魔法使いの夏休み

きもとまさひこ

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「祭りに行って来な」とばあちゃんが言い、「そうだそうだ」とじいちゃんが賛成した。

十分ほど歩いた山の上に神社があり、今夜はその神社の祭りがある。小さい頃は祭りに合わせて親戚がこの家に集まって、子供たちは連れだって祭りに行ったものだ。お祭りだから特別だと言って祖父母から貰える小遣いが、とても嬉しかった。子供はどんなことでも「特別」が好きなのだ。

別に意識したわけではなかったのだが、今年この時期に帰省したのはその当時の癖が残っていたからなのかもしれない。もしかしたらユッカ姉も、当時のことを思い出しながら無意識に祭りの時期を狙って家出したのかもしれない。

小さな神社の祭りだったが、田舎のことなので他に娯楽がないし、敷地だけはやたらと広いので、参道から境内まで夜店がひしめき合うように出店され、半径十キロくらいの人々が集まってくる。規模だけならちょっとしたものだ。川原を使って花火も打ち上げられる。花火を見るには神社の境内が最適で、その中でも杜を分け入って抜けたところに、僕たちだけの絶好の花火見スポットがあった。当時は僕たち親戚の子供だけの秘密だったが、あの場所は今の世代の子供たちに発見され引き継がれているのだろうか。

祭りには沢山の思い出があった。

「どうする?」

ユッカ姉が聞く。

「じいちゃんとばあちゃんは行かないの?」

「あんな人混みになんか行ったら、疲れちまうよ。子供らで行っといで」

子供らって……。

「んー、でもお祭りって言っても浴衣とか持ってきてないしなあ」

「それなら恵美子が着ていたのがあるよ」

恵美子ってのは僕の母親のことだ。父は当時議員をしていた祖父の片腕だった人で、その娘を嫁に貰ったことになる。だから父は祖父に頭が上がらない……かと思いきや、根が剛気な人なので祖父の前でも大きな態度をしていた。

「あ、見たい見たい。恵美子おばさんの若い頃ってどんなだったの?」

祖母は押入の下の段の中身を手前から順番に取り出して、最後に奥の行李を引っ張りだした。

「若い頃ねえ。何というか元気が良いというか大ざっぱというか、そんな感じの子だったねえ。当時にしちゃ男勝りで、若宮さんとも良く喧嘩してたわねえ。まさかあの二人が結婚するなんて」

祖母が取り出したのは、白地に朝顔の柄が入った浴衣だった。

「あら、可愛いじゃない。私でも着れるかな」

「恵美子も有美香も同じくらい背が高いから、大丈夫だと思うけれど、それ、着てみなさい」

ユッカ姉は帯と浴衣を持って隣の部屋に行った。

「一人で着れるのかい?」

「大丈夫よ。任せて!」

そして十分ほどして襖が開いて、白と朝顔に包まれたユッカ姉が現れた。

僕は言葉を失なった。

「ユッカ姉……」

「どう?見とれちゃってる?」

「人妻が袖のある和服を着てもいいのか」

殴られた。

「振袖はもっと長いのを言うの。浴衣は違うのよ。それに私の心はいつでも十八歳!」

心の中ではとっても綺麗だと、似合っていると思っていたけれど、それを言うのは照れくさかったのだ。

流石に十八歳は無理があると思ったけれど。



笛と太鼓の音が徐々に近付いてきた。

隣りを歩くユッカ姉が何かにつまずいて転びそうになった。僕はあわてて腕を引っ張り上げる。草履に慣れていない上に、そろそろ辺りは暗くなっている。

ユッカ姉が僕の腕に捕まった。その手が少しずつ手首のほうに降りてきて、指と指が絡まりあい、僕らはいつのまにか手をつないでいた。ユッカ姉がどういう顔をしていたのかは分からない。僕は恥ずかしくてそっぽを向いていたからだ。

時々指を動かし、時々強く握る、そんな手の動きを僕は妙に艶めかしく感じてしまい、なんだか奇妙な歩き方になっていたような気がする。

僕の心の底を茶化すように、蝶々が僕らの間を抜けて飛んでいった。その後を追う風は、かすかに生暖かかった。

神社に向かう坂の上り口には、大きな鳥居が立っていて、そこが祭りという非日常空間への入り口であった。続々と人が集まって来ていた。

「すごい人ね」

「うん、そうだね。でもさ、小さい頃よりは人混みがすごいって感じしないな」

「それはあるかも。この鳥居だって、子供の時はものすごい高そうに思えたけれど、今見てみるとそれほどでもないもんね。登ろうと思えば登れそうなくらい」

「登る?!」

「例えばの話よ。いくらなんでも本当には登らないって」

いいや、ユッカ姉なら登りかねない。僕は浴衣のままで鳥居に登るユッカ姉を想像してみたが、恐ろしいことに容易に想像できてしまった。しかもものすごく楽しそうな顔をしていた。放っておいたら、この人は簡単にどこかに行ってしまいそうだ。

「ユッカ姉、勝手に離れたりしないでよ」

「大丈夫よ。今日の私は涼しげなお嬢様のイメージなんだから」

まあ確かに実年齢より五歳は若く見えるし、お嬢様っぽく見えないこともない。僕はそんなユッカ姉の手を握っていることを、なんとなく誇らしく思った。

でもそんなことを気にしているようには思えないユッカ姉は、ずんずんと進んで行ってしまう。そして時々自分の気になった店を見つけては、僕の手を引っぱって行くのだ。

飴細工、風船ヨーヨー、金魚すくい、綿飴にべっこう飴。商売になっているのかはなはだ疑問な七味唐辛子の屋台も興味深げに眺めていた。もちろん定番のたこ焼き、焼きそば、カルメ焼。

「ねえ、コウ君。カルメ焼って作ったことある?あれって結構難しいのよ。重曹を入れてもなかな膨らまないし、入れすぎると苦くなるし。膨らんだ状態で固めるには冷やすタイミングとか、難しいしね」

ユッカ姉は見る物見る物に手を出そうとしたので、僕はそれをいちいち止めなければならなかった。

「ユッカ姉、欲しいものは買う数を決めなきゃ駄目だよ。もう大人なんだから」

「何言ってるのよ。大人になった今だからこそ、欲しいものを好きなだけ買えるのよ。大人買いよ。大人の特権なのよ」

胸を張って宣言する。そしてまた新しい目標を見つけて走っていき、

「おじさん、カワウソ作ってよ、カワウソ」

飴細工のおじさんに無茶な注文をしていた。

「リアルに作ってね。中の人もいれてね」

「す、すいません。この人、冗談が好きなんです」

僕はユッカ姉を引っ張って、屋台の前から逃げ出した。

「ねえ、どうしたの?カワウソは天然記念物だから怒っているの?それとも、中の人なんかいないって言いたいの?」

そうじゃなくて。

まったくこの人は大人なんだか子供なんだか、さっぱり分からない。

いや違うな。自由なんだと思う。大人とか子供とか、そういう区別からも自由なんだ、きっと。それは何歳になっても変わることはないのだろう。羨ましいと思った。

「ユッカ姉?」

歩き出そうとしたけれど動かないユッカ姉を見て、僕はその顔をのぞき込んだ。ユッカ姉の視線の先はどこか遠くを見ている。驚いたような顔をしていた。その視線の先にあるものを見定めようと、首を回した時だった。

ユッカ姉が僕の手を振りほどいて走り出した。

突然のことで、僕はなすがままに任せ、その場で一分くらい立ちつくしていた。

あれ?と思い、ようやく事態に気が付く。ユッカ姉を追わなければならない。だけどその姿は人混みの先に消えてしまい、方向さえも分からない。

魔法を使おう。

僕は人差し指をくるりと回して念じた。

------ユッカ姉の行き先が分かりますように。

ふわと空気が動き、人の流れが変わった気がした。少し離れた場所であっという男の子の声がした。その子が持っていた風船が手を離れ、空へと飛んでいった。風船は風に流されて浮くよりも早く横に流されていく。

あっちか!

僕は風船が流された方角に走りだした。



目印は次々と現れていった。

倒れた灯籠、破れた提灯、規則的に並べられた小石、鋭角を描いた松の枝、明確な方向性を持って置かれた竹箒。

僕はこれらの目印を順番に追っていった。次第に人の量が少なくなり、境内の中でも暗いほうに向かっていた。社の一つの角を曲がったところで、ユッカ姉を見つけた。

ユッカ姉の前には三人くらいの男が首を揃えていた。見るからにガラの悪そうな連中だ。ユッカ姉の舎弟……なはずはない。僕は飛び出した。

「何してんだ!」

当然のことながら、男たちは舎弟などではなく、

「何だお前は。俺たちはこっちの姉ちゃんに用があるんだよ」

「用ってなんだよ」

「なあに、ちょっと俺たちと遊んで貰おうと思ってね」

「そうそう。年に一度の祭りなのに女が一人ってのは寂しそうだからな」

「ユッカ姉は一人じゃない。もう用はないだろ」

「ほう?お前はあれか、連れって奴か」

「そういうことだよ」

僕はユッカ姉の手をとって、その場を去ろうとした。男の一人が僕の肩を掴む。

「待てよ」

「なんだよ」

「お前がいなくなれば、姉ちゃんは一人ってことだな」

僕が反論する時間もなく、男は僕の右頬を殴った。

僕は拳を固めて、振りかぶった。空いた手の人差し指で円を描いて魔法を発動させる。

腕から手首を通じて拳の中心に念を込め、強烈な一撃を繰り出した。

魔法使いが負けるはずはないのだ。



ボコられた。

それはもう、見事なくらいにボコられた。

必殺の一撃は軽くかわされた。

結局それから十分くらい、僕は三人組に殴る蹴るの暴行を受け続け、やめてやめてと叫ぶユッカ姉の声を聞きつけた巡回中の警官に助けられたのだった。

そして今僕は、ユッカ姉の膝に頭を乗せて横たわっている。警官は三人組を追いかけていき、僕らは色々聞かれるのも嫌だったので、これ幸いと逃げてきた。

僕らは、境内の奥の森の中の空き地------幼い頃花火を見るための絶景スポットだった場所だ------にいる。周囲に人影はない。ここは相変わらず秘密の場所なのだ。

ユッカ姉は、「ごめんね」ばかりを繰り返していた。

「いいんだよ。それよりも、どうして突然走り出したのさ」

ユッカ姉は言い淀んだ。無事だったからまあ良いかと、僕は目を閉じる。そこにユッカ姉の声がこぼれ落ちてきた。

「……似ている人がいたの。彼に」

「彼って、旦那さん?」

「そう。それで、追いかけたのだけれど、近付いてみたら全然違ってた」

「それで?」

「バカみたいと思って戻ろうと思ったら、さっきの人たちに……」

バカなのは僕だって同じだと思う。僕らはいったい何を追いかけているのだろう。何を求めているのだろう。

僕は上体を起こし、額に置いてあったハンカチを取った。

ユッカ姉の手が近付いてきて、僕の首に巻き付く。そのまま身体を僕に預けてきた。

「本当、バカみたいね、私。もう嫌になっちゃった」

僕はその背中をそっと抱きしめた。この人がどうしてこんな思いをしなければならないのだろう。

だから僕は魔法を使うことにした。精一杯の力を込めて、精一杯の気持ちを込めて、精一杯の願いを込めて。

------この人が幸せになりますように。

心の底から念じた。

ユッカ姉と目が合った。寂しそうなその瞳が、ゆっくりと閉じられる。僕は出来るだけ優しく、ユッカ姉にキスをした。

一旦唇を離し、頬から首筋へと移動させる。耳元で切ない溜め息が聞こえた。僕は右手をユッカ姉の肩から胸元、背中へと動かし、帯の結び目に手をかける。

その時低い振動が伝わってきた。花火が始まったのだ。

赤や紫、黄緑色の花火が、僕らの頭上で広がっては消えていく。

七色の光に浮かび上がったユッカ姉の肌は、とても綺麗だった。

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