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いぬこいし編
狙う視線
しおりを挟む───ここは王宮。
赤い煉瓦造りの見事な建築物だ。さすが国の顔だけある。
赤煉瓦と白い化粧石の装飾がバランス良く配色され、王族の風格が建物からも漂ってくる。
庭にはこの国の国木である松が植えられており樹齢600年の松も祀られている。
しかし、怜が今まさに最上の礼をしているこの王族達。怜が知る頃の王族より(かなりオブラートに包んで言うと)、親しみやすい王族だ。
「お兄様や弟より美しい顔の男は初めて見たわ! ハモンド侯爵は少々威厳に欠けるもの」
「姉さんが好みそうな顔だな。婚約者にでもすればいいじゃないか」
「ええ、本当にわたくしと並んでも劣らないわね」
「お前達。失礼だよ。今は私語を慎んで……」
美しい装飾のされた椅子は一列に並べられ、王族達がそこに座っている。けれど其処に王の姿は無く、座っているのは王妃と王女、二人の王子達だけだ。
「お前! 怜と言ったか、顔をあげて。もっとわたくしに見えるように」
言われるがまま、怜は顔をあげた。
蒼明 レイチェル。
王女の名に相応しく確かに美しいが、王の血は入っておらず現王妃の連れ子だ。美しい銀の髪とサファイアのような瞳は、並んでいる王族の中でも彼女だけ。
「まぁ! お兄様達に負けず劣らず本当に見入ってしまうわね」
「はっ。俺は何だか気に入らねぇなその顔」
栗色の短髪で紅い瞳、少しばかり目付きの悪い王子は蒼明 レイド。第二王子だ。
王と現王妃の間に出来た子で、その見た雰囲気通り己の力を誇示し、隣国との戦争を望んでいる王子である。
「全く何度言わせれば気が済むんだ……。すまない、私の弟妹が失礼な事を。きっと昔の王族は今よりも威厳があったのだろうね」
一方、レイドより少し長い薄茶の髪とアメジストの瞳を持つ柔和な男性は、第一王子の蒼明 陵。
親しみやすい雰囲気でありながら細かく先の事まで考えて行動しており、一番王に相応しい人物。
クリスが言うには現在の王ともよく似た性格らしい。
第二王子のレイドと違い、和平を望んでいる第一王子。
前王妃の息子であり、戦争は国の・国民の多大な損害であり、今後の利益にならず発展もしないと発言している。隣国同士もっと上手く付き合えるはずだと訴えているが、古株の貴族並びに第二王子側は、それでは舐められるだけだと一向に線が交わらない。
「お兄様ったらわたくし達には威厳が無いと仰りたいの!?」
「こんなとこでまでお説教か?」
「そうは言っていないだろう……。いいから口を慎みなさい」
「なによ。いつも私達の話を真剣に聞いてもないくせに」
「さすが純血は違うぜ」
まさか兄妹喧嘩なのか、と完璧な微笑みで拝聴している怜。
己には兄妹が居ないので感覚は分からないが、この親しみやすさも“時代”と云うものなのだろうか。
第二次世界大戦中に物心がついた自分としては、王家の距離感が掴み辛い。
「お前達! いい加減になさいな……怜様にこのような恥ずかしい所を見せるのではありませんよ。レイチェルも、もっと淑女らしく振る舞いなさい」
パチン、と扇子を閉じ、その声は一瞬で空気を凍らす。まるで魔女のような美しさの現王妃。
五十近いと言うのに肌はシミひとつ無く、金茶の長い髪は艷やかに輝き、灰の瞳はメデューサの如く見つめれば固まってしまう。
紅の唇と口元の黒子が漂う色気を助長させ、自身に相当金を掛けているのだろうと見て分かる。
口元の黒子はこの女の子供だと強調するかの如くレイチェルもレイドも同じ位置に黒子があるが、第一王子の陵は差別化されたように目元に黒子があった。
実はこの王妃、ナウザーの調査によればかなり強かだと言う。
蒼明 レベッカ。
一度目の結婚は、顔の整った伯爵とだった。
しかし娘が誕生して五歳になった頃、夫である伯爵は病気で亡くなり未亡人となってしまった。それと同時期に前王妃も亡くなられたが、まるで心の痛みに寄り添うように王の御前に現れ、そのまま結婚までしたという。
そして今、次の王を決める時期となった頃。
王は体調を崩しベッドからも起き上がれない状態らしい。
怜が国王に宛てた手紙も、王自身の目には通っていないのだろう。
怪しい話であるが、大方察しがつく内容で間違いない。
だが捜査も告発も無いのは、この王妃が王妃になる以前から着々と力のある貴族達を全て傘下に入れているからだ。
恐らく第一王子である陵もとっくに気付いているのだろうが、ただ闇雲に声を上げても己が潰されるだけ。本当に信用できる仲間を見付けるのは相当骨が折れるだろう。
王座を争っている中、狼森家は中立の存在である。
いつでもそうだった。
狼森家は辺境伯、国の壁、権力は然程持ち合わせていないが、物理的な力で他を黙らせてきた。忠犬にもなり得るし狂犬にだってなれる。狼森家をどう扱うかは時の権力者次第だ。
隣国との戦争を望むのなら国の忠犬にしたいだろう。
(神隠しに遭い私が何も知らないのをいい事に、逃げられないよう上手く丸め込んでくるかもな。あまり狼森家を舐めないでほしいのだが)
「わたくしの子らがお見苦しい所を。本当に申し訳無いわ」
そう言って、そう美しく、強かに、頭を下げる王妃。
そこに微塵の気持ちもこもっていない。
「私のようなものに頭など下げる必要は御座いません。私とて現代に不馴れな上、時代遅れの事を申し上げるやもしれません」
「うふふ。それは100年も経ってしまえば時代も人も変化してしまうもの! お互い良い関係を築いていきましょう」
「その様に申し上げて頂き、この狼森 怜、身に余る光栄であります」
この王妃が話している最中、先程まで醜態を晒していた王妃の実子は口を開こうともしない。それほど絶対的な立場なのか。
「さ、ここに来た目的は貴方を辺境伯である狼森 怜、改めて貴族として迎え入れることですね。書類にも目を通し、実際に実在していたと報告を受けています。宜しい、貴方を今から貴族として迎え入れましょう」
「はい、王妃様のその寛大な御心に感謝しかありません」
「妖精のする事は私達には理解出来ないことばかりだもの。……しかし、本当に整った顔をしているのね?」
「王妃様程では」
ふふふと柔らかに笑うが、怜はこの目付きが嫌いだった。
どうにかして自分のモノにしたいという、女の目付き。
(あぁ悪寒がする……)
「さぞおモテになったでしょう?」
「ははは、まぁそれなりに。というところでしょうか」
「私がもっと若ければきっと取り巻きの一人になっていたでしょうね」
「私には勿体無いお言葉です」
「何なら息子で欲しいくらいだわ!」
(これはまた、ハッキリと……)
何を言っているんだと最初に反論したのは実の息子であるレイドだったが、「お黙りなさいな」と直ぐ制され、その後の反論する機会を失った。
娘のレイチェルは、にまり隠しきれない笑みが溢れている。
人とは見た目だけでないと身をもって知ったのに、また見た目だけで面倒事に巻き込まれる。
(いや。皆を面倒事に巻き込んでしまったのは自分の方だったか……)
「んふふ。レイチェルとの子供はさぞかし美しい子が産まれるのでしょうねぇ」
「そうよお母様! 絶対にそうに決まってるわ!」
「怜様はそうは思わないかしら?」
面倒だなと、怜は心の中で溜息をついた。
権力を持つ人間はある程度多数決で決められないのだろうか。ここまで登り詰めた女であるから、余程の戦略家で演技が上手なのは誰もが認めざるを得ないだろう。
(だがこの私含め狼森家はそう簡単には手に入れられないぞ?)
「……大変に有難いお言葉です。妖精の悪戯とは言え、見ず知らずの貴族をここまで温かく迎えて下さり胸を熱くするばかり。しかし王女様の隣に並ぶには私は相応しくありません」
「ほう……?」
王妃のレベッカは、断るのかと言わんばかりの顔。
「私はこの国がどう変化したのかも、仲良くしていた貴族の子孫達、加えてどの様な方々が、今、この国に置いて重要な人物なのか、平民達でさえ知っていることを私は存じ上げません。その様な男が王女様の隣に立つなど、国民や現貴族達からきっと反発されることでしょう」
「……確かに、それもそうね」
「いつしか王女様のお隣に立つ男として、相応しい人物になった時、また同じ御言葉を頂けたら幸いです」
「ええ、勿論だわ。私も少々唐突すぎましたね」
犬でも新聞ぐらい読むのだ馬鹿たれが。
情勢や、誰が今どんな権力を持っているのか、必要な情報はちゃんと知っている。まぁ実際に誰とも会ってはないので間違ったことは言っていないだろう。
「どうかしら? 丁度二週間後に隣の小宮殿で王家主催の舞踏会があるの。王家主催だからこの国の貴族は殆ど集まる予定よ。スーツを仕立てるには時間がないけれど……、貴方も参加されては?」
「それは有難いお話です」
早々に狼森 怜と云う人物を皆に認知させ認めさせれば、王妃の欲を満たすのも早めるだけだ。
己も今後生きる上で他との関わりは避けられないのだから、この提案に乗って損はない。
それに妖精の悪戯で神隠しにあった人間に皆興味津々だろう。あれやこれやと調べられる前に自ら公の場に足を運んだ方がずっと楽だ。
「年代物のスーツでも良ければ、是非とも」
「ふふ、えぇ勿論だわ! では、お待ちしてますよ」
そうして無事に終了した謁見。
久し振りに貴族として振る舞ったせいか、どっと疲れてしまった。
人間とは疲れる生き物だ。獣の姿ならば気を遣わずとも済むのに。
「はぁ……」
「お疲れ様で御座います、旦那様」
「大丈夫です。帰ればアオイ様が待っておられますからねっ」
「……大丈夫の意味が分からんが」
ふん、と窓の外に視線を外すも、分かっていた。
お帰りなさいと言われる喜びを隠しきれないこと。同時に、帰って姿が見えなかったらと不安になること。
アオイは自分達の帰りをきっと待っているだろうから、今はそれを信じて馬車に揺られるだけ。
別邸で今まさに、大変な事が起こっているとも知らずに。
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