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母の胸元
しおりを挟む一体どれぐらい経っただろう。どれぐらい日が昇って沈んだ?
1週間経った辺りからはもう数えるのをやめた。
シューベルト大将の突然豹変する性格も、閉じ込められる日々ももう嫌だ。
現在では調合も禁止されている薬物を使い、己の部下を薬物依存にまでしてしまっている。私達よりよっぽど酷い洗脳と虐待を部下たちに平気で行っているのだ。
見ているだけで吐き気がするし、明日は我が身かと恐怖が襲う。
幸い私は一人じゃないから精神を保っているけど、いい加減壊れそう。環境のせいかはたまた生理前のせいか苛々する。幸せを実感してしまったから辛い。早くアヌビスに会いたい。ブルーに会いたい。
己の心を保つため、ふいにナナを抱き締めるとホッと心が楽になる。
(ハグをすると幸せホルモンが出るってマジじゃん……)
なるたけ気楽なことを考えて現実逃避したりして。いつあの男に呼び出されるか分からないから。
振りあげられるステッキに歯を食いしばりただ我慢している。ここで反抗したってもっと酷くなるだけだ。2回やってそうだったからもうやめた。父とは違う。この人は本当に狂ってる。
まだ愛を知らない人なんだ。
そう考えると、なんだか可哀想だな。
そう考えられる私って、だいぶ心にゆとりが出来たんだなぁ。
成長したなぁと己を肯定していれば、「お前、来い」とまたいつものように呼び出された。
どうせ茶を注げだとか、肩を揉めとかそういうことだろう。やってることがひと昔前の嫁である。シューベルト大将にとって『女』はそういう存在なんだろう。
「今日は特別に貴様にも用意してやった。有難く飲め」
「……えっ、……あ、お茶を戴けるのですか……?」
ずい、とカップを出された。
ニヤリと笑い金歯が覗く爺。
嫌だ、飲みたくない。絶対になにか入っているに違いない。
「ほら、飲め」
「ッ……」
「飲め! 飲めと言っているんだ!!」
「いやっ……」
「ふざけるな!! お前のためだ!! 飲め! 飲め!! 早くしろ!!」
ステッキを机に叩きつけバンバンと大きな音を立ててまくし立てるから、思わずグイ、と飲んでしまった。
途端にグラリと視界が揺れ、動機がして、平衡感覚が失われて、私は気を失った──。
「──ん、」
「千聖さん!? 良かった……!」
次に目覚めたときはいつもの部屋の中だった。3日経った頃には窓に鉄格子がつけられた部屋が用意されていて、食事以外は全てこの部屋で完結できる。元々客間なのだろうが、ギラギラ金の装飾と赤みを帯びた紫にコーディネートされた部屋は居心地が悪すぎる。
ぼやける視界に心配そうなナナの瞳。頭と身体が重くて仕方がない。
(あぁ……とりあえず生きてた……)
カップを出されたとき、ついにきたと思った。
私もシューベルトの部下と同じにされる。
「なんか、飲まされたみたい……」
「っ、どんな香りがしましたか!? 症状は!? 飲んでからどれくらいで気を失いましたか!?」
さすが神官。すぐに分析とは。
香りは分からなかったので症状だけ伝えたのだが、液体に混ぜれるもの、飲んで直ぐに症状が出たこと、原材料の入手経路や自生地域を考えて絞っていく。
「すみません千聖さん、腕の内側見せて下さい」
「内側……?」
「やっぱり……! 発疹が出てます。皮膚が柔らかいところに出るんです」
「わ、ホントだ……赤くなってる……」
「いいですか? よく聞いてください。千聖さんが飲まされたのもは恐らく“強欲の翼”という薬です」
「すごいなまえだ……」
「辛いでしょうけどちゃんと聞いて……! 強欲の翼はその名の通り、飲めば翼が生えたように身体が軽くなり高揚感に満たされますが、薬が切れれば自分が欲しいと思うものは何から何まで強く欲します……! 最初の1週間は薬の成分を身体が拒絶するため高熱にうなされるはずです。けど身体が慣れてしまえば、解毒薬を服用して毒素が抜けるまで己を見失うでしょう」
「そんな……」
「含まれる毒素は自然に身体からは排出されません。ある一定ラインを超えると身体が受け入れてしまうので、出来ることならあの人から出されたものは少量ずつの摂取を心掛けて下さい……! 痛みにひどく苦しみますが毒素が身体に溜まる期間を延ばせます……!」
「そんな……だって拒否ったりなんかしたら……」
「初期症状は知っているはずなので嘔吐しそうとかお腹が下ってるとかあの人が嫌がりそうな汚いことでも言って……! 自分自身を守るために!!」
「わかったよナナちゃん……がんばるよ……」
とは言ったものの、やはり限界があった。
何度も同じ嘘は通じない。
身体は痛いし頭は痛いし喉が異様に乾く。辛いのが長く続くならいっそのこと薬に冒されたいとも思う。
「ナナちゃん……いま何日目……?」
「今は5日目です……」
「そう……」
「そろそろ身体が毒素と馴染む頃です。……千聖さん。千聖さんが、強欲の翼に侵されて、今こうして一緒に過ごす私の事を少しでも鬱陶しく思ってしまって、たとえ殺されたとしても私は恨みませんから、それだけは分かってください」
「な、な、、なに言ってるの……? こ、殺すだなんてそんなこと……!」
「元は軍人のために作られた薬です。そうなってしまうのは仕方のないことなんです」
「ナナちゃん……! やだよ! そんなの絶対に嫌だから……!」
「ごめんなさい千聖さん……何もしてあげられなくて……っ」
「そんなことないっ、そんなことっ……」
──そして9日目。
身体の痛みが徐々に消えていく代わりに、酩酊感にも似た症状が脳を支配していく。ほわほわした楽しい時間が終わると、急激に喉が渇いて水分をこれでもかと欲してしまう。
もう私は限界かもしれない。己でも解る。シューベルト大将に抗う心がどんどん失われていっていること。
(ブルーはまだ……? はやく、早く来てくれないと……)
人を殺めてしまうかも。
だけど今はそんなことより眠いから、心地よい酩酊感に身を任せ目を閉じた。
「遅くなったな」
いつもとは違う声が部屋に囁く。身体が重い。あの薬が欲しい。そうすれば翼が生えたみたいに身体が軽くなるのに。
そう思ったとき、ふわりと身体が浮いた。
誰かに抱えられたが、朝日を背負っていて眩しい。
「此処に居ると知りながら助けるのが遅くなってしまったよ」
(女の人の声……。ブルーじゃない……。なんだか、長い夢でも見てた感じ……)
「ふっ、まぁ……ここだけの話、感謝しているんだよ。お陰で蔓延る悪性腫瘍を取り除けた」
(なんの話……? 病気の話をしているの……?)
「辛かっただろう。元気になったら今度は普通に茶でも飲もうじゃないか」
(黒い髪……柔らかい胸…………ああ、なるほど、夢オチってワケね……。あのとき、公園で刺されて死んでなかったのか……。全部ぜんぶ夢……? とすると、これは……)
「お母さん……?」
「え?」
「お母さん……もう一度、家族で話し合おう……ね? そうすれば、そうすれば、きっと……」
「っ……」
(ライラックの瞳……。お母さんじゃ、ない……?)
「ミネルヴァ元帥──! ルースト国より急ぎ入国したいと伝言が」
「構わん。特例だ。通してやれ!」
「はっ!」
「……お母さん、か。…………ふ、悪くないな」
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