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公爵の憂鬱【練習場にて】
しおりを挟む彼女はとても喜んでいた。
わざわざ一泊してまで馬飼が住んでいる村まで行った甲斐があったというものだ。田舎で育った馬の方が何かと強い。
彼女に似合うと思って選んだ馬だったが、気に入ってくれたらしい。女性に馬をプレゼントしたことなど無いからあれ程までに驚くのかと私自身が驚いた。そういう所が他の女性とはやはり違う。
馬を愛でながら「大好きだ」と言われたから余計に驚いた。
一応なりとも婚約者だが、何と返してよいか分からず黙ってしまった。
特に意味をなさない言葉のようにさらりと言うので彼女が居た世界では深い意味は無いのかもしれない。
だが、誰彼構わず皆に言うようなら少し改めてもらわねば勘違いする男もいるだろう。人たらしの彼女のことだ。有り得なくもない話だ。
それを隣で聞いていたミハエルは、『団長も隅に置けないですね』と腹の立つニヤついた顔で見てくるので思い切り睨みつけた。すると「ひえぇ! し、失礼しました……!」と声を上げて逃げて行く。
ミハエルノウマ同様、逃げ足の速い男だ。
彼女は私が選んだ馬に〈ブルータス〉だなんて渋い名前を付けて、「格好いい」とそれはそれは嬉しそうにしている。
思った通り名前のセンスは無いようだ。
それからはキチンと私の見える所でブルータスと順調に関係を築いているようだが、彼女はドレスを着ている時より騎士の服を纏っている方が生き生きしているように見える。
元の世界ではドレスは殆ど着ないらしい。
彼女は完全な平民だと言うが、あまりそう見えないのは落ち着いているからだろうか。
けれどやはり温々と育ったわけではないようだ。
休憩もせず活発に動いているのに疲れた様子を見せない。
脚のラインも美しいから、それなりに運動をしていたのだろう。
畑で働く平民と違って、学園を卒業したばかりの貴族の子供は体力の無い者が多い。
騎士団でも護衛騎士でも、騎士志望の奴はまず体力づくりから始める。この時点で音を上げる奴はそもそも騎士など向いていない。大体音を上げるのは甘ったれで育った貴族の末っ子などだ。
それを思うとミハエルはしっかりした男だ。
それこそ最初は弱音を吐いていたが、己に負けずここまで付いてこれた。素直に立派だと思う。
練習場は午後から護衛騎士が使うので、それまで彼女は自由にさせてやろう。たまには昼を共にするのも悪くない。
彼女は動物相手だと本来の自分になれるのか、笑ってばかりだ。
騎士団の連中も、あれが婚約者か、と話したくて仕方ないようだが、気を散らしている奴に容赦はしない。
芯の通った彼女は他の者の目を引く。彼女自身の魅力が外に溢れているのだろう。果たしてこんな面白味もない男が婚約者で本当に良いのだろうか。
今のところ特に気にしていないようなので別に良いのだが、それで彼女は幸せなのか。
優しく面倒見の良い性格から考えると、もし彼女に運命の人が現れても私に負い目を感じて言い出せないだろう。
“婚約者”という期間が長ければ余計だ。私自身にも別の相手が居るんだと分かれば心置きなく離れられるだろうが、それはなかなかに難しい話である。
このまま仮面夫婦になっても構わないのだが、彼女はどう思うか。
私が彼女を大切にしてあげられれば一番なのだが、その覚悟があるかと聞かれると、上手く言葉が出てこない。
人を愛せば辛いだけだ。
いつか離れ離れになったとき、もう二度と会えなくなったとき、私はまた耐えなければならないのかと考えると、気が滅入ってしまう。
これは自分自身のエゴだから、彼女にとって関係ない事だ。
だから難しい。
人と付き合う事は簡単ではないなと、ブルータスと戯れる彼女を見て思った。
そして私も気を散らしていることに気が付いたのだった。
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