贖罪の救世主

水野アヤト

文字の大きさ
上 下
644 / 841
第四十話 破壊の神

しおりを挟む
 彼らは見た。夜の闇の中、突然その姿を現した、赤黒く巨大な影を⋯⋯⋯⋯。

 二人の勇者が捕らわれていた天幕。その天幕に突如、一筋の雷が落ちた。あまりの眩しさに、周りにいた誰もが目を閉じた。次の瞬間には天幕が内側から吹き飛び、天幕内の道具類ごと、中にいた男達をも吹き飛ばしてしまう。
 雷が落ち、吹き飛んだ天幕の中心には、大きな光が出現していた。光の中には、少女と思しき二人の人影。少女の一人は、片手に本のようなものを持っている。
 一体何が起こったのか、何が始まろうとしているのか、この時それは誰にも分らなかった。唯一つ言えるのは、分かった時には既に手遅れであるという事だけだ。

 天気が良かったはずの夜空から、再び現れた雷が光へと落ちていく。今度は一本ではなく、二本、三本と次々に雷が落ちていった。雷はまるで光に吸い込まれるように落ちていき、光はまるで力を得たかのように大きくなっていく。やがて、大きさを増した光の中に、少女達以外の別の影が見え始めた。
 それは人ではない。少女達を超える大きさ。獣のような口と手足。そして巨大な翼と長い尾。周りで見ている事しかできないボーゼアス義勇軍の者達は、光の中で生み出されようとしているその存在に、言葉にし難い恐ろしさを覚えた。

 やがて、巨大化した光が解き放たれ、周囲を一層眩く照らし出す。皆が眼を開けられぬ眩しさで視界を奪われ、反射的に瞼を閉じ、手や腕で光を遮る。ほんの数秒だけ光がこの場所を支配したが、眩しかった光はすぐに治まっていった。
 周りにいた全ての者達が、何が起きたのかを確かめるべく恐る恐る瞼を開く。
 彼らの瞳が見たものは、先程まで光が集まっていた空間に出現した、巨大な生物の姿だった。

「かっ、火龍⋯⋯⋯⋯⋯!?」

 一人の兵士が、その生物を見てそう叫んだ。口には出していないが、他の兵士達も同様の名を思い浮かべていた。彼らの前に現れた存在が、ローミリア大陸最強の魔物種に似ていたからだ。
 確かにその生物は、龍の様に翼を生やし、長い尾を持ち、手足に鋭い爪を生やし、火龍の様に表皮が赤い。だがこの生物は、龍と呼ぶにはあまりにも禍々しい姿をしていた。
 現れた生物は、低く、しかし大きな声で咆哮した。大地と空気を震わす大きな咆哮は、ボーゼアス義勇軍の陣地全体にまで響き渡り、近くにいた者達は堪え切れず慌てて耳を塞ぐ。
 咆哮した生物は、周りに集まっている兵士達に巨大な眼を向けた。頭に鋭く尖った長い角を持つ、悪魔を思わせる姿をした龍に似た生物。禍々しいその生物が、暗黒の彼方から現れた魔の化身であると説明すれば、誰もが信じてしまうだろう。
 
「想像した通り⋯⋯⋯⋯」

 生物の背には二人の少女が乗っている。一人は華夜、もう一人は真夜だった。
 想像した生き物が現実に出現した。華夜は魔導書の力に感心しつつ、見下ろした先である男達を発見する。華夜に従う様に、この生物もまた彼女が見据える男達に視線を移す。
 華夜が見つけたのは真夜を襲った男達であった。吹き飛ばされた衝撃で負傷した者もいたが、彼らはまだ生きていたのである。
 自分達が狙われていると直感した男達は、眼前の巨大な生物に揃って戦慄した。闇の中に輝く二つの橙色の瞳が、男達の姿を捉えて離さない。

「消して」

 それが彼女の最初の命令だった。
 命令に従い、再び咆哮した巨大生物が、無数の牙が並ぶ口を大きく開く。次の瞬間、開かれた口から紫に発光する稲妻のような光線が吐き出され、瞬く間に光線が男達の姿を飲み込んでしまった。
 光線は男達ごと地面を焼き払い、激しい爆発を巻き起こした。爆発によって吹き飛ぶ陣地と兵士。次々と命を奪われていく人間達の悲鳴。男も女も関係なく、続けて放たれた光線が陣地内を薙ぎ払う。
 巻き起こる爆発。勢いよく燃え広がる炎。一瞬で奪われる人間の命。現れた巨大な化け物は、この地で地獄絵図を創り上げた。

「まだいる⋯⋯⋯⋯」

 光線を吐き続け、化け物は周りを火の海と変えた。燃えて尽きて炭と化す人間の死体と、燃え盛る天幕や物資の数々。化け物の背で華夜が見ている光景は、業火に焼かれた敵の陣地だった。
 大きく燃え盛る炎で夜空は赤く照らされ、星々の輝きは失われる。赤く燃える空の下、火の海と化した陣地内を、兵士達が悲鳴を上げて逃げ惑う。
 この緊急事態に、火災を止めようと消火活動を行なう兵士や、化け物に立ち向かおうとする兵士も現れた。まだ生きている人間がいると知り、魔導書を持つ彼女の手に力が入る。

「華夜とお姉ちゃん以外はいらない。みんな消して」

 化け物は彼女に従い、己の瞳に映った人間全てを光線で焼き払った。止まらない爆発。燃え広がって収拾がつかない大火災。化け物を支配する華夜を中心にして、周りは本物の地獄と化した。
 この地獄で一体何人の命が失われたのか、正確に数える事は困難だろう。何故なら、化け物の攻撃で多くの兵士が灰と化してしまったからだ。
 全てを爆発と炎で飲み込み、化け物は夜空に向かって咆哮する。周囲で生き残った僅かな人間達には、化け物が自分で生み出した地獄を愉しんでいる様に見えた。満足しているから、愉しいから、声を上げずにはいられない。彼らの目にはそう映った。
 
「悪魔⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」

 炎に包まれた地獄の中で、立ち尽くした一人の女兵士が呟いた。
 彼女の言う通り、それは悪魔と呼んで間違いない存在だった。全てを蹂躙し、破壊と殺戮の限りを尽くす化け物。しかも、自らの残虐な行為を愉しんでいる。これを悪魔と呼ばずして、何と呼べばいいのか。
 想像を絶する恐怖に脚が震え、その場から一歩も動けない。恐ろしさのあまり悪魔から目が背けられず、無意識に失禁してしまっている。
 心が完全に恐怖に支配される中、彼女は理解していた。「自分は今日、ここで死ぬ」のだと⋯⋯⋯⋯。
 死を覚悟した彼女の姿を、悪魔の瞳が捉えた。

「いや―――――――」

 死にたくない。そう思った時には、彼女の視界は眩い光に呑み込まれていた。









 伝説の秘宝が持つ、その真の力をようやく解放できた華夜。選ばれし勇者の武器たる魔導書の力を使い、自分と大切な姉を守るため、この地を地獄へと変えていく。
 彼女は魔導書の闇属性魔法を最大解放し、自身が想像した通りの化け物を召喚した。創り上げた化け物の背に乗る二人は、全長三十メートル以上はあるこの巨大な生物に守られ、業火に焼かれる地獄の中をゆっくりと進んでいく。
 燃え盛る炎の海の中を、化け物は術者である華夜を乗せて進む。眼前の地獄で多くの命が奪われていく中、恐怖を全く感じていない自身の妹の姿を、驚愕した瞳で見つめる真夜。

「華夜⋯⋯⋯⋯?」

 誰よりも妹である華夜の事を理解していたはずだった。それなのに、今の真夜の瞳に映っているのは、彼女の知らない妹の姿だったのである。
 
 華夜が突然秘宝の力を解放し、聖書と呼ばれている魔導書を起動した瞬間、彼女達が捕らわれていた天幕は光に包まれた。光と共に現れた風圧によって、天幕ごと男達は吹き飛ばされたが、魔導書が放つ光に包まれた真夜は、あの瞬間吹き飛ばされる事なく無事だった。
 そして気が付けば、華夜が召喚した化け物の背に乗っていたのである。それだけでなく、聖弓は元の秘宝の形に戻り、いつの間にか彼女の手の中に収まっていた。
 驚愕を隠せない真夜は、男達に破られた衣服で前を隠しながら、変わってしまった自身の妹の名を呟く。自分の瞳に映っている少女の姿が、どうしても愛する妹の姿であると信じられなかったのだ。

「ふふっ⋯⋯⋯、ふふふふっ⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「⋯⋯⋯⋯!?」

 華夜は笑っていた。化け物の背に乗りながら、目の前で広がる地獄を見つめ、楽しそうに笑っていたのだ。笑みを浮かべる彼女の姿に、真夜の背筋が凍り付く。

「華夜⋯⋯⋯?どうしちゃったの⋯⋯⋯⋯?」
「あっ⋯⋯⋯⋯、お姉ちゃん」

 真夜の声に気付き、彼女の方へと振り返る華夜。振り返った華夜の顔には、人殺しを愉しむ冷たい笑みが浮かんでいる。真夜は今の彼女が怖ろしくて堪らなくなり、体が震え、怯えが顔に表れた。

「大丈夫。もう恐くないよ」
「えっ⋯⋯⋯?」
「お姉ちゃんを襲った奴らは全員殺したよ。だから安心して」

 真夜の怯えの原因が先ほどの男達にあると思い、安心させようと華夜は微笑んだ。しかしその微笑みもまた、冷たく怖ろしいものだった。
 全くの別人になってしまった愛すべき妹の姿。彼女がこんな風に変わってしまったのは、全て自分のせいだと思った真夜は、両の瞳に涙を浮べて泣き謝る事しかできない。

「私のせいで⋯⋯⋯⋯、こんな⋯⋯⋯⋯⋯!華夜がこんな化け物で⋯⋯⋯⋯、人殺しなんて⋯⋯⋯⋯⋯⋯!」
「違うよお姉ちゃん。この子は化け物なんかじゃなくて、怪獣」
「⋯⋯⋯⋯⋯!」
「華夜とお姉ちゃんを守る怪獣。それが、完全暗黒破壊神《デストロイア》」

 怪獣という言葉で真夜は思い出す。
 内気で引きこもりがちな華夜は、家ではよく本を読むかテレビを見ていた。ただ彼女は、好きなジャンルが年相応の女の子のものではなく、いつも変わったものばかりを好んでいたのである。
 中でも華夜が好きだったのは、怪獣が出てくる映画だった。画面の中で怪獣が街で暴れ、人々が怪獣に恐怖しているシーンが、華夜の一番楽しそうにしている瞬間だった。

 華夜は自分達を守るために、映画で見たのと同じような怪獣を創造し、映画と同じように暴れさせている。今の華夜は、元の世界で怪獣映画を観ていた時の姿と、よく似ていた。
 
「いけない、お姉ちゃんの服がぼろぼろだったの忘れてた。こんなところにいたら風邪引いちゃうよね」
「華夜⋯⋯⋯⋯、もうやめて⋯⋯⋯⋯⋯⋯!」
「そろそろお家に帰らなくちゃ。お姉ちゃん、もう少しだけ我慢してて」

 華夜の言葉に応え、怪獣は巨大な翼を広げて見せた。
 赤く禍々しい巨大な両翼。炎の海の中心で巨大な翼を広げ、悍ましい鳴き声を上げるその姿は、まさに破壊の神と呼ぶに相応しい。

「帰ろう、お姉ちゃん。お父さんとお母さんが待ってる、華夜たちの家に」

 心が壊れた妹の瞳。それを見た真夜は、彼女にかける言葉が出ず、ただ泣いている事しかできなかった。
 やがて、破壊の限りを尽くした破壊神は、巨大な翼を大きく羽ばたかせ、炎で赤く照らされた夜空へと飛び立っていくのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

魔物をお手入れしたら懐かれました -もふプニ大好き異世界スローライフ-

うっちー(羽智 遊紀)
ファンタジー
3巻で完結となっております!  息子から「お父さん。散髪する主人公を書いて」との提案(無茶ぶり)から始まった本作品が書籍化されて嬉しい限りです! あらすじ: 宝生和也(ほうしょうかずや)はペットショップに居た犬を助けて死んでしまう。そして、創造神であるエイネに特殊能力を与えられ、異世界へと旅立った。 彼に与えられたのは生き物に合わせて性能を変える「万能グルーミング」だった。

祝・定年退職!? 10歳からの異世界生活

空の雲
ファンタジー
中田 祐一郎(なかたゆういちろう)60歳。長年勤めた会社を退職。 最後の勤めを終え、通い慣れた電車で帰宅途中、突然の衝撃をうける。 ――気付けば、幼い子供の姿で見覚えのない森の中に…… どうすればいいのか困惑する中、冒険者バルトジャンと出会う。 顔はいかついが気のいいバルトジャンは、行き場のない子供――中田祐一郎(ユーチ)の保護を申し出る。 魔法や魔物の存在する、この世界の知識がないユーチは、迷いながらもその言葉に甘えることにした。 こうして始まったユーチの異世界生活は、愛用の腕時計から、なぜか地球の道具が取り出せたり、彼の使う魔法が他人とちょっと違っていたりと、出会った人たちを驚かせつつ、ゆっくり動き出す―― ※2月25日、書籍部分がレンタルになりました。

25歳のオタク女子は、異世界でスローライフを送りたい

こばやん2号
ファンタジー
とある会社に勤める25歳のOL重御寺姫(じゅうおんじひめ)は、漫画やアニメが大好きなオタク女子である。 社員旅行の最中謎の光を発見した姫は、気付けば異世界に来てしまっていた。 頭の中で妄想していたことが現実に起こってしまったことに最初は戸惑う姫だったが、自身の知識と持ち前の性格でなんとか異世界を生きていこうと奮闘する。 オタク女子による異世界生活が今ここに始まる。 ※この小説は【アルファポリス】及び【小説家になろう】の同時配信で投稿しています。

死霊王は異世界を蹂躙する~転移したあと処刑された俺、アンデッドとなり全てに復讐する~

未来人A
ファンタジー
主人公、田宮シンジは妹のアカネ、弟のアオバと共に異世界に転移した。 待っていたのは皇帝の命令で即刻処刑されるという、理不尽な仕打ち。 シンジはアンデッドを自分の配下にし、従わせることの出来る『死霊王』というスキルを死後開花させる。 アンデッドとなったシンジは自分とアカネ、アオバを殺した帝国へ復讐を誓う。 死霊王のスキルを駆使して徐々に配下を増やし、アンデッドの軍団を作り上げていく。

田舎暮らしと思ったら、異世界暮らしだった。

けむし
ファンタジー
突然の異世界転移とともに魔法が使えるようになった青年の、ほぼ手に汗握らない物語。 日本と異世界を行き来する転移魔法、物を複製する魔法。 あらゆる魔法を使えるようになった主人公は異世界で、そして日本でチート能力を発揮・・・するの? ゆる~くのんびり進む物語です。読者の皆様ものんびりお付き合いください。 感想などお待ちしております。

平凡冒険者のスローライフ

上田なごむ
ファンタジー
26歳独身動物好きの主人公大和希は、神様によって魔物・魔法・獣人等ファンタジーな世界観の異世界に転移させられる。 平凡な能力値、野望など抱いていない彼は、冒険者としてスローライフを目標に日々を過ごしていく。 果たして、彼を待ち受ける出会いや試練は如何なるものか…… ファンタジー世界に向き合う、平凡な冒険者の物語。

転生したら死にそうな孤児だった

佐々木鴻
ファンタジー
過去に四度生まれ変わり、そして五度目の人生に目覚めた少女はある日、生まれたばかりで捨てられたの赤子と出会う。 保護しますか? の選択肢に【はい】と【YES】しかない少女はその子を引き取り妹として育て始める。 やがて美しく育ったその子は、少女と強い因縁があった。 悲劇はありません。難しい人間関係や柵はめんどく(ゲフンゲフン)ありません。 世界は、意外と優しいのです。

13番目の神様

きついマン
ファンタジー
主人公、彩人は23歳の男性。 彩人は会社から帰る途中で、通り魔に刺され死亡。 なぜか意識がある彩人は、目を開けると異世界だった!! 彩人を待ち受ける物語。それは、修羅か、悪鬼か、、、

処理中です...