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38 戦場とシヴァ

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  神国に戦場の匂いは届かない。
 だがフォルセト神殿の門は閉ざされ、神官の数が減らされて行く。

 レアロス国は自国防衛に努めているが、鬼人を中心とした対勢力の進行は早く、しかも容赦がない。
 元々、獣人や鬼人を見下していたのは人だ。
 その見下していた勢力に攻め入られることの恐怖に、人は身動きが取れなくなっている。
 被害を被るのは一般の民だ。地が荒らされ、金品を取られ、遺体が方々に捨て置かれている。

「貴族とは何なのだろうな」

 ティアのいる部屋のドアを開けて、シヴァ・レアロスが入って来る。その身にはいくら清めても消せない戦場の残り香がある。

「屋敷を焼かれ、土地を奪われ、行先を失った者が神殿の門の前に集っている。だが神殿は門を開けない。神は最悪の場合の拠り所ではないのか?」

 文句を言いながら入って来たシヴァは、ソファに座ると、酒を瓶ごと煽る。一本を全部飲んでしまう勢いを止める為、ティアはその腕に手を添えた。

「戦場に戻るのでしょう?」

 シヴァは戦場の最前線に立つ男だ。尻ごみをする軍を叱咤し、時に甘やかな餌を嘯き、戦線を死守している。

「あいつは文字通り、俺の剣となった」

 ティアを見て微笑む様は、苦しく辛い色を含んでいる。

「俺の剣は誰よりも強い。だが俺だけの剣ではなくなってしまった。……おもしろいか、ティア」

 神の意は人を見捨てた。
 残る望みは糸一本でかろうじて繋がっている。

「楽しんでいるのは神と兄で、僕はただの傍観者です」

「傍観者が一番楽しいのではないのか?」

 皮肉に笑うシヴァは疲れ切っている。糸一本の奇跡に望みをかけ、それがいつ叶うのか、叶わないのか、わからないまま、死闘を繰り返している。

「王が敗北を認めれば、大陸全てが鬼人の国になる。そうなれば人などゴミと同じで、生きる場所などなくなる」

「それは僕も同じです」

 シヴァが戦線から離脱すれば、敗北を加速させる。
 望みの綱は、シヴァがいかにして神の意を取り戻すかにかかっているのだが、兄の変貌ぶりと行動の前には、シヴァが何をしたところで、神の意は戻らない。戻らないということは、ティアの敗北も意味する。

「いっそ僕を殺してください。そして神国を滅亡させる。そうすれば、あるいは、神の眼がこちらへ向く可能性が見えて来るかもしれません」

「俺に人を殺めろと?」

 腰に佩いていた剣は、ティアの部屋に入る前に取り上げられている。シヴァは腰に無い剣の束に手を掛けようとして、無いことを確かめる。

「鬼人も人、獣人も人、同じ存在です。ただ戦線を睨み、向かい合っている者が敵ではありません。裏切り者は背中側にいる。僕はあなたを裏切っている。神と共謀し、人の滅亡を企んでいる。……そんなことも、あるのかもしれません」

 シヴァの手がティアの首を絞める。シヴァの手にかかれば、ティアの首など簡単に折れる。

「何を信じて良いのかさえも分からない俺に言うには浅はかすぎる。だが、いっそこの手で殺したい欲望にも駆られるよ。本当に何を信じ、何をどうすれば良いのかわからない。いっそわかりやすく裏切者だと殺してしまえれば楽なのに」

 ティアはすでに目を閉じている。いつ殺されても仕方がないと思い始めたのは、戦場がレアロス国の国土に及んだ時だ。

 すでに獣人国は敗北を認め、鬼人国の属国となっている。獣人国の国王さえも王城に監禁され、その身の保証はされていない。この大陸で最悪の国は獣人国だ。その責務を問われるのは致し方のないこと。だが、兄はそれを静観した。いっさいの止めに入らず、哀れみも持たず、ただ、鬼人の上に立つ者として、全てを冷笑に交えた。

「大陸を焼き尽くすのはとても簡単なことなんだよ。神が本気を出せば一日で事足りる。でもまだ全てを焼き尽くしてはいない。何か残る方法があるのだと思う。でもそれは僕が考えたことではダメで、シヴァが行動に移さなければならない。今までと同じ。僕を喜ばせること、僕の感情を揺らすこと。それが神を楽しませることに繋がる」

「この状況で、俺におまえを抱けと言うのか? 最愛の者が死線で戦っているというのに」

 今も戦場では人が生死のやり取りをしている。
 その時、ティアの中に天の声が届く。
 ティアは声を聞き、シヴァを見て、泣きそうな顔で笑った。

「しばらく休戦みたいだよ。なぜだと思う?」

 ティアはシヴァの手を取り、ソファから立ち上がると、庭の方へ歩んだ。
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