続・聖玉を継ぐ者

しろ卯

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52.翌朝、軍の宿舎を出ていくゼノを

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 翌朝、軍の宿舎を出ていくゼノを、蓮緋が呼び止めた。

「私も同行させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「しかし」
「二人切りにはならない方が、よろしいのでは? それに失礼ながら、ゼノ王子は女性の扱いがあまり上手くはない御様子」

 これからエリザの元へ行くことは、すでに察せられている。
 ここまで拗らせてしまったのだ。指摘されたゼノに、反論の余地は無い。

「では御願い致しましょう」
「承知しましたわ」

 微笑む蓮緋は、どこか気迫を感じた。
 ゼノが帰って来たと聞き、エリザは急ぎ着替え、出迎えた。

「お戻り御待ちしておりました、ゼノ様」

 嬉しさに頬は朱に染まり、笑みが溢れている。

「うむ、お前と話をせねばと思ってな」

 しかしゼノは、エリザと視線を合わすことさえない。その態度の冷たさに、エリザの表情が曇る。
 気落ちしたエリザは、蓮緋の存在に気付いた。

「そちらは?」
「私の事はお気になさらないでください。嫁入り前の令嬢が男性と二人切りにならぬよう、同行させて頂いただけですから」

 悠然と微笑んで返した蓮緋を前に、エリザの心に火が灯る。

「そういう事でしたら、気遣いは無用です。私とゼノ様はすでに婚約している身ですから」

 胸を張り、堂々と同席を拒否した。

「あら、ゼノ王子からは、貴女との縁談は御断りしたと伺っていますが?」
「それは」

 胸を刺す切り返しに言い淀んだエリザだが、すぐに気を引き締めると、眦を吊り上げて蓮緋を正面から見据える。

「王族貴族の婚姻は、両家の主が決めることは良くある事です。当事者である令嬢と令息に、これを覆す権利は有りません」

 貴族令嬢としての矜持を、きっぱりと言葉にした。
 対して蓮緋は驚いたように目を丸くする。
 その芝居がかった所作に、エリザは不快感を覚えた。だが己の言葉に間違いは無いと、自分よりも背の低い女を見下ろした。

「あら、エリザ様はゼノ王子の事を、慕ってらっしゃると伺っていたのですけれども、聞き間違いだったのかしら?」

 蓮緋は頬に片手を添え、小首を傾げてみせる。
 エリザの眉が、ぴくりと動いた。

「私はお慕い申し上げておりますし、こたびの婚姻は、身に余る光栄と喜んでいます」
「そうなの? ではエリザ様は、御自分の気持ちさえ通れば、愛する方が苦しんでいても平気なのね」

 声を荒げるエリザに対して、蓮緋はおっとりとした口調で、辛らつな言葉を放つ。
 エリザの気持ちはどうあれ、ゼノを寮から追い出し、不遇を強いていることは、誰が見ても疑いようの無い事実である。もちろん、実際にはそれだけではないのだが。
 蓮緋の的を射た指摘に、エリザは顔を紅潮させた。

「無礼者、言わせておけば」

 振り上げたエリザの腕を、ゼノがつかんだ。

「やめよ、エリザ」
「ですがゼノ様」

 なおも蓮緋を睨みつけるエリザから蓮緋を庇うように、ゼノは二人の間に立った。
 エリザの手を離したゼノは、息を吐く。

「私の気持ちがそなたに向かう事は無い。そなたと夫婦になるつもりもない。家に帰るのが辛いならば、そなたの身分に合った者を探すと、約束もしよう」

 ゼノの言葉に、エリザはまぶたを落とし、体を震わせる。

「何故ですか? 私はこれほどお慕い申し上げております。何故、私ではいけないのですか? お気に召さない点があれば、仰ってください。必ず直すと誓います」

 涙を流してエリザは懇願した。
 その姿を憐れむように見ながらも、ゼノの心がなびくことは無い。

「エリザ、私はお前に不満がある訳ではない。私は誰もめとる気はないのだ」

 静かにゼノが告げれば、エリザは弾けるように縋り付く。
 自身の胸を握りこむように手を当て、涙に揺れる瞳で、必死にゼノを見つめる。

「御不満がないのでしたら、御側に置いてください。愛してくださらなくとも構いません。必ずお役に立ちます。軍にいた時のように」
「あら、それなら無理ね」

 冷や水を浴びせるように、淡々と口を挟んだ蓮緋を、エリザはきつく睨む。
 その視線に怯えることもなく、蓮緋は微笑んだ。

「軍人達に聞きましたわ。エリザ様は、高貴な出自ゆえの大将。ライ様と違って、さしてお役には立っていなかったようですもの」

 憐れむような視線まで向けられて、エリザの怒りが燃え上がる。

「何を言う? 役に立たぬのは、成り上がり者のあの男の方。口ばかり達者で、さぼってばかり」
「それは貴女に、ライ様への偏見がおありだから、そう見えていたのでは有りませんか?」

 眉間に皺を寄せ、駄々をこねる子供を諭すように、蓮緋はエリザを見る。
 その目は公爵家の令嬢であるエリザを敬うどころか、見下ろしていた。

「言わせておけば」

 血走る目を吊り上げ、拳をわななかせて、エリザは蓮緋を睨み据える。その左手が、無意識に腰へと動き始めた。
 触れるべきはずのものが無いと気付いたエリザは、わずかに動揺するが、右手に石力を込め始める。
 それを見て取り、ゼノが動き出そうとした直前に、蓮緋の声が響いた。

「私、貴女のような身分を笠に着たような者は、大嫌いですの。ゼノ王子が心をお寄せにならないのも、仕方ありませんわ」

 それまでの蓮緋とは明らかに違う、感情の一切を捨てた、ひどく冷たい声だった。

「おのれ」

 怒りに体を震わせたエリザは、右手に土の剣を作り出した。
 振りかぶるなり、蓮緋に向かって振り落とす。

「あ、ああ……」

 土の剣が落ちたのは、蓮緋の頭上では無く、蓮緋を庇ったゼノの腕だった。
 剣はゼノの腕に食い込み、血が滴り落ちていく。
 エリザは歯が噛み合わぬ程に震えた。

「そんな、私、私は……」

 重心を失って、よろめいたエリザの手から離れた剣は、土となって床を汚した。

「ゼノ王子、とりあえずは血止めを」

 蓮緋は裂を取りだすと、慣れた手つきで傷に当てて縛る。それからエリザに一瞥もくれることなく、

「私たちはそろそろ御暇いたしましょう?」

 と、ゼノを促がした。
 ゼノは頷くと、両手で顔を覆っているエリザに向き直る。

「許せ、エリザ。もっと早くにお前の想いに気付き、除隊させるべきだった」

 エリザの体が一瞬動きを止めたが、ゼノはそのまま立ち去った。

「エリザ嬢から御目をお離しになりませぬように」
「分かりました」

 ゼノにだけ聞こえるよう、蓮緋はそっと告げた。
 意を汲んだゼノは、寮から出る前に、執事に命じて手配させた。

 エリザが自害を謀ったと報せがあったのは、その翌日の事だった。
 見張らせていた軍人が妨害したために、然したる傷とはならず、手当ても迅速であったため、将軍寮より外に漏れる事はなかった。けれど流石に、エリザの両親には報せた。
 父母は泣いてエリザを説得し、家へと連れ帰ったという。

 そして更に十日後、ゼノは久し振りに将軍寮の自室へと戻った。
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