わたしのせんたく

七狗

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その嘘だって全部食べてね

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「茅乃ちゃん、やっぱり最近少し変なのね」

 そう言って、志穂は困ったように頰に手を当て、溜息を吐き出した。
 志穂から呼び出され、修司の家についた時には既に、目の前にあるリビングテーブルの上にはチーズケーキが何種類も並べてあった。
 バスクチーズケーキにスフレチーズケーキ、それから、苺や梨などの果物を混ぜ込んでいるものもあり、幾ら何でも作りすぎではなかろうか、と思いはするものの、大方考え事をしているうちに何品も作ってしまったのだろう。
 志穂は昔からそうした癖がある。その度に、今回のようにそれを消費する手伝いとして呼ばれる程だ。
 目の前にある大きいサイズの白い平皿には、数種類のチーズケーキが小さく切り分けられ、綺麗に盛り付けられている。
 どれもとても美味しいし、甘いものも好きだけれど、似たような味が延々と続いてくると流石に飽きてくる。
 そうして幸喜がちびちびと食べては止めて、フォークを弄び始めると、志穂はわかっていたかのように濃いめに淹れたコーヒーを差し出した。
 ありがとう、と言いながらぽってりした形のカップを両手で持つと、幸喜は深く長く息を吐き出した。
 呼び出された時には何となく予想はついていたものの、世間話をしていた筈が、いつの間にやら茅乃の話題になっている。

「茅乃ちゃんって、律儀に決まった時間に連絡してくるでしょう? なのに、急に途切れ途切れになったり、変に遅い時間に返信が来たりするから、気になっていたの」

 志穂が不審に思っている通り、ここ最近、茅乃から毎日メッセージが送られてきているのは変わらないけれど、同じ時間帯に来ていたものが遅い時間に変わっていたりするのだ。
 最後に電話をしたのが一週間前で、それ以降は声も聞いていない。
 自分だけの変化だと思っていた事が他の人にも起こっていた事にほっとして、それから、そんな浅ましい考えに行き着いてしまったのを苦々しく思えて、幸喜はそそくさとコーヒーを口にする。
 舌にこびりつくようなまろやかさは消えていくのに、今度は苦味だけが、やけに強く感じられた。

「私も色々気になっちゃって、紬丘つむぎおかで働いてる友達に聞いてみたんだけど」
「あのさ、志穂さん、何か最近修司に似てきてない?」

 幼馴染の上に夫婦だから似てきてしまうのは仕方ないのだろうか、と思った幸喜が何気なくそう言えば、洗い物をしていた志穂がスポンジを持ったまま、にっこりと音が鳴りそうな程の笑顔を浮かべている。
 ひしひしと伝わってくる威圧感は、志穂が怒っている証拠だ。

「幸喜くん、何か言った?」
「何も言ってないです……」

 はっきりとした怒りの感情を露わにはしないけれど、この家で一番怒らせてはいけないのは志穂である。
 そうそう怒りはしないけれど、修司でさえ本気で怒った志穂には敵わない上に、案外根に持つタイプなので、何年も前の事を平気で掘り返してくるのだ。
 余計な事を言われない内にさっさと謝る方が平穏を保てるのだから、と幸喜は早々に負けを認めて謝罪すると、密やかに息を吐き出した。
 志穂も別段本気で怒ってはいないようなので、あっさりスポンジを持ち直すと、再び洗い物に専念しながら口を開いている。

「でね、その子が言うには、流石に委員会でそこまで遅くなったり忙しいなんて事ないんじゃないか、って。部活ならあり得るかもしれないけど、茅乃ちゃんは部活入ってないって言ってたし」

 茅乃が通う学校で仕事をしているらしい友人に話を聞いた、というには詳しすぎる情報に、個人情報ダダ漏れじゃないか、と思いはするけれど、幸喜は黙って頷いた。
 志穂の話から察するに、どうやら茅乃はいつものように連絡が出来なくなった言い訳に、委員会で忙しい、という嘘を使っているのだろう。
 以前も何気ない風を装って嘘を吐いていた事があったので、そうだとしても、今更驚きはしないけれども。
 けれど、だとしたなら、どうしてそんな嘘を吐いたのだろう、と幸喜は再びチーズケーキを口に運びながら、考える。
 ただこの関係を断ち切りたいのなら、そんな嘘を言わなくとも連絡をしなければいいだけなのだし、志穂にだって連絡を入れる必要はない。
 まるで何かに気づいて欲しいかのように、この繋がりが途切れないようにしがみ付いてるみたいだ、と思っていると、志穂が困ったような顔で問いかけてくる。

「幸喜くんでも、電話は出来ない感じなの?」

 志穂から見たら、幸喜の方が茅乃と頻繁に連絡を取っているように感じられているのだろうか。
 その事に何だかむず痒さを感じながら、幸喜は曖昧に頷いて「うん、まあ、最近は」と答えた。

「最後に電話した時の様子が何か変だったから、俺も少し気にはなってるんだけど……」

 そう言ってコーヒーを飲み込むと、やはり舌に苦味がまとわりつくようで、幸喜は思わず眉を顰めた。
 あの時に聞いた柔らかな声が、時間を置くごとに消えていってしまいそうで、どうにかして欲しい、と思う。
 声が聞きたいから電話に出て欲しいだとか、子供じみた事を口にしてしまいそうになるから、と考えて深く長く息を吐き出すと、志穂は「前に家に来た時にね」と前置きをして、困ったような笑みを浮かべている。

「誰かと距離を置きたくなるのは、追い詰められたり嫌われたり惨めになりたくないから、ってあの子言ってたの。だから、多少無理にでも関わった方が良いのかな、って思いはするんだけどね」

 何かあってから後悔するのは、もう嫌だから、と志穂は言って、唇を緩く噛み、洗い物を終えて手を拭いていた。
 その睫毛の先にある憂いは、幼い頃に見た光景の中にあるものと同じなのだと気づいて、思わず幸喜は視線を逸らしてしまう。

「志穂さん、ごめん。色々大変な時期に相談乗ってもらって」
「ううん、いいの。体調は落ち着いてるし、気にしないで」

 そもそもこの大量のチーズケーキを消費をして貰う為に呼んだんだし、と言った志穂は、冷凍出来そうなものは丁寧にラップやら保存容器やらに入れていて、それなりの量を幸喜に持たせようとしているらしい。
 迷いなく詰められていくその多さに、彼女の容赦なさが垣間見られている。
 はは、と渇いた笑いを零した幸喜に、志穂は柔らかく眼を細めて笑みを浮かべている。

「それに、お姉さんは可愛い弟に相談して貰えるの、実は結構嬉しいんですよ」

 ふふ、と吐息混じりに声を零す志穂に、幸喜は幼い頃のように素直に「ありがとう」と返した。

 他愛もない近況を話していると、家の前を通った車のエンジン音を耳にした志穂は、それだけで修司の帰宅がわかったらしい、ぱっと顔を明るくして慌ただしく玄関に向かっている。
 微笑ましい光景に笑みを零して最後のチーズケーキを口に放り込んでいると、そのうちにリビングに修司が嬉しそうに入ってくる。

「幸喜、ただいま!」
「お帰り。俺、もう帰るけど」

 そんな事言わないでよ、と言いながら力一杯くっついてくる修司を引き剥がす事も面倒になって、幸喜は息を吐き出した。
 仕事帰りで疲れているだろうから、と考慮した上での容認だが、すっかり気を良くしたらしい修司は屈託なく笑って頭を撫で回してくる。

「幸喜、折角だからこのまま晩ご飯も食べて行きなよ」
「ね。私もそう言おうと思ってた」

 流石に二人揃ってそう言われてしまうと、幼い頃からの流れでつい気が緩んでしまう、と幸喜は顔を顰めた。

「二人で甘やかしてくんのやめて」
「だって」
「ねえ」

 可愛い可愛いと二人で顔を見合わせながらにこにこと笑顔を浮かべているので、恥ずかしくなって修司の腕を振り払うけれど、そんな事で誰も気を悪くしたりはしない。
 それどころか、修司に至っては調子に乗って頭の上に顎を乗せてひっついてくる程だ。
 さっさと帰宅するか、このまま晩ご飯を食べていくべきか、幸喜が本格的に悩み始めた時には、志穂がキッチンに向かっていたので、溜息を吐き出しながら食べ終えた食器をまとめていると、そうだ、と修司が顔を覗き込んでいる。

「幸喜、茅乃ちゃんって何かあった?」

 え、と思わず声を零すと、キッチンにいた志穂にも修司の話が届いていたようで、驚いた顔で問いかけている。

「修司くん、茅乃ちゃんと会ったの?」
「駅でたまたま見かけてさ。声かけたんだけど、すぐ行っちゃったから、何かあったのかなって」

 それは修司が嫌われてるだけなのでは……、そう幸喜は思ってそのまま口にするけれど、修司は少しも傷ついた様子もなく、「うわあ、酷いなあ。まあ否定出来ないけど」などとあっけらかんと言う。

「こないだ会った時はわりと丁寧な感じだったから余計そう感じただけかもしれないけど……、何だか変に焦ったような感じ? っていうか」

 茅乃が表面上取り繕うのが上手くても、人の機微に聡い修司がそう言うのなら、余程焦ったように見えたに違いない。
 思わず志穂を見ると、彼女も同じ事を考えていたのだろう、心配そうに顔を顰めている。

「さっき幸喜くんとも茅乃ちゃんの事を話してたんだけど……、大丈夫かな」

 志穂の深刻そうな様子に、流石に修司も心配になってきたようで、幸喜から手を離すと、志穂の側に駆け寄っている。
 嘘を吐いていたり、最寄りから離れた駅にいたり、一体、何をしているのだろうか。
 何か変な事に巻き込まれていたり、追い詰められていたりしなければいいのだけれど、と考えて、乾いた唇を噛んだ。

「ちょっと話してみるよ」

 修司達に言いながら、まるで自分自身にも言い聞かせるようにそう言って、幸喜は冷たくなっていた手のひらを握り締めた。


 けれど、その日を境に、茅乃からの連絡は一切届かなくなっていた。
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