贖罪の救世主

水野アヤト

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第四十話 破壊の神

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第四十話 破壊の神






(ここは⋯⋯⋯⋯⋯、どこ⋯⋯⋯?)

 目覚めた少女、九条華夜《くじょうかや》が見たものは、縄で手足を拘束されて地面に横たわる、自身の姉、九条真夜《くじょうまや》と、腰に剣を差して武装した数人の男達であった。
 辺りを見回すと、そこは白い天幕の中である。天幕の入り口を見るに、どうやら日が暮れているらしく、夜の闇のせいで暗いため、ここからでは外の様子が分からない。華夜がいる天幕内は、火の灯るランプの明かりが照らしているお陰で、彼女は自分の周りだけは確認できた。
 
「ひっ⋯⋯⋯⋯!」

 恐怖した華夜は、思わず声を上げてしまう。天幕内で彼女が見たものは、鉄や木で作られた道具類だった。ただしその道具は、人間を拘束し、痛め付ける為の道具の数々だった。
 鉄や木の枷、鉄製の金槌、木製の棍棒、針、鋸、鋏、言い挙げたらきりがない。道具はどれも、誰のものかも分からない血で汚れている。華夜が見てしまったものは、拷問道具だったのだ。

「おい、見ろよ。聖書の勇者が目を覚ましたぞ」
「心配する事はない。こいつらの秘宝は取り上げてある」
「秘宝が無けりゃただの餓鬼さ。恐がる事ないぜ」
「まさか勇者を捕まえられるなんてな。これで教祖様も御喜びになるだろう」

 目を覚まし、自分の置かれている状況に怯える華夜を、武装した男達が笑みを浮かべて眺めている。彼らの笑みが、自分達がこの後どうなってしまうのか悟った彼女を、益々恐怖させていく。

(華夜達⋯⋯⋯⋯、敵に捕まったんだ⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯!)

 戦場で真夜を抱え、二人で逃げようとした事までは覚えている。逃げようとした瞬間、突然殴られたような痛みを感じ、そこで気を失ってしまった。気を失った後の事は、何も分からない。
 目覚めた華夜は、拘束されているものの無事な真夜を見て、最初は少し安心した。だがその安心は、自分達の状況を察した、一瞬の内に消え失せている。今はただ、恐怖だけしか感じない。

(お願い⋯⋯⋯⋯、誰か助けて⋯⋯⋯⋯⋯⋯!)

 このままでは二人共、死ぬより辛い地獄を味わう事になる。それが分かっている華夜は、心の中で必死に助けを求めた。しかし、助けなど現れるはずもない。
 何故ならここは、ボーゼアス義勇軍が構築した後方陣地内。
 彼女達のいる天幕は、ボーゼアス義勇軍本隊が集結した、敵軍陣地内の中心にあるからだ。









「はあ、はあ、はあ、はあ⋯⋯⋯⋯⋯⋯!」

 グラーフ同盟軍とボーゼアス義勇軍が激突した地、クレイセル大平原。
 昼間、敵味方の喧騒や悲鳴が飛び交い、激しい戦闘が行なわれた戦場は、今は暗闇と静寂が支配していた。日が落ち、代わりに月と星々が空に上がって、時刻は夜を迎えている。
 戦場となったクレイセル大平原もまた、深い夜の闇に覆われていた。驚くべきは、右も左も分からなくなる大平原の暗闇の中を、ある一点を目指し、走り続ける人影があった事だ。
 昼間は両軍の激戦が繰り広げられた。地面は兵士達の流した血が染み込み、両軍の兵士の亡骸や武器や防具の数々も、多くが回収されずに残っている。暗闇で足元はよく見えないが、戦場となった大地は今、言葉では言い表せない地獄絵図となっていた。
 平原を走るこの人影は、足元の死体に何度も躓いて転んでいる。その度に、敵味方双方の死体の顔を目にしてしまう。最初に転んだ時は、恐怖と不快感に襲われその場で吐いてしまった。それでもこの人物は、夜の闇によって隠れる地獄絵図の中を、必死に走り続けている。

「はあ、はあ、はあ⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯!うわっ⋯⋯⋯!?」

 また死体に躓いて、顔から地面に倒れ込みそうになる。何とか堪え、再び走り出そうとしたが、目指していた目的地が近付いたため、一旦立ち止まり、腰を落として姿勢を低めた。

(あそこに先輩と華夜ちゃんが⋯⋯⋯⋯⋯!)

 たった一人で、暗闇の大平原を走り続けていた人物の名は、有馬櫂斗《ありまかいと》。伝説の秘宝に選ばれた、異世界からやってきた勇者である。
 彼が目指していたのは、ボーゼアス義勇軍が集結している陣地だった。その目的は、敵に連れ去られた二人の仲間の救出である。二人の仲間と言うのは、同じ勇者の真夜と華夜の事だ。

(早く助けないと⋯⋯⋯⋯。王子様達が動かないなら、俺一人でやってやる)

 暗闇に覆われた大平原の先には、沢山の明かりが灯った丘がある。櫂斗が目指している陣地は、大平原の丘の上に構築されているのだ。丘を照らす明りは、陣地内の松明の火なのである。丘の周辺に広がる松明の明かりが、構築された陣地の大きさを物語っていた。
 陣地から見える明りのお陰で、ここまで迷わず向かって来れた。だが近付くにつれ、目的の陣地の規模がはっきり見えてくると、櫂斗は自分の無茶を今更ながら思い知る。これからは彼は、一人で敵の陣地に乗り込んで、捕らわれた二人を助け出すつもりなのだ。

 何故彼が、一人でこんな無茶をしようとしているのか。理由は、真夜と華夜の二人を直ぐに救出する事が、現状のグラーフ同盟軍には難しかったからだ。
 二人の勇者が攫われた事は、直ぐに同盟軍の指揮者達に伝わった。同盟軍の正義の象徴とも言える勇者が、敵の捕虜になるなど大問題である。全軍の士気にも関わる事であるため、この件はすぐさま対応策が話し合われた。
 会議の結果、二人の勇者の救出は行なわれない事が決まった。正確には、救出のために武力を行使するのではなく、救出のための交渉を行なう事が決まったのである。
 現在グラーフ同盟軍は、昼間の激戦で大きく消耗しており、軍の再編成と回復が急務である。対してボーゼアス義勇軍は、十万にも及ぶ本隊が到着した事で、戦力が非常に充実した状態であった。それでも彼らが攻撃を仕掛けないのは、到着したばかりというのもあるが、恐ろしい強さを見せた三国を警戒しての事だ。
 今の状態では、武力による救出作戦を行なうにしても、敵の規模的に成功の可能性は限りなく低い。幸い攫われた二人は、ホーリスローネ王国が異世界より召喚した勇者である。その戦略的かつ、政治的価値は高い。攫った相手からすれば、利用しない手はない存在なのである。暫くは、少なくとも殺されるような事はないだろうと、同盟軍の指揮者達は予想していた。
 こちらから、もしくは向こうからの交渉の申し入れを待ち、その交渉で勇者二人を取り戻す。これ以外に、今の同盟軍には手段がなかった。得体の知れないヴァスティナ帝国や、危険な存在と言えるゼロリアス帝国とジエーデル国に、借りをつくるわけにはいかない以上、救出は交渉以外に道はない。

 この結果は、彼らを召喚した張本人である、ホーリスローネ王国第一王子アリオンにとって、苦渋の決断でもあった。会議の場で誰よりも二人の救出を訴えたのは、アリオン自身だったのである。
 同盟軍の象徴だから。異世界から選ばれた勇者だから。そんな事は関係なかった。アリオンは誰よりも攫われた二人の身を案じ、直ぐに救出を行なおうとした。だがそれは、他の者達の猛反論で叶わず、交渉を決断するしかなかったのである。
 一刻も早い二人の救出を願っていた、残りの勇者二人。つまり櫂斗と、もう一人の勇者の早水悠紀《はやみゆき》は、この決定を聞いて我が耳を疑った。攫われた二人を助けられるようになるまで、黙って指を咥えて見ている事しかできないのである。櫂斗も悠紀も、同盟軍の決定に絶望を覚えた。
 決定内容を伝えたのはアリオン自身である。悠紀は絶望のあまり泣き出して、伝えに来たアリオンに掴みかかり、泣き叫んでこう言った。「二人になにかあったら、全部お前のせいだ!」と⋯⋯⋯。
 絶望した悠紀の叫びを、彼女の涙を、櫂斗は見ている事しかできなかった。その時の彼には、絶望する彼女を救おうとする勇気がなかったのだ。

「待ってろよ悠紀。必ず、二人を助けるからな⋯⋯⋯!」

 だからこそ今、櫂斗はここにいる。真夜と華夜のため、そして大切な幼馴染の悠紀のために、勇気を出して助けにやって来た。
 皆に黙って密かに陣地を抜け出し、敵陣地までの長い距離を、馬に乗って夜の平原を駆け抜けた。敵の見張りに見つからないよう、途中で馬は乗り捨て、見つからないよう走って接近したのである。
 一人でも助けに行く。無謀だと分かっていても、やるしかない。
 正面から突撃しても、当然敵の大軍に阻まれる。そのため櫂斗は、敵陣地の警備の手薄なところを探し、そこから侵入を図ろうとしていた。誰にも見つからずに潜入し、誰にも見つからずに二人を助け、三人揃って陣地から脱出する以外に手段はない。
 捕らわれた二人の仲間を救出する、単独の潜入任務《スニーキングミッション》。櫂斗の無謀な救出作戦は、これから始まる。
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