贖罪の救世主

水野アヤト

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第四十九話 反撃

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第四十九話 反撃






 その男は、多くの困難を経てようやくこの場所に辿り着いた。
 男がその目で見た光景は、この世とは思えぬ幻想的な空間で、光の届かぬ地下を魔法石の結晶が輝く事で照らしていた。結晶が放つ青白い光を頼りに、男は眼前に見える女神の玉座へと歩を進める。
 ここは、ホーリスローネ王国に存在するグラーフ教会大聖堂。男がいる場所は、この大聖堂の秘密の地下であった。何故秘密なのかと言えば、ここはグラーフ教の女神を崇め奉る神殿であるからだ。

「んふふっ⋯⋯⋯、お客さんかしら?」
「!」

 男の気配を感じた玉座の女神が、自らの体を預けた羽毛のクッションからゆっくりと顔を上げる。
 男の目に映った人物は、若く美しい容姿の女だった。その体は薄く白い光を発し、その瞳はオッドアイで、右眼はルビー、左眼はエメラルドの、まるで宝石のような瞳である。肌は白く、薄い金色の長髪で、同じ人間とは思えぬ神秘的な美しさを持つ女が、男の姿を見つけて妖艶に笑って見せた。

「新しい神官じゃないわね。あなた、もしかしてアーレンツの子かしら?」
「⋯⋯⋯成程。ローミリアを創りし女神には敵わないようだ」

 男はここへ忍び込むために、大聖堂内に侵入して衣服を奪い、神官に化けてここまで侵入した。それがあっさり見破られてしまい、おまけに正体までばれてしまった。女神の言葉に驚いた男は最早笑うしかなく、無駄な抵抗はせずにあっさりと認めた。

「しかしどうして、私がアーレンツの人間だと?」
「あなた、諜報の犬の臭いがする。あなたと同じ臭いのする人間は、今まで数え切れないくらい見てきたの」
「ふっ⋯⋯⋯。永劫を生きるという話は嘘じゃないらしい」

 男の前に存在している女こそ、この世界を創りし神と言われている、女神ジャンヌ・ダルク。永遠を生きると言われたかの女神は、伝説上の産物ではなく実在していた。
 男の目的は、存在するはずのない女神を見つけ出す事だった。本当に実在するかも分からない女神を見つけ、己の欲を満たすべく、女神に全ての知を問うためだ。

「貴女がグラーフ教の女神と言うならば、無礼を承知で御尋ねしたい」
「んふっ、何かしら?」
「⋯⋯⋯この世界の全てを。ローミリア大陸というこの鳥籠に人間が存在する理由を、この私に御教え下さい」

 それを聞いた女神は、少し関心して目を見開き、また怪しく口元に笑みを浮かべた。その様子から察するに、女神は男に興味を抱いていた。

「ちょうど退屈してたところなの。察しが良いあなたのお陰で少しだけ暇を潰せそうね」
「では⋯⋯⋯!」
「あなたが知りたいのはこの世界の真実でしょう? でも残念、それは簡単には教えられないの」

 意地悪気にそう言った女神は、男が求める答えを勿論知っている。
 この世界の人間で、この男と同じ考えに至った者は、今まで誰一人としていなかった。だからこそ興味が湧き、気に入り始めてもいるが、甘やかすつもりはない。

「汝、楽を選ぶ事なかれ。一度の人生、痛み苦しみ演じるものであれ。さすれば汝、劇的な死を与えられん」
「⋯⋯⋯⋯」

 女神は男の求める答えを教えはしなかった。
 人生の全てを懸けてここまでやって来た男の落胆は、この男自身も経験した事がないものであった。やっと真実に辿り着けたと思えば、肝心の女神は何も教えてはくれないのだ。

「でもまあ、ここまで辿り着いたご褒美に、一つ条件を出そうかしら」
「⋯⋯⋯!」
「知りたくて堪らない真実は、あなたがその手でローミリアを統べ、再び私の前に現れたなら教えてあげる。その時はあなたに、この世界の神となる切符を上げてもいいわよ」

 それを聞いた男の瞳には、一瞬で新たな野望の炎が燃え上がっていた。
 それを見た女神は、満足気に邪悪な笑みを浮かべては、久しぶりに感じる興奮に胸が高鳴っていた。「また良い玩具を手に入れた」と、そう思い喜ぶ狂気の女神の微笑みは、数々の修羅場を潜って来たこの男ですら戦慄させる。

「私を退屈させないように励みなさい。あなた一人でどこまでいけるのか、本当に見物だわ」

 鴉と呼ばれていたその男は、この日世界の支配者たる女神と出会い、ここから全てを始めたのである。









 女神との出会いから時は流れ、その男は自らの野望のために行動し続けた。
 男は祖国の命を受け、ローミリア大陸中央のとある国の民として生活していた。その国の名はジエーデルと言って、領主や王族といった旧体制の存在に支配されない、国民の国民による政治を目指す国家だった。
 
「聞いてくれカリウス。君の言った通り、今度の集会は各地から多くの同志が集まるぞ」

 男の名はカリウス。当時はまだ若かった彼には、一人の友がいた。その友の名はバルクと言って、彼もまだ若かった。
 二人はいつものように下宿先の部屋で、祖国ジエーデルの未来について語り合っていた。バルクは熱心な活動家の若者で、カリウスはそんな彼を手助けしていたのだ。

「私達と同じ考えを持った、国中で活躍している活動家達が集まるんだ。彼らと共に、必ずや今の暫定政府体制を打倒しよう」

 かつてジエーデルという国は、王族が支配する王権国家だった。その支配体制に異を唱えた当時の国民が王族を打倒し、血筋など関係ない国民による政治を創ろうとした。その時生まれたのが暫定政府であり、新しい政治体制が創られるまでの間、仮で国家を運営し続けて七年経つ。
 未だ新しい体制が創られぬまま、力を持った暫定政府が身勝手な政治で国を支配し、ジエーデルを腐敗させていった。バルクのような活動家達は、そんな暫定政府に対して戦おうとしている民衆なのだ。

「ここまで来れたのは全部君のお陰だ。ありがとう、カリウス」
「私は何もしちゃいないさ。国を想い戦う君の熱意が、諦めかけていた人々の心を動かした結果だよ」
「それが出来たのも君がいてくれたからだ。あの日偶然君に出会えなければ、私は今日までやってこられなかったのだから」

 バルクがカリウスに出会えたのは、彼自身がそう語る通り偶然だった。いつもの様にバルクが、朝食のために通う酒場で偶々席を共にし、意気投合して今に至る。
 歳も近く、日々の生活や背丈も同じな、偶然出会った二人の若者。二人はそこで国を憂う思いを語り合い、その日バルクがカリウスを政治集会に誘った。それをきっかけにカリウスは、活動家として奮闘するバルクの手助けを買って出て、こうして今も補佐を続けている。
 
「それにしても、私の名前なんだが⋯⋯⋯。あれで本当に良かったのかい?」
「あれくらい格好を付けた名前の方が大衆に受ける。時代を創る指導者には、その存在に相応しい名前が必要なのだよ」
「理由は分かるが、格好の付け過ぎで少し恥ずかしくてね⋯⋯⋯」
「使っていれば直に慣れるさ。今は名前の事より、集会に向けた力強く感動的な演説を考えてくれ給えよ」

 最近バルクはカリウスの勧めに従って、活動家としての自分の名を改名した。今までのバルクと言う名前では、人々に大きな印象を与えられないからと、威厳の在りそうな名前をカリウスが考えた。今度の集会も、新しいその名前を記して各地に書簡を送っている。

「国のため、そして今も尚苦しむ人々のためだ。きっと上手くいくから頑張ってくれ、バルザック・ギム・ハインツベント君」
「分かっているさ、カリウス」









 運命の集会当日。その日は、まるで希望に満ち溢れるような快晴の空だった。
 だがその日は、青空へと向かって荒々しく燃え盛る炎と黒煙に、人々の目は釘付けとなっていた。活動家達の集会が行われていた建物が、何もかもを灰にせんとする炎に焼かれていたのだ。
 火の手は益々強くなり、建物は瞬く間に炎に呑み込まれていく。建物の中にいた者達は、突然の火災から逃れられず焼け死んだ。外では火事に集まった人々が、これ以上の火の手を抑えようと必死に消火作業を行なっていた。
 
「言ったろう? きっと上手くいくとね」

 集会に集まった者達は、建物の中で火災に巻き込まれて焼け死んだ。ただ、二人を除いて⋯⋯⋯。
 炎に囲まれた室内で、皆の前で演説を行なっていたバルクと同じ姿をしたカリウスが、火傷を負って気を失って倒れている彼の傍に歩み寄る。
 重傷ではあるものの、まだ息がある。それが分かったカリウスは、倒れているバルクの傍で膝を付き、意識のない彼の頭を両手で掴んだ。
 次の瞬間、掴んだバルクの頭が勢いよく捻られ、首の骨が折れる音が静かに鳴り響く。バルクの首筋に指を当て、脈が無くなったのを確認したカリウスは、一切の躊躇いも顔には出さなかった。

「生きていたところすまないな、バルク。君が助かると私の計画が狂ってしまうのでね」

 放っておいても、直にこの炎に巻かれて焼け死んだだろう。念には念を入れるカリウスの冷酷さによって、活動家バルクの生涯はここで幕を閉じた。
 
 カリウスの計画では、最初からバルクはこうなる運命だった。
 偶然の出会いなどではない。前もって彼が通う店を調査し、偶然を装って接触したのだ。彼と意気投合するのも当然だった。活動家としての彼の主義や主張は、接触する前から調査済みだったのである。
 今日のこの集会も、事前に爆発物を仕込み、頃合いを見計らって爆破した。爆破と同時に建物が燃える仕掛けも準備し、集会が始まった時には出入口を全て封鎖した。結果は誰一人助からず、死体は建物と共に炎で灰と化す。カリウスが犯人だという証拠は、何一つ残らない。
 
「安心し給えよ。君の果たせなかった意思は、この私がちゃんと受け継ぐのだから」

 計画にバルクが選ばれたのは、カリウスと背丈が一緒で、顔や声も少し似ていたからだ。髪型をバルクと同じにして、服も彼と同じものを着用し、声色や言動を気を付ければ、親しい者でない限り気付かれはしない。
 任務の対象に変装し、その人物に成り切る訓練は、自国でみっちり仕込まれている。姿形だけでなく、雰囲気だって似せる事ができるのだ。それが出来るから、ジエーデルの人間ではないカリウスは、ジエーデル生まれのバルクになろうとした。

「君の活動家としての立場と名前は確かに頂戴した。今日から私が、バルザック・ギム・ハインツベントだ」

 計画通りバルクを殺し、バルザックの名も手に入れた。
 唯一の誤算は、このバルクという若者の事を、カリウスが気に入ってしまった事だ。だからこそ、息絶えたバルクの亡骸に話しかけてしまう。以前の自分ならば、絶対にあり得ない行動だった。
 ただ一人、自分の事を友と呼んでくれた。今までの人生で初めて得た友が、自分の手でたった今亡き者にしてしまったバルクなのである。

「悪く思わないでくれ。私はどうしても、己が求める世界の真実をこの目で見たいのだ」

 出来るなら殺したくはなかったが、再びあの女神に会うためにはこうするしかなかった。例え初めての友だとしても、少しの情けもかけるわけにはいかなかった。
 あの日交わした女神との約束を果たすために、彼は祖国を裏切り、組織の上官を裏切り、初めての友すら裏切った。後戻りなど出来るはずがない。
 
「さようならバルク。君と過ごした日々は悪くなかったよ」

 最後にそれだけ言い残して、彼は亡き友の傍を去っていった。
 予め用意していた脱出路を通り、燃え盛る建物の中から唯一生還した彼は、人々の前で自らをバルザックと名乗るのだった。









 その後、活動家バルザックは今回の事件について、「これは革命を恐れた暫定政府による陰謀だ」と主張し、力強く説得力のある演説を武器に、急速に大衆の支持を集めていった。
 それから暫く経って、暫定政府への怒りが爆発した国民によって革命が起こる。この革命は、当然バルザック自身が裏で手を引いていた。これもまた、全ては彼の計画通りに終わる。
 革命後、ジエーデルの新主導者を求めた国民が選んだ人物こそ、今の独裁者バルザック・ギム・ハインツベントなのである。









 ジエーデル国総統府内、総統の執務室。
 執務室の窓から見える青空を見上げ、つい昔の事を思い出していたバルザックは、自分が利用してきた今は亡き者達の姿を脳裏に蘇らせていた。
 脳裏に蘇ったのは、初めての友の姿だけではない。自分をジエーデルへと送り込んだ、アーレンツの荒鷲と呼ばれた男の姿が蘇る。荒鷲もまたこの世を去った今、真の祖国アーレンツにいた頃の彼を知る人物は、誰一人としていないだろう。
 
(鷲は豹に喰われ、その豹もまた犬に討たれた。果たして鴉は何処まで行けるか⋯⋯⋯)

 アーレンツの鴉。
 それは彼、カリウス・ギム・ハインツベントの異名である。恐ろしく賢い諜報員ではあったが、死体を調べて情報を得る部署の所属だったせいで、まるで鴉だと馬鹿にされたのがきっかけだった。
 本人はこの異名を気にしはしなかった。彼はそんな事よりも、ローミリア大陸というこの不可解な世界の真実を追い求める事に夢中だったからだ。
 真実の探求のために、鴉は荒鷲に接触して直属となり、ホーリスローネ王国調査の任務を利用して、グラーフ教会の大聖堂に侵入した。真実を求めて彼が探し当てたものが、あの女神だったのである。
 それから国に戻った彼の次なる任務が、ジエーデルへと向かう事だった。彼はその任を受けてジエーデルへの侵入を果たし、ジエーデルの人間として作戦通り行動したのである。

(保管庫を焼き払い、情報局自体もヴァスティナのお陰で解体された。阻むものは無くなったはずだったが、ここで見つかってしまうとは運がない)

 自嘲気味に笑うバルザックは、かつて自分に技術を教え込んだ荒鷲の言葉を思い出す。「私達は完璧な隠蔽を君達に求めるが、人間を絶滅でもさせない限りそれは不可能だ」と、荒鷲は笑ってそう教えてくれたのである。
 
(嘘はいつか暴かれる。やはり急がなければな⋯⋯⋯)

 自ら手を下す前にこの世を去った荒鷲の教えに従い、バルザックは女神が待つホーリスローネ王国を目指し、軍を北侵させた。この戦いに勝利すれば、ジエーデル国は大陸の半分を手中に収めるに等しくなり、ローミリアの覇者となるだろう。
 しかしバルザックは、大国と変わった自国の成長になど興味はない。彼は女神との再会のためだけに、ジエーデルを強国にするべく侵略戦争を続けたのだ。結果ジエーデル国は、大陸中央で最強の軍事力を誇るに至り、今ではあのホーリスローネ王国軍ですら圧倒している。

 但し、ジエーデル国は国力を増大させ大国となり、軍事力も大陸中央随一となったが、その支配者であるバルザックには弱点がある。
 それは、この男が隠し続けてきた自分の正体だ。これがもし人々に知れ渡れば、独裁者バルザックの絶対的支配は脆くも崩れ去る。

「失礼致します、総統閣下」
「うん?」

 バルザックの思考を遮ったのは、彼の執務室に入った一人の男だった。現れた男は、ジエーデル国軍警察の長官ハインリヒ・バウアーである。
 ハインリヒが率いる軍警察は、この国を支配するバルザックの眼として活動している。軍警察は主に軍内部の憲兵の役割を果たし、国内の治安維持活動や、国内外の諜報活動も行なう組織だ。
 その軍警察の組織のトップが、真っ直ぐ伸びた長身に軍服を纏い、直立して敬礼を行なう。

「総統万歳」
「どうかしたかね、バウアー君。王国領での軍警察統治計画書には既に目を通しているが?」
「ありがとう御座います。ですが、私が参ったのはその件ではありません」

 自分が計画書に目を通したのか、その確認のために現れたのかと思っていたが、ハインリヒ本人は口元に笑みを張り付けて否定した。
 一体何用かとバルザックが問おうとした瞬間、執務室の扉を叩く音が聞こえて、視線をハインリヒから扉の方へと移す。バルザックが入室を促すと、執務室の扉を開けてまたも男が一人現れる。
 現れた人物は、バルザック自身も信頼している若き外交官、セドリック・ホーキンスであった。室内にバルザックとハインリヒの姿を見つけた彼は、書類を抱えながら二人に会釈をした。

「失礼致しました総統閣下。バウアー長官がいらっしゃるのであれば、また時間を改めます」
「気にしなくていいホーキンス君。要件は何だね?」
「はい。王国侵攻作戦により発生する周辺諸国との外交交渉計画を纏めましたので、総統閣下に御確認をと思いまして」
「そうだったのか、態々御苦労。ところでホーキンス君、療養中のルヒテンドルク君の具合はどうかね?」

 現在、ジエーデル軍によって進行されているホーリスローネ王国侵攻作戦。その最高司令官である名将ドレビン・ルヒテンドルクは、自宅で病気療養中となっている。
 ドレビンと友人関係であるセドリックは、見舞いのために彼の自宅を訪れている。その事を知っているバルザックが、ドレビンの身を案じて体の具合を確かめようとすると、セドリックは顔色一つ変えずに口を開いた。

「医者からはまだ安静にするようにと言われているそうですが、本人は至って元気でした。寧ろ退屈で気が変になりそうだと」
「はっはっはっ! ルヒテンドルク君らしいじゃないか。吾輩も時間を作って見舞いに行かなくてはならんな」
「是非そうなさって下さい。将軍も御喜びになるでしょう」

 それだけで会話を終え、持って来た書類を執務用の机に置いたセドリックは、二人に一礼した後に退室していった。
 退室するまで彼の姿を見つめていたバルザックの視線が、今度はハインリヒへと移される。するとハインリヒは、口の端を吊り上げながらセドリックが出ていった方を見ていた。

「我が国を代表する外交官殿は、どうも私のことが苦手のようです」
「だろうとも。ここにいる間、彼の眼は吾輩だけを見ていた」
「嫌っているのか、もしくは恐れているのか。実に面白い」

 この言葉の意味は、ハインリヒとバルザックにしか分からないだろう。企むように笑みを浮かべていたハインリヒが、思い出したようにバルザックへと顔を戻す。

「総統。例の反乱分子ですが、元を辿った結果は総統の予想通りでした」
「やはりか。あの男もまた、ルヒテンドルク君と同じで将兵から好かれていた」
「関係者は全員処分したはずでしたが、まだ生き残りがいたとは驚きです。人望が厚いと処分の対象が多くて困ったものです」

 ジエーデル国は大陸中央の強国と変わったが、現在の独裁体制と非人道的な侵略戦争に異を唱える者は、国内にも大勢いる。
 それらは全て軍警察が取り締まり、逆らう者は誰であろうと処理している。特にハインリヒが危険視しているのは、口だけでは足りぬと武器を取り、現政府に戦いを挑もうとする勢力だ。

「しかし妙ですね。ここにきて、反乱分子共の勢いは日に日に増している。連中は何か、我々を倒す強力な武器を手に入れたとしか考えられません」
「それを調べるのが君の役目だ。王国侵攻作戦のこの大事な時期に、国内で大規模な反乱など起こされては堪らない」

 ハインリヒが言ったように、武装した反乱分子は地下へと潜り、打倒バルザックを掲げて着々と準備を進めている。それを軍警察が阻止できなければ、王国侵攻作戦に必ず悪影響を及ぼす。軍警察長官としてのハインリヒの責任は、自分の命だけでは到底足りない程の重責だ。
 それでもこの怪しく笑う男は、バルザックを前にしてこう言われても、冷や汗一つかかず平然としている。並みの神経ではない狂人であるからこそ、ハインリヒは軍警察の指揮者に任命されたのだ。この男はその狂人さで、今まで数え切れない人間を平気な顔をして処理したからである。

「まったく困ったものだよ。死して尚も君は私に逆らおうというのかね? ムリューシュカ君」

 バルザックの脳裏に蘇るのは、ハインリヒの手で拷問されて殺された、苦痛に歪んだ顔のまま斬り落とされた男の生首であった。
 カンジェルマン・ムリューシュカ将軍。それがかつて、国家反逆の罪に問われて首を落とされた、哀れで無残な男の名である。
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