贖罪の救世主

水野アヤト

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第三十二話 悪夢の終わりと、彼女の望み

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 城の中を歩き続け、三人は目的の部屋に辿り着いた。
 ヴァスティナ城内にある、帝国参謀長の寝室。ここに、リクトビア・フローレンスはいる。帝国に帰国し、この部屋のベッドで眠りについたまま、彼はずっと目を覚ましていない。
 こうなって以来、彼の傍には必ず誰かが付き、看病を続けている。扉の前では分からないが、今もこの中では、彼を案じる誰かが、悲しみを堪えて看病しているに違いない。そう考えると、レイナもクリスも、ヴィヴィアンヌを連れてこの部屋に入るのを躊躇ってしまう。

「ここが参謀長の寝室だ」
「・・・・・・」
「お前と戦ったせいで、リックはずっと目を覚まさねぇ。部屋の中に誰がいるか知らねぇが、大人しくしとけよ」

 寝室には、イヴやシャランドラがいるかもしれない。二人がヴィヴィアンヌの姿を見れば、彼女を殺そうとしてもおかしくはない。そうなれば、寝室は殺し合いの場へと変わってしまう。そうならないために、クリスはヴィヴィアンヌに警告している。

「っで、お前はリックに会ってどうするつもりだよ?詫びでもいれるつもりか?」
「それは・・・・・・、わからない」
「ああん!?お前一体何がしたいんだよ!」
「黙れ・・・・・・、貴様には関係のない事だ」
「てめぇ!連れてきてやったのに調子乗るんじゃねぇぞ!!」

 ヴィヴィアンヌの言葉と態度に、クリスは彼女の胸倉を掴み上げ、怒りに満ちた眼で彼女を睨み付ける。普段から言葉や態度が乱暴なクリスだが、彼が怒るのも無理はない。いつ理性が飛んで、彼女を殴りつけてもおかしくなかった。
 一触即発の二人。寝室の扉の前で、ヴィヴィアンヌに怒りをぶつけようとするクリス。抑え付けていた怒りと殺意が溢れ出し、彼の冷静さが奪われていく。
 
「があああああああああああああああああっ!!!」

 緊迫した空気を破壊したのは、寝室の中から聞こえた、悲鳴のような叫び声であった。とても苦しそうで、人のものとは思えない叫び声に、三人共驚きを隠せなかった。
 その声は、レイナとクリスがよく知る男の声。ただ事ではないと直感し、クリスはヴィヴィアンヌの胸倉から手を放し、同時に動いていたレイナと共に、急いで扉を開く。

「参謀長!!」
「リック!!」

 寝室を開いた二人が眼にしたものは、想像を絶する光景であった。
 寝室のベッドの上で、絶え間なく叫び声を上げながら暴れる男を、皆が必死になって押さえている。男は紛れもなく、寝室の主であるリクトビアであった。先ほどの悲鳴は、彼の口から発せられたものだったのである。
 ベッドの上で叫び声を上げ、もがき苦しみながら手足を動かし、大暴れ状態のリック。彼を落ち着かせようと、腕や脚を必死に押さえているのは、五人の人物であった。

「参謀長!!参謀長っ!!」
「落ち着いてリック君!それ以上暴れたら傷が開いちゃう!!」
「体中凄い熱やで!!これじゃあリックが・・・・・・!」
「リンドウ!リック様をしっかり押さえといて!!鎮静剤使って大人しくさせるわ!!」
「お願いノイチゴ!!リック様を助けて・・・・!!」
「このノイチゴ様に治せない病はないのよ!!だから泣くんじゃないの!」

 暴れる彼を押さえているのは、アングハルト、イヴ、シャランドラ、リンドウ、そして薬に詳しいというノイチゴであった。
 今日は治療のためにノイチゴが、自分で調合した薬を彼に注射しようとしていた。彼女が寝室に来た時には、偶然看病や見舞に集まっていた他の四人が、発狂して暴れ出した彼を、何とか押さえつけている状態だったのである。
 リックは目覚めたわけではなく、全身を襲う苦痛と熱に魘されているだけだ。戦うために使用したアーレンツ製の薬物の副作用が、今も彼を苦しめている。副作用のせいで吐血までしてしまう、放っておくわけにはいかない危険な状態であった。
 彼は今、死よりも辛い苦痛と戦っている。死んでいないのが奇跡と言えた。苦しむリックの姿は、彼を愛する者達の心を抉り、その苦痛は涙となって現れる。治療に集中しているノイチゴ以外は、全員涙を流して彼の体を押さえつけていた。

「リクトビア・・・・・・」
「!」

 レイナもクリスも驚愕し、目の前の光景に言葉を失う中、ヴィヴィアンヌは彼の名を口にする。この光景は、彼女の心に様々な感情をあふれさせたが、今の彼女はそれしか言葉がでなかった。
 その言葉と気配で、最初にレイナ達に気が付いたのはイヴであった。レイナとクリスの姿を目にし、二人の後ろにいるヴィヴィアンヌにも気が付いたイヴは、泣き顔が一瞬で憤怒に変わってしまう。憎しみに突き動かされたイヴは、リックのもとを離れ、三人へと近付いていった。

「出てって!出てってよ!!」

 立ち尽くしていたレイナとクリスを寝室から押し出し、イヴはヴィヴィアンヌを睨み付ける。その眼は憎しみと殺意を放ち、今にも彼女を殺すかもしれなかった。

「レイナちゃん!クリス君!どうしてその女を連れてきたの!?」
「落ち着け女装男子!こいつは-------」
「その女のせいでリック君は今も苦しんでるんだよ!!二人共わかってるよね!?」

 今のイヴに何を言っても、怒りを煽るだけになってしまう。憎しみと殺意と悲しみに囚われてしまった今の彼には、どんな言葉も届かない。

「僕は絶対にその女を許さない!!二度とリック君に近付かせるもんか!」
「・・・・・・」

 ヴィヴィアンヌとイヴには因縁がある。リクトビアをヴィヴィアンヌが攫ったあの日の出来事を、イヴは今でも憎み続けている。彼が誰よりも彼女を憎んでいるのは、それが原因だった。
 それでも、イヴが彼女を殺さないのは、気付いてしまっているからだ。ヴィヴィアンヌを殺せばリックは悲しむ。彼を悲しませる事だけは、絶対にできない。だがもし、リックがこのまま永遠の眠りにつくような事があれば・・・・・・。

「もしもリック君が死んじゃったら・・・・・、僕がお前を八つ裂きにしてやる!!」

 憎しみに歪められた憤怒の顔。殺気を放つ鋭い眼光。イヴの言葉は本気であった。
 レイナとクリスを部屋から追い出し、イヴは乱暴に寝室の扉を閉めた。呆然とする三人の目に映る扉の中から、絶えずリックの叫び声が聞こえ続けていた。

「やっとの思いでリックを救い出したのに、悪夢は続いたままか」
「「!!」」

 気が付けば、三人のもとに一人の女性が姿を現していた。
 いつもの様に紅いドレスを身に纏う、帝国宰相リリカ。普段は妖艶な笑みを浮かべ、常に余裕のある表情を見せる事が多い彼女も、今は真剣な顔で寝室の扉を見つめていた。
 
「レイナ。彼女を連れてきてしまったんだね」
「はい・・・・・」
「待ってくれリリカ姉さん。こいつ馬鹿だから、眼帯女の頼みを聞いちまったんだ」
「別に怒ってはいないさ。その子はもう、リックを傷つけたりしないからね」

 笑みを浮かべていないため、てっきりクリスは、リリカもまた、怒りを露わにすると考えていた。だが彼女は、まるで全てを察しているかのように、ヴィヴィアンヌへと語り掛ける。

「君の迷いはリックに会っても解決しないよ」
「・・・・・!」
「これから自分が何をしたいのか、それを考えなさい。せっかく解放された命なんだから、自由に使うといい」

 怒るどころか諭してしまう。リリカには彼女の胸の内が、手に取るようにわかってしまうのだろう。そういう女性であるが故に、誰も彼女には逆らえない。
 
「どうしてもリックに会いたいなら出直しなさい。でないと今は、あの子達に殺されてしまうよ」
「・・・・・・貴様も私を殺さないのか?」
「リックを傷付けない限りはね。それに、君はレイナに気に入られている」

 そう言ったリリカはレイナへと視線を移し、彼女の腕を引いて体を抱き寄せた。突然の事に頬を紅く染めるレイナに向け、彼女は口を開く。

「私の可愛いレイナ」
「りっ、リリカ様!?一体何を・・・・・!」
「ところでクリス。さっきレイナを庇おうとしたね?随分この子に優しくなったじゃないか」
「かっ、庇ってなんかいねぇよ!俺はほんとの事言ったまでだぜ!」
「ふふふっ・・・・、そう言う事にしておこうか」

 レイナを抱き寄せ、微笑みを浮かべるリリカ。クリスの事を揶揄ったりと、急にどうしたんだと考えてしまう状況だが、リリカの態度を見て、クリスは彼女の思いを察した。
 
「ねぇクリス、少しレイナを借りてもいいかい?丁度、お茶の相手を探していたところでね」
「・・・・・・別に、俺の所有物ってわけじゃねぇ。リリカ姉さんの好きなようにしろよ」
「じゃあ悪いんだけど、その子を牢に送って行ってくれるかい?ここに置いていくわけにはいかないからね」
「ちっ、仕方ねぇな。おい眼帯女、俺に付いてこい」

 リリカとレイナをこの場に残し、クリスはヴィヴィアンヌを連れてこの場を後にしていく。ヴィヴィアンヌは無言ではあったが、彼の命令に大人しく従った。
 離れていく二人が見えなくなると、この場にはリリカとレイナしかいなくなった。二人が立つ寝室の扉の中からは、リックの絶叫と涙を流すイヴ達の悲鳴が止まない。その声が堪えられなくなって、レイナは自分の耳を両手で塞ぐ。そんな彼女を、リリカは優しく抱きしめた。

「あの女にリック様を奪われなければ、こんな事には・・・・・!」
「気にする事はない。リックが苦しんでいるのは、自業自得の結果だよ」
「リック様は優し過ぎます!私はもう、そのせいでリック様が苦しむ姿を見たくない!!」
「苦しむだけで済んで良かったじゃないか。皆が頑張ったからこそ、あれは死なずに済んだ」

 心の底に抑えていた、レイナ自身の嘆き。寝室から響き渡る彼の絶叫が、抑えられていた彼女の感情を溢れさせる。彼女はもう、我慢の限界だった。
 わかっていたからこそ、リリカは二人を離れさせた。そうしないとレイナが、悲しみを吐き出せないと知っているから・・・・・。

「さあ、好きなだけ泣き叫ぶといい。ここには私達しかいないよ」
「嫌です・・・・・。泣いてばかりじゃ、弱いままになってしまう・・・・・」
「弱くて結構だ。私の胸の中では、自分を槍と変える必要はない」

 その後、レイナはリリカに抱かれたまま、彼女の胸で静かに泣いた。
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