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第四十七話 その花の名は
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異教徒討伐に参加したヴァスティナ帝国国防軍は、祖国ヴァスティナ帝国へ向けて帰還中である。
そんな中、帝国国防軍将軍リクトビア・フローレンスのもとに、一通の手紙が届けられた。送り主は、南ローミリアの小国チャルコ国の姫、シルフィ・スレイドルフであった。
手紙の内容は、「帝国女王に戦勝祝いがあるから取りに来い」だった。シルフィに逆らえない彼は、一部の者達を連れて主力から離れ、同じく南ローミリアに帰還中だったチャルコ騎士団と共に、チャルコ国へと向かったのである。
チャルコ国に到着したリクトビア達は、騎士団共々盛大に讃えられた。チャルコ騎士団の活躍も、ヴァスティナ帝国国防軍の活躍も、既に南ローミリア中に知れ渡っている。無事生還し、見事勝利を収めた彼らを、人々は南ローミリアの英雄と讃えたのだ。
因みに、この時リクトビアはヴァスティナ帝国の英雄という事もあって、チャルコの女性達から黄色い声を浴び、かなり言い寄られた。しかしその後、親衛隊隊長ヴィヴィアンヌ・アイゼンリーゼから、殺気込みの鋭い視線を背中に受け続けた事は、言うまでもない。
無事にチャルコ国へ到着し、シルフィが待つチャルコ城に入城したリクトビア一行。彼らはまず先に、玉座の間でチャルコ国王と王女に挨拶した後、お茶会に招待された。茶会を開いたのは勿論シルフィで、城のテラスに用意された茶会の場で、彼らが来るのを彼女は待っていた。
初めて会った頃より背が伸び、少し大人びて美しくなったシルフィが、椅子に腰かけ脚を組んだまま、彼女らしい振る舞いで彼らを出迎えた。
そういった経緯でお茶会が始まり、五分が経過した現在。
「おい犬、お茶」
「はい、只今」
「おい金髪、そこの茶菓子を寄越せ」
「ちっ⋯⋯⋯」
「おい赤いの、肩揉め」
「はっ、はい⋯⋯⋯⋯」
お茶会が始まって程なく、この場を支配したのは当然シルフィである。怪我人であるリクトビアことリックにお茶を注がせ、剣士クリスティアーノ・レッドフォードことクリスに茶菓子を要求し、槍士レイナ・ミカヅキに自分の肩を揉ませた。
その姿はまさに、絶対君主の女王様。幼くして女王の気質と風格を持つ彼女には、大抵の人間は逆らえない。逆らえない、逆らってはならないと、本能で理解しているリックは、早々にシルフィの犬になり、忠実に彼女の命に従っている。
「⋯⋯⋯ったく、この駄犬は。相変わらず気持ち悪いったらないわね」
「随分久しぶりに会ったっていうのに酷くないですか? まあ、シルフィ姫らしいですけど」
「生意気変態下衆野郎なのも気持ち悪いんだけど、忠実駄犬野郎なのもキモイのよ」
相も変わらず酷い言われようだが、リックは腹も立てず苦笑いしながら、シルフィのカップにティーポットを近付ける。戦闘で右腕を負傷した為、包帯を巻いて布で吊っている状態のリックは、左手にティーポットを持って片手で紅茶を注いだ。
怪我人にすら容赦なく、帝国国防軍最強の剣士と槍士を顎で扱き使う。その完全女王様スタイルに、静かに腹を立てている人物が、この場に一人いる。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「ねぇ、駄犬。あんたのとこの眼帯、私の事めっちゃ睨んでんだけど」
「すっ、すいません! こらっ、ヴィヴィアンヌ! すぐ人に殺意向けるな!」
リックの身辺警護も務める、親衛隊隊長のヴィヴィアンヌも、彼の護衛でこの場に控えている。シルフィ御付きのメイド達の近くに立ち、お茶会の席には座らず、彼女達と同じように傍に控えていた。
忠実な番犬であるが故、一人殺気を放つヴィヴィアンヌに向かって、不味いと感じたリックの注意が飛ぶ。しかし彼女の怒りは収まらず、むっとしてレイナの方へと視線を向けた。
彼女は彼女で、絶賛シルフィの肩揉み中であり、「小国の姫の分際でこのメスガキは閣下になんて口の利き方だ今すぐ殺して構わないな同志」と、眼で強く訴えてくるヴィヴィアンヌ向かって、慌てて首を横に振りまくった。
「アニッシュから話は聞いてたけど、あんたまた変なの増やしたわね」
「変なの?」
「うるさい女軍師とか、クソうるさい馬鹿とか、そこの殺し屋みたいな女の事よ。頭のネジ飛んだ変な奴ばっかり集めて、いっそサーカスでもやるつもり?」
呆れたように溜め息を吐き、カップを持って紅茶に口を付けるシルフィ。小国とは言え一国の姫なだけあり、紅茶を飲む姿は優雅で凛としている。その姿を花で例えるなら、美しく咲き誇る薔薇だろう。但し、棘は普通の薔薇の三倍はある。
「シルフィ、皆さんに失礼過ぎるよ。しかも、フローレンス将軍は怪我人なんだよ」
「馬鹿アニッシュ。あんたはこいつらに優し過ぎんのよ」
シルフィの隣には、彼女の騎士であり最愛の存在たる、若き騎士アニッシュ・ヘリオースが付いている。彼もシルフィの茶会に呼ばれた一人で、始まって早々こうなっている現状に、この場の数少ない常識人として頭を抱えていた。
「この駄犬はね、私にこういう扱いをされる罪を既に犯してるの」
「罪?」
罪と言われてもアニッシュには分からなかったが、リック本人は思い当たる節々はあっても、全て過去の出来事であった。つい最近、彼女を怒らせてしまうような馬鹿をやったか考えるも、何も思い浮かばない。
「駄犬。あんたさっき、私のお父様とお母様に挨拶したわよね」
「しました。ついでに言うと、王女と会うのはこれが初めてでした」
「私のお母様見て、あんたどう思った?」
「いやもう、噂に聞いてた以上のとんでもなく美しい王女様でシルフィ姫殿下はお母さん似だったんだなって思いつつ許されるなら是非王女様と一晩を共にす―――――」
「アニッシュ、わかった? これが理由」
擁護出来ないと悟ったアニッシュは、リックから目を逸らして撤退した。リックに向けられた他の者達からの視線も一気に冷たくなり、その視線に最早同情はない。特に、ヴィヴィアンヌとレイナが彼に向ける視線は、より一層冷たいものだった。
「だっ、だってあんな美人に会ったら男なら普通そう思うだろ!? なあクリス!?」
「あん? 俺はお前にしか興味ねぇよ」
「ああもう、このガチホモは!! じゃあアニッシュ君は!?」
「ぼっ、僕ですか!? 確かに王女様は美しい人だと思いますけど、僕にはシルフィがいるので」
「みんな純情過ぎない!? もっと不純になれよ!!」
この場の数少ない男性陣から理解を得られず、孤立無援に陥ったリック。彼に味方はおらず、寧ろ益々冷たい視線が注がれた。がくりと肩を落としたリックに誰も同情はせず、シルフィはそんな彼の無様な姿を見物して、姫とは思えぬ悪い笑みを浮かべて嗤っていた。
チャルコ国へと入ったリック達一行は、護衛となる二百程度の兵と、レイナとクリスとヴィヴィアンヌだけである。主力は参謀長エミリオ・メンフィスの指揮のもと、真っ直ぐヴァスティナ帝国を目指している。
チャルコ国へ行きたがった者達は多かったが、あまり多いと迷惑になると考え、最小限の護衛を付けてやって来た。護衛とはいえ、帝国国防軍最強の三人が揃ってしまっているのは問題だが、これはレイナがリックの傍を離れないと頑なだった結果である。
前回の戦い以来、彼女は一層リックの傍に控え、親衛隊のヴィヴィアンヌと共に彼を守るようになった。リックが怪我人であるという理由もあるだろうが、それ以上にまた彼がとんでもない事を仕出かさないか、常に見張っているのだ。
お陰でリックは、ヴィヴィアンヌだけでなくレイナにまで常に監視されている為、勝手な事は出来ないでいる。実は城に入った直後、城のメイド達からも言い寄られて食事に誘われ、喜んで誘いを受けようとしたがレイナに怒られていたのだ。
「ところであんた達、アンジェは元気してる?」
親しみを込めてシルフィがアンジェと呼んだのは、ヴァスティナ帝国女王アンジェリカ・ヴァスティナの事である。
互いに顔を合わせた回数こそ少ないが、二人は良き友人同士であり、よく手紙の遣り取りをする仲だ。しかし、力関係は相変わらずシルフィが上で、あのアンジェリカも彼女には逆らえない。そして姉御気質なシルフィは、変わらずアンジェリカの身を案じてくれている。
「討伐で帝国を発って随分経ちますから、最近はどうしてるか。最後に会った時はいつも通りでしたけど」
「いつも通り? ぶっ殺すわよ糞犬。いつも無理して疲れてるの間違いでしょうが」
あの頃と変わらない。性格や言葉は乱暴だが、根は優しいシルフィは、女王がアンジェリカに変わっても、あの頃と同じように彼女を守ろうとしている。
アンジェリカの憎しみも、怒りも、苦しみも、悲しみも、シルフィにはよく分かっている。分かっていても、彼女にアンジェリカは救えない。ただ、救えなくとも、自分に出来るだけの事はしたい。アンジェリカの力となって、彼女を守り、助け、傍で支えたいのである。
それが、アンジェリカにとって、そして自分にとっても大切だった彼女を守れなかった、せめてもの罪滅ぼしと信じて⋯⋯⋯⋯。
「私が様子を見に行っても良いけど、それだとあの子が気を遣って疲れちゃうわ。戦勝記念の祭りとか言ってうちに呼んで、ひと月くらいこの城に閉じ込めようかしら」
「そんな無理やりな休ませ方、流石に陛下もキレますよ」
「知るか。キレたら全部あんたのせいにするから」
「酷い⋯⋯⋯⋯」
彼女が言うなら、全部本気なのだろう。そう思ったリックは、シルフィが本気でこの計画を実行に移さないで欲しいと、内心切に願うばかりであった。
だがこれも、シルフィがアンジェリカを想う気持ちの表れである。それを思うと、シルフィに彼女を守ると誓ったリックも、黙っているわけにもいかなかった。
「⋯⋯⋯⋯取り敢えず、その計画は最終手段という事で。姫殿下が心配しなくて済むように、陛下の様子にはこれからも気を付けます」
「口では何とでも言えるわよ」
「⋯⋯⋯今度守れなかったその時は、自分の命で償います」
先程までの冗談半分な言葉ではない。リックは本気だった。
彼の本気の言葉に全員の手が止まり、場の空気に緊張が奔る。レイナやクリスだけでなく、ヴィヴィアンヌでさえも動揺を隠せない。そんな彼女達の前でも構わず、自分の腰に手を伸ばしたリックは、ホルスターから拳銃を抜いて見せ、テーブルの上に置いた。
「⋯⋯⋯⋯そいつで自分の頭を吹き飛ばすってわけ?」
「アンジェリカ陛下のために全てを捧ぐ。それが、彼女達を守れなかった俺の贖罪です」
変わらない男だと、シルフィは一人思う。
リックがシルフィを変わらないと感じる様に、彼女もまた彼が何も変わっていないと感じた。愛する者達を失い、絶望と悲しみに暮れ、それでもアンジェリカのためにと戦い続け、己の手を真っ赤な血で染め上げていく。あれから時が経っても、その強い意志は変わっていない。
だからこそ、この男に彼女を託した。それが間違いだとして、もう一度だけ⋯⋯⋯⋯。
「⋯⋯⋯⋯いいわ。もし守れなかったら、そいつであんたの頭をぶち抜いてやる」
「姫にそんな手間はかけさせません。やる時は自分でやります」
「馬鹿。散々あんたに言うだけ言っといて、自分の手を汚さない真似が出来るわけないでしょ」
テーブルに頬杖を付きながら、不機嫌そうな顔でそう口にしたシルフィに向かって、真剣な表情だったリックの顔に微笑が浮かぶ。テーブルに置いた銃を手に取り、元の位置に収めたリックは、自分のカップを持って口元へと運ぶ。
場に張り詰めていた緊張感が和らぎ、またさっきまでの空気が戻って来る。メイド達は安堵して胸を撫で下ろし、レイナ達も安心して息を吐く。
「おいアニッシュ、茶を飲み終わったら相手してやる」
「ほっ、本当ですかクリスさん!?」
「こいつらのせいで無駄に体が緊張しちまった。解しついでに稽古してやるよ」
「ありがとう御座います! 今日こそは、クリスさんから一本取って見せますから」
「そういう事なら私も付き合おう。槍の扱いを教わるなら破廉恥剣士より私の方が上だ」
場が落ち着いた事で、クリスはアニッシュを稽古に誘い、レイナも二人の稽古を手伝うと言い出した。クリスやレイナにとって、若き騎士アニッシュは可愛い弟の様なものである。成長した彼がどれだけ強くなったのか、二人共興味が湧いて仕方ないのだ。
三人は残りのお茶を飲み切り、待ち切れないといった速い足取りで、この場を後にして戦える場所へと急ぐ。まるで子供の様な彼らの背中を見送り、微笑みを浮べているリックに、アニッシュの背を見つめるシルフィが口を開いた。
「まだ、言ってなかったわね」
「はい?」
彼女はリックに視線すら向けず、ただアニッシュの背中を見つめ続けていた。自分がこの世で最も愛する、自分だけの若き騎士の背中を⋯⋯⋯⋯。
「アニッシュを無事に帰してくれて、本当にありがとう⋯⋯⋯⋯」
リック達の活躍があったからこそ、アニッシュは無事に帰って来てくれた。少なくともシルフィはそう思っている。
いつも乱暴さで隠す彼女からの、珍しく素直な言葉。心から彼の帰還を嬉しく思っている彼女を見て、「右腕を犠牲にした甲斐はあったな」と、リックは反省が全くない思いを抱くのだった。
そんな中、帝国国防軍将軍リクトビア・フローレンスのもとに、一通の手紙が届けられた。送り主は、南ローミリアの小国チャルコ国の姫、シルフィ・スレイドルフであった。
手紙の内容は、「帝国女王に戦勝祝いがあるから取りに来い」だった。シルフィに逆らえない彼は、一部の者達を連れて主力から離れ、同じく南ローミリアに帰還中だったチャルコ騎士団と共に、チャルコ国へと向かったのである。
チャルコ国に到着したリクトビア達は、騎士団共々盛大に讃えられた。チャルコ騎士団の活躍も、ヴァスティナ帝国国防軍の活躍も、既に南ローミリア中に知れ渡っている。無事生還し、見事勝利を収めた彼らを、人々は南ローミリアの英雄と讃えたのだ。
因みに、この時リクトビアはヴァスティナ帝国の英雄という事もあって、チャルコの女性達から黄色い声を浴び、かなり言い寄られた。しかしその後、親衛隊隊長ヴィヴィアンヌ・アイゼンリーゼから、殺気込みの鋭い視線を背中に受け続けた事は、言うまでもない。
無事にチャルコ国へ到着し、シルフィが待つチャルコ城に入城したリクトビア一行。彼らはまず先に、玉座の間でチャルコ国王と王女に挨拶した後、お茶会に招待された。茶会を開いたのは勿論シルフィで、城のテラスに用意された茶会の場で、彼らが来るのを彼女は待っていた。
初めて会った頃より背が伸び、少し大人びて美しくなったシルフィが、椅子に腰かけ脚を組んだまま、彼女らしい振る舞いで彼らを出迎えた。
そういった経緯でお茶会が始まり、五分が経過した現在。
「おい犬、お茶」
「はい、只今」
「おい金髪、そこの茶菓子を寄越せ」
「ちっ⋯⋯⋯」
「おい赤いの、肩揉め」
「はっ、はい⋯⋯⋯⋯」
お茶会が始まって程なく、この場を支配したのは当然シルフィである。怪我人であるリクトビアことリックにお茶を注がせ、剣士クリスティアーノ・レッドフォードことクリスに茶菓子を要求し、槍士レイナ・ミカヅキに自分の肩を揉ませた。
その姿はまさに、絶対君主の女王様。幼くして女王の気質と風格を持つ彼女には、大抵の人間は逆らえない。逆らえない、逆らってはならないと、本能で理解しているリックは、早々にシルフィの犬になり、忠実に彼女の命に従っている。
「⋯⋯⋯ったく、この駄犬は。相変わらず気持ち悪いったらないわね」
「随分久しぶりに会ったっていうのに酷くないですか? まあ、シルフィ姫らしいですけど」
「生意気変態下衆野郎なのも気持ち悪いんだけど、忠実駄犬野郎なのもキモイのよ」
相も変わらず酷い言われようだが、リックは腹も立てず苦笑いしながら、シルフィのカップにティーポットを近付ける。戦闘で右腕を負傷した為、包帯を巻いて布で吊っている状態のリックは、左手にティーポットを持って片手で紅茶を注いだ。
怪我人にすら容赦なく、帝国国防軍最強の剣士と槍士を顎で扱き使う。その完全女王様スタイルに、静かに腹を立てている人物が、この場に一人いる。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「ねぇ、駄犬。あんたのとこの眼帯、私の事めっちゃ睨んでんだけど」
「すっ、すいません! こらっ、ヴィヴィアンヌ! すぐ人に殺意向けるな!」
リックの身辺警護も務める、親衛隊隊長のヴィヴィアンヌも、彼の護衛でこの場に控えている。シルフィ御付きのメイド達の近くに立ち、お茶会の席には座らず、彼女達と同じように傍に控えていた。
忠実な番犬であるが故、一人殺気を放つヴィヴィアンヌに向かって、不味いと感じたリックの注意が飛ぶ。しかし彼女の怒りは収まらず、むっとしてレイナの方へと視線を向けた。
彼女は彼女で、絶賛シルフィの肩揉み中であり、「小国の姫の分際でこのメスガキは閣下になんて口の利き方だ今すぐ殺して構わないな同志」と、眼で強く訴えてくるヴィヴィアンヌ向かって、慌てて首を横に振りまくった。
「アニッシュから話は聞いてたけど、あんたまた変なの増やしたわね」
「変なの?」
「うるさい女軍師とか、クソうるさい馬鹿とか、そこの殺し屋みたいな女の事よ。頭のネジ飛んだ変な奴ばっかり集めて、いっそサーカスでもやるつもり?」
呆れたように溜め息を吐き、カップを持って紅茶に口を付けるシルフィ。小国とは言え一国の姫なだけあり、紅茶を飲む姿は優雅で凛としている。その姿を花で例えるなら、美しく咲き誇る薔薇だろう。但し、棘は普通の薔薇の三倍はある。
「シルフィ、皆さんに失礼過ぎるよ。しかも、フローレンス将軍は怪我人なんだよ」
「馬鹿アニッシュ。あんたはこいつらに優し過ぎんのよ」
シルフィの隣には、彼女の騎士であり最愛の存在たる、若き騎士アニッシュ・ヘリオースが付いている。彼もシルフィの茶会に呼ばれた一人で、始まって早々こうなっている現状に、この場の数少ない常識人として頭を抱えていた。
「この駄犬はね、私にこういう扱いをされる罪を既に犯してるの」
「罪?」
罪と言われてもアニッシュには分からなかったが、リック本人は思い当たる節々はあっても、全て過去の出来事であった。つい最近、彼女を怒らせてしまうような馬鹿をやったか考えるも、何も思い浮かばない。
「駄犬。あんたさっき、私のお父様とお母様に挨拶したわよね」
「しました。ついでに言うと、王女と会うのはこれが初めてでした」
「私のお母様見て、あんたどう思った?」
「いやもう、噂に聞いてた以上のとんでもなく美しい王女様でシルフィ姫殿下はお母さん似だったんだなって思いつつ許されるなら是非王女様と一晩を共にす―――――」
「アニッシュ、わかった? これが理由」
擁護出来ないと悟ったアニッシュは、リックから目を逸らして撤退した。リックに向けられた他の者達からの視線も一気に冷たくなり、その視線に最早同情はない。特に、ヴィヴィアンヌとレイナが彼に向ける視線は、より一層冷たいものだった。
「だっ、だってあんな美人に会ったら男なら普通そう思うだろ!? なあクリス!?」
「あん? 俺はお前にしか興味ねぇよ」
「ああもう、このガチホモは!! じゃあアニッシュ君は!?」
「ぼっ、僕ですか!? 確かに王女様は美しい人だと思いますけど、僕にはシルフィがいるので」
「みんな純情過ぎない!? もっと不純になれよ!!」
この場の数少ない男性陣から理解を得られず、孤立無援に陥ったリック。彼に味方はおらず、寧ろ益々冷たい視線が注がれた。がくりと肩を落としたリックに誰も同情はせず、シルフィはそんな彼の無様な姿を見物して、姫とは思えぬ悪い笑みを浮かべて嗤っていた。
チャルコ国へと入ったリック達一行は、護衛となる二百程度の兵と、レイナとクリスとヴィヴィアンヌだけである。主力は参謀長エミリオ・メンフィスの指揮のもと、真っ直ぐヴァスティナ帝国を目指している。
チャルコ国へ行きたがった者達は多かったが、あまり多いと迷惑になると考え、最小限の護衛を付けてやって来た。護衛とはいえ、帝国国防軍最強の三人が揃ってしまっているのは問題だが、これはレイナがリックの傍を離れないと頑なだった結果である。
前回の戦い以来、彼女は一層リックの傍に控え、親衛隊のヴィヴィアンヌと共に彼を守るようになった。リックが怪我人であるという理由もあるだろうが、それ以上にまた彼がとんでもない事を仕出かさないか、常に見張っているのだ。
お陰でリックは、ヴィヴィアンヌだけでなくレイナにまで常に監視されている為、勝手な事は出来ないでいる。実は城に入った直後、城のメイド達からも言い寄られて食事に誘われ、喜んで誘いを受けようとしたがレイナに怒られていたのだ。
「ところであんた達、アンジェは元気してる?」
親しみを込めてシルフィがアンジェと呼んだのは、ヴァスティナ帝国女王アンジェリカ・ヴァスティナの事である。
互いに顔を合わせた回数こそ少ないが、二人は良き友人同士であり、よく手紙の遣り取りをする仲だ。しかし、力関係は相変わらずシルフィが上で、あのアンジェリカも彼女には逆らえない。そして姉御気質なシルフィは、変わらずアンジェリカの身を案じてくれている。
「討伐で帝国を発って随分経ちますから、最近はどうしてるか。最後に会った時はいつも通りでしたけど」
「いつも通り? ぶっ殺すわよ糞犬。いつも無理して疲れてるの間違いでしょうが」
あの頃と変わらない。性格や言葉は乱暴だが、根は優しいシルフィは、女王がアンジェリカに変わっても、あの頃と同じように彼女を守ろうとしている。
アンジェリカの憎しみも、怒りも、苦しみも、悲しみも、シルフィにはよく分かっている。分かっていても、彼女にアンジェリカは救えない。ただ、救えなくとも、自分に出来るだけの事はしたい。アンジェリカの力となって、彼女を守り、助け、傍で支えたいのである。
それが、アンジェリカにとって、そして自分にとっても大切だった彼女を守れなかった、せめてもの罪滅ぼしと信じて⋯⋯⋯⋯。
「私が様子を見に行っても良いけど、それだとあの子が気を遣って疲れちゃうわ。戦勝記念の祭りとか言ってうちに呼んで、ひと月くらいこの城に閉じ込めようかしら」
「そんな無理やりな休ませ方、流石に陛下もキレますよ」
「知るか。キレたら全部あんたのせいにするから」
「酷い⋯⋯⋯⋯」
彼女が言うなら、全部本気なのだろう。そう思ったリックは、シルフィが本気でこの計画を実行に移さないで欲しいと、内心切に願うばかりであった。
だがこれも、シルフィがアンジェリカを想う気持ちの表れである。それを思うと、シルフィに彼女を守ると誓ったリックも、黙っているわけにもいかなかった。
「⋯⋯⋯⋯取り敢えず、その計画は最終手段という事で。姫殿下が心配しなくて済むように、陛下の様子にはこれからも気を付けます」
「口では何とでも言えるわよ」
「⋯⋯⋯今度守れなかったその時は、自分の命で償います」
先程までの冗談半分な言葉ではない。リックは本気だった。
彼の本気の言葉に全員の手が止まり、場の空気に緊張が奔る。レイナやクリスだけでなく、ヴィヴィアンヌでさえも動揺を隠せない。そんな彼女達の前でも構わず、自分の腰に手を伸ばしたリックは、ホルスターから拳銃を抜いて見せ、テーブルの上に置いた。
「⋯⋯⋯⋯そいつで自分の頭を吹き飛ばすってわけ?」
「アンジェリカ陛下のために全てを捧ぐ。それが、彼女達を守れなかった俺の贖罪です」
変わらない男だと、シルフィは一人思う。
リックがシルフィを変わらないと感じる様に、彼女もまた彼が何も変わっていないと感じた。愛する者達を失い、絶望と悲しみに暮れ、それでもアンジェリカのためにと戦い続け、己の手を真っ赤な血で染め上げていく。あれから時が経っても、その強い意志は変わっていない。
だからこそ、この男に彼女を託した。それが間違いだとして、もう一度だけ⋯⋯⋯⋯。
「⋯⋯⋯⋯いいわ。もし守れなかったら、そいつであんたの頭をぶち抜いてやる」
「姫にそんな手間はかけさせません。やる時は自分でやります」
「馬鹿。散々あんたに言うだけ言っといて、自分の手を汚さない真似が出来るわけないでしょ」
テーブルに頬杖を付きながら、不機嫌そうな顔でそう口にしたシルフィに向かって、真剣な表情だったリックの顔に微笑が浮かぶ。テーブルに置いた銃を手に取り、元の位置に収めたリックは、自分のカップを持って口元へと運ぶ。
場に張り詰めていた緊張感が和らぎ、またさっきまでの空気が戻って来る。メイド達は安堵して胸を撫で下ろし、レイナ達も安心して息を吐く。
「おいアニッシュ、茶を飲み終わったら相手してやる」
「ほっ、本当ですかクリスさん!?」
「こいつらのせいで無駄に体が緊張しちまった。解しついでに稽古してやるよ」
「ありがとう御座います! 今日こそは、クリスさんから一本取って見せますから」
「そういう事なら私も付き合おう。槍の扱いを教わるなら破廉恥剣士より私の方が上だ」
場が落ち着いた事で、クリスはアニッシュを稽古に誘い、レイナも二人の稽古を手伝うと言い出した。クリスやレイナにとって、若き騎士アニッシュは可愛い弟の様なものである。成長した彼がどれだけ強くなったのか、二人共興味が湧いて仕方ないのだ。
三人は残りのお茶を飲み切り、待ち切れないといった速い足取りで、この場を後にして戦える場所へと急ぐ。まるで子供の様な彼らの背中を見送り、微笑みを浮べているリックに、アニッシュの背を見つめるシルフィが口を開いた。
「まだ、言ってなかったわね」
「はい?」
彼女はリックに視線すら向けず、ただアニッシュの背中を見つめ続けていた。自分がこの世で最も愛する、自分だけの若き騎士の背中を⋯⋯⋯⋯。
「アニッシュを無事に帰してくれて、本当にありがとう⋯⋯⋯⋯」
リック達の活躍があったからこそ、アニッシュは無事に帰って来てくれた。少なくともシルフィはそう思っている。
いつも乱暴さで隠す彼女からの、珍しく素直な言葉。心から彼の帰還を嬉しく思っている彼女を見て、「右腕を犠牲にした甲斐はあったな」と、リックは反省が全くない思いを抱くのだった。
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