上 下
6 / 13

待ち遠しかった月

しおりを挟む

 ──雨だ。
 私はどこかで期待していたのかもしれない。またあの綺麗な貴族様に、逢えることを。

 いいや。今はそんな事を考えている暇なんてない。
 雨ならば水瓶に溜めなくてはならない。貴重な恵みの雨だ。
 だからといって降りすぎてしまうと沼が溢れ、臭くて汚い泥が家の床の上まで入ってくる。
 それに虫や蛙だって其処ら中に湧くし、それを食べに蛇だって来る。雨が上がり泥が乾けば変な病気も蔓延しやすい。
 けれど蛇や蛙は貴重な食料だ。調達しなくとも食料の方から来てくれるなんて手間が省けるし有り難い。
 見方を変えるだけでこんなにも素晴らしい。そう考えていないと心が保てない。

 私はどんなに汚れても良いけれど、貴族様のこの御召し物だけは何とかして守らなければ。雨が降ろうが槍が降ろうが守らなければ。
 こんな心配事、早く返してしまいたいと思う。そう思うけど、あの瞬間の、掌の温もりが、身体まで温めてくれる。
 其処に置いてあるだけで、幸せな気持ちになる。幸せな気持ちで終わりたい。
  
 私の幸せな気持ちを汲み取ってか、空は今夜も雨を降らせた。次も、その次の満月も──。

 泉で水浴びをしていないから、髪の毛はまた汚く絡み合って指も通らない。
 肌は垢でくすみ、若干頬も痩けた。臭いも酷いだろう。御役所の人も鼻を曲げるぐらいに。

 そして、初めてあの御方と出逢って六度目の満月。
 ようやく泉に包まれた。
 嬉しくて、気持ちよくて、水の中をくるくる魚のように泳いだ。木葉や、枝、花も採取した。
 けれどあの御方は何処にも居ない。

「上着を、返せないままね……」

 紡ぐ言葉とは裏腹な感情に意味もなく首を振り、岩にもたれ満月を眺める。
 すると、遠くの方から馬の足音がする。
 木々を掻き分け現れたのは勿論あの貴族様だった。

「はっ、はぁ、……あぁ良かった、間に合った……」

 何故か息を切らしている。
 急いで来たのだろうか。何の為に?

「どうか、私と……、少し話をしてくれないか」 
「っ、……はい。けれど以前も申しましたように、私は貴方様にお願いされる身分では御座いませんので」
「良いんだ、そんな事……。この時間は、この時間だけは、そんな事気にしないでおくれ」

 そう貴族様が仰るなら、その様に従うのが最善だろう。
 そんな事よりも、と彼は仰る。
 近くへ来てくれないか、君の顔をもっとよく見たいんだ、と。

 要望通り、泳いで岸まで行く。
 貴族様の眉が少しだけピクリと動いた。あの日より痩せてしまったから、きっとその事について色々と思っているのだろう。

「……ごほん。まず、私の名前はエリック。君の名前を教えてくれないか」
「私は、エラと」
「エラ……綺麗な名前だ……」

 エリック、とてもよくある名前。
 だけど何か引っ掛かる。

「前回も満月の日だった」
「はい。満月の光が泉に当たっていないとこの泉には来れないのです」
「そうか、だから先月は……」
「ええ。その前も雨でした」

 成る程、とひとり納得しているが、エラの瞳には月が雲に隠れる姿が映っていた。
 そうだ上着を返さねばと岸から上がれば、また貴族様は目を背けてくれる。目一杯、丁寧に畳んで置いていた上着を手に取り、渡すため差し出した。

「申し訳御座いません。あの、この上着、汚してしま──


 ──い、ました…………」

 最後まで言い切る前に、その日の満月の夜は終わったのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

完結 R18 聖女辞めるため娼婦にジョブチェンジしたい。氷の騎士団長は次期娼婦館のオーナーでした。

シェルビビ
恋愛
 アルシャ王国に聖女召喚された神崎穂乃花。この国に大聖女がいるのに何故聖女召喚したと聞いてみると後継者が異世界にいるということで召喚されたらしい。  召喚された次の日に瘴気に満たされた森が浄化された。聖騎士団が向かうと同じく異世界からやってきた少女、園田ありすが現れたのだった。  神官たちが鑑定すると2人とも聖女だったが、ありすの方が優秀でほのかは現地の聖女くらいの力しかない。聖女を辞めたいと言っても周りが聞いてくれず、娼婦館で治癒師として表向きは働き研修を受けることに。娼婦館で出会ったルイに惚れて、聖女なので処女を捨てられずにアナル処女を捧げる。  その正体は氷の騎士団長ゼエルだった。  召喚されて3年も経つと周りもありすを大聖女の後継者と言うようになっていた。でも辞めさせてくれない。  聖女なんてどうでもよくなり処女を娼婦館で捨てることにした。 ※相変わらず気が狂った内容になっています。 ※ブクマ300ありがとうございます! ※純愛バージョンも書こうと思います。今は修正をしています。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

完結 チート悪女に転生したはずが絶倫XL騎士は私に夢中~自分が書いた小説に転生したのに独占されて溺愛に突入~

シェルビビ
恋愛
 男の人と付き合ったことがない私は自分の書いた18禁どすけべ小説の悪女イリナ・ペシャルティに転生した。8歳の頃に記憶を思い出して、小説世界に転生したチート悪女のはずが、ゴリラの神に愛されて前世と同じこいつおもしれえ女枠。私は誰よりも美人で可愛かったはずなのに皆から面白れぇ女扱いされている。  10年間のセックス自粛期間を終え18歳の時、初めて隊長メイベルに出会って何だかんだでセックスする。これからズッコンバッコンするはずが、メイベルにばっかり抱かれている。  一方メイベルは事情があるみたいだがイレナに夢中。  自分の小説世界なのにメイベルの婚約者のトリーチェは訳がありそうで。

慰み者の姫は新皇帝に溺愛される

苺野 あん
恋愛
小国の王女フォセットは、貢物として帝国の皇帝に差し出された。 皇帝は齢六十の老人で、十八歳になったばかりのフォセットは慰み者として弄ばれるはずだった。 ところが呼ばれた寝室にいたのは若き新皇帝で、フォセットは花嫁として迎えられることになる。 早速、二人の初夜が始まった。

国王陛下は悪役令嬢の子宮で溺れる

一ノ瀬 彩音
恋愛
「俺様」なイケメン国王陛下。彼は自分の婚約者である悪役令嬢・エリザベッタを愛していた。 そんな時、謎の男から『エリザベッタを妊娠させる薬』を受け取る。 それを使って彼女を孕ませる事に成功したのだが──まさかの展開!? ※この物語はフィクションです。 R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。

大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました

扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!? *こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。 ―― ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。 そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。 その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。 結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。 が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。 彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。 しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。 どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。 そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。 ――もしかして、これは嫌がらせ? メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。 「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」 どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……? *WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。

本日をもって、魔術師団長の射精係を退職するになりました。ここでの経験や学んだことを大切にしながら、今後も頑張っていきたいと考えております。

シェルビビ
恋愛
 膨大な魔力の引き換えに、自慰をしてはいけない制約がある宮廷魔術師。他人の手で射精をして貰わないといけないが、彼らの精液を受け入れられる人間は限られていた。  平民であるユニスは、偶然の出来事で射精師として才能が目覚めてしまう。ある日、襲われそうになった同僚を助けるために、制限魔法を解除して右手を酷使した結果、気絶してしまい前世を思い出してしまう。ユニスが触れた性器は、尋常じゃない快楽とおびただしい量の射精をする事が出来る。  前世の記憶を思い出した事で、冷静さを取り戻し、射精させる事が出来なくなった。徐々に射精に対する情熱を失っていくユニス。  突然仕事を辞める事を責める魔術師団長のイースは、普通の恋愛をしたいと話すユニスを説得するために行動をする。 「ユニス、本気で射精師辞めるのか? 心の髄まで射精が好きだっただろう。俺を射精させるまで辞めさせない」  射精させる情熱を思い出し愛を知った時、ユニスが選ぶ運命は――。

処理中です...