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いぬまみれ編
ナウザー先生と規格外な生徒
しおりを挟むとある晩餐。
何故一人森の中を歩いていたのだという質問に、「適当に歩いていたらこの邸に辿り着いた」と意味の分からないアオイの答えに恐ろしくなった邸の主人は、ナウザーに教師兼探りを入れろと指示した。
(一体全体、国境を超える際の手続きはどうしたと言うのだろう……たかが一般人のパスポートでは犯罪になるのだが……)
誰にだって秘密はあるしそれに知るのが恐いから、怜はこれ以上余計な首を突っ込むのはやめた。
と言うことで本日はナウザーを先生に、この国をイチからお勉強しましょうと席に着いたアオイ。
古い木の匂いがする机、何年も使っていないであろう黒板、窓から見える冬の庭は雪がちらついている。
「うぉほん。ではまず、今滞在している我が国、名前はご存じですね?」
「はい先生!」
「はい、アオイさん」
「分かりません!」
「な、なんと……」
ナウザーは、あまりの生徒の無知さに白目を向いて銅像かの如くコテンと倒れてしまった。
吟遊詩人のように風の吹くまま気の向くまま歩いていたアオイにとって、国境なんてあって無いようなもの。
けれどちゃんとパスポートは持っている。
あまり機能していないのだが。
世界には其々国が定める信用度ランキングがあって、その国にとって信用の低い国出身の者はかなり厳しい検問を受けなければならない。
逆に言うと格別の信用がある国などはわざわざ検問を通らなくても良いのだ。
空に浮かぶ島に住んでいるドラゴン、森の奥深くに住むエルフ、海の底に住む人魚などが良い例で、彼ら彼女らは大陸の政には無関心で無駄な争いを好まない。
そもそも人の域を越えた存在であるから、命の短いただの人間が決めた事などくだらないと言われるだろう。
加えてとある国の山の上に住む僧侶なども、身分証明書さえあれば行動は自由である。
そんな中、特別な国がもうひとつ。
大陸にひっそりと存在し、国民は人間でありながら人種も様々、政にも程よく関わるが、有無を言わさず格別な存在。
それがラモーナ公国だ。
ラモーナの国民ならこの世界の何処へだって行ける。
何故ならラモーナは妖精に愛された国で、人間が住んでいながら絶大な加護を受けているからだ。
ラモーナに入国出来るのは心の綺麗な持ち主だけ。
争いや憎しみとは無縁で愛に溢れた人間達が住んでいる。
例え、「お前怪しいぞパスポートを見せろ」と止められても、それを見せれば誰しも頭が上がらない。
嘘だ偽物だと牢屋にでも入れようものなら、妖精たちの大逆襲が待っている。
(まさかとは思うが……)と頭を過る怜だったが、そんなことは有り得ない。
いや、有り得なくもないが、ラモーナの人間が外へ出る事など滅多にない。
ならばアオイは一体誰なのか。
隣国のスパイである可能性もあるが、呪いは解いてほしい。
生徒の無知さに倒れていたナウザーだったが、「うぉっほん」とまた咳払いをして気を取り直した。
「はい……、ではこの国名から勉強しましょう」
「はい! お願い致します!」
「我が国。名前を蒼い松の国、蒼松国と言います。主な産業は建造産業です」
「ほうほう」
黒板に貼り付けた地図を指しながら説明し、そこに分かりやすく重要な事を書き加えていくナウザー。
この国の地図を初めて見たアオイだが、大半は海に面していて、一方国境付近は山ばかり。
きっと山の幸も海の幸も贅沢に味わえるのだろう。
「蒼松国に面している国は二国。まずはお隣、紅い華の国と書いて、紅華国。主な産業は薬と茶です。我が国とは非常に関係が悪く……、と言っても国のトップが仲が悪いというよりは臣下や貴族達がお互い常に臨戦体制なので、無闇に国境を越えると戦争に発展する可能性があります」
「えぇ……信じられない……」
そんな関係だとも露知らず、もしかしたらスパイだのなんだのと両国の関係がより悪くなっていたかもしれない。
怜が言った通り、己が恐ろしい。
あぁそんな事にならず本当に良かったと安堵するが、妖精に好かれていようと、自分の行動はちゃんと確り考えないといけないなと改めて感じた。
「もう一つの国……、と言っていいのかどうかは分かりませんが、妖精達が好んで住む領域、私達の国では単純に妖精国と呼んでおります。地図ではこういう形をしておりますが、幾つかの残された絵を元に想像で組み合わせたものらしく正しいかどうか……」
「……それは、そうね」
「妖精国と他国との堺には迷いの森が立ちはだかり、我が蒼松国からも何人もの行方不明者が出ております。流石に迷いの森はご存でしょう?」
「え、えぇ……歩けど歩けどまた元の場所に戻ってしまうか、入れば二度と出てこれない、はたまた何十年後かに突然姿を現すか……」
「その通りで御座います。わたくしが考えるに迷い込んだ人間は食われてしまっているのではと思うのです」
「はい?」
「私達が肉を食らうように、妖精達も肉を食らっているのでは」
「そんなこと!! ない、と、思うけど……な」
目が泳ぐアオイに、「ほう」とうっすら目を開けじっくり観察するナウザー。
居心地の悪い視線に冷や汗がじわりと流れる。
「わたくしてっきりラモーナ国の人間も妖精の餌なのだと思っておりました」
「ち、違う! そもそも迷いの森は結界で、心が汚れている者は元の場所に戻ってしまい、心が美しい者はそのまま妖精国に招待されるの。二度と出てこないのは時間の流れも違うし、何より居心地が良いから。そうして森を彷徨った人間が最後に辿り着く場所がラモーナなの……! 誰も食べられたりしないし妖精は肉なんか食さない!」
「そうなのですね、わたくし勘違いしておりました。稀に妖精国から逃げ出した人間と話す機会がありますが、皆口を揃えて恐ろしかったと言うものですから」
「っそれは……! きっとその人が愛の無い人だったのよ! 誰しも量は違えど加護を受けている、運と呼ぶ人も居るけど、その加護って感謝の気持なの。巡る命に、生きている全てに、ありがとうっていう愛を捧げられない人だったから。妖精が少し恐い悪戯でもしたんでしょうね」
「なるほど……。それで……何故そんなにもお詳しいのですか?」
「へ!?」
「妖精達の素性は普通の人間は知らない筈。ラモーナについても随分とすらすら答えられますね?」
「い、いや……たまたま……その、旅の途中で、知ってる人が……」
冷や汗の池が出来るほどだらだらと流して、瞳は魚の様に泳いでいるアオイ。
ナウザーは「はあ」と大きな溜息をついて、「ラモーナ公国の出身なのですね」と核心をついた。
「え"!?」
「隠したいのは分かります。絶大な加護を受けているラモーナ公国ですから、そこの出身と分かれば政治的な利用もされることでしょう。加護を受ければそれで国が潤うのですから。……ですがねアオイ様」
「はい……!?」
「助け合える仲間と豊かな自然に囲まれ、平和ボケした者が外へ出れば嘘をつくのもそりゃあ下手でしょう。下手でしょうよ。しかしあまりにも下手すぎます!!」
「そんな……!」
ギロリと目つきが変わった先生に思わず背を正す。
学びとはもっと楽しいはずなのに、今はただ叱られているだけである。
けれどやはり犬は可愛い。
「アオイ様はよく象を神とするアラン王国の話をされていますが、あそこは信仰も厚くラモーナ程ではないですが加護も多く受けています。それに自国で採れる金や宝石や油などで潤沢ですから心に余裕のある方達ばかり。アオイ様には過ごしやすい環境でしょうね」
「そ、そそそそそその通りです……!」
「ふむ、ラモーナ出身とくればそりゃあ妖精に好かれて当然。私達は面倒な検問手続きがあるのにも関わらずよくまぁ脳天気に国境を越えてきたものですよ」
「す、すみません……!」
「貴女、御自身の価値解ってます?」
「はいっ! 一応はっ……!」
「足りませんね!」
「ひゃい!! すみません!!」
「全く、すっかり話が逸れて時間になってしまいました。それとアオイ様には違うお勉強も必要だと分かりましたのでまたスケジュールを組み直さねば……」
「はい……すみません……」
「私達 犬はお昼寝の時間です! 今日はもう解散!!」
「はいぃ!! ありがとうございましたぁっ……!」
部屋を去るナウザーを見送れば、張り詰めていた緊張が解けた。
あんな風に怒られたのは兄以来だろう。
ともかく疲れたからモフりに行くかと、巨犬の元へ向かうアオイだった。
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