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第3話【デリートマン始動①】

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「お疲れさまです。お先に失礼します。」

「おうお疲れ!田坂、この週末空いてるか?久しぶりにどうだ?」

右手でグラスを傾ける素振りを見せながら新藤が言う。

「いいですね。行きましょう。」

「じゃあ、金曜空けておいてくれ。国重部長にも声をかけておくよ。」

「よろしくおねがいします。では、失礼します。」

「おう!」

デリートサイトで藤木を消してから1か月が経とうとしていた。そしてこの1か月で、藤木が存在しない歴史、つまり今の状況がわかってきた。

まず、大阪の支社でもおれの知らない人が増えていた。大阪にいた頃、「おれの入社前に藤木が原因で辞めた人がかなりいた」という話を聞いていたので、藤木起因の退職者が退職せずに残ったのかもしれない。

また、現在の上司、国重の存在だが入社は10年前だった。おれよりも5年前ということになる。10年前、会社の主力システム製品が競合他社製品にほぼ食われそうになり、かなり危ないところまで会社が追い込またのだが、その窮地を救ったのがこの国重ということだった。

その時の他社製品は、機能はほぼうちの製品と同じだったが、価格をうちの半分程度に設定したそうだ。そして軒並み顧客を取っていかれそうになっていた。

藤木を消す前におれが聞いていた話では、この時、うちの会社が取った対応は、これまでの主力製品を捨て、他の分野のシステム製品を主力製品として売り出すことだった。そして、そのシステムというのが藤木がいた時におれがメインで売っていた基幹システムだった。

藤木はその時、

「うちの会社のやつ半分くらい辞めさせて、製品の価格を競合より下げたらええねん。」

と無茶苦茶なことを言っていたらしい。

おれにもよく

「逃げて逃げて、逃げて生き残ってる会社なんや、うちは」

と言っていたものだ。

しかし、藤木の存在しない現在の対応は違っていた。10年前、国重は競合他社、そして自社の人間ですら思い付かない付加価値を考え、製品の価格を下げずに見事にこの窮地を救った。

そして、同時に基幹システムの売上も伸ばしていった。売上が藤木がいた頃の3倍になるはずだ。

おれはこの1ヶ月で国重という男に惚れ込んでしまっていた。

これほどまでに部下のことをよく見ている上司は初めてだった。そして、自分に厳しい男だった。どんなことでも責任は絶対に自分。部下のミスでも自分を責めた。

フォローもしてくれるが、ミスについてもしっかり指導してくれた。そして一緒に汗をかいてくれる。

「この人についていこう」

そう思うに相応しい上司だった。


あれから1か月、デリートサイトは立ち上がってこない。

(もう人は消さない)

そう決めていた。そう決めていたが、最近考えることがあった。


(もしかすると、藤木が存在しない今の方が、良い世界なのではないか?オレは、良いことをしたのではないか?)


はじめは、藤木を消したことに罪悪感しかなかった。藤木に対して申し訳ない気持ちしかなかった。しかし、自分の見える範囲だけで考えると明らかに今の方が良い世界になっている。

国重に出会えたこと、会社の業績が伸びていること、小島を始めとする退職者たちが、会社を辞めずに前向きに明るく仕事していること、全てが良い方向に動いていた。

もちろん、見えない部分はわからない。藤木の子供も存在しなくなっている。もし、藤木の子供が将来ガンの特効薬を開発し、どんなガンでも治る薬を開発する未来があったらなら、オレはとんでもないことをしてしまっている。

でも、そう思っても、自分の周りが好転している状況を見ると、ふとこう思ってしまう。

(藤木はいらない人間だったのではないのか?)

そんな人間はいないと思っていた。この世に生まれて来て必要とされない人間なんていないと思っていた。

(でも。。。もしかしたら。。。)

そんなことを考えながら家に帰り、玄関を開ける。

奥から光が漏れていた。寝室からだ。電気を消し忘れているわけでもない。

(まさか)

電気をつけて寝室に行ってみる。

(もう、立ち上がらへんと思ってたんやけどな)

立ち上がったノートパソコンにはデリートサイトが表示されていた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(こんなはずじゃなかった)

最近、そう思う日が増えたな。堀越京子ほりこしきょうこはそう感じていた。

「京子って、完璧に勝ち組だね!」

「本当、羨ましい」

「旦那さん、あの有名なIT企業の幹部だもんねー」

「そうそう、お金もあってイケメンだし、何の不安もないでしょ?」

「もう一生働かなくていいんだもんなー。いいなー、私の旦那なんて…」

友人たちは口々にそう言ってくれる。周りから見れば順風満帆なセレブ妻に見えるのだろう。でも、その言葉を聞くたびに

(あなたたちは何もわかってない)

そう思ってしまう。
確かに、望んだ結婚だった。故郷の田舎から東京に出てくるとき、

(絶対に成功してやる。)

そう思っていた。こんな田舎で一生を過ごすなんて、絶対に嫌だった。大学進学時、

「東京に行かせてほしい」

そう両親にお願いした。初めは猛反対だった。しかし、京子にも譲れない思いがあった。そして、

「国公立大学に進む」

という条件で両親の許可を得た。それからは死に物狂いで勉強した。周りから聞こえてくる、
「誰と誰が付き合ってる」
という話に興味などなかったし、そんなことで盛り上がっている周りがバカに見えた。
努力の末、全国の誰もが知っているような大学ではなかったが、東京の国立大学に合格することができた。両親は「おめでとう」と言ってくれた。本心かどうかはわからなかったが、素直にうれしかった。自分の周りにも東京など、都会に出る人たちはいたが、

(あなたたちは田舎が嫌で何となく都会に出るだけ、私は違う、私は絶対に東京でそれなりの地位を築く。完璧な都会の人間になって、もうこんな田舎には帰ってこない。あなたたちが羨むような存在に私はなる)

そういう強い思いが京子にはあった。そのため東京に出てからも、受験のときと同じくらい勉強した。美容についても勉強し、食べたいものだって食べずに我慢した。それくらい必死になったから、キレイにもなれた。

(思い描いている人生では私は、容姿端麗で頭がよくないといけない)

そう信じて疑わなかった。
そして今…
まさにそうなっているはずだった。8年前、28歳で結婚した時、久しぶりに地元に帰った。そのとき、地元の友人は女優を見るような眼で自分を見た。今は東京の人間からも羨ましがられるほどになった。
でも、実際はどうだろう。京子より7つ上の旦那は京子のことを妻、また、女として見てくれなかった。それが、これほどつらいことだと京子は思わなかった。

(私は彼の身につけているブランド品や、乗っている高級車と同じだ)

京子はそう思っていた。

「いつもキレイでいろ」
「少し太ったんじゃないのか?」

彼から発せられる言葉はそんなものばかりだ。京子が彼の隣にいて、

「キレイな奥様ですね」

そう言われることだけが彼にとって自分の存在理由だと思った。もちろん、彼は子供だってほしがらなかった。

(私が彼の横にいることで、彼の価値はどれくらい上がるのだろう)

彼の横にいるといつも考える。きっと自分が他の誰かに抱かれても、

(他の誰かが自分の車をちょっと運転した)

そんな程度にしか思わないのではないだろうか?本気でそんな気がした。付き合っているときから愛情の薄さは感じていた。それでも、結婚を決めた理由は

「思い描いていた東京の生活」

その実現のためだった。

(思い描いていた夢の東京生活か)

旦那の帰る時間に合わせてお風呂の準備をし、帰りを待つ。旦那が帰ってきた後は、お風呂に入っている間にご飯の用意をする。ご飯の前に明日の予定を聞き、旦那が必要なものを準備をする。時間ができたら晩酌に付き合う。もちろん、会話なんてほとんどない。
旦那が外食してくるか出張でもない限り、毎日、同じだ。

(毎日同じDVDを見ているみたいだ)

最近、京子はなぜか客観的に旦那と自分の光景が見られるようになっていて、そう感じるようになっていた。

(こんなはずじゃなかった)

また、そう思ってしまっていた。

(あのとき、やっぱりあのとき…)

京子は、すんなりと今の結婚を決めた訳ではなかった。一度だけ、本気で悩んだことがあった。それは、結婚前に付き合っていた彼との結婚だった。
東京に出てから、何人かの男性と付き合った。そしてその相手は、例外なく容姿が良く、将来有望そうな男性だった。自分の理想の男性。しかし、どれも長くは続かなかった。京子が選んだ相手は、上辺だけのカッコよさで、中身のない男ばかりだった。

(自分には男を見る目がない)

そう思っていたとき、一人の男性と東京で再開した。地元の同級生だった木岡裕也という男だった。京子には、彼も地元にいるときとは違い、立派に都会に馴染んでいるようにみえた。
それから、彼と頻繁に食事に行くようになった。彼が大阪の大学に進んだこと。就職が東京で決まり、卒業と同時に東京へ出てきていたことなどを聞いて、自分も東京に出てきてからのことなどを話した。
都会に出てきて驚いたことなど、彼とは共通点が多かったので話していて楽しかった。なにより、自分を飾らないでいれることが楽だった。
その後、私たちがただの同級生という関係でなくなるのに、さほど時間はかからなかった。
彼と付き合い出してから、彼が学生時代を過ごした大阪にもよくいった。そのたびに彼は、大学時代の友人や後輩たちにも私を紹介してくれた。
みんな私のことを「京子ちゃん」や「京子さん」と言ってくれ、昔からの知り合いのように接してくれた。嬉しかった。そして、みんなから慕われる彼をみて、

(今の彼以外に結婚相手はいない)

そう思っていた。京子たちが付き合い始めて1年が経とうとしていた。お互い27歳になっていたし、彼も京子も結婚を真剣に考え出していた。
そんなときだった、今の旦那となる、堀越信也ほりこししんやと出会ったのは。京子は当時、出版社に勤めていた。担当している雑誌で、「IT関連企業特集」のようなものがあり、そのときの取材で堀越と出会った。
ベンチャー形式で始めたその企業は、10年で誰もが知る日本のIT企業にまで成長していた。その立ち上げメンバーの一人が堀越信也だった。取材を進めていくうちに心を許してくれるようになり、彼は、私生活までも取材させてくれた。
そこには、京子の思い描いていた世界があった。田舎から東京に出てくるとき、想像した東京での生活。まさにそれだった。
堀越の取材を初めてから、木岡が凄くちっぽけな男に見えてきた。

(私の理想、それはこの人じゃない)

日に日にそう思うようになり、木岡から心がどんどん離れていった。

(私は堀越さんのような人と結婚するために、死に物狂いで努力して東京に出てきたんだ。自分を見失うな)

そう思うようになっていた。そして数ヶ月後、堀越の高層マンションで都心の夜景を見降ろしながら、

「結婚を前提に付き合ってほしい」

という彼からの提案に、うなずいている京子がいた。
こうして、同郷の木岡と別れ、その半年後、今の旦那との結婚することになるのだが、このときの自分の決断を、今でも後悔している。それともうひとつ、後悔する大きな理由があった。
ちょうど2年くらい前だ。街で偶然、木岡の大学時代の後輩を見たのだ。その彼は後輩の中でも一番木岡を慕っており、仕事で東京にきたときなどは必ず木岡と私のところを訪ねてきてくれたので、彼のことはよく覚えていた。

「田坂くん」

気づくと声をかけていた。驚いて振り返ったその顔は私の記憶のそれよりも大人になっていたが、間違いなく木岡の後輩、田坂だった。

「京…子…さん?」

そう言って私の顔を見る。田坂の顔を見ると、木岡と過ごした日々が鮮明に蘇ってきた。

「ゆうくん、元気かな?」

自分が捨ててしまった男、田坂の大好きな先輩のことを尋ねた。もちろん、田坂も私と木岡のことは知っているだろう。でも、聞かずにはいられなかった。せめて今、木岡には幸せでいてほしかった。
しかし、田坂の口から発せられた言葉は想像もしないものだった。木岡は私と別れて以来、精神的に不安定な状態が続き、今は重度のうつ病で入院中とのことだった。
田坂は詳細な原因は不明だと言ったが、京子は自分のことが無関係だとはとても思えなかった。田坂は京子を責めなかったが、逆にそれが、京子の罪悪感を募らせた。
病院を聞こうとしたが、聞けなかった。

(彼のところへ行って何と言うのだ。
「あなたを選ばなかったことを後悔している」
そんなことを今さら彼に言って、何になるのだ)

そう思ったが、京子はその時田坂と連絡先を交換した。自分と別れてからの木岡の様子を聞いておきたかった。そんなこと、今となってはなんの意味もないことだとわかっているが、木岡を壊してしまったのは自分だ。そのことだけはしっかりと認識しておかなければいけないと思った。罪を償えないなら、一生背負って生きていかなければいけない。そう思った。
田坂は、転勤で東京に出てきたということだった。正式な期間はわからないが、1年や2年という短い期間ではないということだったので、
「また連絡する」
とだけ伝え、そのときはそれ以上田坂と話をしなかった。
あれから2年、田坂には連絡できていない。

(いつかしよう、いつかしよう)

と思っているうちに2年が経過していた。

(2年か…何が罪を償って生きていくだ。大した決意だな)

自分のことが嫌になった。

(田坂くん、まだ東京にいるかな)

そんなことを考えているとき、玄関のドアが開く音がした。旦那が帰ってくる。誰かがDVDの再生ボタンを押すような感覚に襲われる。

「おかえりなさい」

そう言って玄関へ向かおうとしたとき、スマートフォンがメッセージの受信を知らせた。

(誰だろう)

そう思ってメッセージの差出人を確認した。そこには

「田坂智」

と表示されていた。京子は誰かが再生したDVDを慌てて止めた。


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