贖罪の救世主

水野アヤト

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第三十六話 衝撃、ウエディング大作戦

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 それから少し時間が経ち⋯⋯⋯。
 結婚式の用意を任されたヴィヴィアンヌは、命令通り行動を開始するべく、リックのいる執務室を後にした。想定していなかった突然の無茶振りを受けながらも、任務遂行のための作戦計画を練りながら、彼女は一人、城の通路を歩いていた。

(一体、閣下は何をお考えなのだろう⋯⋯⋯)

 リックの真意を読めずにいる彼女は、作戦を考えながら不安を覚えていた。
 これまで彼女は、不可能と言われたどんな任務でさえも、完璧に遂行してきた。命令とあらばそれを遂行し、必ず成功させる、諜報員の鏡のような人間である。ただ、これまでの任務は全て、諜報や暗殺などの内容であった。明日までに、豪華で盛大な結婚式の準備をする任務など、今まで経験した事すらない。
 一体彼が自分に何をさせたいのか?何が目的なのか?彼女にはそれがわからなかった。今わかっているのは、リックがゴリオンの結婚を、必ず叶えようとしている事と、その理由だけ⋯⋯⋯。

「⋯⋯⋯!」

 考えながら歩き、ふと気が付けば、目の前に赤髪の少女の姿。彼女の前に立っていたのは、偶然ここを通りかかったレイナであった。

「レイナ・ミカヅキ⋯⋯⋯」
「アイゼンリーゼ⋯⋯⋯」

 お互いその場で立ち止まり、互いの名を呼んだかと思えば、口を閉ざして沈黙してしまう。七つ数えるくらいの時間が流れ、沈黙に堪えかねたレイナが再び口を開いた。

「⋯⋯⋯こんなところで何を?」
「⋯⋯⋯先ほど閣下から直々に、明日の準備の全指揮権を委譲されたところだ」
「あなたが、結婚式の準備を⋯⋯⋯?」
「やはりおかしいか⋯⋯⋯?」
「そんなことは⋯⋯⋯」
「誤魔化す必要はない。私には似合わない任務だ⋯⋯⋯」

 レイナが驚くのも無理はない。諜報や暗殺を得意とし、圧倒的な戦闘能力を持つヴィヴィアンヌが、ゴリオンの結婚式を担当する事になったというのだ。彼女の事を知っている者からすれば、信じられない話だろう。
 
「ところで、貴官は私に対しての態度が随分変わったな」
「⋯⋯⋯!」
「私は新参者の身だ。態度を改める必要はない」
「しかし⋯⋯⋯」
「それとも、態度を変えたい特別な理由でもあるのか?」

 ヴィヴィアンヌと敵同士であった頃と違い、今のレイナは彼女に対して、礼を尽くす態度を見せている。ヴィヴィアンヌがリックに忠誠を誓い、彼の傍に仕えるようになってからは、以前と違う態度で彼女と話すのだ。

「破廉恥剣士達は、まだあなたを信用していないかもしれない。それでも私は、あなたの忠誠を信じている」
「⋯⋯⋯」
「初めて戦った頃とは違う。今のあなたは、参謀長のことを理解し、自分の命を捧げて守ろうとしている」
「⋯⋯⋯それは貴官も同じだ。貴官もまた、閣下に忠誠を尽くし、その命を捧げている」
「同じではない。あなたは私と違って、純粋な心であの方を支えてくれている⋯⋯⋯」

 そう言ったレイナの表情は曇り、彼女は俯いた。俯いたが、すぐに彼女はヴィヴィアンヌへと視線を戻し、言葉を続ける。

「私とあなたは、少し似ている」
「似ているだと⋯⋯⋯?」
「だからあの時、似ているとわかったから、あなたを信じられた」

 レイナが言葉にした「あの時」とは、彼女とヴィヴィアンヌが、戦場で再び相見えた瞬間である。その時ヴィヴィアンヌは、その腕の中に、死にかけていたリックを抱きかかえていた。彼女自身が殺しかけ、救ってくれと願った。あの時レイナは、その場で彼女を殺さなかった。
 殺してやりたいほど憎んでいた。それでもレイナが彼女を生かしたのは、リックを殺さないと知ったからだ。そして、リックが命を懸けて、彼女を救おうとしたのだと察したからである。
 あの時のレイナの眼に映ったのは、自分の姿と重なったヴィヴィアンヌの姿だった。レイナ同様に、彼女もまたリックに救われ、その眼に生きる希望を宿していたのである。故に殺せなかった。あの時のヴィヴィアンヌを理解できたのは、レイナしかいなかった。あの時の彼女を守れるのも、レイナだけだった。
 
「⋯⋯⋯あの時、貴官がいなければ私の命はなかった。私は、貴官にこの身を救われた」
「⋯⋯⋯」
「今の私が在るのは貴官のお陰だ。この恩は生涯忘れない」

 ヴィヴィアンヌの言葉に嘘はない。真っ直ぐな眼差しのまま、生涯を懸けてこの恩を返そうとしている、確かな決意が彼女にあった。
 
「私なんかに、恩を感じる必要なんてない」
「なに⋯⋯⋯?」
「あなたはただ、参謀長を傍で支え続けてくれればいい。救われたその命で、私の代わりに参謀長を救って欲しい」
「⋯⋯⋯!」

 レイナにとって彼女は、新たな希望だった。
 ヴィヴィアンヌがリックに忠誠を誓った、運命の日。あの日彼女は彼に向かって、「貴方は誰が救う」と問うた。あの時既に、ヴィヴィアンヌは気付いていたのである。地獄の中を彷徨い続け、もがき苦しみ続ける彼を、誰も救う事ができないと⋯⋯⋯。
 だからヴィヴィアンヌは、彼を救うと宣言し、絶対の忠誠を誓った。彼を救いたくとも、それができないレイナにとって、彼女は新たな希望だったのである。
 嘆き悲しみ、苦しみ絶望するリックを救う事は、レイナにはできなかった。彼女にできたのは、その身を彼のための槍と変え、彼が敵と定めたものを討つ事のみ。だが、人を殺す事しかできない槍では、彼を救えない。しかし、ヴィヴィアンヌならば、彼を救えるかもしれない。

「⋯⋯⋯貴官は、私と同じ志なのだな」
「守りたい思いは同じでも、あなたと違って私は醜い」
「醜いものか。参謀長の御傍には、貴官のような者が相応しい」

 そう言ってヴィヴィアンヌは、レイナの前に歩み寄り、彼女との距離を縮めた。お互いの距離が一気に縮まり、容易に手で触れられる近さになる。距離を近付けたヴィヴィアンヌの左眼が、レイナを捉えて離そうとしない。突然近付かれ、真剣な眼差しで見つめられたせいで、恥ずかしさのあまりレイナの頬が少し朱に染まり、彼女は顔を背けようとする。
 するとヴィヴィアンヌは、顔を背けようとしたレイナの頬に、両手で優しく触れて、再び自分の方へと顔を向かせた。

「私は閣下を救いたい。貴官もその想いは同じはずだ」
「かっ、顔が近い⋯⋯⋯!」
「私と貴官は、志を同じくする同志だ。これからは、貴官だけがその重荷を背負う必要はない」
「アイゼンリーゼ⋯⋯⋯」
「同志、私のことは名前で呼んで構わない」
「それはいいんだが⋯⋯⋯、少し離れてくれ⋯⋯⋯⋯⋯」

 今レイナが陥っている状況は、第三者が見れば間違いなく勘違いされる。突然のヴィヴィアンヌの行動は、とんでもない誤解を生みかねない。ヴィヴィアンヌの顔が近付くだけで、レイナの頬は益々朱に染まっていき、恥ずかしさを隠し切れずにいた。
 そんなレイナを間近で見て、ヴィヴィアンヌが少し笑った。

「貴官のことを閣下が大切にする気持ちが、今わかった」
「⋯⋯⋯!?」
「手を貸して欲しい。閣下の命令を実行するには、貴官の力が必要だ」

 頬から手を離し、一歩離れたヴィヴィアンヌが、結婚式の準備に協力して欲しいと頼む。気持ちを切り替えるため、軽く咳払いしたレイナは、胸に手をそっと当てて口を開く。

「頼まれなくともそのつもりだった。微力ながら、手伝わさせて欲しい」
「感謝する。それにしても、閣下は何故私にこんな役目を⋯⋯⋯」
「理由を考えてる暇はない。それより今は、式の準備を進めるのが先だ」
「⋯⋯⋯貴官の言う通りだな。早速行動を開始するとしよう」

 気持ちを切り替えたヴィヴィアンヌが、結婚式の準備のために動き出す。レイナの横を通り過ぎ、彼女来た道を進んでいく。しかしその途中、彼女は立ち止まり、レイナの方へと振り返った。

「ところでもう一つ、貴官に尋ねたいことがある」
「?」
「貴官を愛でる裏組織があると耳にしたのだが、レイナちゃんファンクラブとは一体なんだ?」
「!!!!」

 この瞬間、レイナの顔が苫のように真っ赤に染まった事など、語るまでもない話である。
 結婚式まで残された時間は、既に二十四時間を切っていた。だが、絶望的な状況下でも、頼もしき同志を得たヴィヴィアンヌの瞳には、任務遂行への闘志が燃えていたのである。
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