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第一章 高等学院編 第二編 学院の黒い影(一年次・冬)

EP.XXVI 暗く昏い夜の潜入調査

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「僕らの間には、口には出されないけれど、いくつかの無言の取り決めがあった。『可能な限り五人で一緒に行動しよう』というのもそのひとつだった。たとえば誰かと誰かが二人だけで何かをしたりするのは、できるだけ避けようと。そうしないとやがてグループがばらばらにほどけてしまうかもしれない。僕らはひとつの求心的なユニットでなくちゃならなかった。なんて言えばいいんだろう、乱れなく調和する共同体みたいなものを、僕らは維持しようとしていた」 
「乱れなく調和する共同体?」そこには純粋な驚きが聞き取れた。 
 つくるは少し頰を赤らめた。「高校生だから、いろんなおかしなことを考える」 
 沙羅さらはつくるの顔をじっと見ながら、少しだけ首を傾げた。「おかしいとは思わない。でもその共同体は何を目的としていたのかしら?」
「グループのそもそもの目的はさっきも言ったように、学習能力や学習意欲に問題がある子供たちを集めたスクールの手伝いをすることだった。それが出発点だったし、もちろんそれは僕らにとってずっと変わらず大事な意味を持っていた。でも時間が経つにつれて、僕らがひとつの共同体であるということ自体が、ひとつの目的になっていったかもしれない」 
「それが存在し、存続すること自体がひとつの目的だった」 
「たぶん」
  沙羅は目を硬く細めて言った。「宇宙と同じように」



   無限回廊書架 DDC. 895
   ――村上 春樹『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』- A.D. 2015



   




「学院長が猫~? あはは、何だよそれ、変な夢だな!」

 ソファに座っているイェスペルが腹を抱えて笑っていた。放課後に生徒会に顔を出したが、今日は特に会合も無いそうなので、そのまま学生寮に帰ってきた。マリーとリズベツも呼んで、僕らは四人で学生寮の談話室に集まっていた。

「いや、だから本当なんだって!」

 学院長からの直接依頼クエスト―ウプサラ地方の領主、富豪ホーカン・ブロル・ヘルゲソンについての調査―を、流石に一人では手に余ると思ったから、僕は彼らに相談していた。
 順を追って説明を始めたのだが…、説明の最初の段階でつまずいていた。猫の姿をした学院長に出会った、という話が挙がった途端、イェスペルが話の腰を折ったのだ。本題はそこではないし、ウケ狙いでもなかった僕としては、複雑な心境だった。

「ぜってぇ嘘だわ!」

 そう言ってまだ笑い続けるイェスペルを前にしてらちかないと思った僕は、降参するポーズをしながら、マリーとリズベツに助けを求めようとした。

「ほわぁ~。いいですねぇ~…猫ちゃん」
「猫…もふもふ…」
「あ、あの…マリーさん? リズさん?」

 駄目だこりゃ。相談する人選を誤っただろうか…。

 ――前途多難だった。



   ℵ



「わかったわかった! 信じるよ。けど…」
「私もコーダさんの話は疑ってませんよ。ただ…」

 イェスペルとマリーも一応信じてくれる気になったようだ。一応ね。

「けど…なんなのさ? 三人とも何がそんなに面白いの…?」

 僕が問いただすと、見ればリズベツまで笑いをこらえているようだ。

「だってよ、ぷっ…くくっ…コーダが猫と話してるところ想像したら…なんかめちゃくちゃ似合わねぇじゃん…ふくっ」

 あ、こいつ、なんかだんだん腹立ってきた!

「そんなこと…ない…」

 リズベツが笑いを堪えながらもフォローしてくれる。

「この前キャンパスの野良リスに…をあげながら、『僕、出来るかわからないけれど、八位以内頑張ってみるよ』って言ってたから…」

 ――フォローじゃなかった! これは追い討ち!

「ちょ! いつの間に聞いてたの!? っていうかそういうのバラさないでくれる!?」

 味方だと思ったリズベツは敵でした。お前はブルータスかよ。
 最後の頼みの綱とおぼしきマリーの方を見ると涙目の彼女と目が合った。彼女は僕の顔を見て、何とかフォローして欲しいという僕の意図が伝わったのか、笑い泣きの涙をぬぐいながら頷いてくれた。

「私の中の一番は、初めて私の家に来た時に、窓から月を見ながら『あの月の向こう側を泳ぐ鯨は、どんな夢を見てるんだろう』って言ってたことですね。私、あの姿でときめいてしまいました」

 こっちにもロキ裏切り者が居た!

「ねぇ! 話進まないんだけど!」

 僕はそう言って憤慨してみせたが、三人が笑いの渦から帰ってくるまでに、さらにしばらくの時間を要した。



   ℵ



「わ、悪かったって…な?」

 流石にからかい過ぎたと反省したのか、イェスペルが少し慌てたように謝ってきた。

「はぁ…もういいよ。それで、本題なんだけど――」

 さっきから話の腰が複雑骨折して、全然進まない。ようやく僕はイェスペルたちに学院長からの依頼クエスト内容を説明することができた。

 ウプサラ地方のある富豪が不審な行動を取っていることについて、調査しろと学院長から直接依頼された。そもそも不審な行動というのがなんなのか分からないし、それを調べて何が解決するのかも分からない。
 富豪とはいえ、たかが一個人の行動が変だというぐらいで、わざわざ調査に向かう意義も分からない。まぁ逆にその程度の依頼だから僕に任せてもらえたのかもしれない。

「なるほど! そういうことなら任せとけ!」
「イェスペル…?」

 話を聞いてからなぜか得意げなイェスペル。頼りになるときと頼りにならないときの差が激しいやつだ。今回はどちらかと言えば…

「潜入捜査ならリズベツの得意分野だ!」

 ――バシッ。

 無言でリズベツにはたかれていた。やっぱり頼りにならなかった!

「確かに得意だけど、イェスペルむかつく」
「ま、まぁ、リズ、落ち着いて」

 憤々ぷんぷんと擬音の聞こえそうなリズベツと、それをなだめるマリー。これが様式美というやつだろうか。

「でも確かに僕一人でやるより、リズベツが居た方がうまく行きそうだね」
「うん、任せて」

 僕がそういうとリズベツは嬉しそうにはにかんでいた。

「わ、私もお手伝いします!」
「よし、それじゃ早速明日ウプサラに向かって出発するぞ!」
「だからなんでお前が仕切ってんだよ!」

 マリーが慌てて参加表明をしたところで、すかさずイェスペルが仕切っていた。それだけ行きたくて仕方がないんだろうか。



   ℵ



 魔物の活動が活発的になる夜は、外出を控えるのが常識だ。それでも僕らは今回調査対象の富豪ホーカン・ブロル・ヘルゲソンの邸宅を、月影つきかげの木陰にひそみながら見張っていた。光条ひかりづき(一月)夜は容赦なく冷え込み、漆黒の夜空に投影されたかのように煌々こうこうえる寒月が、雪に埋め尽くされた白銀の地平を照らし出す。
 事前に役割分担を話し合った結果、僕とリズベツが監視担当、イェスペルとマリーが周辺の警戒を担当することとなった。

 ヘルゲソン家の邸宅は三階建ての屋敷と庭園が合わせて 20アール 程度の広さがあって、周囲は高さ二メートル程度の石壁にぐるりと囲われている。僕とリズベツは屋敷の裏手から見える建物の中を観察しながら内部構造を分析していた。

「おそらく典型的な屋敷だから、一階には応接室に娯楽室、厨房、倉庫、浴場、使用人室があると思う。二階が晩餐室、書斎、客間。三階がヘルゲソン家の寝室って感じ」
「へぇー…すごいね、リズはそんなことまで分かるんだ…」
「うん、任せて」

 僕が素直に感心するとリズベツは胸を張って偉そうにしていた。もしかしてリズベツはおだてると案外チョロいのかもしれない。いやいや、せっかく頑張ってくれているのに何を失礼なことを考えているんだ。

「………コーダ、聞こえてる」
「げっ」

 独り言を直す魔法は無いんだろうか…。

「ご、ごめん…」
「ふふっ、コーダなら許す」

 なんてことないふとした笑顔だったが、彼女の笑顔が珍しかったからか、月影に照らされた彼女の微笑は星よりもなお輝いているように見えた。

「あ、ありがとう…。というかほんと寒いね!」

 イェスペルとマリーがしょうかいに当たっているのに、リズベツと良い雰囲気なんかかもしている場合じゃないと思い至って、僕は慌てて動揺を心の裏に隠して話題を変えた。

「仕方ない。学院長の言う『不審行動』が起きるまで見張る」
「そうだね、そうするしかないよね…」

 リズベツの行動指針に僕も同意する。
 そう話している内に邸宅の灯りが消えた。これから夜が更けていく中で何が起きるか分からないが、何かが起きることだけは分かっているだけに、不安と緊張がい交ぜに沸いてくる。



   ℵ



 館の住人が寝静まった所を見計らい、僕らは音を立てないように塀を乗り越えて邸宅に接近した。屋敷の表側に回るとリズベツが何かを見つけた。

「コーダ、あれ」

 リズベツの指差した先には、屋敷の三階の廊下に浮かぶ淡い光源が一つゆっくりと移動していた。レースカーテンにさえぎられているがおぼろげに人影も見える。

「あれは…灯火トーチ? そうか、ようやくホーカンが動き出したか」

 窓から見える光を追いかけていると、それは一階に降りてきた。どこへ行くつもりかと見ていると、玄関の扉がゆっくりと開いてホーカンがのそりと現れる。僕が初めて認めたホーカンの姿は鷹揚おうよういかめしい風貌ふうぼうではあったが、目はどこか生気が無いかのようにうつろだった。草陰に隠れた僕らのことなど気付かずに、彼はふらふらとした足取りで屋敷の外へ行こうとしていた。

「彼は、一体どこへ行くつもりだ…」
「尾行は私の得意分野。任せて。コーダは屋敷の方を調べて」
「わかった」

 ホーカンを尾行するべく屋敷の外に向かったリズベツを見届けると、僕は開いたままの玄関から屋敷の中に潜り込んだ。



   ℵ



「はぁ…はぁ…なんだよこれ…りがねぇ!」
「イェスペルさん、次は右から来ます!」

 左手に持った剣の柄を握り直し、イェスペルは身体を反転させて右に剣を振るう。月影をにぶく照り返すやいばがれた黒い煙のような塊が、あたかも夜の一部になったかのように夜のとばりけて霧散していく。

 には敵意も悪意もなかった。何の意思もなくただ自然現象としてそこに存在し、そしてその現象の続きとして夜を侵食しようとしていた。その正体が何なのか、イェスペルにもロースマリーにも分からなかったが二人ともが直感した。

 ――これは放置してはならない、と。

 最初は月がかげったのかと思った。
 辺りが暗くなり、夜が濃密になってきたのだと思った。
 そうして見上げた月は、変わらず煌々こうこうと輝いていて、それでようやく異変に気付いた。

 濃密な夜の正体が、木々の間に浮遊する複数の黒い煙の塊であると気付いた時、二人は戦慄した。その数は優に万を超えていて、二人の周りの空間は既に正体不明の夜に覆われていたからだった。

疾風薙払スラッシュスラント!」

 構えも予備動作もなく即座に撃ち放ったイェスペルの技能スキルによって剣禅一致の剣鋩けんぼうが周囲の敵を掃討そうとうした。

「何が起きてんだよ一体!?」
「イェスペルさん、次は左です!」

 ロースマリーが光魔法エーテルを使って辺りを照らし、闇に溶け込むを炙り出す。加えて、光魔法エーテルの加護によって二人が闇に取り込まれないように常時防御魔法を発動している。
 ロースマリーでなければ、万の軍勢にあらがいきれずに闇に溺れてしまう所だったことを考えれば、この四人の分担はぎょうこうと言わざるを得なかった。

「お前らを、屋敷には絶対に近づけさせない!」

 中空から湧き続ける黒い煙を薙ぐイェスペルの剣戟けんげきは音さえ立たず、まるで音までも闇に吸い込まれているかのようだった。



   ℵ



 屋敷の一階に忍び込んだ僕は最初に倉庫を調べるべく、一階の隅の一つの扉を開いた。

「早くホーカンが操られている元凶を見つけないと」

 もしかするとそれは外にあるのかもしれないが、屋敷の中にある可能性も十分に高かった。けれど僕が倉庫部屋に入って魔力視を使ってみても大してぼしいものはなかったので、仕方なく切り上げて別の部屋を調べようとした。

「次は書斎か…。うん、怪しいんだから調べないわけにはいかないよな、うん」

 決して本が読みたい訳ではない。そう、これは調査なんだ。怪しい魔道書みたいなのがあって、それで操られてる可能性だってあるもんね。だから書斎を調べるのは僕の責務なんだ。

 と、誰に対してかも分からない言い訳を続けていると、魔力視にふと違和感を覚えた。

「あれ? いま何か…」

 魔力視に一瞬、雑音のようなノイズのようなものが見えた。その発生源を辿ろうと僕は眼をらした。

 廊下に置かれた調度品の数々。その一つの花瓶。青いベースにあしらわれたビビッドな朱色のラインが、飾られた花が主役であることを殺さずに上手く引き立てて盛り上げている。問題はその下の大理石で作られた台座から異質な魔力が漏れ出してきている。

 いや、違うな。さらによく見てみるとその不可解な魔力は漏れてきているようだった。

「一体ここに何があるんだ…」

 そのまま持ち上げたり移動させたりすることは難しそうなので、僕は一度花瓶を台座から下ろした。息を呑み、高さ一メートルほどの台座を手前に傾けて、くるりと転がす。

「なっ!? これは…地下室!?」

 そうして台座の裏から現れたのは、人一人がようやく通れる小さな入り口と、その先に見えるのは地下への階段だった。

「まさかこの屋敷に地下もあったとは…」

 さすがにこれは外観からも見抜けなかったし、何より――

「こんな隠し方をするなんて、見られたくないものがあるとしか思えないな…」

 そうして僕は動かした台座の隙間から地下室への階段に入った。入り口こそ、台座に合わせて小さくなっていたが、中は普通に立って歩けるだけの高さはあった。

 ここだけが石造りの空間になっていて、壁も階段も石を積み上げて作られているようだった。そのせいか外よりもひんやりとしていて少し肌寒く感じた。一階の廊下から拝借した松明たいまつに、火魔法フォーティアの明かりを灯す。

「やっぱり魔力はこの先からか…」

 明かりを灯したことでようやく魔力の色が見えた。しかしそれは水に溶かれた墨流しのようにもつれ合ったいびつな、黒と茶の混色マーブルをしていた。

「な、なんだよこれ…」

 茶色はゲーの魔力だ。黒色はもしかすると闇属性スコートスかもしれないが、僕は初めて見たので確信が持てない。というかそもそも色がこんな風に混ざり合っていること自体、初めて見た。

 慎重に、一段ずつ階段を降りていくと、その先には真っ直ぐに長い通路があり、その横穴にいくつもの鉄格子が並んでいた。

「まさか、これは地下牢か!?」

 部屋の数は全部で六つ。ほとんどは空っぽで、一部には骨のようなものも落ちている。けれど、一番奥の右側、魔力の発生源になっていた場所には――



 ――赤茶けた肌をした黒髪の少女がぼろ布一枚をまとった格好で横たわっていた。
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