常に力を使っていることが望ましい。故に彼は他人に気付かれないように、地面ぎりぎり、紙一枚程が入る空間を開けて、宙に浮いていることを己に課していた。ひどく精密な制御能力と集中力を必要とするが、強くなるために耐え続けた。
 敵の幻を相手に、剣を振るう。聖石の力が重きを置くこの世界に於いて、剣術が如何程の役に立つのか疑問に思わなくもない。しかし剣術の型に没頭していると、何もかも忘れることができた。
 空が白み掛かる頃には、ゼノの衣は汗で重みを増していた。

「ゼノ様、朝食の支度が調いました」
「構わぬ、入れ」

 部屋に戻り肌を拭いながら、扉の向こうから声を掛けた執事に返答する。
 ゼノの承諾を得た執事は扉を開けると、女中達に膳を整えさせた。彼らが室内に入った時には、すでにゼノは着替えを終えていた。

 用意された朝食の前に座ると、彼は食事を始める。
 色鮮やかな野菜、白く柔らかなパン、脂の乗った肉。高価な食材を惜しげもなく使い、国中から選び抜かれた料理人達が作り上げた、最上の料理だ。
 けれどゼノには、美味しいとは感じられなかった。

 味の良し悪しはわかっている。似た料理を供されても、その味の違いを区別し、どちらが優れた味であるかを判別することは容易い。しかしゼノが味に感動を覚えることはなかった。
 料理だけではない。全てが虚しく、心を動かされることはない。それが彼が生きてきた世界だった。
 全てがが決められている。何が優れているのか、どのように感じれば良いのか、言動も、生き方も、彼に選ぶ権利などない。
 人である必用があるのか、いっそ人ではない存在になれれば、楽になれるのかも知れない。そう思っていた。

「朝食が終わりましたら、百合園に御出になるようにとの、セス殿下からのお言付けを預かって参りました」
「わかった」

 百合園は城の西側にある。ちょうど今が見頃だ。白と甘い香りに包まれたこの庭園を、訪れた者達は本音なのか世辞なのか、ともかく褒め称える。
 ゼノにとっては、甘い香りはただ気持ち悪く、白に染められた世界は葬儀のようで居心地が悪かった。しかしセス殿下は、この庭園をいたく気に入っている。

 正直なところ、ゼノはこの異母兄が苦手だった。嗜好が違い過ぎて、ゼノには理解し難い部分が多々ある。
 長い髪を少女のように緩やかに布で纏めるなど、ゼノには真似できない。食に関しても甘い物ばかり好み、武術に対しては古臭く趣味が悪いと言い切り、まるで関心を示さない。そのくせ、そこらの武人よりも腕が立った。
 彼は父王の愛情を一身に受け、次期王となることが約束されている。兄弟でありながら、ゼノは彼の臣下という身分を余儀なくされていた。
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