上 下
37 / 63

26・脱走

しおりを挟む

 ティネ殿下が脱走した・・・・と聞いたのは、それからほどなくのことだった。
 ティネ殿下はあの夜会の後から謹慎を申し付けられていて、基本的には部屋から出る許可が下りていなかった。
 勿論、食事や他、最低限の外出・・は許されてはいたようだが、当然自由に出歩けるわけもなく、常に監視を兼ねた兵士が数人、傍、あるいは部屋の外に待機していて、彼らに見張られている状態であったはずだ。
 ただ、婚姻式の準備に人手が割かれているのは変わらず、ティネ殿下の周囲も手薄になってはいただろう。そこを突かれたのか、ティネ殿下の脱走・・を許してしまったのだそうだ。
 それも一度ならず二度、三度と。ほとんど毎日のように行方をくらませているらしい。
 とは言え、見つかっていないだとか、捕まっていないだとかではなく、すぐに連れ戻されてはいるとのことではあるのだけれど。
 なお、誰か・・の手引きや関与が疑われるのだけれど、特定には至れていないのだとか。
 一応はとリア様が教えてくれ、また、

「イーフェの元まで来るとは思えないけど……何をしでかすかわからない。充分に気を付けるように」

 とも気遣われ、僕はただ首を縦に振ることしかできなかった。
 そもそも、今更ティネ殿下が僕の元を訪れるとも思えないし、関係がないと言えば関係がない。
 無暗に騒ぎが起きなければいいと願うばかりだ。
 女官の呟き・・も変わらない。
 否、内容に少し変化があっただろうか。

「もしこれがあの方であったなら……」

 などと、誰かと比べているらしい発言が増えたのである。

「あの方よりも長けておられませんのに……」

 だとか言われても、そもそも誰と比べられているのかはわからなかった。
 もしかしたらアレリディア嬢なのかもしれないし、他の誰かかもしれず。あるいは前王妃殿下を思い出しての発言である可能性もある。
 女官は妙齢に見えて、だけど聞く所によるとすでに長く王宮に勤めているとのこと、特に前王妃殿下の生前からだというのだから、きっと比べることもあることだろう。
 前王妃殿下が亡くなられてから王宮には、女官たちの仕えるべき主の代表とも言える存在が不在で、その間は仕え甲斐がなかったと言っていたのは確か他の女官だったけれど。
 それがほとんど10年ぶりぐらいに僕が王妃となったのだ。
 何か思われていたとしても不思議はなかった。
 とは言え、いずれにせよ、いい気分にならないのは確かで、だけどはっきりと明確に糾弾されているわけでもなく、独り言のように、だけど僕には聞こえるように。彼女しか僕の側にいない時に限って囁かれるだけ。
 誰かに相談した方がいいのだろうとは思いつつも、皆が忙しそうにしているのを見るにつけ、どうにも言い出し辛く、婚姻式が終わったら、と先延ばしにしている。
 そもそも、王宮内の全てに悪意がないとも思わない。
 僕が王妃であること自体、よく思っていない者はいるだろうともわかっている。
 きっとその中の一人がその女官だったのだろうと。
 何より、悪意が仄見える呟きを聞かせてくる以外で彼女の仕事そのものに特に落ち度が見当たらないようだからこそ余計に。
 意地悪をされているというわけでもなく、僕の世話を焼く彼女の仕事にわざとだと思われる不手際が混ざるわけでもない。
 例えば服を着るのを手伝ってくれたりなどする時にだって、他の侍女がそうしてくれるのと何も変わらず、敢えて言うならば、気安げな、柔らかな気遣いに満ちた雰囲気などがそこにないだけで。
 そしてそれは以前から変わらない部分であったがゆえに、やはり誰かに相談しづらいばかりなのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

義妹の嫌がらせで、子持ち男性と結婚する羽目になりました。義理の娘に嫌われることも覚悟していましたが、本当の家族を手に入れることができました。

石河 翠
ファンタジー
義母と義妹の嫌がらせにより、子持ち男性の元に嫁ぐことになった主人公。夫になる男性は、前妻が残した一人娘を可愛がっており、新しい子どもはいらないのだという。 実家を出ても、自分は家族を持つことなどできない。そう思っていた主人公だが、娘思いの男性と素直になれないわがままな義理の娘に好感を持ち、少しずつ距離を縮めていく。 そんなある日、死んだはずの前妻が屋敷に現れ、主人公を追い出そうとしてきた。前妻いわく、血の繋がった母親の方が、継母よりも価値があるのだという。主人公が言葉に詰まったその時……。 血の繋がらない母と娘が家族になるまでのお話。 この作品は、小説家になろうおよびエブリスタにも投稿しております。 扉絵は、管澤捻さまに描いていただきました。

【完結済】(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。

キノア9g
BL
完結済。騎士エリオット視点を含め全10話(エリオット視点2話と主人公視点8話構成) エロなし。騎士×妖精 ※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。 気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。 木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。 色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。 ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。 捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。 彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。 少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──? いいねありがとうございます!励みになります。

【完結】悪役令息の従者に転職しました

  *  
BL
暗殺者なのに無様な失敗で死にそうになった俺をたすけてくれたのは、BLゲームで、どのルートでも殺されて悲惨な最期を迎える悪役令息でした。 依頼人には死んだことにして、悪役令息の従者に転職しました。 皆でしあわせになるために、あるじと一緒にがんばるよ! 本編完結しました。 おまけのお話を更新したりします。

僕の策略は婚約者に通じるか

BL
侯爵令息✕伯爵令息。大好きな婚約者が「我慢、無駄、仮面」と話しているところを聞いてしまった。ああそれなら僕はいなくならねば。婚約は解消してもらって彼を自由にしてあげないと。すべてを忘れて逃げようと画策する話。 フリードリヒ・リーネント✕ユストゥス・バルテン ※他サイト投稿済です ※攻視点があります

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

謎の死を遂げる予定の我儘悪役令息ですが、義兄が離してくれません

柴傘
BL
ミーシャ・ルリアン、4歳。 父が連れてきた僕の義兄になる人を見た瞬間、突然前世の記憶を思い出した。 あれ、僕ってばBL小説の悪役令息じゃない? 前世での愛読書だったBL小説の悪役令息であるミーシャは、義兄である主人公を出会った頃から蛇蝎のように嫌いイジメを繰り返し最終的には謎の死を遂げる。 そんなの絶対に嫌だ!そう思ったけれど、なぜか僕は理性が非常によわよわで直ぐにキレてしまう困った体質だった。 「おまえもクビ!おまえもだ!あしたから顔をみせるなー!」 今日も今日とて理不尽な理由で使用人を解雇しまくり。けれどそんな僕を見ても、主人公はずっとニコニコしている。 「おはようミーシャ、今日も元気だね」 あまつさえ僕を抱き上げ頬擦りして、可愛い可愛いと連呼する。あれれ?お兄様、全然キャラ違くない? 義弟が色々な意味で可愛くて仕方ない溺愛執着攻め×怒りの沸点ド底辺理性よわよわショタ受け 9/2以降不定期更新

エロゲ世界のモブに転生したオレの一生のお願い!

たまむし
BL
大学受験に失敗して引きこもりニートになっていた湯島秋央は、二階の自室から転落して死んだ……はずが、直前までプレイしていたR18ゲームの世界に転移してしまった! せっかくの異世界なのに、アキオは主人公のイケメン騎士でもヒロインでもなく、ゲーム序盤で退場するモブになっていて、いきなり投獄されてしまう。 失意の中、アキオは自分の身体から大事なもの(ち●ちん)がなくなっていることに気付く。 「オレは大事なものを取り戻して、エロゲの世界で女の子とエッチなことをする!」 アキオは固い決意を胸に、獄中で知り合った男と協力して牢を抜け出し、冒険の旅に出る。 でも、なぜかお色気イベントは全部男相手に発生するし、モブのはずが世界の命運を変えるアイテムを手にしてしまう。 ちん●んと世界、男と女、どっちを選ぶ? どうする、アキオ!? 完結済み番外編、連載中続編があります。「ファタリタ物語」でタグ検索していただければ出てきますので、そちらもどうぞ! ※同一内容をムーンライトノベルズにも投稿しています※ pixivリクエストボックスでイメージイラストを依頼して描いていただきました。 https://www.pixiv.net/artworks/105819552

処理中です...