続・聖玉を継ぐ者

しろ卯

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72.隣に立つ最愛の人に

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「嬉しそうだな、シャル」

 隣に立つ最愛の人に、ゼノは眦を下げる。

「ええ。大勢の人に祝ってもらえて、隣にゼノがいて、それに、兄さんも祝福してくれる」

 と、シャルは机の上に並ぶ料理を見回し、その瞳を菓子の並ぶ机で止めた。
 通常、立食式の宴では、客は食事よりも社交に重きを置く。一人でも多くの者に顔と名前を憶えさせ、自分の利となる人物とつながりを得るために時間を費やす。

 しかし今日の宴はどうだろう。
 軽く摘まんだが最後、料理に心を奪われてしまう。歓談しながらも、その目は机の上の料理を追っている。
 新しい料理が運ばれてくれば視線が動き、残りが少なくなれば口元が歪む。
 社交を諦めて、料理を堪能している賓客まで出てきているではないか。

「王宮に住んでいたころも美味だと思っていたが、ハンスが呼び戻してからというもの、それを上回る品を提供してくれているからな」
「兄さんの話だと、縛りがなくなったから、思う存分に腕を振るっているそうよ」
「料理の力とは、侮れぬな」

 最後の一盛りを争う賓客を目にして、ゼノは思わず苦笑をもらす。別の机では、身分を笠に着て菓子を囲っている。
 王族貴族にあるまじき光景だが、それほどに、元料理長とハンスの腕は優れていた。
 王にも王妃にも祝福されず、王子でありながら王宮で祝うことも許されぬ身。しかしそのことを、今日ここに来た者たちの中で、嘲笑うことのできるものはいなかった。
 むしろ、

「王家の力に頼らず、これほどの祝宴をお開きになるとは。いやはや、ゼノ様は恐ろしい」

 と、ゼノに近付いてきた者達は、彼の手腕を誉めそやした。

「しかしまだ未熟な身。これからは妃と共に陛下や殿下のお力となり、さらにこの国を守り立てていく所存です」
「それは頼もしい」

 ゼノの言葉を聞いていた者たちの中、敏い者はあらためて確信する。
 セントーン国王よりも、兄王子セスよりも、格段に才有る者がここにいると。

「よろしければ、我が国に訪れていただきたいものです」

 暗に王族でありながら不遇を強いるセントーンを捨て、我が国に来ないかと唆す者まで現れだした。

「私は戦うことしかできぬ、軍人ですゆえ」

 さらりとかわされた異国の王は、眼を光らせるがそれ以上は顔にも出さぬ。

「縁があれば」

 さらに押された言葉に、ゼノはただ微笑を持って濁した。
 次いで挨拶に来た者もまた、ゼノの才を惜しむ。

「お疲れではありませんか? 椅子にお座りになることも、よろしいかと」

 その椅子が玉座を示していると察した者は、ゼノの答えに耳をそばだてる。

「私は軍人ですゆえ。問題ありませんよ」

 問うた貴族はわずかに眉を落とした。周囲には、動揺の反応を示す者や安堵する者がいる。中には鋭い視線を向ける者もいる。
 和やかな宴すら、気を休めることは許されない。

「それにしても、不思議よね?」

 男たちの戦いから離れた一角で、シャルは緋龍の姫達に囲まれていた。

「シャルの立ち振る舞いよ。緋龍で会った時は気にしなかったけど、考えてみると、どうしてそんなに完璧に振舞えるのよ?」

 玉緋の言わんとしていることが理解できず、シャルは首を捻る。

「確かにそうね。帝国の姫に生まれながら、どうして礼儀作法が身に付いていないのかしら」
「何よ?」
「何かしら?」

 角を突き合せる玉緋と蓮緋を取り成そうとするシャルだが、一緒にいた蝶緋はくすくすと笑っている。

「大丈夫ですわ、シャル様。いつものことですから」

 ふわりと笑う蝶緋は、以前にも増して美しい。どこか自信なく伏せがちだった睫は、輝く瞳を惜しげもなく披露していた。
 その笑顔を見た男性達が、思わず頬を染め見惚れている。

「僕の蝶緋に色目を使わないでよ」

 頬を膨らませた麗しの君は、蝶緋の腰に回していた手を引き寄せた。体が密着して、蝶緋の白い肌が、花が咲くように色づく。

「セス様」
「駄目だよ、蝶緋は僕だけ見ていればいいんだからね」
「はい」

 甘く見つめ合う二人に、玉緋と蓮緋も口論を止め、わずかに顔をしかめる。

「当てられる前に、消えましょう」
「同意するわ」

 苦笑をもらすシャルを連れて、緋龍の姉妹はもう一人の主役の元へ向かう。

「シャル」
「ゼノ」

 手元に戻ってきたシャルを引き寄せ、ゼノはほほ笑む。
 眉一つ動かすことさえ稀と囁かれていた、無骨な将軍の柔和な顔に、令嬢達は黄色い声を必死に飲み込み、男達は何度見ても慣れないと視線を泳がした。

「一曲踊っていらしたら? 主役が踊らないと、皆様、立食とお喋りしか楽しめませんわよ?」

 ゼノと玉緋が眉をひそめる。
 平民出身のシャルに舞踏は無理だと分かっているからこそ、最高の料理を用意し、音楽も厳選したのだ。
 二人の咎める視線を浴びた蓮緋は、気にせず楽団に指示を出す。
 演じられた曲は、古の時代から奏でられる、今は一部の王族のみに伝え残された円舞曲。

「これなら踊れるでしょう? お二人とも、王族なのですから」

 にこりとほほ笑む蓮緋に、玉緋はますます眉間の皺を深くした。令嬢にあらざる表情だが、緋龍という大国の姫に、指摘する命知らずはいない。
 不安そうなシャルの耳元に顔を近づけた蓮緋は、そっとささやく。

「安心なさい。聖玉が憶えているから」

 顔を上げたシャルににこりとほほ笑むと、蓮緋はシャルとゼノの背を押し出した。
 人込みが割れ、開けた空間の中央にシャルとゼノが立つ。
 シャルの手に優しい口付けが落とされ、そして重ねられた手と手。足は滑らかに滑り出し、楽団の旋律に乗って踊りだす。

「なんと見事な」
「これが王家同士の婚姻でのみ披露されるという、幻の円舞曲か。噂には聞いていたが、目にするのは初めてだ」

 賓客たちから、吐息が漏れ聞こえる。
 眉間に皺を寄せていた玉緋は、目を見開いて二人を見つめていた。

「よく気が付いたな」
「お褒めに預かり光栄ですわ、緋凰兄様。二曲目は踊っていただけるかしら?」
「他に踊れる者はおるまいからな」

 大国緋龍の機嫌を窺おうと擦り寄ってきていた者たちが、シャルとゼノの舞踏に目を奪われている隙に、緋凰は素早く移動してきた。
 一曲目は主催者が踊るが、二曲目以降も二人だけで踊り続けることは、客人への持て成しとして失格だ。
 しかし婚姻を結んだばかりの夫婦が、一曲だけで終えるというのも不仲を疑われる。
 二曲目に緋凰と蓮緋が混じることで、そのどちらも回避できる。
 曲が終わり再び流れ出せば、二組の王族が美しく舞い、誰もが見惚れた。
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