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エピローグ(2)
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ラフォン城にいつもの朝が戻ってきた。華やかな場が夢であったのではないかと思えるくらい、時間は過ぎた。
アーネストの腕の中で眠っていたオレリアは、光を感じて目を開ける。
「おはよう」
目の前にアーネストの顔があった。
昨夜、族長の集まりへと参加したアーネストの帰りを待っていたのに、いつの間にか眠ってしまったようだ。寝台で眠った記憶もないから、彼がここまで連れてきてくれたのだろう。彼が帰ってきたのはなんとなくわかって、彼が机に向かって何かをしていたことにも気がついた。
だけど、眠気には勝てずに、そのままぼんやりと夢の世界へと誘われてしまった。
「おはようございます。起こしてしまいましたか?」
「いや。俺のほうが、ほんの少し先に起きていただけだ。気にするな」
寝起きの目をまぶしそうに細くしたアーネストは、オレリアの頭をやさしくなでる。
「お前の髪は、いつでも手触りがよいな」
「アーネストさまは、出会ったときからこうやって、わたしの頭をなでてくださいました。初めてだったのですよ?」
「ん? 何がだ?」
「お母さま以外に、こうやって誰かに頭をなでてもらうのが」
母親が亡くなってからというもの、トラゴス国にいたときに誰かに頭をなでてもらったことなど一度もない。
「そうか。それは光栄だな……そういえば、オレリアには言ってなかったな。二年前のことだが……」
彼も何かを思い出したのだろう。こうやって、互いに会えなかった時間の話をすることも多くなった。
何を? と言いたげに、オレリアは目を大きく見開く。
「お前の十八歳の誕生日に、俺はここに戻ってきたんだ。お前の成人を、少しでも祝いたくて」
さらに大きく、オレリアの碧眼が開かれる。
「え? わたし、全然知りませんでした。戻ってきたなら、声をかけてくださればよかったのに」
「十八歳になったオレリアが誰よりも輝いて見えて、俺は……お前にふさわしくないと思った。俺とお前では二十歳も年が離れているからな。お前はこれからの人生、花開く。だけど俺は枯れるだけの人生だって。それに、早馬で戻ってきたから、身なりもぼろぼろだった。お前を一目見て、俺はすぐにガイロに戻った」
そう言って苦笑するアーネストの目尻には、しわが寄る。だけど、オレリアはこのしわが好きだった。誰よりもやわらかな表情になる。
「知っていますか?」
すっぽりとアーネストに包まれているオレリアであるが、彼の手を捕まえた。
「シーニー国は花の国です。花が咲き、枯れた後には種ができるんです」
オレリアは、彼の手を自身の腹部へと導いた。彼の大きな手のひらから伝わる熱が、じんわりと心地よい。
「ま、まさか?」
眠気もすっかりと吹っ飛んだかのように、鉄紺の瞳が大きく開いた。
「はい。昨日、医師にみてもらったところ、三か月目に入ったとのことでした。昨日、アーネストさまにお伝えしようと思っていたのですが、帰りが遅かったようで……ごめんなさい。先に、眠ってしまいました」
「い、いや……こっちこそ、そんな大事な日に遅くなってしまって悪かった。あ、体調は問題ないのか? 俺はどうしたらいいんだ? ダスティンたちも知っているのか?」
急にあたふたとし始めたアーネストは、どこかかわいいと思う。
「今朝は体調がよいです。マルガレットさまとシャトランさまはご存知ですが、陛下とお義父さまには内緒にしておくようにとお願いしました」
その二人に知られたら、間違いなくアーネストに伝わると思ったからだ。
アーネストには、オレリアの口から伝えたかった。
「そ、そうか。嬉しいような、恥ずかしいような。なんとも不思議な気持ちだ。この年になって、父親になるとは思っていなかった」
「ですが。わたし、あのとき、はっきりと言いました。アーネストさまとの赤ちゃんがほしいって」
それはそうだが……と、アーネストはまだ困惑しているようだった。
オレリアだってその事実を知ったときには信じられなかったのだ。だからアーネストの気持ちもわからないのではないのだが。
「それよりもアーネストさま。昨日は遅くまでお仕事をされていたのですか? 戻ってきてからも机に向かっておりましたよね?」
「そ、それは……」
またアーネストが慌て始めたところが怪しい。いったい、何をしていたというのか。オレリアが唇を尖らせて詰め寄ると、彼も観念したようだ。
アーネストはオレリアにとことん弱い。
「お前に、離縁を申し出たことはあったが、求婚したことがなかったなと、そう思っただけだ。族長の集まりで、どのように求婚したかという話になってな……」
みるみるうちに、アーネストの顔は赤くなる。
「まあ、そういうことだ」
逃げるかのように寝台からするっと出ていったアーネストは、着替えるために部屋を出ていく。
オレリアも彼の後を追うかのようにして寝台から下りて、昨夜、アーネストが使っていた机に足を向けた。机の上に何かが置かれているのが、遠目でもわかったからだ。
そこには、一文字、一文字、丁寧に書かれた手紙があった。
トクンとオレリアの胸が音を立てる。
――結婚してください。
オレリアは、その場で泣き崩れた。
【完】
アーネストの腕の中で眠っていたオレリアは、光を感じて目を開ける。
「おはよう」
目の前にアーネストの顔があった。
昨夜、族長の集まりへと参加したアーネストの帰りを待っていたのに、いつの間にか眠ってしまったようだ。寝台で眠った記憶もないから、彼がここまで連れてきてくれたのだろう。彼が帰ってきたのはなんとなくわかって、彼が机に向かって何かをしていたことにも気がついた。
だけど、眠気には勝てずに、そのままぼんやりと夢の世界へと誘われてしまった。
「おはようございます。起こしてしまいましたか?」
「いや。俺のほうが、ほんの少し先に起きていただけだ。気にするな」
寝起きの目をまぶしそうに細くしたアーネストは、オレリアの頭をやさしくなでる。
「お前の髪は、いつでも手触りがよいな」
「アーネストさまは、出会ったときからこうやって、わたしの頭をなでてくださいました。初めてだったのですよ?」
「ん? 何がだ?」
「お母さま以外に、こうやって誰かに頭をなでてもらうのが」
母親が亡くなってからというもの、トラゴス国にいたときに誰かに頭をなでてもらったことなど一度もない。
「そうか。それは光栄だな……そういえば、オレリアには言ってなかったな。二年前のことだが……」
彼も何かを思い出したのだろう。こうやって、互いに会えなかった時間の話をすることも多くなった。
何を? と言いたげに、オレリアは目を大きく見開く。
「お前の十八歳の誕生日に、俺はここに戻ってきたんだ。お前の成人を、少しでも祝いたくて」
さらに大きく、オレリアの碧眼が開かれる。
「え? わたし、全然知りませんでした。戻ってきたなら、声をかけてくださればよかったのに」
「十八歳になったオレリアが誰よりも輝いて見えて、俺は……お前にふさわしくないと思った。俺とお前では二十歳も年が離れているからな。お前はこれからの人生、花開く。だけど俺は枯れるだけの人生だって。それに、早馬で戻ってきたから、身なりもぼろぼろだった。お前を一目見て、俺はすぐにガイロに戻った」
そう言って苦笑するアーネストの目尻には、しわが寄る。だけど、オレリアはこのしわが好きだった。誰よりもやわらかな表情になる。
「知っていますか?」
すっぽりとアーネストに包まれているオレリアであるが、彼の手を捕まえた。
「シーニー国は花の国です。花が咲き、枯れた後には種ができるんです」
オレリアは、彼の手を自身の腹部へと導いた。彼の大きな手のひらから伝わる熱が、じんわりと心地よい。
「ま、まさか?」
眠気もすっかりと吹っ飛んだかのように、鉄紺の瞳が大きく開いた。
「はい。昨日、医師にみてもらったところ、三か月目に入ったとのことでした。昨日、アーネストさまにお伝えしようと思っていたのですが、帰りが遅かったようで……ごめんなさい。先に、眠ってしまいました」
「い、いや……こっちこそ、そんな大事な日に遅くなってしまって悪かった。あ、体調は問題ないのか? 俺はどうしたらいいんだ? ダスティンたちも知っているのか?」
急にあたふたとし始めたアーネストは、どこかかわいいと思う。
「今朝は体調がよいです。マルガレットさまとシャトランさまはご存知ですが、陛下とお義父さまには内緒にしておくようにとお願いしました」
その二人に知られたら、間違いなくアーネストに伝わると思ったからだ。
アーネストには、オレリアの口から伝えたかった。
「そ、そうか。嬉しいような、恥ずかしいような。なんとも不思議な気持ちだ。この年になって、父親になるとは思っていなかった」
「ですが。わたし、あのとき、はっきりと言いました。アーネストさまとの赤ちゃんがほしいって」
それはそうだが……と、アーネストはまだ困惑しているようだった。
オレリアだってその事実を知ったときには信じられなかったのだ。だからアーネストの気持ちもわからないのではないのだが。
「それよりもアーネストさま。昨日は遅くまでお仕事をされていたのですか? 戻ってきてからも机に向かっておりましたよね?」
「そ、それは……」
またアーネストが慌て始めたところが怪しい。いったい、何をしていたというのか。オレリアが唇を尖らせて詰め寄ると、彼も観念したようだ。
アーネストはオレリアにとことん弱い。
「お前に、離縁を申し出たことはあったが、求婚したことがなかったなと、そう思っただけだ。族長の集まりで、どのように求婚したかという話になってな……」
みるみるうちに、アーネストの顔は赤くなる。
「まあ、そういうことだ」
逃げるかのように寝台からするっと出ていったアーネストは、着替えるために部屋を出ていく。
オレリアも彼の後を追うかのようにして寝台から下りて、昨夜、アーネストが使っていた机に足を向けた。机の上に何かが置かれているのが、遠目でもわかったからだ。
そこには、一文字、一文字、丁寧に書かれた手紙があった。
トクンとオレリアの胸が音を立てる。
――結婚してください。
オレリアは、その場で泣き崩れた。
【完】
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