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3.用事と信頼と彼女の過去
3.6
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式見は次の話をすぐには始めず、五分ほど間を空けた。
その間に何か考えるような仕草をしていたから――たぶん、僕がさっきの申し出を断る可能性も考えていたんだと思う。だから、実際に聞いてから教えるための言葉と順序を考える時間だったのだろう。
でも、その話の始まりは、あまり想定していない言葉だった。
「ソーイチは……私の名前をネットで検索したことある?」
「け、検索は……してないよ。式見に限らず、知り合いはあんまりやらない方がいいと思ってるし」
実際は式見の過去を想像してはいたけど、その後も式見の名前や男子が言っていた動画を探したりすることはなかった。
「うん、真面目なソーイチらしい。男が爪を短くする理由は調べたけど」
「余計なこと言うな。それでネット検索がどうかしたのか?」
「じゃあ、今から調べてみて」
本人からそう勧められても僕は少し躊躇してしまうが、式見を見ると頷いてくるので、僕はスマホのブラウザを開いて検索欄をタップする。
ネットで誰かの名前を検索するとすれば、メディアに出演している人や作品の登場人物の名前が多くなると思う。その際に、名前の後ろにはその人物に関する、あるいは実際は関連性のない単語や文章が検索候補として出てくるものだ。
それを自分の名前や近しい人で検索してしまうと――もしかしたら閲覧しなくてもいい情報を掴んでしまうかもしれない。知らないままでいた方が幸せだった真実が浮かび上がってくるかもしれない。
僕が式見のことを調べたくなかったのはそういう考えがあったからだけど……式見の場合は近しい人であってもメディアに出演した側の人だったことをこの検索で思い知った。
「式見恵香――フラッシュ暗算」
それに続けて「難読漢字」や「国旗」、テレビバラエティの番組名が並んでいて。下位の方にはネガティブな単語もあったが――共通して言えるのは、式見の現状を知らないこと。
「……記憶力抜群の天才少女」
――彼女は今どこで何をしているのか?という記事タイトルだった。京本と今峰が教えてくれた、式見が天才少女と呼ばれていて、テレビに出たことがあるという話。天才についてはてっきり今も呼ばれているものかと思っていたけど、検索候補や記事タイトルから過去の称号だったことがわかる。
そんな僕の呟きを式見は補足する。
「天才は間違いだけど、私は記憶力が異常なの。言葉を覚えるのも早かったらしいけど、顕著になったのは四歳の時だった。両親が一回だけ読み聞かせた本を私が空で言えたから、記憶力が普通じゃないことに気付かれたの」
「……なんか言い方に棘があるな。記憶力があるのはいいことじゃないのか?」
「……ソーイチ、私が初めてソーイチの弁当を分けて貰った時の献立覚えてる?」
「え? えっと……卵焼きは確定で、からあげを食べられたのは惜しむ気持ちがあったのは覚えてる」
「玉子焼きにからあげ。チーズ入ったウインナーと白身フライ。タルタルソース入ってるやつね。ちくわの揚げ物と焼いたブロッコリー。あと、私は食べてないけど、鮭のふりかけご飯とほうれん草のごま和え――以上かな」
式見はすらすらと言ってくるので僕は驚く。最初に分けて貰った印象から覚えていた可能性もあるけど、自分が食べていない物まで覚えているのは、式見が言うところの普通じゃない感じが伝わってくる。僕なんて三日前の弁当の中身すら毎回入っている玉子焼きくらいしか覚えていないのだから。
「ソーイチが覚えてないと正解かどうかはわからないんだけどね」
「いや、そこまで堂々と言えるなら本当だってわかるよ」
「じゃあ、ソーイチと私が初めて対面した時、ソーイチが最初に言った言葉は?」
「初めて対面したのは職員室……じゃなくて教室だったから、なんでこんなことをしたか質問してた時?」
「正解は私に指を咥えられて“なっ!?”という驚きからの噛まれた痛みによる“ぎゃああああああ!!!”という叫び声よ」
「いや、たぶん正解なんだろうけど、弁当の中身より説得力下がってないか?」
「じゃあ、私が買ってくるお惣菜パンがこれまで一回も被りがないことについては?」
「ま、マジで? 言われてみると焼きそばパンは初めて買ってきたような……」
「ひどいわ、ソーイチ。私は五日前と同じ商品じゃないか、って怒られないように工夫していたのに」
「いや、別に僕は同じ商品で怒ったりしないし、五日も経ってたらローテーション的には問題ないだろう」
ただ、五日前に買ってきた惣菜パンが何だったかと聞かれると――全く思い出せなかった。毎回違う物だと食べた印象はあっても正確な日付までは覚えていない。
「まぁ、それはともかく……単に記憶力がいいわけじゃなくて、覚え過ぎなレベルなのよ。私の場合は」
式見の発言を聞いて、僕はある症候群の話を思い出したけど――それを質問する前に、式見の話は僕が口を挟めないほどの勢いが出てくる。
「ただ、それに気付いた両親は私に色々なことを教え始めた。漢字や英単語、計算方法や国旗なんかをね。最初は将来の勉強を先取りさせる程度だったのかもしれないけど、私は全部覚えていった。文字通り、寸分違わず全部。それができることは両親にとって喜ばしいことだった。だけど……その喜びを家庭内だけに留めることはできなかった」
式見の両親は式見の才能を自慢したかった、あるいは記録として残したかったらしい。
式見が幼稚園に通い始めた頃、式見の両親は複数のテレビ番組に式見のことを売り込んだ。
それこそ「記憶力抜群の少女」とか「幼稚園で大人顔負けの知識を持つ」とか、それらに類似する触れ込みで。
それがとある番組の目に留まって、応募から程なくして式見はテレビデビューを果たす。最初はさっきの検索候補の上の方に出て来たフラッシュ暗算だった。もしかしたら僕も見ていたのかもしれないが、その頃は僕も幼稚園児なので、仮に見たとしてもよほど興味がなければ記憶には残らない。
しかし、当時お茶の間で見ていた他の人達は、式見の才能を感心し、賞賛し、世間話や今ほど広くなかった当時のネット上で話題が広まった。
その話題が他の番組やメディアにも伝わって、式見のテレビ出演や取材の数はどんどんと増えていった。
「その時期の両親はいつも笑っていたわ。自慢したい欲が満たされていたから」
「式見……」
「……ごめん。ソーイチに愚痴を言っても仕方ないのはわかってる。でも、両親が一番笑顔だった頃の私は……全然楽しくなかったの」
そう言った式見は、表情に影を落とした。
けれども、式見の本心とは裏腹に、式見の両親やメディアは式見をもっと活躍させようとした。
一度見せた芸は、視聴者側からすると見飽きてしまうから、式見は歳不相応に新しい知識をたくさん覚えさせられたのだ。より難しい言葉や計算を。
それが小学校に入ってからも続いて、式見の時間はメディア出演と学校生活の二つに縛られることになった。
「小学生になると、同級生もテレビで見たり、親から聞かされたりして私の記憶力のことを知っていた。そこでの私は……いい見世物だったと思う。みんな凄いだ何だとは言ってくるけど、一定の距離を置いていた」
それがどの程度の距離なのかは想像するしかないが――僕は式見を屋上前で見つけた時の話を頭の片隅で思い出していた。
「でも、ここに関して言えば、私にも悪いところがあると思ってる。私は覚えられるのが当たり前だと思っていたから……同級生と話が合わなかった。テストは常に満点に近い点数を取ってしまったし、趣味の話をするにしても私はみんなと同じような遊びができていなかった。それに同じ話題を出しても私は変に覚え過ぎているから、結局、話が合わなくて……引かれてしまったの」
――式見には悪いけど、僕だって時々、式見と会話が噛み合わない時がある。それがわざとかどうかはわからないが――少なくとも十七歳の高校生の僕であれば、多少の嚙み合わなさをスルーしたり、我慢したりできる。
でも、それがまだ二桁未満の年齢の小学生となると――受け入れられない部分や拒否感の強弱もわからなかったに違いない。そんな気遣いや配慮をしてまで式見に合わせる必要はないのだから。
「そんな自分が嫌になって……小学五年生の四月十六日。私は初めて学校をサボった。その日からテレビの撮影でも本気を出さなくなった。当然ながら両親は私を叱ったけど……両親が今まで私にしてきた嫌だったことを全部話した。覚えている限り全部。そうしたら、両親は黙ってしまったわ」
式見は嘲笑気味に言う。僕が妹の話をしていなかったように、式見も自分の家族について話していなかったけど――話してしまうと、今のようになってしまうから避けていたのだろう。
そうなると、式見が一人暮らしをしている意味が随分と変わってくる。
「それから中学生に上がる前には、テレビに出演しなくなった。だけど、私はサボることを辞めなかった。どうせ教室に行っても私の印象は変わらないから。それが中学も高校も続いて……今に至るわけ」
式見は全て言い終えた合図のように、大きく息を吐いた。きっと、今の話の中には言葉に出すだけでも嫌な気持ちになるものがあったに違いない。
ただ、それを聞いた上で、僕が最初に聞いてしまったのは――
「……式見にとっては今のクラスも窮屈なのか」
「……まぁ、一番嫌だった小学生時代と比べたら可愛いものだけどね」
僕の遠回しな質問に、式見はオブラートに包んだ答えを返す。
自分のクラスにそういう空気はないと思っていたが、あくまでそれは僕から見える範囲でしかない。何なら僕は周りへの関心が薄いから目に入っても気付かない可能性がある。
でも、その事実を知ってしまうと――
「ソーイチが責任を感じる必要はないから」
しかし、僕が何か思う前に式見は先回りして言う。
「私がソーイチに話したかったのは、記憶力が異常なことを知って欲しかったのと、それに纏わる話を隠したままにしたくなかったからなの。だから、ソーイチが感じるべきなのは……これから私に披露した性癖は私が覚えて墓まで持っていくってことだけ」
「式見、そこはふざけなくてもいい」
「ふざけてないわよ。私と話していたらそんな変な部分まで覚えてしまうってこと」
そう言いながらも式見は少し笑っていたから、真剣に話し過ぎたと思ったのかもしれない。そうじゃなければ――過去にクラスメイトに対してそういう失敗してしまったか。
つまり、式見が言いたかったのは――覚えて欲しくないことは自分の前で口にするな、ということか。
「わかった。僕も覚えておくよ」
「ソーイチ、話はまだ終わってない」
「ま、まだあるのか?」
「ここまで知って貰った上で、ソーイチに言いたいことがあるの――逃げるなら今のうちって」
「……は?」
予想外の言葉に僕は困惑してしまう。
式見をようやく友達になれて、式見の内情を知ったというのに、なぜ「逃げる」なんて言葉が出てくるのか。
だが、僕がその疑問を口にする前に、式見は先んじて喋り出す。
「ソーイチがこのまま私と一緒にいると、きっと後悔するようなことが起きると思う。でも、私はソーイチが気に入ったから、一度でも私を受け入れたら離れるつもりはないわ。だから、逃げるなら……今のうちにソーイチの方から言わないとダメ」
式見と一緒にいて後悔すること――今日までに何回かあったような気もするけど……式見の真剣な眼差しからして、僕が今想像した範囲のことではない。
式見がまだサボりを続けたり、僕の余計な情報を覚えたりすること以上の何かがあると、式見は予感している。僕のことを見透かしてくる式見だから、思い過ごしではないのだろう。
「……逃げないよ。荒巻先生はまだ式見の面倒を見るのを辞めていいと言ってくれないから」
「む―……それじゃあ、ソーイチの意思じゃなくない?」
「でも、こう言えば僕の性格上逃げることはないと式見はわかるだろう?」
「それはまぁ……うん」
「はぁー 長いこと話したな。もう朱葉の準備も終わってるだろうし、式見もそっちに移動していいぞ」
「そ、ソーイチ……本当にいいの?」
僕の言葉を聞いた式見は不安そうに確認してくる。
それに対して僕が言うべき言葉は――
「式見が僕を信じてくれるなら」
「……うん。信じてる」
それから式見とおやすみの挨拶を交わすと、僕はリビングを出て扉を閉める。
その直後、息を止めていたわけでもないのに、息切れしたように呼吸が荒くなった。
最後は少しカッコつけてしまったが、本当は凄く緊張していたし、心がキュッとなる瞬間があった。
いったいどれくらいの時間、話していたのかわからないけど、その中で僕は全ての感情を出したような気がする。
式見の態度に怒って、式見と友達になったことを喜んで、式見の過去を聞いて哀しんで――式見の最後の言葉を聞いて安心して。
だけど、最終的には……やっぱり式見と過ごしたこの時間は悪くないと思える。
それが僕の――式見に対する信頼の証だ。
その間に何か考えるような仕草をしていたから――たぶん、僕がさっきの申し出を断る可能性も考えていたんだと思う。だから、実際に聞いてから教えるための言葉と順序を考える時間だったのだろう。
でも、その話の始まりは、あまり想定していない言葉だった。
「ソーイチは……私の名前をネットで検索したことある?」
「け、検索は……してないよ。式見に限らず、知り合いはあんまりやらない方がいいと思ってるし」
実際は式見の過去を想像してはいたけど、その後も式見の名前や男子が言っていた動画を探したりすることはなかった。
「うん、真面目なソーイチらしい。男が爪を短くする理由は調べたけど」
「余計なこと言うな。それでネット検索がどうかしたのか?」
「じゃあ、今から調べてみて」
本人からそう勧められても僕は少し躊躇してしまうが、式見を見ると頷いてくるので、僕はスマホのブラウザを開いて検索欄をタップする。
ネットで誰かの名前を検索するとすれば、メディアに出演している人や作品の登場人物の名前が多くなると思う。その際に、名前の後ろにはその人物に関する、あるいは実際は関連性のない単語や文章が検索候補として出てくるものだ。
それを自分の名前や近しい人で検索してしまうと――もしかしたら閲覧しなくてもいい情報を掴んでしまうかもしれない。知らないままでいた方が幸せだった真実が浮かび上がってくるかもしれない。
僕が式見のことを調べたくなかったのはそういう考えがあったからだけど……式見の場合は近しい人であってもメディアに出演した側の人だったことをこの検索で思い知った。
「式見恵香――フラッシュ暗算」
それに続けて「難読漢字」や「国旗」、テレビバラエティの番組名が並んでいて。下位の方にはネガティブな単語もあったが――共通して言えるのは、式見の現状を知らないこと。
「……記憶力抜群の天才少女」
――彼女は今どこで何をしているのか?という記事タイトルだった。京本と今峰が教えてくれた、式見が天才少女と呼ばれていて、テレビに出たことがあるという話。天才についてはてっきり今も呼ばれているものかと思っていたけど、検索候補や記事タイトルから過去の称号だったことがわかる。
そんな僕の呟きを式見は補足する。
「天才は間違いだけど、私は記憶力が異常なの。言葉を覚えるのも早かったらしいけど、顕著になったのは四歳の時だった。両親が一回だけ読み聞かせた本を私が空で言えたから、記憶力が普通じゃないことに気付かれたの」
「……なんか言い方に棘があるな。記憶力があるのはいいことじゃないのか?」
「……ソーイチ、私が初めてソーイチの弁当を分けて貰った時の献立覚えてる?」
「え? えっと……卵焼きは確定で、からあげを食べられたのは惜しむ気持ちがあったのは覚えてる」
「玉子焼きにからあげ。チーズ入ったウインナーと白身フライ。タルタルソース入ってるやつね。ちくわの揚げ物と焼いたブロッコリー。あと、私は食べてないけど、鮭のふりかけご飯とほうれん草のごま和え――以上かな」
式見はすらすらと言ってくるので僕は驚く。最初に分けて貰った印象から覚えていた可能性もあるけど、自分が食べていない物まで覚えているのは、式見が言うところの普通じゃない感じが伝わってくる。僕なんて三日前の弁当の中身すら毎回入っている玉子焼きくらいしか覚えていないのだから。
「ソーイチが覚えてないと正解かどうかはわからないんだけどね」
「いや、そこまで堂々と言えるなら本当だってわかるよ」
「じゃあ、ソーイチと私が初めて対面した時、ソーイチが最初に言った言葉は?」
「初めて対面したのは職員室……じゃなくて教室だったから、なんでこんなことをしたか質問してた時?」
「正解は私に指を咥えられて“なっ!?”という驚きからの噛まれた痛みによる“ぎゃああああああ!!!”という叫び声よ」
「いや、たぶん正解なんだろうけど、弁当の中身より説得力下がってないか?」
「じゃあ、私が買ってくるお惣菜パンがこれまで一回も被りがないことについては?」
「ま、マジで? 言われてみると焼きそばパンは初めて買ってきたような……」
「ひどいわ、ソーイチ。私は五日前と同じ商品じゃないか、って怒られないように工夫していたのに」
「いや、別に僕は同じ商品で怒ったりしないし、五日も経ってたらローテーション的には問題ないだろう」
ただ、五日前に買ってきた惣菜パンが何だったかと聞かれると――全く思い出せなかった。毎回違う物だと食べた印象はあっても正確な日付までは覚えていない。
「まぁ、それはともかく……単に記憶力がいいわけじゃなくて、覚え過ぎなレベルなのよ。私の場合は」
式見の発言を聞いて、僕はある症候群の話を思い出したけど――それを質問する前に、式見の話は僕が口を挟めないほどの勢いが出てくる。
「ただ、それに気付いた両親は私に色々なことを教え始めた。漢字や英単語、計算方法や国旗なんかをね。最初は将来の勉強を先取りさせる程度だったのかもしれないけど、私は全部覚えていった。文字通り、寸分違わず全部。それができることは両親にとって喜ばしいことだった。だけど……その喜びを家庭内だけに留めることはできなかった」
式見の両親は式見の才能を自慢したかった、あるいは記録として残したかったらしい。
式見が幼稚園に通い始めた頃、式見の両親は複数のテレビ番組に式見のことを売り込んだ。
それこそ「記憶力抜群の少女」とか「幼稚園で大人顔負けの知識を持つ」とか、それらに類似する触れ込みで。
それがとある番組の目に留まって、応募から程なくして式見はテレビデビューを果たす。最初はさっきの検索候補の上の方に出て来たフラッシュ暗算だった。もしかしたら僕も見ていたのかもしれないが、その頃は僕も幼稚園児なので、仮に見たとしてもよほど興味がなければ記憶には残らない。
しかし、当時お茶の間で見ていた他の人達は、式見の才能を感心し、賞賛し、世間話や今ほど広くなかった当時のネット上で話題が広まった。
その話題が他の番組やメディアにも伝わって、式見のテレビ出演や取材の数はどんどんと増えていった。
「その時期の両親はいつも笑っていたわ。自慢したい欲が満たされていたから」
「式見……」
「……ごめん。ソーイチに愚痴を言っても仕方ないのはわかってる。でも、両親が一番笑顔だった頃の私は……全然楽しくなかったの」
そう言った式見は、表情に影を落とした。
けれども、式見の本心とは裏腹に、式見の両親やメディアは式見をもっと活躍させようとした。
一度見せた芸は、視聴者側からすると見飽きてしまうから、式見は歳不相応に新しい知識をたくさん覚えさせられたのだ。より難しい言葉や計算を。
それが小学校に入ってからも続いて、式見の時間はメディア出演と学校生活の二つに縛られることになった。
「小学生になると、同級生もテレビで見たり、親から聞かされたりして私の記憶力のことを知っていた。そこでの私は……いい見世物だったと思う。みんな凄いだ何だとは言ってくるけど、一定の距離を置いていた」
それがどの程度の距離なのかは想像するしかないが――僕は式見を屋上前で見つけた時の話を頭の片隅で思い出していた。
「でも、ここに関して言えば、私にも悪いところがあると思ってる。私は覚えられるのが当たり前だと思っていたから……同級生と話が合わなかった。テストは常に満点に近い点数を取ってしまったし、趣味の話をするにしても私はみんなと同じような遊びができていなかった。それに同じ話題を出しても私は変に覚え過ぎているから、結局、話が合わなくて……引かれてしまったの」
――式見には悪いけど、僕だって時々、式見と会話が噛み合わない時がある。それがわざとかどうかはわからないが――少なくとも十七歳の高校生の僕であれば、多少の嚙み合わなさをスルーしたり、我慢したりできる。
でも、それがまだ二桁未満の年齢の小学生となると――受け入れられない部分や拒否感の強弱もわからなかったに違いない。そんな気遣いや配慮をしてまで式見に合わせる必要はないのだから。
「そんな自分が嫌になって……小学五年生の四月十六日。私は初めて学校をサボった。その日からテレビの撮影でも本気を出さなくなった。当然ながら両親は私を叱ったけど……両親が今まで私にしてきた嫌だったことを全部話した。覚えている限り全部。そうしたら、両親は黙ってしまったわ」
式見は嘲笑気味に言う。僕が妹の話をしていなかったように、式見も自分の家族について話していなかったけど――話してしまうと、今のようになってしまうから避けていたのだろう。
そうなると、式見が一人暮らしをしている意味が随分と変わってくる。
「それから中学生に上がる前には、テレビに出演しなくなった。だけど、私はサボることを辞めなかった。どうせ教室に行っても私の印象は変わらないから。それが中学も高校も続いて……今に至るわけ」
式見は全て言い終えた合図のように、大きく息を吐いた。きっと、今の話の中には言葉に出すだけでも嫌な気持ちになるものがあったに違いない。
ただ、それを聞いた上で、僕が最初に聞いてしまったのは――
「……式見にとっては今のクラスも窮屈なのか」
「……まぁ、一番嫌だった小学生時代と比べたら可愛いものだけどね」
僕の遠回しな質問に、式見はオブラートに包んだ答えを返す。
自分のクラスにそういう空気はないと思っていたが、あくまでそれは僕から見える範囲でしかない。何なら僕は周りへの関心が薄いから目に入っても気付かない可能性がある。
でも、その事実を知ってしまうと――
「ソーイチが責任を感じる必要はないから」
しかし、僕が何か思う前に式見は先回りして言う。
「私がソーイチに話したかったのは、記憶力が異常なことを知って欲しかったのと、それに纏わる話を隠したままにしたくなかったからなの。だから、ソーイチが感じるべきなのは……これから私に披露した性癖は私が覚えて墓まで持っていくってことだけ」
「式見、そこはふざけなくてもいい」
「ふざけてないわよ。私と話していたらそんな変な部分まで覚えてしまうってこと」
そう言いながらも式見は少し笑っていたから、真剣に話し過ぎたと思ったのかもしれない。そうじゃなければ――過去にクラスメイトに対してそういう失敗してしまったか。
つまり、式見が言いたかったのは――覚えて欲しくないことは自分の前で口にするな、ということか。
「わかった。僕も覚えておくよ」
「ソーイチ、話はまだ終わってない」
「ま、まだあるのか?」
「ここまで知って貰った上で、ソーイチに言いたいことがあるの――逃げるなら今のうちって」
「……は?」
予想外の言葉に僕は困惑してしまう。
式見をようやく友達になれて、式見の内情を知ったというのに、なぜ「逃げる」なんて言葉が出てくるのか。
だが、僕がその疑問を口にする前に、式見は先んじて喋り出す。
「ソーイチがこのまま私と一緒にいると、きっと後悔するようなことが起きると思う。でも、私はソーイチが気に入ったから、一度でも私を受け入れたら離れるつもりはないわ。だから、逃げるなら……今のうちにソーイチの方から言わないとダメ」
式見と一緒にいて後悔すること――今日までに何回かあったような気もするけど……式見の真剣な眼差しからして、僕が今想像した範囲のことではない。
式見がまだサボりを続けたり、僕の余計な情報を覚えたりすること以上の何かがあると、式見は予感している。僕のことを見透かしてくる式見だから、思い過ごしではないのだろう。
「……逃げないよ。荒巻先生はまだ式見の面倒を見るのを辞めていいと言ってくれないから」
「む―……それじゃあ、ソーイチの意思じゃなくない?」
「でも、こう言えば僕の性格上逃げることはないと式見はわかるだろう?」
「それはまぁ……うん」
「はぁー 長いこと話したな。もう朱葉の準備も終わってるだろうし、式見もそっちに移動していいぞ」
「そ、ソーイチ……本当にいいの?」
僕の言葉を聞いた式見は不安そうに確認してくる。
それに対して僕が言うべき言葉は――
「式見が僕を信じてくれるなら」
「……うん。信じてる」
それから式見とおやすみの挨拶を交わすと、僕はリビングを出て扉を閉める。
その直後、息を止めていたわけでもないのに、息切れしたように呼吸が荒くなった。
最後は少しカッコつけてしまったが、本当は凄く緊張していたし、心がキュッとなる瞬間があった。
いったいどれくらいの時間、話していたのかわからないけど、その中で僕は全ての感情を出したような気がする。
式見の態度に怒って、式見と友達になったことを喜んで、式見の過去を聞いて哀しんで――式見の最後の言葉を聞いて安心して。
だけど、最終的には……やっぱり式見と過ごしたこの時間は悪くないと思える。
それが僕の――式見に対する信頼の証だ。
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