わたしのせんたく

七狗

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オレンジブロッサムの願い事

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 公園の中をゆっくりと歩いて、丁度以前朱音を含めて話をした広場の辺りまで近づいていくと、視界が開けたような場所に気分をよくしたのか、茅乃がはしゃぐように走り出して、笑い声を立てながらくるりと回っている。
 以前にもそんな風にして転びそうになっていたのに、と呆れながら幸喜が声をかけると、少し乱れた髪とスカートを撫でて直しながらの茅乃が、はにかみながら名前を呼んでいて。

「幸喜さん」
「ん?」
「前に、何でもひとつ聞くって言ってた話、おぼえていますか?」
「ああ、そういやそんな事言ってたな」

 けど、あれは委員会を頑張ったら、って話だっただろ、と幸喜が言うと、困ったように眉を下げた茅乃は、お願い、と言わんばかりに両手を合わせている。

「委員会ではなかったですけど、頑張っていたのでお願い聞いて欲しいです」
「まあ、いいけど」

 幸喜がそう返すと、茅乃はぱっと顔を輝かせて満面の笑みを浮かべている。
 そうやってすぐに嬉しそうにするものだから、何だか最近とんと甘くなっている気がする、と幸喜は思い、溜息を吐き出した。
 甘えられているのも、我儘を言われるのも、不思議と嫌な気がしないどころか、彼女がそうした事を言うのは限られた者だけなのだと知っているので、どうしようもなく嬉しく感じてしまっているのだ。
 そんな自分のしょうもなさを隠すように、幸喜は軽く咳払いをして彼女に向き直った。

「金銭が絡まない、常識的な範囲、だぞ」
「はい」

 茅乃はそう返事をすると、ほっそりとした白い指先で幸喜の服の裾を掴んでいる。
 ことりと頭を傾けた拍子に色素の薄い髪が揺れ、甘い花のような香りが微かに鼻先を擽っている。
 陽光に照らされている、幼さがまだ抜けきれない輪郭の丸みが柔らかそうで、ぼんやりとその様子を眺めていると、彼女はゆっくりと瞬きを繰り返して唇を開いた。

「私の事、彼女にしてくれませんか」
「……は?」

 時折、茅乃がとんでもない方向に突っ込んで行く傾向があるのは理解していたけれど、ここまでとんでもない事を言い出すとは思わなくて、一瞬頭がフリーズしてしまう。
 以前も似たような事を言われた事を思い出してみるものの、あの時はここまではっきりとした形ではなく、あくまでも希望として言ってた。が、今回は明らかに違う。
 幸喜は思わず聞こえなかったと言わんばかりに視線を逸らすけれども、茅乃はその視線を追うようにわざわざ回り込んでまで目を合わせようとしていて、次第に頭が痛くなるのを感じていた。

「あのな、常識的、って言ったんだけど?」
「常識的ですよ。高校卒業して、成人したら、って条件付きですから」
「本気で言ってんの?」
「本気じゃなきゃこんな事言うわけないじゃないですか」
「幾ら何でも平然とし過ぎだろ」

 その言葉に、茅乃はぱちぱちと瞬きを繰り返すと、はい、と手首の内側を差し出している。
 不思議に思って首を傾げていると、「脈、わりと早いですよ?」等と言って幸喜の手を取り、首元にまで引き寄せようとするので、幸喜は慌てて自らの腕を後ろに回した。

「ふふ、変なの。幸喜さんの方が大人なのに」

 まるで揶揄っているかのように余裕そうに彼女が言うものなので、「慎重なんだよ」と幸喜は噛み付くように言って深々と息を吐き出した。
 少し前まではあんなにしおらしかったのに、もう今まで通りに有らん限りの力でこちらを振り回しているようじゃないか、と幸喜は呆れてしまう。
 おまけに、彼女は更に追い討ちをかけるようににっこりと笑って口を開いていて。

「お父さんにも聞いてみたんですけど、好きな人と過ごす時間は限られてるものだから大切にした方が良い、って言われてます」

 おまけに、何なら一筆書こうか、って言ってくれてるので安心して下さいね、などととんでもない事を言い出している。
 年頃の娘を持つ父親に同情するべきか、それとも訴えられるような事になっていなくて安堵するべきか、そもそも何故この暴走を止めなかったのかと非難するべきなのだろうか……、彼女の父親は大人しくて優しいと言っていたような記憶があるが、今の話を聞いている限り、茅乃に酷似しているような気がしてならない、と幸喜は溜息を量産しながら考えた。
 頭を抱えてしゃがみ込みたい衝動に駆られながらどうにか踏み止まっていると、茅乃は唇を尖らせて拗ねるような表情を浮かべている。

「幸喜さん、言ってたでしょう? 私に傷ついて欲しくない、安心出来るように一緒にいてくれる、って」

 それに、手を握ってくれたじゃないですか。
 言い逃れの出来ない彼女の言葉の数々に、幸喜は思わず、うぐ、と呻いた。

「少しくらいは、自惚れてもいいと思うんですけど?」

 茅乃はそう言って、ずい、と身体を近寄らせてくるので、幸喜は慌てて後ろへ身体を引くものの、彼女は諦めずに顔を覗き込んでくる。
 じわじわと顔が熱くなってくるのを感じて、幸喜は無駄な抵抗とわかっていながら、隠れるように手の甲を顔に押し当てた。
 確かに、距離感がおかしくなっている自覚は、ある。
 触れても嫌な感じがしないのも、側にいて不快にならないのも、それどころか、彼女の事自体、好意的に思っているのも、もう、言い逃れが出来ない程に理解している、のだ。
 だからといって、彼女とは年齢も離れているのだし、これから進学して社会に出て、その間にも新しい出会いも多い筈で、その中で価値観が変わる事もあれば、今のようにはいられない事で変化する事など多々あるだろう。
 だからこそ勢いだけでそんな事を言い出すのはどうか、と説得した所で、「小さい頃から好きなものは変わっていませんし、この先それが変わるつもりもありませんし、そんな中途半端で生半可な気持ちでこんな事を言い出したりしません」と、真っ直ぐに見つめて、懸命に伝えてくる。
 その真っ直ぐさに、本当はこうやって予防線を張って言い逃れをしようとしているのは自分の方なんじゃないか、とすら思えてきて、幸喜は唇を噛んで俯いてしまう。
 すると、彼女がゆっくりと手を伸ばして、いて。
 まるで作りの違う、ほっそりとしていて白い指先は、けれど、顔の側まで伸ばされてもその先には触れたりしない。
 まるで答えを待っているようなそのその手を、幸喜は暫く見つめていたけれど、ゆっくりと目を細め、深く長く溜息を吐き出すと、その手をそっと掴んだ。
 冷た過ぎる自身の体温と乾き切った皮膚とは違い、彼女の手はしっとりとしていてあたたかく、やわらかだ。
 ずっと抱え込んできた事を話してくれた時とは違う、これが彼女本来の体温なのだろう、とその時初めて感じられた。

「他の誰でもない、幸喜さんじゃなきゃ駄目なんです。だから、私の事を彼女にしてくれませんか?」

 色素の薄い瞳が真っ直ぐに向けられているのに、揺らいでいる。
 不安そうな色が見えて、思わずその目元に指を寄せれば、嬉しそうに擦り寄ってくる。
 無防備に、無条件に、呆気なくそうしてしまう彼女に、幸喜は、降参、と呟いて眉を下げて笑うと、両手で頰に触れて上下に揺らした。
 茅乃はされるがままに目を丸くしていたけれど、その内に子供のようにきゃあきゃあと声を上げて笑っている。
 そんな風に側で笑っていて欲しい、と思いながら、幸喜は吐息を零して、やわらかな輪郭をなぞるように撫でて口を開いた。

「考えとくから。ちゃんと。前向きに」

 それまで待ってて。
 そう言えば、茅乃はこれ以上ないと言うように、満面の笑みを浮かべて頷いていた。
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