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いぬぐるい編
便りと二十歳
しおりを挟む「大変です王妃様ぁーーっ……!!」
バタバタと大きな声と足音で宮殿内を走り回る、御年六十の男。名は〈宮藤 元治〉この国の宰相だ。
六十一歳にもなろうとするこの男の見た目は四十半ば程。スマートな体型、すっと通った鼻筋、どちらかと言うとイケオジに分類される方だろう。
「何だって言うの? 大きな声で、みっともない……、」
煩いわねぇ、と爪の手入れをされながら走ってきた宰相をジロリと睨む。
「レベッカ様……! 大変なんですよ……!」
「だから何だって言うんです……。早く用件を言いなさいな……」
「これを見て下さい……!!!」と掲げられた封筒。
爽やかで上品な透かしと繊細なカット、この世に二つと無い深い緑に煌めく封蝋。
その見た目だけで、まるで風を感じるようだった。
「それは!? まさか……!?」
「そうです!! ラモーナ公国からです……!」
そう、届いたのはラモーナ公国の正式な封筒だった。
「痛っ! はぁ!? 貴女何してくれてるの!?」
「も、申し訳御座いません……!!」
王妃であるレベッカは身を乗り出してその封筒を見たものだから、手入れ中の爪に傷が出来てしまった。
ほんの少しの傷であるが、例え自分のせいだろうと王妃はそれを許さない。
「貴女、もういいわ」
「そんなッ……!」
「何? いいから早く出ていって頂戴」
「は、はい……」
手入れ中だった侍女は諦めたように部屋を出て、それからもう二度と戻ってこない。今までも何人か分からぬ程辞めていった。
しかし王妃はたかがそんなどうだって良い人間の事などイチイチ気にも止めない。それよりも気になるのは、目の前に掲げられた封筒だ。
妖精の絶大なる加護を受け、豊かに繁栄し、時の流れも違う国。
公国からの正式な文を貰っただけでも、自国民にも他国にも自慢出来る。何故なら時の流れが違う分、何十年かに一度見られるかという代物だからだ。
が、しかしそれは内容による。
何かしらの注意や要望、お叱りとも取れる内容なら、他国からの信用も全て失い、風評被害で輸出入もろくに出来なくなる。
それ自体大変稀な事ではあるが、その内容を受け取った国や領地の重鎮達は瞬く間に代替わりし、そして結果、その国民・領民達はより豊かに暮らせるようになるのだ。
(もし届いた文の内容がそうだとしたら……)
いつも堂々としてどんな事も動じず無慈悲に命令するレベッカだが、こればかりは心を乱される。
それは自分にやましい事実があるからだった。
「貸しなさい」
「しかし……!」
「王妃である私の命令よ?」
「っ、畏まりました」
通常ならば王族の、正確に言えばレベッカの目に届くまで何人かが目を通す。それが文でも人でも。
レベッカ王妃は無駄な内容と会話が嫌いだ。
自分の手前で済む案件ならば誰かがそこで終わらせれば良い。そんな事をするぐらいなら髪や爪、身体の手入れをしたい。自分の利益にならない事はしたくない。
だから王宮に仕える者達は思った。
狼森 怜は気に入られたのだな、と。王妃であるレベッカがあれほど直ぐに面会するなど初めてだった。
しかしそんなレベッカも、ラモーナからの便りとなれば話は別らしい。
丁寧に封筒を開け、息を飲むようにさらさらと読み上げる。読んでいる内に、王妃は顔を歪ませ、沸々と何かが沸いてきた。
「ハッ!」
真っ赤なリップが天に仰がれた。
「な、何と、書かれているのですか……?」
「あっはっはっはっは……!!」
「王妃様……?」
「やったわ!! これで戦争になってももう紅華国に負ける事などない……!! いいえ!! 帝国にだって負けず劣らずだわ……!!」
笑いが止まらぬ王妃に、宰相の宮藤はその内容がどんなものなのか気になりやんわりと催促する。
ウズウズと好奇心に駆られる彼に、「ほら! 見てみなさいな!」とそれを渡した。
宰相もまた息を飲み、沸々と込み上げる。
「こ、これは、誠ですか!? は、ははっ……あはは、これはまた……!」
「うっふふ。ねぇ? 私達の国に来られるんですって。あっはっはっは!! 嫌だわ、笑いが止まらない……!」
一体何が書かれていたのか。
簡単に要約するとこうである。
私達の娘がお忍びでそちらに行ってるらしいのだけど、手紙では貴国の話ばかりで……。
偶然にも建国記念のパーティーが開かれるそうで良ければ参加したいと思ってます。
深く考えないで。ただ興味があるだけなのです。
手厚い歓迎も不要です。
あ、返事はこの文を届けた緑の鳥に預けてね。
気付けばその鳥は窓の縁で姿勢正しく待っているではないか。羽を広げれば三メートル程ありそうだが、ふわふわして瞳は宝石を埋め込んだように輝いている。
直ぐ様宰相の宮藤は緑の鳥に返事を預けた。
するとフワリと飛び立ち風を巻き込み、そして空に溶けて消えていってしまった。
「さァ! ラモーナの君主が来られるのよ! もてなしの準備を!! 急いで一流の職人を集めて頂戴!!」
「はい──!」
一方その頃、別邸では──、
「ねぇ、怜……?」
「何だ」
暖炉の前に置かれたソファーで今晩本を読むのは怜である。
其処にすすす、と背後から近寄るアオイ。後ろ手にされたその手には、一通の手紙。
「えーっと……、建国記念日? の、パーティー……、行くんでしょう?」
「………………まぁ。仕事にも等しいが」
怜は読んでいた本を開いたまま腿に置く。
『誰と行くの?』『一緒に行っても良い?』
可愛く嫉妬される、そんな妄想をしていると少し返事が遅れた。
「やっぱり? あ。私もルイ様に誘われて行く事になったのだけど、」
「は?」
「え? だめ?」
聞いていないぞ、とアオイを睨む。
だが不思議そうに困ったように首を傾げるから、冷静さを取り戻した。
「いや、別に。……ただ、また、アイツと行くのかと思ってな」
「う、うん、誘われたから……。断る理由も無いし……」
何と呆れた理由か。
断る理由が無い。それならば誰だって良いではないか。
(それこそ一番近くに居る私でも良かったのではないか? 家族以外の異性などその気がないと誘わんだろう! エスコートに関して認識が違うのか!?)
やはり考えるとムカムカしてくる。しかし誘わなかったのは自分だ。先を越され悔しい、とは認めたくないが、認めざるを得ない。
だが此方だって令嬢からエスコートの申込みが無いわけではない。むしろ沢山、それはもう数え切れない程沢山の申し込みがある。
けれど全て断っているのだ。ある女性を隣に並ばせたかったから。
向かっている先はきっと同じ方向なのに、どうも上手く擦り合わない。
いや。
怜は厳しい道程だがしっかり道は見えていて、その先にアオイが居ることも見えている。
しかしアオイは進んでいる方向だけ同じで、この道が何なのかも、その先に誰が待っているのかも、そもそも何で向かっているのかも分かっていないのだろう。
だから。まずはアオイに、『好きだ』と認識させることが最初の一歩。
「や、その、ルイ様の事は今はいいのだけど、」
(私にとっては良くないがな!?)と言いたいところをグッと堪え、どうしたんだと答える。
するとアオイは「その~~、パーティーに私の両親が来るらしいのよ……」と言う。
「あぁご両親………って、ご両親……!?」
「そうなの……」
アオイの両親と言えばラモーナの君主、それに風の聖霊。
とんでもない情報に卒倒しそうになった怜は、ころころと巨犬と人間の姿を変身しまくり、犬になる度ソファーは重く沈んで「あっはぁっ! わたしのわんこ……!」とアオイは悶える。
今はそんな戯れに付き合っている場合ではない。
「な、なぜ……? 何故こんな国に……?」
「私が手紙でここの話ばかりするから気になるんだって」
「はぁ? というか! アオイとご両親は呪いで100年会えないのでは……!?」
「あっはー、そうなのよー」
「それねー。それなのよー。本当にねー。私ったらねー」てへっ、とアオイの罰が悪そうな笑顔。
大体こういう顔のときは阿呆と叫びたくなるときだ。
「その建国記念日が100年目だったのよ。私の二十歳の誕生日!」
「あぁ……もう……、なんて奴……」
卒倒中の卒倒。阿呆過ぎて言葉も出ない。
己の語彙力はこんなものだったか。
暖炉の前に倒れた巨犬の怜は、好きな女性にいくらもしゃもしゃされてももう慣れてしまった。
(あぁ誕生日か……何を贈ろう……)等と考えられるぐらいに。
それにしてもハモンド侯爵には腹が立つ。ちゃっかり誘ってやがった。
ならばまたコニー達に完璧なドレスコードでも御願いしてやろうかな、なんてお似合いの二人が並ぶ姿を想像して、お得意の意地悪な笑みを浮かべたのだった。
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