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広大な茶畑や薬草園を見渡せる少し小高い丘の上。鉄格子のいかにもという門から中に入ると、緑の芝生と大木が目に入る。そしてベージュ色の外壁で三階建ての屋敷の隣には、広々とした平屋の建物。
「向こうが、『調薬』の工場ですね。母からの手紙によると、あそこで茶葉の選別なども行っているようです」
一つ一つ説明をするファンヌの口調は穏やかだし、どことなく口調も軽い。やはり、懐かしい場所に戻ってきた安心感があるのだろう。
屋敷の入り口のドアベルを鳴らすと、使用人ではなくヒルマが現れた。
「お帰りなさい、ファンヌ。そして、いらっしゃい、エルさん。もう、待ちくたびれたわ」
「お母様……。先生をそんな風に呼んでいたんですか? いつの間に?」
「いやだわ、ファンヌ。あなたにとっては先生かもしれないけれど、私にとっては先生ではないんだもの。あなたの、婚約者でしょ? 名前で呼ぶのが筋というものではないの?」
「だからって……」
ファンヌは頬を膨らませてぷりぷりと怒っている。
「エルさんも、お母様が変なこと言ったら、黙ってないで怒っていいですからね」
「あら。私、変なことなんて言ってないわ。何も怒られるようなこと、していないもの」
「ベロテニアから薬草を送って欲しいって、頼んだんじゃないんですか?」
「それは、そう言ったかもしれないけど。こちらから茶葉を送っているんだから、持ちつ持たれつ。結果的には丸くおさまって、問題無し」
「結果的だけ見ればそうかもしれませんが、そこまでにいたる過程が問題なんです」
「もう、ファンヌったら頭が固いんだから」
ヒルマがファンヌのおでこをツンとつついたところで、母娘の会話は途切れた。その隙を見計らって、使用人が声をかけ、部屋へと案内される流れとなった。
ファンヌは昔に使っていた部屋、エルランドは客室を案内された。
だが、一人でいても何をしたらいいかわからないエルランドは、ファンヌの部屋に足を運ぶ。そこで、荷物を整理していたファンヌは未だに怒っているようだった。
彼女の気分を紛らわせようと、エルランドは何か話題を考えた。考えた結果。
「ファンヌ。ヒルマさんも『国家調薬師』なんだよな? できれば隣の『調薬』の工場なども見てみたいのだが、ヒルマさんに言えばいいだろうか?」
余計にファンヌの機嫌が悪くなったことに、エルランドは首を傾げることしかできなかった。
◇◆◇◆
ファンヌたちはオグレン領にある屋敷で二泊してから、馬車でパドマへと向かった。
オグレン領にいる間、エルランドには薬草園や茶畑、そして工場を案内した。やはりエルランドは『調薬』の工場に興味を持ったようで、ヒルマにいろいろと尋ねていた。それが、ファンヌにはなぜか面白くなかった。
夜の晩餐では、お酒の力もあったのか、エルランドもファンヌの家族と会話を楽しんでいたようだ。
『あら。エルさんって、オスモの教え子だったの?』
ヒルマの口からオスモの名が出るとは思ってもいなかった。
『お母様。オスモ大先生のことをご存知なのですか?』
『ええ。昔ね。一緒に『調薬師』として研究をしていたから』
その言葉で、なぜか難しそうな表情を浮かべたのはヘンリッキである。
『いやだ。あなたったら』
うふふと、意味ありげにヒルマは笑っていた。
『オスモは元気?』
『はい。ベロテニアの王宮調薬師として働いています』
エルランドが答えると、ヒルマは「そう」とだけ答える。相変わらず、ヘンリッキは難しい顔をしていて、何を考えているのかわからない。
『こちらに来て気づいたのですが……』
話題を変えようとしたのがエルランドであったことに、ファンヌは少々驚いた。だが、どうやらエルランドはこのオグレン領に張られている結界に興味を持ったようで、それを維持しているのがハンネスという話を、ファンヌも初めて耳にした。
こちらに戻ってきてから、ハンネスは『医療魔術師』というよりは『魔術師』として活躍しているようだ。
だが、パドマを離れた家族たちが、こちらで楽しそうに暮らしていることに、ファンヌもほっとした。
馬車がカタンと音を立てて止まった。オグレン領からパドマまでは、馬車で丸一日かかる。
馬車の扉が外から開かれ、懐かしいパドマの空気に触れた。だが、外は闇に包まれかけていた。
王都パドマにあるオグレン侯爵家の別邸。今、その屋敷はひっそりとしている。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
屋敷の管理人として残っている老夫婦がファンヌたちを迎えてくれた。あれだけいた使用人は皆、オグレン領の方へ戻っている。今は、パドマに残ることを希望した老夫婦が、屋敷の手入れを行っているのだ。
案内された部屋は、屋敷の中でも一番広い客室だった。
本邸に泊ったときは、二人は別室であった。ヘンリッキの目が届いていたからだろう。
だが今、二人は同室を案内された。そして、もちろんヘンリッキの目も届かない。あるのは、穏やかな老夫婦の目のみ。
「どうかしましたか?」
エルランドの顔が緩んでいた。
「何でもない」
「エルさん。どちらの寝台を使いますか? 窓際?」
「一緒に使えばいいだろう?」
またエルランドはそのようなことを口にする。そして、ファンヌの反応を見て楽しんでいるにちがいない。
「一緒には使いません。一人一つです」
仕方ないので、エルランドは窓際の寝台を渋々と選んだようだった。
オグレン家の別邸での時間は、ただ静かに過ぎ去っていく。ファンヌが手入れしていた薬草園もなくなっており、代わりに小さな畑があった。どうやら、老夫婦がそこで野菜を育てているらしい。
食事の準備は、ファンヌも少しだけ手伝った。その様子を、エルランドが微笑みながら見つめていた。
豪勢ではないけれど、温かく優しいする味の食事。そこにファンヌ特製のドレッシングが登場すれば、話題も広がる。
老夫婦もドレッシングを気に入ってくれたようで、美味しい、美味しいと口にしていた。
パドマに到着したその日は、静かに時間が過ぎていった。
「向こうが、『調薬』の工場ですね。母からの手紙によると、あそこで茶葉の選別なども行っているようです」
一つ一つ説明をするファンヌの口調は穏やかだし、どことなく口調も軽い。やはり、懐かしい場所に戻ってきた安心感があるのだろう。
屋敷の入り口のドアベルを鳴らすと、使用人ではなくヒルマが現れた。
「お帰りなさい、ファンヌ。そして、いらっしゃい、エルさん。もう、待ちくたびれたわ」
「お母様……。先生をそんな風に呼んでいたんですか? いつの間に?」
「いやだわ、ファンヌ。あなたにとっては先生かもしれないけれど、私にとっては先生ではないんだもの。あなたの、婚約者でしょ? 名前で呼ぶのが筋というものではないの?」
「だからって……」
ファンヌは頬を膨らませてぷりぷりと怒っている。
「エルさんも、お母様が変なこと言ったら、黙ってないで怒っていいですからね」
「あら。私、変なことなんて言ってないわ。何も怒られるようなこと、していないもの」
「ベロテニアから薬草を送って欲しいって、頼んだんじゃないんですか?」
「それは、そう言ったかもしれないけど。こちらから茶葉を送っているんだから、持ちつ持たれつ。結果的には丸くおさまって、問題無し」
「結果的だけ見ればそうかもしれませんが、そこまでにいたる過程が問題なんです」
「もう、ファンヌったら頭が固いんだから」
ヒルマがファンヌのおでこをツンとつついたところで、母娘の会話は途切れた。その隙を見計らって、使用人が声をかけ、部屋へと案内される流れとなった。
ファンヌは昔に使っていた部屋、エルランドは客室を案内された。
だが、一人でいても何をしたらいいかわからないエルランドは、ファンヌの部屋に足を運ぶ。そこで、荷物を整理していたファンヌは未だに怒っているようだった。
彼女の気分を紛らわせようと、エルランドは何か話題を考えた。考えた結果。
「ファンヌ。ヒルマさんも『国家調薬師』なんだよな? できれば隣の『調薬』の工場なども見てみたいのだが、ヒルマさんに言えばいいだろうか?」
余計にファンヌの機嫌が悪くなったことに、エルランドは首を傾げることしかできなかった。
◇◆◇◆
ファンヌたちはオグレン領にある屋敷で二泊してから、馬車でパドマへと向かった。
オグレン領にいる間、エルランドには薬草園や茶畑、そして工場を案内した。やはりエルランドは『調薬』の工場に興味を持ったようで、ヒルマにいろいろと尋ねていた。それが、ファンヌにはなぜか面白くなかった。
夜の晩餐では、お酒の力もあったのか、エルランドもファンヌの家族と会話を楽しんでいたようだ。
『あら。エルさんって、オスモの教え子だったの?』
ヒルマの口からオスモの名が出るとは思ってもいなかった。
『お母様。オスモ大先生のことをご存知なのですか?』
『ええ。昔ね。一緒に『調薬師』として研究をしていたから』
その言葉で、なぜか難しそうな表情を浮かべたのはヘンリッキである。
『いやだ。あなたったら』
うふふと、意味ありげにヒルマは笑っていた。
『オスモは元気?』
『はい。ベロテニアの王宮調薬師として働いています』
エルランドが答えると、ヒルマは「そう」とだけ答える。相変わらず、ヘンリッキは難しい顔をしていて、何を考えているのかわからない。
『こちらに来て気づいたのですが……』
話題を変えようとしたのがエルランドであったことに、ファンヌは少々驚いた。だが、どうやらエルランドはこのオグレン領に張られている結界に興味を持ったようで、それを維持しているのがハンネスという話を、ファンヌも初めて耳にした。
こちらに戻ってきてから、ハンネスは『医療魔術師』というよりは『魔術師』として活躍しているようだ。
だが、パドマを離れた家族たちが、こちらで楽しそうに暮らしていることに、ファンヌもほっとした。
馬車がカタンと音を立てて止まった。オグレン領からパドマまでは、馬車で丸一日かかる。
馬車の扉が外から開かれ、懐かしいパドマの空気に触れた。だが、外は闇に包まれかけていた。
王都パドマにあるオグレン侯爵家の別邸。今、その屋敷はひっそりとしている。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
屋敷の管理人として残っている老夫婦がファンヌたちを迎えてくれた。あれだけいた使用人は皆、オグレン領の方へ戻っている。今は、パドマに残ることを希望した老夫婦が、屋敷の手入れを行っているのだ。
案内された部屋は、屋敷の中でも一番広い客室だった。
本邸に泊ったときは、二人は別室であった。ヘンリッキの目が届いていたからだろう。
だが今、二人は同室を案内された。そして、もちろんヘンリッキの目も届かない。あるのは、穏やかな老夫婦の目のみ。
「どうかしましたか?」
エルランドの顔が緩んでいた。
「何でもない」
「エルさん。どちらの寝台を使いますか? 窓際?」
「一緒に使えばいいだろう?」
またエルランドはそのようなことを口にする。そして、ファンヌの反応を見て楽しんでいるにちがいない。
「一緒には使いません。一人一つです」
仕方ないので、エルランドは窓際の寝台を渋々と選んだようだった。
オグレン家の別邸での時間は、ただ静かに過ぎ去っていく。ファンヌが手入れしていた薬草園もなくなっており、代わりに小さな畑があった。どうやら、老夫婦がそこで野菜を育てているらしい。
食事の準備は、ファンヌも少しだけ手伝った。その様子を、エルランドが微笑みながら見つめていた。
豪勢ではないけれど、温かく優しいする味の食事。そこにファンヌ特製のドレッシングが登場すれば、話題も広がる。
老夫婦もドレッシングを気に入ってくれたようで、美味しい、美味しいと口にしていた。
パドマに到着したその日は、静かに時間が過ぎていった。
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