贖罪の救世主

第三話 集う力

７

　里の大人たちが、長の家の前に集まっている。その中には、リックたち四人もおり、里の大人たちのほとんどが、ここに集まっていた。
　そしてまもなく、年齢が八十歳を超える里長が、家の中より現れて、大人たちの空気が変わる。不味い問題と言われる話が、老人である里長の口から、話されようとしていた。
　大人たちの表情を見渡すと、暗い表情の者と、そうでない者に分かれている。暗い者は恐らく、これから話される内容を知っており、そうでない者は、何も知らないのだろう。

「皆、よく集まってくれた。・・・・・・知っている者もおるが、儂らの里に危機が迫っておる」

　その言葉にざわめく大人たち。里長の言葉が信じられない者、信じたくない者にわかれている。

「二日前のことじゃ。森の異変を感じ取った者たちが、奥の大森林を調べに行ったのじゃよ。・・・・・異変の正体は、大型の竜であった」
「竜やて！？まさか火竜とかじゃないやろな！」
「火竜ではない。腹を空かせた暴竜であるようじゃ。大森林の奥で動物を見境なく食い殺していたようなのじゃが、このままでは、餌を求めて里まで迫るのは、時間の問題であろう」
「そんな、嘘やろ？・・・・・・大型の暴竜なんかどうにもできんやないか」

　里長の言う暴竜のことに関して、シャランドラは本で調べた程度の、知識がある。本は昔、商人から手に入れた物で、その他の竜のことに関しても調べていた。
　本によると、竜には様々な種類がいるらしく、火竜もその中の一種である。火竜は口から火を吐く竜で、この規模の里であれば、一瞬で灰にできるのだ。彼女はそれを恐れたのだが、火竜ではなく暴竜は、また違った恐れがある。
　暴竜は特殊な竜であり、その名の通り暴君であるという。腹を空かせているということは、暴竜の中でも暴食竜と呼ばれるものである。
　暴食竜は大食漢で、常に空腹であるという。そして、食べ物を求めて彷徨い歩き、手当たり次第に、周りの生き物を食べ尽くすのだ。
　大型の暴食竜の中には、全長が二十メートルを超えるものいるらしい。もし、そんな大型の竜が現れてしまえば、この里は竜の力で、いとも容易く壊滅してしまうだろう。里の人々が食い散らかされる様を想像したシャランドラは、迫る危機の深刻さを理解できてしまった。

（無理や・・・・。本の通りなら、大人たちが銃持って束になっても勝てるわけない・・・・・）

　里には決断が迫られている。里長は大人たちと共に、ある重大な決断を下そうとしていた。

「暴竜ってなんだ？」
「なんだよリック、知らないのか。まあ俺も詳しくは知らないけどな」
「確か、竜の中でも特に気性が荒い種であるはずです。腹を空かせているのであれば、暴食竜かも知れません」
「博識だなレイナ。で、その竜は美味いのか？竜の肉とか食ってみたいんだが」

　何故か竜を食べようと考えているリックと、竜の存在を聞いても動じないレイナとクリス。緊張感の欠片もない三人の様子に、シャランドラも大人たちも、衝撃を受けてしまう。
　竜の被害は、自然災害のようなものだと考えられている。何故なら自然災害同様に、竜災は人の力ではどうすることもできないからだ。
　そして、竜の暴れた後には、何も残らないと言われている。これはローミリア大陸の古くからの常識で、竜の恐ろしさは、長年語り継がれているのだ。
　シャランドラたちからすれば、まるで竜を恐れていないこの三人は、とても異様に映るのである。恐ろしい竜の存在が、目の前に迫っているにもかかわらず、三人は恐れるどころか、竜と戦おうとしているのだ。明らかに気が狂っている。

「なに言ってんのやリック？！竜を食うやて？頭おかしいんやないか！暴食竜相手に人間が敵うわけないで！」
「そうなのか？暴食竜がどれだけ強いかよく知らないんだよ。ところで里長、暴食竜は何頭迫っているんですか？」
「大型のが一頭だけじゃ。しかし、一頭だけでも恐ろしいものにかわりはないが・・・・・」
「じゃあ、暴食竜一頭と歩兵一万人ならどっちが強いんですか？」

　里長にもシャランドラたちにも、リックの質問の意図は全く理解できない。皆が困惑している中、クリスはこの場で爆笑し、レイナも笑いを堪えるのに必死であった。
　二人がリックの言葉で笑い出した理由。この時、シャランドラは全く理解できずにいたが、後々笑いの理由を知ることになる。
　リックはこう言いたいのだ。暴食竜一頭は、自分が戦ったオーデル軍一万人より強いのかと。二人が笑ってしまったのは、自分たちもその戦いの当事者故であった。

「リック・・・・。なにをしようとしてるんや？とんでもないこと考えてへんか」
「別に大したことじゃないさ。その暴食竜とやらを狩りに行こうかなと思ってるだけだ」

　周りの大人たちは皆驚愕し、里長ですら開いた口が塞がらない。
　レイナとクリスは驚くことなく、「やっぱりか・・・・」と言わんばかりの表情を浮かべている。
　二人はリックの考えが予想できていた。良く言えば好奇心旺盛のリックなら、「竜とか見たことないな。ちょっと戦ってみたい」とか言うだろうと、忠臣二人はわかっていたのだ。

「やっぱりな。それでこそ俺のリックだぜ」
「お前のじゃないから。気持ち悪いから」
「竜狩りですか・・・・。竜の肉はどんな味がするのでしょう」
「意外と食いしん坊だよな、レイナ」

　本当に緊張感の欠片もない。里は今、重大な決断が迫られているというのに・・・・。

「それで、里長。これからどうするんです？皆でこの里を離れて外の世界に出るか、竜に見つからない奇跡を信じてここへ残るか。どっちかの決断が必要なんですよね？」

　このどちらかの決断が迫られている。薄々そのことを理解していた、シャランドラと里の大人たち。迫られた選択は、彼女たちにとって苦渋の決断である。生まれ育ったこの里を離れることなど、簡単に選択できはしない。

「森の動物たちは竜を恐れて逃げ出しておる。逃げ出す動物を見た者たちが、森の異変を知り、調べた結果が暴食竜じゃ。竜を見た者たちが言うには、森の動物をあらかた食い散らかした後、竜は眠りについたという。竜がまだ眠っておればよいが、今の内にどうするかを決めねばならん」
「二日前に森の奥で見つけたってことは・・・・・。昨日俺とシャランドラたちで銃撃ちまくってたんだが、もしかして起きちゃってるとか？」
「ついさっきも銃使ったで。やばいんちゃうか」
「わしも書物で読んだだけじゃが、暴食竜は耳が遠いらしい。その分鼻が利くと書かれておった」
「なら銃声は聞こえてないはずだな。でも、鼻が利くっていうのは厄介だ。里に残ってたら、人の匂いを嗅ぎ付けて、暴食竜が現れるかも知れない」

　リックの言う通り、生き物を餌として求める暴食竜ならば、人の匂いを嗅ぎ付け、この里を襲撃するのは時間の問題である。シャランドラが本で読んだ通り、二十メートル以上の大型竜であれば、この里は一瞬で壊滅するはずだ。
　竜は堅い皮膚に覆われているため、例え銃であろうとも、その身体を弾丸で貫通はできない。無論剣や弓など論外だ。
　先程リックの言った、竜と歩兵一万はどっちが強いかという話。大型の暴食竜が相手であれば、一万人の歩兵など、いとも容易く蹂躙されるだろう。
　ならば、生き残るための選択肢は一つしかない。里を離れ、外の世界へ出るという選択。
　彼女の夢が、こんな形で叶おうとしている。正直嬉しくもあるが、こんな形を彼女は望んでなどいなかった。複雑な心境だ。
　里の大人たちの選択はわかれている。里を出ようと言う者もいれば、ここに残ると言う者もおり、大人たちの間で、言い争いが起き始めていた。意見がまとまることはなく、里長の決断で、全てが決まる空気が生まれつつあった。
　意見がまとまらない大人たちは、里長の選択を求めて視線を向ける。里長はこの里で最も高齢で、最も博識の老人である。里の人々は皆この老人を信頼し、敬意を評しているのだ。

「・・・・・里を離れよう。・・・・生きることこそが大切なのじゃ」

　里長の答えは、暴食竜の存在を知った時に決まっていた。
　里に残れば死を待つばかり。いくら生まれ育った地であろうと、命を捨てる選択などしてはならない。この里を作り上げた先祖たちは、大戦に巻き込まれ、命を失うことがないよう、この地へと逃げ込んだのだ。
　先祖たちが、命を第一に考えたからこそ今がある。ならば我々も、命を第一に考え、生き残る選択をしなければと、皆の命を預かる里長は決断した。
　誰もが苦渋の表情を浮かべ、その場に膝をつき、絶望する者もいれば、悔しさと悲しみの涙を流す者もいる。
　しかし、絶望してばかりも、悲しんでばかりもいられない。こうしている間にも、里には暴食竜が刻一刻と迫りつつあるのだ。決断が下された今、急いで里を離れなければならない。

「皆、急ぎ支度をせよ。竜が現れる前に---------」
「ちょっと待ちな爺さん。どうやら手遅れみたいだぜ・・・・」
「この気配・・・・・。来る！」

　レイナとクリスが何かの気配を感じ取り、さっきまでの緊張感の無さが嘘のように、突然臨戦態勢に入る。
　二人が睨むその先には大森林があり、二人に遅れてリックもまた、何かの気配を感じた。
　感じたことのない、強大な生物の存在感。それは間違いなく、大森林から放たれている。そして、声が聞こえた。
　大森林の方から聞いたことのない、生物の咆哮する声が里全体に響き渡った。
　絶対的強者の咆哮。獣の類とは思えないそれは、完全に里へと向けられたものである。森中の鳥たちが、咆哮に危険を感じて空へと飛び立つ。眠りについていた竜が、腹を空かせて今目覚めたのだ。

「シャランドラ、大口径の銃とありったけの弾を用意してくれ。俺が竜の相手をする。その間に里の人間を避難させろ」
「リック！？」
「レイナ、クリス。竜を狩りに行くぞ、付き合え」
「どこまでもお供いたします」
「面白くなってきたな、勿論付き合うぜ」

　槍士レイナと剣士クリスを従え、本気で竜と戦おうと歩み出したリック。
　当然、竜相手に、人間が敵うわけがないと考えるシャランドラは、無謀な彼らを制止しようとする。
　だが、彼女にはそれができなかった。止めようとした瞬間、彼女はリックの異様な表情を見る。
　レイナとクリスにはお馴染みだ。リックの表情はいつも通り、戦いを前にして、邪悪な笑みを浮かべていたのである。
　戦いが始まろうとしている。これはリックが経験する、初めての人間以外との戦いなのだ。
　再び咆哮が響き渡る。
　竜はその姿を現した。