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10.気になる女性(5)

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「大丈夫か?」
「はい。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

 今日は月も出ているためか、ランタンがなくても道が見えるほど明るい。

「ここだったな」
「そうです」
「家の中に入れば安心だろう」

 扉の前で彼女をおろした。小さな鞄から家の鍵を取り出して、扉を開ける。それがきちんと閉まるのを見届けてから、戻ろうと思った。

「……で、ください……」

 気づいたときには、上着の裾を彼女がひしっと掴んでいた。

「一人にしないで、ください……」

 身体を強張らせている彼女を、アーネストは眉間に力を込めて見つめた。彼女が怖い思いをしたというのは、その現場を目撃したから理解できる。

 しかし、一人にしないでと言われて、アーネストがここにいていいかがわからない。いや、駄目だろう。

「家族などはいないのか? 友人など……」

 アーネストの上着の裾を掴んだまま、リリーは首を横に振る。

「ここに、一人で住んでいるので……」

 誰か呼んできたほうがいい。だけどその誰かにアーネストは心当たりがないし、さっぱりわからない。

「お願いです……一人にしないでください……アーネストさま……」

 そう言ってアーネストを見上げた彼女の姿がオレリアと重なった。ドクンと鼓動が跳ね、手足の先まで熱い血が流れていく。

 思わず彼女の身体を抱きしめ、そのまま家の中へと入る。

 パタン――

 扉の閉まる音が室内に大きく響く。
 身体を重ねた場所からは、互いの鼓動を感じる。

 彼女はオレリアではない。頭ではわかっているはずなのに、身体が求めている。

「怖かった……怖かったんです。あそこで、アーネストさまが来てくださって……」

 アーネストの胸に顔を押しつけるかのようにして、彼女は涙を流す。

「ああ……怖かったな……」

 子どもを宥めるようにやさしくその背をなでるものの、アーネストの身体は明らかに反応していた。駄目だとわかっているのに、本能には抗えない。それでもまだ、ギリギリ理性を保つ。

「アーネストさま……」

 彼女が顔をあげると、海のような碧眼がまっすぐにアーネストを捕らえた。

「何をされた? 触られたのか?」

 灯りもない暗い室内、それでも月明かりがどこからか差し込み、涙を流す彼女の顔がはっきりと見えた。

「どこを触られた」

 さざ波のような声色には、アーネスト自身も気づかぬうちに、怒気が込められていた。
 腹立たしい。彼女に触れた男が憎い。
 そのような感情が沸き起こる理由はわからない。

「ここを触られたのか?」

 肉付きのよい丸いお尻を、右手でなでる。

「あっ……う、ん……」
「ここもか?」

 左手は、ふくよかな胸元を包み込む。

「アーネストさま……」

 彼女の手が伸びてきて、アーネストの頬に触れる。

「あの男を、忘れさせてください……」

 ――抱いてください。

 そう言った彼女が、口づけをせがむ。

 アーネストは堕ちた。彼女の甘美な誘惑に負けた。

 オレリアに似た女性を、オレリアの代わりとして抱くのだ。
 最低だ。
 こうなったら、堕ちるところまで堕ちてやる――
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