歩夢さん

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大御神

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12月30日。

一年で最も忙しない時期かもしれない。



朝の支度を終え、いつものように紅白の装束で自室を出る。御本尊のすぐ西側にあるこの小さな建物を出て、拝殿に入る。

明日の晩から初詣で賑わうだろう境内は、ここの神様に仕える者達が走り回っていて、いつもよりも空気が乱れている気がする。
この状況はあまり良くない。

近くを通る自分と似た格好をする巫女に声をかけた。
迷惑そうにこちらを見る。当たり前だが私よりかなり年上だ。

「少し落ち着かせてください。この様子では大御神をお迎えできません。」

その女性は少し顔をしかめる。

「失礼いたしました、大巫女様。気をつけるよう申し付けておきます。」

少し語気を強めて言われたが、いつもの事だ。
私が何を思われどう扱われようと、大御神がご機嫌を損ねることは何としても防がなければならないのだから。

それが私の使命なのだから。

私が幣殿の前に正座をすると、拝殿の掃除をしていた人たちが足速に去っていった。

私は本殿に向けて一礼した。手に細いロウソクを持つ。私が知る限り、消えた事ないその大きな蝋燭の火を手持ちのロウソクに移し、幣殿に置かれる全てのロウソクに火を灯す。

LEDが普及する現代にこの光はあまりにも小さく、暗く見える。


正面に赤い階段、その奥に両開きの厳かな扉がある。例祭の日や参拝料を包んだ人が来た時に開かれ、そこで御神体、つまりは大御神がお姿をお見せするのだ。


そして私はそこを開くことを唯一許された人間だ。


先ほどは例祭の日と言ったが、私は毎朝この扉を開けている。大御神のお部屋に入るために。

その階段を登り錠前を外し、扉を開ける。
入ったところには、天窓のついた高い天井と檜の壁、漆塗りの床の広い部屋があり、天窓の真下に鎮座した椅子には何も置かれていない。

天窓からの光しかないこの部屋は、椅子のところだけ白く光る。


そのいつもの光景を認めて、振り返り扉を閉める。

椅子の横を通り過ぎ奥の壁にかけられた黒いカーテンの前に正座した。この布の向こうには赤い扉とそれに続く部屋がある。


「おはようございます、大御神。朔でございます。」


なんの返事もない。

立ち上がり、また違う鍵でその赤い扉を開く。

御開帳の時使われる部屋とは違い、畳の部屋が広がる。

奥の一段高くなった所との境には白い薄布が天井から掛けられ奥をはっきりと伺うことは出来ない。


その薄布の先、さらに奥にカーテンで仕切られた空間がある。その中に同じような薄布で囲われた寝台がある。天蓋付きベッドと言えば伝わるかもしれない。


私は和室の端まで行き、布をどけて段を上がり、カーテンの端の部分から中に声をかける。


「大御神、朝でございます。」


この部屋は大御神のプライベートスペース。

さらにカーテンの向こう側。

寝台と二つの蝋燭しかない空間。


私と大御神のみが入れるこの空間だ。


「ん、朔…入ってこい。」


恐らくまだ布団の中にいるのだろう。
くぐもった私を呼ぶ声に従い、カーテンの端を手で避けてその空間に入る。


「おはようございます、大御神。」


「うん。」


ベッドから覗く綺麗な顔を見る。
その顔を見られるのが自分しかいないことを密かに嬉しく思う。

蝋燭に近くのマッチを使って火をつけ小窓を開ける。
少し明るくなった。

最後の一つの小窓を開けようと少し背伸びした後ろから


「朔、」


と呼ばれる。

「はい?」

手を止めて向き直るが、

「……何でもない。」



といつも答える。
毎朝繰り返されるこれはなんだろう?

私を呼ぶけど要件は必ず「何でもない」。

何か伝えたいことでもあるのだろうか。


「湯浴みの準備をして参ります。」


カーテンの仕切りから畳の間に戻る。
部屋の端に桐箪笥などが置かれる場所があり、そこから湯浴みの時に使う手拭いや肌着などを風呂敷に包む。

その間に大御神があの空間からお姿を見せ、私がいる所と反対側にあるソファーにお座りになった。


「朔、今日の予定は?」


風呂敷を置いて大御神の方へ向き、三つ指をつき頭を下げる。

「本日は日曜日の御開帳が9時より予定されております。終了は12時です。一般御祈祷が入る可能性もあります。14時より株式会社OTMの木村会長のご祈祷がございます。終了は14時40分です。15時より神奈川の分祀へ出発、17時より特別御開帳となっており終了は18時です。18時30分より本社へ出発、到着は20時を予定しています。以上です。」


「うん。分かった。」


そう仰って立ち上がる。

私の手から風呂敷を受け取ると、行ってくるね、と言って部屋を出ていかれた。





大御神が部屋に戻ってから、一段高い薄布の仕切りの中で食事となる。

本堂の扉の前に朝食が供えられているので、それを取りに行く。
奈良や平安の時代を思わせる食事を大きな盆に載せて運び、大御神の前に並べる。


「うん。ありがとう。」


そう言ってお食事を始められた大御神から離れ、薄布の仕切られた場所から一段低い所に降り、壁を背に正座をして待つ。


大御神は誰かと食事をしない。


人間という不浄な生き物と共に何かをすることなど、決してあってはいけない。






そんな神に仕える者も、結婚する者も、皆昔から決まっている。


大御神は3代に一度ご誕生する。

前大御神は現大御神の曾祖父にあたり、祖父、父は大御神では無いが、神聖な人として生涯過ごされる。


大御神は明らかに人と違う。

白髪に金色の瞳と切れ長な目、高い鼻に真っ白な肌、そして190cm近くある細身の身体。それは日本人にない特徴なのに、日本の神である事が何も言わずとも伝わる。

そしてその能力は神としか言いようのないモノで、
大御神のその金色の瞳には全ての真理が見え、
大御神のその詞に従えば必ず成功する。
そう言い伝えられ崇められてきた。
その詞を伝えるのが私の役目だ。



その大御神の家と同じ時期に、西に社殿を構えるある神社に女神が産まれる。
その女神は大御神と結ばれ、その子孫を残すために産まれる。
そしてその力は、女神が祈祷すれば必ず安産になり、女神の言うことを破れば必ず不幸になる、というもの。


今現在西には大御神より三つ年上の女神がいる。

月に一度、末日に東の大御神の下へ参上なさり、翌月一日への夜を共にされるのだ。




一方で私の家は大御神の家が始まった時から代々巫女として仕えている家柄。大御神に仕える巫女を大巫女と呼ぶ。
大御神と同じ代に産まれた私は必然的に大巫女となる。

唯一、大御神の声を聞くものとして。

世の不浄から絶った生活を幼い頃から送り、大御神に仕えるためだけに育てられてきた。



大御神は13歳をすぎると人と会わなくなる。
神としての成長に悪影響を及ぼすからという言い伝えを守っているからだ。

その時唯一会うことを許され、身の回りの世話を出来るのは大巫女、ただ一人である。
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