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いぬぐるい編

新しい世界

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 口元の黒子ほくろだけを信じていた──。

 成長するにつれ、気付き始める違和感。
 母である王妃の、時折見せる蔑む視線。
 母や弟と顔立ちや瞳の色が違っても、レベッカ王妃の侍女が己の事をどれほど愛しく見つめていても、王妃や、レイド第二王子と同じ位置にある、黒子。
 それだけが、『王族の一員だ』という証だった。

 けれど、長年信じていたものは、簡単に崩れ去った。
 時折見せていた蔑む視線で。たったの、一言で。
 唯一心を守っていた防御が、音を立てて崩れていった。
 権力も何も無い。
 あるのは元々の美しい顔立ち。風鈴のような透き通る声。

 レベッカ王妃が率いていた〈蒼玉の瞳〉は、誰がそう呼び始めたのかも分からないが、美しい者だけが入れる会だ。
 『王族の血に関係なく、その美しさが重要だ。美こそ他国に誇れるモノだ』
 そう謳っていたが、実際は王族の権力が欲しい者達ばかり。
 例えどれほど己が美しかったとしても、卑しい私生児に、皆はどんな視線を向けるだろう。
 時折見せるレベッカ王妃の、蔑んだ瞳が怖かった。

 これからはあの蔑む数々の瞳に耐えなければいけないのだ。
 だからレイチェルは覚悟した。
 いや、本当は心の何処かで覚悟していたのかもしれない。
 いつかどこかで、手の平を返されるような。誰も私を見てくれない、そんな恐怖を、心の奥底に抱えて、強がって生きてきた。

 レイチェル王女は元々素直な性格ではあった。
 思ったことを言い、感情は直ぐ顔に出て、褒められれば素直に嬉しかった。
 だから素直に謝ろうと思った。
 酷い事をしてしまった、一番権力がある人に。

 もう自分には権力も、美を保つ金も、何も無いから、権力を持つ人に気に入られれば、きっとこれからも皆は私を見てくれる、そう思って、謝った。

 なのに、「頭でも打ったんですか?」と、本当に不思議そうに問うラモーナの姫。
 自分がおかしいのだろうか?
 まさか本当に頭を打ったのか?
 もう訳が分からない。
 目の前の姫も『訳が分からない』というような顔をするから、余計に訳が分からない。

 分からない。
 本当に、分からない。

「家族って、なに……?」

 流れる涙が、頬のチークを落としていく。

「変な人ですね、レイチェル様って。家族なら居るじゃないですか。隣に」
「え……?」

 翌日には腫れてしまいそうな瞳を、言われるがまま隣に向けた。
 そこには腹を抱えて笑うレイドと、それを呆れた様子で、だけど優しい微笑みで見守る陵の姿だった。
 血の繋がらない弟と、兄の姿──。

「家族……?」
「家族でしょう?」

 レイドも、陵も、周りを囲む皆も、笑っているのに、何故だか流れる涙は止まらない。





「ねぇメル」
「なんだい? ウィンディ」

 娘のアオイが新たな仲間と何やら重そうな話をしている最中、風の精霊ウィンディは、そっと夫であるメルに囁いた。

「時々、本当に人間の事が分からないの。何故彼女は泣いているのかしら。彼女を縛り付けるものなんて何も無い。幸せはいつだって側にあるのに、何故、泣くのかしら」
「そうだね……。大抵の人間はね、近いものほど見えない生き物なんだよ。だから、人の目や、人の声、人の物……、他人ばかり、気にしてしまうんだ」
「それってとっても変ね。だって自分は、誰にも真似出来ない、世界で唯一人だけなのに」
「うん、そうだと思うよ。……ウィンディ、泣いている彼女には、雨雲でもプレゼントしてあげたら?」
「ふふ、それもそうね」





 ──「雨だ」

 ホールに居る誰かが言った。

「あら雨?」
「まぁ、本当ですわね」

 ポツリ、ポツリと、降り注ぐ水滴。
 雨に濡れた草や土の匂いが、生暖かい風と共に流れ込む。

「おかしいな。今日の予報は晴れだったのに」
「そうですね、先程まで夜空に星が輝いていたのに突然ですね」

 ハモンド侯爵と怜は、窓の外を眺めて言った。

「ああ。きっとお母様が雨雲を連れて来てくれたんだわ」

 丁度良かったですねとニッと笑い、アオイはレイチェルの手を引いた。

「え、な、なに、何処へ……?」
「え? 何処って、そりゃあ外に」
「な、何で……? 雨が降ってるのよ……? 濡れるじゃない! 貴女ふざけてるの……!?」

 手を振り払い、つい、いつもの口調で言ってしまった。
 相手が何も無かったように接するから、なんだか気が緩んでしまうのだ。

 しかしホールの端で聞き耳を立てている貴族達は、冷ややかな目でレイチェルを見る。アオイ達とのやり取りを、聞いてないフリをしながら、一から十まで、全部聞いている。

 誰よりも視線に敏感なレイチェルは、また感情が素直に顔に出てしまう。けれどアオイはやはりそんな事気にもしてない。あっけらかんとして、「だって泣いてるから」と言う。

 また訳が分からない。
 何故泣いていたら雨の降る外へ出なければならないのか。

「何故……?」

 訳が分からないから、そう聞いた。
 「どうせ意味無いんだろ」と、一頻り笑ったレイドが、アオイに向かって言った。

「失礼ね! 今回はちゃんと意味あるもの!」
「ホントかよ」
「ありますー、生命が育つのに雨が必要なように、心の成長にも涙が必要なんですー」
「は? それとわざわざ濡れるのと何が関係あんだよ」
「だって! 思いっ切り泣いても雨が流してくれるでしょう? それにびっしょびしょになって思いっ切り泣いてたら、その内なんだか可笑しくなってくるんですよね!」
「はァ?? 何だそれ。ほんっとお前って変な奴だな」

 「だから、ほら。ね?」と、差し伸べられた手。
 しがらみから抜け出させてくれそうな、その手。
 だけど、その手を取るのが、なんだかまだ怖い。

「っ、でも、髪だって、ドレスだって、濡れたら……」

 面倒じゃない、と、まるで自身に返ってくる言葉。だから途中で言うのを止めた。
 自分でも、顔が醜く歪んでいるのが分かる。

「あら、レイチェル様!」
「え……?」
「私って風の精霊に愛されてるのよ! 例えびっしょびしょになったって直ぐ乾いちゃうんだから!」
「ふふっ。ええ……、そうだったわね」
「ほらほら早く。雨が上がっちゃいますよ!」

 堂々と自慢げに述べるから、思わず笑った。
 差し伸べられた手を、レイチェルは力強く取ったのだ。
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