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64.幼子に言い聞かせるように
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「この菓子を作ったのはハンスです。シャルの好きな焼菓子も、ハンスの作った物です。この人格も、ハンスが培ってきたものです」
幼子に言い聞かせるように、一つ一つ丁寧に言葉にしていく。
シャルは視線を泳がせた。
兄の言っている意味は理解できる。ハンスがシャルに対して向けてくれた愛情を、シャルとて気付かないわけではない。
それでも、シャルにとって兄は一人なのだ。
ハンスは目尻を柔らげると、微かに首肯した。
「分かっている。お前はいつもそうだった。肉体が替わるとすぐに気付く。だがシャル、ハンスはもちろん、風の民は皆、俺達の家族だ」
「風の民?」
「そうだ。ライやジル、小白の店員たち、他にも大勢いる。お前も俺も、二人切りの家族ではない。お前は俺と違って、王が復活する度に記憶が消えるから憶えていないだろうが」
微笑みながらハンスはシャルの頭を撫でる。
「でも、私の兄さんは兄さんだけだわ」
訴えるシャルを、ハンスは見つめる。
笑みは消え、真剣な眼差しへと変わっていた。
「俺の聖玉が失われる事を心配しているのなら、取り越し苦労というやつだ。俺の聖玉が消滅することはない」
シャルは安堵の表情を浮かべ、胸を抑える。
「良かった」
「少し調べてもらっていただけだ。お前を延命させる助けにならないかと」
顔を上げて見つめてきたシャルに、ハンスは顔を歪ませた。
「すまん。婚礼には間に合わないかもしれない」
「いいの、そんなこと」
シャルは首を横に振る。
今のままでも、婚礼の日まで過ごすことに問題は無いのだから。
「さて、それで今回の結果はどうですか?」
話題を切り上げ、いつもの口調に戻ったハンスは、シャルの体を窺う。
シャルも目を閉じて体の状態に神経を集中した。全快には程遠いが、それでもいつもより幾分か治りが良い。
「いつもより良いみたい」
シャルの言葉にハンスも頷く。
「負担は大きいですが、玉緋様には次も手の込んだ料理に挑戦していただきましょう。食べられますか?」
「大丈夫よ」
笑顔を作るシャルだが、その表情は固い。意識を失う前の記憶を、思い出してしまったのだろう。
思わずハンスは苦笑した。
「俺がもう少し、教えるのが上手だったら良かったんですけど」
「あまり無理をさせては駄目よ、兄さん」
「分かっています」
笑い合う二人の耳に、足音が聞こえてくる。
「シャル、目が覚めたのね」
駆け付けた玉緋は、シャルに抱き付いた。
「ごめんなさい」
「玉緋様?」
謝る玉緋にシャルは戸惑う。
「私、自分の作った料理を食べた事はなくて。あなたに酷い物を食べさせていたのね。もっと練習して、美味しい料理を作れるようになるから」
「玉緋様、ありがとうございます」
シャルは玉緋の背中に手を回し、優しく撫でる。
「調子はどうだ?」
シャルの目覚めに気付いたゼノも、駆け付けたようだ。
玉緋から体を離したシャルはゼノに向き合う。
「いつもより治りが良いの」
「それは何よりだ。玉緋殿には感謝せねば」
「私がやりたくてやってるの。ゼノのためじゃないわ」
腰に手を当てた玉緋は、頬を膨らませて突っぱねる。その様子を見やり、ハンスはシャルにささやく。
「良い友人を得ましたね」
一瞬驚いた顔をしたシャルは、満面に笑みを浮かべた。
今生において、化け物と呼ばれ蔑まれてきたシャルには、友人と呼べる人間はほとんどいなかった。
くすぐったさと、嬉しさが、胸を満たす。
「はい」
はっきりと答えたシャルを、一同は眩しそうに見つめる。
「ちょうど良く揃ってるな」
そこへ現れたライは、ぐるりと居並ぶ顔を見回した。
「何かあったか?」
問うゼノにライは頷く。
ライがもたらす情報は、軍のものから個人的なものまで多岐に渡る。
いつもと変わらぬ軽い口調で、ライは話しだした。
「クルールの一行が、もうすぐ緋龍に着くと報せがありました」
「分かった」
ゼノはシャルに向き直る。一同の視線もシャルに集まっていた。
「またしばらく会えぬな。だが少しの間だ。その後はずっと一緒だ」
笑顔を浮かべようとしたシャルの顔が、少し歪んだ。そのわずかな変化が、不安や迷いが全て消えたわけではないと、ゼノに突きつけた。
それでもシャルは笑顔を見せる。ゼノもまた、応えるように笑む。
「行って来ます」
「ああ」
ゼノとシャルは見つめあい、互いの気持ちを確かめ合う。
「緋龍まで同行したいけど、どうせすぐ戻って来るのでしょうから、残って料理の腕をみがいとくわ。兄様達や姉妹達に、よろしく伝えといて」
「分かりました」
玉緋からの頼みを、シャルはしっかりと請け負う。
「俺も残ります。ちょっと用があるので」
ハンスの言葉に対しては、シャルは顔を曇らせた。
再び聖玉を手放してしまうのではないかと、不安になったのかもしれない。
シャルの心に気付いたハンスは苦笑する。
「大丈夫ですよ。知人に会いに行ってくるだけです」
「知人?」
「ええ、俺の師匠に」
「前職のか? 何する気だ?」
顔をしかめたライに、ハンスは苦く笑う。
「違いますよ、料理人です。小鳥ちゃんと殿下の婚礼の料理をお願いできないか、頼んでみようと思って」
セントーン国王は、ゼノとシャルの婚礼を認めたが、その儀式を王宮で執り行う事を拒んだ。
すでに王位継承権を放棄し、将軍として王宮を出ているゼノであるから、将軍として婚礼の儀式を執り仕切るようにとのお達しだった。
そうは言われても、ゼノがセントーン国の王子である事には変わりない。
将軍として婚礼を行うにしても、祝福の客は国の内外から大勢訪れるだろう。目も口も肥えた彼等を満足させる持て成しが必要だった。
将軍寮の料理人達は、町の料理人よりは格段に腕が良い。
だが王宮料理人にはもちろんだが、美食家や高位の貴族お抱えの料理人にも数段劣る。それではゼノの威信に傷を付けることになりかねない。
ハンスは彼等を指揮し、見栄え、味、形式、全てに於いて客を満足させる料理を創出しなければならない立場にあった。
「ほう。ハンスは料理の方も、王宮料理人に負けぬ腕前だと思っていたが。そなたが未だ師と仰ぐほどの料理人が存在するのか?」
「俺が勝手に思ってるだけですけどね。彼に比べたら俺なんてヒヨッコですよ」
「他国の者か?」
聞いたのは、セントーンの国民に、王宮料理人以上の腕を持つ者が存在するとは考えられなかったからだろう。
しかしハンスは首を横に振った。
「セントーンですよ」
「驚いたな。王宮以外にそれ程の腕の者がいるとは」
言葉のとおり、ゼノは目を丸くしている。
「王宮に勤めていた時期もありますよ? 今は野に下っていますが」
ハンスは目線を落とした。その苦し気な表情に気付き、シャルはそっとハンスの腕に触れる。
大丈夫と呟き、ハンスはもう一度ゼノの目を見つめる。
「あの人を超える料理人を、俺は知りません」
「冗談だろ?」
声を上げたのは、ライだった。驚く一同に、ハンスは笑う。
ゼノだけは思い当たる節があるのか、首を捻る。
「私が王宮にいた頃の料理長か?」
ハンスは静かに頷いた。
「ご存知なんですか?」
「私が幼い頃から王宮に勤めていた男だ。それが当たり前だと思っていたが、王宮から出るようになると、彼がずいぶんと優れた料理人であったと気付いた。味だけでは無く、気配りにも長けていたな」
ハンスは肯定する。
「あの人は職人ですよ。相手の嗜好はもちろん、その日の体調や心理状態、気候、あらゆる要素を吟味して、献立を組み立てる。食に関する知識も、幅広く深い」
「凄い人なのね」
玉緋も感心している。
「とは言っても、協力して頂けるかは、会ってみなければ分からないのですけどね」
「お前なら巧く言って連れてくるだろ?」
ライのどこか棘のある言い様に、ハンスは目を広げた。
「どうもライ大将は、俺をペテン師か何かと勘違いされている気がします」
「その通りだろうが」
「酷いですね」
ハンスとライのやりとりに、一同は笑い声を上げる。
幼子に言い聞かせるように、一つ一つ丁寧に言葉にしていく。
シャルは視線を泳がせた。
兄の言っている意味は理解できる。ハンスがシャルに対して向けてくれた愛情を、シャルとて気付かないわけではない。
それでも、シャルにとって兄は一人なのだ。
ハンスは目尻を柔らげると、微かに首肯した。
「分かっている。お前はいつもそうだった。肉体が替わるとすぐに気付く。だがシャル、ハンスはもちろん、風の民は皆、俺達の家族だ」
「風の民?」
「そうだ。ライやジル、小白の店員たち、他にも大勢いる。お前も俺も、二人切りの家族ではない。お前は俺と違って、王が復活する度に記憶が消えるから憶えていないだろうが」
微笑みながらハンスはシャルの頭を撫でる。
「でも、私の兄さんは兄さんだけだわ」
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笑みは消え、真剣な眼差しへと変わっていた。
「俺の聖玉が失われる事を心配しているのなら、取り越し苦労というやつだ。俺の聖玉が消滅することはない」
シャルは安堵の表情を浮かべ、胸を抑える。
「良かった」
「少し調べてもらっていただけだ。お前を延命させる助けにならないかと」
顔を上げて見つめてきたシャルに、ハンスは顔を歪ませた。
「すまん。婚礼には間に合わないかもしれない」
「いいの、そんなこと」
シャルは首を横に振る。
今のままでも、婚礼の日まで過ごすことに問題は無いのだから。
「さて、それで今回の結果はどうですか?」
話題を切り上げ、いつもの口調に戻ったハンスは、シャルの体を窺う。
シャルも目を閉じて体の状態に神経を集中した。全快には程遠いが、それでもいつもより幾分か治りが良い。
「いつもより良いみたい」
シャルの言葉にハンスも頷く。
「負担は大きいですが、玉緋様には次も手の込んだ料理に挑戦していただきましょう。食べられますか?」
「大丈夫よ」
笑顔を作るシャルだが、その表情は固い。意識を失う前の記憶を、思い出してしまったのだろう。
思わずハンスは苦笑した。
「俺がもう少し、教えるのが上手だったら良かったんですけど」
「あまり無理をさせては駄目よ、兄さん」
「分かっています」
笑い合う二人の耳に、足音が聞こえてくる。
「シャル、目が覚めたのね」
駆け付けた玉緋は、シャルに抱き付いた。
「ごめんなさい」
「玉緋様?」
謝る玉緋にシャルは戸惑う。
「私、自分の作った料理を食べた事はなくて。あなたに酷い物を食べさせていたのね。もっと練習して、美味しい料理を作れるようになるから」
「玉緋様、ありがとうございます」
シャルは玉緋の背中に手を回し、優しく撫でる。
「調子はどうだ?」
シャルの目覚めに気付いたゼノも、駆け付けたようだ。
玉緋から体を離したシャルはゼノに向き合う。
「いつもより治りが良いの」
「それは何よりだ。玉緋殿には感謝せねば」
「私がやりたくてやってるの。ゼノのためじゃないわ」
腰に手を当てた玉緋は、頬を膨らませて突っぱねる。その様子を見やり、ハンスはシャルにささやく。
「良い友人を得ましたね」
一瞬驚いた顔をしたシャルは、満面に笑みを浮かべた。
今生において、化け物と呼ばれ蔑まれてきたシャルには、友人と呼べる人間はほとんどいなかった。
くすぐったさと、嬉しさが、胸を満たす。
「はい」
はっきりと答えたシャルを、一同は眩しそうに見つめる。
「ちょうど良く揃ってるな」
そこへ現れたライは、ぐるりと居並ぶ顔を見回した。
「何かあったか?」
問うゼノにライは頷く。
ライがもたらす情報は、軍のものから個人的なものまで多岐に渡る。
いつもと変わらぬ軽い口調で、ライは話しだした。
「クルールの一行が、もうすぐ緋龍に着くと報せがありました」
「分かった」
ゼノはシャルに向き直る。一同の視線もシャルに集まっていた。
「またしばらく会えぬな。だが少しの間だ。その後はずっと一緒だ」
笑顔を浮かべようとしたシャルの顔が、少し歪んだ。そのわずかな変化が、不安や迷いが全て消えたわけではないと、ゼノに突きつけた。
それでもシャルは笑顔を見せる。ゼノもまた、応えるように笑む。
「行って来ます」
「ああ」
ゼノとシャルは見つめあい、互いの気持ちを確かめ合う。
「緋龍まで同行したいけど、どうせすぐ戻って来るのでしょうから、残って料理の腕をみがいとくわ。兄様達や姉妹達に、よろしく伝えといて」
「分かりました」
玉緋からの頼みを、シャルはしっかりと請け負う。
「俺も残ります。ちょっと用があるので」
ハンスの言葉に対しては、シャルは顔を曇らせた。
再び聖玉を手放してしまうのではないかと、不安になったのかもしれない。
シャルの心に気付いたハンスは苦笑する。
「大丈夫ですよ。知人に会いに行ってくるだけです」
「知人?」
「ええ、俺の師匠に」
「前職のか? 何する気だ?」
顔をしかめたライに、ハンスは苦く笑う。
「違いますよ、料理人です。小鳥ちゃんと殿下の婚礼の料理をお願いできないか、頼んでみようと思って」
セントーン国王は、ゼノとシャルの婚礼を認めたが、その儀式を王宮で執り行う事を拒んだ。
すでに王位継承権を放棄し、将軍として王宮を出ているゼノであるから、将軍として婚礼の儀式を執り仕切るようにとのお達しだった。
そうは言われても、ゼノがセントーン国の王子である事には変わりない。
将軍として婚礼を行うにしても、祝福の客は国の内外から大勢訪れるだろう。目も口も肥えた彼等を満足させる持て成しが必要だった。
将軍寮の料理人達は、町の料理人よりは格段に腕が良い。
だが王宮料理人にはもちろんだが、美食家や高位の貴族お抱えの料理人にも数段劣る。それではゼノの威信に傷を付けることになりかねない。
ハンスは彼等を指揮し、見栄え、味、形式、全てに於いて客を満足させる料理を創出しなければならない立場にあった。
「ほう。ハンスは料理の方も、王宮料理人に負けぬ腕前だと思っていたが。そなたが未だ師と仰ぐほどの料理人が存在するのか?」
「俺が勝手に思ってるだけですけどね。彼に比べたら俺なんてヒヨッコですよ」
「他国の者か?」
聞いたのは、セントーンの国民に、王宮料理人以上の腕を持つ者が存在するとは考えられなかったからだろう。
しかしハンスは首を横に振った。
「セントーンですよ」
「驚いたな。王宮以外にそれ程の腕の者がいるとは」
言葉のとおり、ゼノは目を丸くしている。
「王宮に勤めていた時期もありますよ? 今は野に下っていますが」
ハンスは目線を落とした。その苦し気な表情に気付き、シャルはそっとハンスの腕に触れる。
大丈夫と呟き、ハンスはもう一度ゼノの目を見つめる。
「あの人を超える料理人を、俺は知りません」
「冗談だろ?」
声を上げたのは、ライだった。驚く一同に、ハンスは笑う。
ゼノだけは思い当たる節があるのか、首を捻る。
「私が王宮にいた頃の料理長か?」
ハンスは静かに頷いた。
「ご存知なんですか?」
「私が幼い頃から王宮に勤めていた男だ。それが当たり前だと思っていたが、王宮から出るようになると、彼がずいぶんと優れた料理人であったと気付いた。味だけでは無く、気配りにも長けていたな」
ハンスは肯定する。
「あの人は職人ですよ。相手の嗜好はもちろん、その日の体調や心理状態、気候、あらゆる要素を吟味して、献立を組み立てる。食に関する知識も、幅広く深い」
「凄い人なのね」
玉緋も感心している。
「とは言っても、協力して頂けるかは、会ってみなければ分からないのですけどね」
「お前なら巧く言って連れてくるだろ?」
ライのどこか棘のある言い様に、ハンスは目を広げた。
「どうもライ大将は、俺をペテン師か何かと勘違いされている気がします」
「その通りだろうが」
「酷いですね」
ハンスとライのやりとりに、一同は笑い声を上げる。
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