贖罪の救世主

水野アヤト

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第二十八話 激動

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 国家保安情報局本部。そのとある専用執務室に、彼の姿はあった。
 口元と顎に白い髭を生やす、五十代後半と言った風貌の、紳士的な男。彼は好物の葉巻を口に咥え、息を吸い、燐寸でそれに火をつけると、右手で葉巻を口から外し、煙を吐き出した。

「上手く事が運んでいると、そう願いたいものだ・・・・・・」

 執務室には誰もいない。葉巻を吹かし、そう独り言を呟いてしまうのは、彼の不安の表れであった。彼の名は、ディートリヒ・ファルケンバイン。「アーレンツの荒鷲」という異名を持つ、情報局准将である。

(予想通り帝国軍は動いた。あの男を利用し、帝国軍を穏健派の勢力に加えれば、この勢力争いに決着がつく)
 
 アーレンツは中立を維持し続けるべきだと主張する穏健派は、勢力の拡大を続ける強硬派に対し、劣勢を強いられている。穏健派の主要人物であるディートリヒは、この状況を挽回するべく、独自に行動を開始していた。
 帝国参謀長リクトビア・フローレンスを拉致し、帝国軍の力を得る事によって、穏健派の勢力拡大を図り、強硬派との争いに勝利を収める。その後は、自分が穏健派の実権を握り、国家保安情報局次期長官の座に就いて、この国の新たな支配者となる。それこそが彼の野望だ。
 その野望はもうすぐ叶う。そのための準備は出来ており、後は待つのみである。だがディートリヒは、この状況下で一抹の不安を覚えていた。
 
(暴豹の存在も気掛かりだが、あの男がこの状況を黙って見ているとは思えん・・・・)

 あの男とは、独裁国家ジエーデル国の支配者、バルザック・ギム・ハインツベントの事である。自分の敵である強硬派よりも、ジエーデル国総統を気にする理由は、バルザック・ギム・ハインツベントという男を、ディートリヒは誰よりも理解しているからだ。
 
(あの男はこの私を・・・・・、この国を排除したいと考えている。あの男の正体を知るのは、私を含めた極僅かの人間だけだが、それでも全てを消し去りたいと願っているはずだ)
 
 バルザックにとって、中立国アーレンツとディートリヒの存在は、この世で自分を最も脅かす存在なのである。その理由は、バルザックという男の正体を、ディートリヒは知っているからだ。
 本当の彼の正体を、ジエーデルの人間は誰も知らない。知ってしまえば、間違いなく消されてしまうだろう。バルザックの正体を知るという事は、彼を破滅させるきっかけを得るに等しいからだ。そのきっかけとなる情報を、ディートリヒは握っている。
 この情報が握られているからこそ、バルザックはこの国を侵略する事ができなかった。この情報がある限り、アーレンツはジエーデルの侵攻を受ける心配はない。しかし、バルザックという男は、弱みを握られたまま黙っていられる男ではないのだ。いつか必ずアーレンツを侵略に現れると、ディートリヒは既に読んでいる。
 その前に、国内の対立を終結させ、帝国を味方に付け、来るべきジエーデル戦に備えなくてはならない。急がなければ、全てが手遅れとなってしまう。

(あの男もまた鬼才だった。私では、野望に燃えるあの男を制御する事は出来なかった・・・・・)

 ディートリヒは後悔していた。今はバルザックと呼ばれている、自分が生み出した怪物を、自分の鎖から解き放つべきではなかったと。自分の鎖から放たれた時点で、すぐに始末しておくべきだったと、そう後悔し続けている。
 
(あの男は最初から反逆の機会を窺っていた。そのために、ジエーデルをアーレンツよりも強大な国と変えた)

 ジエーデル国が大陸中央の大国と変わったのは、バルザックが独裁者として君臨したからである。バルザックは絶対的支配体制を築き上げ、国力の強化に努めた。今では、アーレンツとの軍事力差は決定的であり、ジエーデル軍の全力侵攻が行なわれたら最後、アーレンツは忽ち押し潰されてしまうだろう。
 
(あの男と戦うためには、帝国とエステランの国力が不可欠だ。これ以外に、この国が生き残る道はない)

 迫るバルザックの脅威。ディートリヒにとっては、雌雄を決する時が来た。
 戦わなければ、この国も、自分も、生き残る事は出来ない。滅亡の足音に抗うためには、自分が国家保安情報局の長官となり、この国の支配者となる他ないのだ。

(それを邪魔する者達には、消えて貰うよりないな・・・・・)

 今、国内でディートリヒの邪魔をする存在は、穏健派と対立状態の強硬派である。
 今まで彼は、強硬派との武力衝突避けるため、強硬派主要人物の暗殺などは行なわなかった。強硬派の方も、情報局の番犬ヴィヴィアンヌの存在を恐れ、そのような手段を講じる事はなかった。どちらも手を出さない均衡状態。故に、どちらかが武力を行使すれば、それは確実に内戦へと発展してしまう。そういう対立構図を、両勢力は作り上げてしまったのである。
 強硬派の邪魔さえ入らなければ、ディートリヒの計画は達成される。だからこそ、ここは万全を期すために、今の内に邪魔者を排除するべきだと考えたのである。
 彼の配下には、どんな暗殺すらも成功させてしまう、ヴィヴィアンヌの存在がある。彼女さえいれば、強硬派の主要人物を、一晩で皆殺しにする事も可能だろう。

(特に、暴豹にはすぐにでも消えて貰いたいものだ)

 強硬派一の危険人物。彼はまだ動き出してはいない。
 暴豹と呼ばれている、最大の危険人物を今の内に排除できれば、ディートリヒは安心して計画を進める事ができる。
 だが、彼が暗殺という手段を選ぶのは、あまりにも遅かった・・・・・・。

「失礼しますよ、ファルケンバイン准将」
「!!」

 ディートリヒの執務室の扉を開き、突然入室してきた人物達。ノックもせずに入って来たのは、彼がよく知っている人物と、その部下達であった。

「・・・・・グリュンタール大佐、私に何用かね?」
「准将閣下、それは御自分の胸に聞いてみるべきではないですか?」
 
 突然執務室へと入室し、笑みを浮かべ、ディートリヒに狙いを定めるこの男の名は、ルドルフ・グリュンタール。国家保安情報局大佐であり、強硬派主要人物の一人で、「暴豹」という異名を持つ危険な人物だ。

「准将閣下。国家反逆罪の容疑で貴方を逮捕致します」
「何の冗談かね?私が祖国を裏切るなどあり得ない」
「白々しい。貴方が裏で行なった反逆行為は全て調べがついている」

 とぼけて見せるディートリヒだが、ルドルフの態度を見て、彼は悟った。強硬派一の危険人物に、自分は後れを取ってしまったのだと・・・・・・。

「貴方は第四特殊作戦部隊に命令し、ヴァスティナ帝国参謀長を拉致した。更に、穏健派勢力拡大のために帝国参謀長と密約を交わした。違いますか?」
「面白い冗談だ。どこにそんな証拠があるというのかね?」
「実は昨日、貴方の秘書をやっている女性局員を尋問致しましてね。彼女が知っている事は全部教えて貰いました」

 表情こそ変えなかったが、ディートリヒの焦りと苛立ちは増すばかりであった。
 ルドルフが暴豹と呼ばれる所以は、その行動力の高さと大胆さに加え、同じ人間とは思えないほどの残忍さにある。ディートリヒに悟られぬよう、ルドルフは彼の秘書官を秘かに拉致し、尋問という名の拷問を行なったのである。秘書官は抵抗したが、ルドルフと彼の部下達は、彼女を徹底的に痛めつけ、薬物まで使用して口を割らせた。目的のためならどんな手段も厭わず、どんな非道な手段も使うのが、ルドルフのやり方なのである。
 尋問された女性局員は、ディートリヒの野望の全てを知っているわけではないが、帝国参謀長の拉致も、二人の密談も、彼女はその眼で見てしまっている。そのせいで彼女は、ルドルフの標的とされてしまったのだ。
 
「私の部下を勝手に尋問するとはな。一体誰の許可を得てこんな真似をしている?」
「許可など取る必要はない。既に俺の部下は、閣下自慢の番犬も、国家反逆の決定的証拠も確保している」
「アイゼンリーゼ大尉も拘束したか・・・・・。決定的証拠と言ったが、私の部下が証言したからと言って、そんなものが確実な証拠となりえるかね?」
「勘違いしないで貰いたい。決定的証拠と言うのは証言ではなく、閣下が隠している人物だ」

 ディートリヒを確実に仕留めるためには、彼が独断で帝国と手を組んだという、決定的な証拠が必要なのである。その証拠さえ掴んでしまえば、ディートリヒは独断で他国と手を結び、アーレンツの支配を目論んだとして、国家反逆罪の罪で糾弾できるのだ。
 つまり、ディートリヒの交渉相手であり、彼が国内の何処かに密かに監禁している、帝国参謀長を反逆罪の証拠として確保すれば、ルドルフの勝利となる。

「特別収容所から場所を移したようだが、既に監禁場所の見当はついている。奴の管理を番犬に一任したのは間違いだったな」
「・・・・・どういう事かね?」
「休暇の日すら自宅に戻らないあの女が、最近は毎日帰っていると聞いたぞ。あの女は自分の両親を殺して以来、滅多に家に帰らないと知らなかったのか?」

 ディートリヒ最強の部下である、ヴィヴィアンヌ・アイゼンリーゼ。彼女については、ディートリヒよりもルドルフの方が詳しい。
 ルドルフの言う通り、彼女は自分の両親を殺して以来、家にほとんど帰らなくなった。常に任務を遂行し、事務仕事などで情報局本部にいる時も、本部内で夜を明かす。任務も事務仕事もない時ですら、酒場などで夜を明かすほどだ。
 そんな彼女が、最近は必ず自宅へと帰る。部下からの報告でそれを知ったルドルフは、すぐにその理由に気が付いた。家を避け続ける彼女が、毎日必ず家に戻るのは、そうせざる負えない理由を作ってしまったからだと、そう考えたルドルフは部下に命じて、既に行動させている。
 
「奴を手に入れさえすれば、閣下も穏健派も終わりだ。焦って帝国と手を結ぼうなどと考えたのが間違いだったな」
「くっ・・・・・!」
「今日が穏健派最後の日だ。ディートリヒ・ファルケンバイン准将閣下。そろそろ貴方には、この舞台から御退場頂こう」

 ルドルフがそう言うと、彼の部下達は一斉に武器を構えた。その武器は弩であり、既に弦は引かれ、矢も備えられており、いつでも発射可能な状態である。
 それを見たディートリヒは、ルドルフの狙いをすぐに理解し、酷く後悔した。強硬派の動きをもっと警戒するべきであったと・・・・・・、そして、暴豹という異名を持つルドルフの事を、無理やりにでも始末しておけばよかったと・・・・・・。

「私を逮捕するのではなく、この場で抹殺する気か!?」
「当然だ。老いたとはいえ、アーレンツの荒鷲と呼ばれた男を生かしておくなど危険すぎるからな」
「どうやら私は、君を甘く見過ぎていたようだ・・・・・・」
「ふん。強硬派ではなくジエーデルばかりに気を取られていたから、俺の動きも見破れなかっただけだろう?子飼いだった鴉がそんなに恐ろしいのか?」
「!!」

 その言葉で、ディートリヒは手に持っていた葉巻を落とし、驚愕の表情を見せ、ルドルフは不敵な笑みを浮かべた。ディートリヒからすれば、この場で自分しか知らないはずの最重要機密を、彼が知っていたとわかったのである。何故それを知っているのか?どうやってその機密を知ったのか?数多くの疑問が、ディートリヒの頭の中で渦を巻いていた。

「俺がこの秘密を知っている限り、ジエーデルはこの国に手は出せない。無論、いつかは我々事この秘密を消しにかかるだろうがな」
「その秘密を知ったからこそ、このような大胆な行動に出たわけか・・・・・!」
「この秘密を利用すれば、少なくとも時間稼ぎくらいには使えるだろうさ。その間に例の新兵器を完成させて数を揃えれば、あんな独裁国家など恐ろしくもない」

 強硬派はアーレンツ長年の悲願である、大陸全土の支配を目論んでいる。そのための切り札となるのが、ディートリヒが長年隠し続けた最重要機密と、ルドルフ指揮下で研究中の新兵器である。
 これらの切り札を持つ故に、ルドルフは将来待ち受けるジエーデル国との戦いに、勝利を確信しているのだ。
 
「さて、俺から話す事はもう何もないが、最後に言い残す事はあるか?」
「・・・・・・一つだけ聞かせて貰おう」
「最後の言葉ではなく質問ときたか。いいだろう、何を聞きたい?」
「グリュンタール大佐。君はこの国が大陸全土を支配する日が来ると、本当に信じているのかね?」

 強硬派の最終目的は、アーレンツの長年の悲願成就である。しかしそれは、夢物語にも等しい話だ。それをルドルフが理解していないわけがない。
 理解していながら、彼が何故、強硬派のためにこのような大胆な行動に出たのか、それを知っておきたいと思ったのである。
 ディートリヒの質問に対し、ルドルフは笑って見せた。馬鹿にするように、部屋中に響き渡るほどの笑い声を上げて、部下達が困惑するのも構わず、自分が飽きるまで笑い続けた。

「信じているだと?馬鹿らしい、信じるわけがないだろう。大陸支配を成し遂げられる力など、この国には存在しないのだからな」
「では何故、君は強硬派に身を置いているのだね?」
「簡単な話だ。俺はこの国で、人間という名の玩具で遊んでいたいだけだ。そのための遊び場を持ち続けるためには、常に勝者でなくてはならない」
「・・・・・・・そう言う事か」
「なに?」

 何かを納得したような態度のディートリヒに、ルドルフの鋭い視線が突き刺さる。だが彼はそれをものともせず、不敵な笑みを返して口を開いた。
 どうせ自分はここで終わる。ならばせめて、最後は荒鷲の名に恥じぬよう終わろうと・・・・・。 

「暴豹と呼ばれていても、根は小物か。その程度では、ジエーデルにいる鴉に啄まれるぞ?」
「・・・・・調子に乗るな荒鷲。さっさと死ね」

 ルドルフの言葉を合図に、彼の部下達が弩の引き金を引き、一斉に矢を放つ。矢はディートリヒ目掛け放たれ、次の瞬間には全ての矢が彼の体に突き刺さった。命中した矢の内の一本は、彼の心臓を確実に射抜いており、ディートリヒは悲鳴を上げる事もなく絶命したのである。

「老いた荒鷲はこれで退場だな」

 死体となったディートリヒを一瞥し、ルドルフは次の行動に移るため振り返る。
 彼らは立ち止まるわけにはいかない。邪魔な存在は、一人残らず排除しなくてはならない。排除しなければならない存在は、ディートリヒ以外にもまだ大勢いるのだ。

「行くぞ、次は穏健派幹部を一人残らず逮捕する」
「了解致しました、大佐」

 執務室を後にしようとするルドルフに、彼の部下達は武器を収め続いていく。
 部屋を出る直前、歩みを止めたルドルフは今一度振り返り、死体となった荒鷲を見る。体に矢が突き刺さったにも関わらず、不敵な笑みを浮かべて死んでいる荒鷲に、彼は敬意を表して言葉をかけた。

「さらばだ、ファルケンバイン准将閣下」
 
 数多くの勲章を授与され、「アーレンツの荒鷲」と呼ばれていた、ディートリヒ・ファルケンバイン。
 彼は暴豹の手によって殺された。これは、国家保安情報局内の対立構図に、大きな影響を与える結果を生むだけでなく、祖国滅亡の未来を回避しようとしていた穏健派が、突如最後の日を迎えた事を意味するのであった。
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